『妖怪人間ベム』第4話

秀逸な回。ゲストの紺野まひるの、美人なんだけど、心に何かを抱えてる感じの顔が、役にすごいハマリようだった。

そして、みんなで餃子を作るとか、小春の、白線からはみ出さずに歩きとおせたら・・・のジンクスとか、『すいか』『Q10』の流れを汲む演出にはさらに磨きがかかっている。それにしても、この3作を時系列で追っていくとどんどん悲痛さが増していくんですが、これは時代なんでしょうか・・・

『すいか』は、「人は弱い。でも、人は愛おしい」って感じ。弱さを愛おしさで包み込めば、救われる(心地がする)というか。『Q10』は、個人の力ではどうしようもない貧困やら病やらも描いてたけど、登場人物たちが高校生というのもあって、とことん閉塞的ではないというか、若さが突破していく可能性みたいなものが常に漂っていたように思う。

『ベム』はもう、哀しい。今回の紺野まひるも、宇多田ヒカルの名曲「誰かの願いが叶う頃 あの子が泣いてるよ」的造型なんだけど、あまりにも長い時間生きているベムたちは、その“人が人であるかぎり逃れようのない哀しさ”を知り尽くしているわけで。それはもう、過去も現在も変わらない、だから未来も変わりようがないんだけど、「それでも願わずにはいられない」という人の“さが”を体現しているのもまたベムたちで。「人は哀しい。それでも、人は愛おしい。だからこそ、また哀しい」って感じ。永遠の連鎖なんだよなー。