『たそがれ清兵衛』 藤沢周平
- 作者: 藤沢周平
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/07/15
- メディア: 文庫
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主人公はそれぞれ、「たそがれ」だとか「だんまり」だとか「ごますり」のように、いっぷう変わった容貌や性格をあだ名にされ、周囲から軽んじられているような下級武士。ただ、そこは藤沢小説、彼らは類稀なる剣の腕をもっている。
もっと若い頃は、小品集だと思ってた。もちろん悪い意味じゃなく、ささやかな、という意味でだ。
どの作品でも描かれる、藩の上層部の派閥争いや、個性的に描かれる女たちとの交情は、現代に置き換えてもそっくり通じるようで親しみが感じられる。ことさらコメディっぽく書いてはいないけれど、どこかとぼけたような、にじみ出てくるようなおかしさも、作者の意図したところだろう。
この親近感、ユーモアこそが要であって、私たちは、「わかるわかる。あはは、えっ!? どきどき」と読みすすめ、キラリと光った白刃が元の鞘に収められるラストに、ホッとし、あるいはホロリとすればいいんだと思ってた。
だから、映画『たそがれ清兵衛』が「これこそが藤沢世界の映像化」と絶賛されたのはわかるし、真田広之・宮沢りえとも素晴らしい演技で新境地をひらいたとは思うけれど、ちょっと深刻すぎやしないか?と、声を大にして言いたかった。本来、もっと軽やかな作品なのではないか?と*1。
けれど、最近の再読で、違った感想を抱くようになった。
ここに収められているのは、やはり切実な小説たちなのではないかと思う。その思いは、私自身が結婚し、子どもをもったことと大いに関係があるんだろう。
主人公たちが、上意によってとはいえ、危ない役目を引き受けるとき、妻であるとか仲間であるとか、必ず何かしらの「守るべきもの」が存在している。彼らはそのために、意に染まぬ派閥に与したり、わけもわからぬまま命令を受けたりして、命のやり取りにもなりかねない剣を抜くのだ。その結果はそれぞれ異なる。何かを得るもの、失うもの、平穏な日常に戻るもの・・・。
どんな成り行きにしろ結末にしろ、誰かのために、自らの損得とは遠いところで戦わなければならない男たちの姿に慄然としてしまうのだ。
だからといって、かつて受けていた印象が間違っていたとも思わない。今の自分が前のめりなんであって、やっぱり本来はサラリと読むべき話のような気もする。あるいは、もっと年をとって読んだら、懐かしいような切なさがあるかもしれない。
人生のどの時点で読んでも、それぞれに引かれるところ、感じるところがあるとは、なんて素晴らしい小説なんだろう。
そして、そのすばらしさには文章の良さの寄与するところもとても大きい。たとえば「本屋大賞」的に、奇想天外とかキャラクターが魅力的とか小説はたくさんあっても、文章そのものを味わうことのできる小説は、それほど多いわけではないように思う。美辞麗句を並びたてるわけでないのに叙情的。難しくないのに的確。小品と読んで差し支えないほどの長さでありながら、深い奥行き。名作は名文によって残るのだろうなと思わせるものがある。