『この国のはじまりについて』 司馬遼太郎対話選集1

一日で読んでしまった。たまに司馬遼太郎を読むと、魔法にかけられたみたいになるわ〜。司馬史観はときに攻撃の的になることもあるけれど、やっぱり巨人だよ、巨人。今、司馬の代わりになり得ている人はいないと思うし、この先もこれほどの人が出てくるか疑問だ*1

古代から現代まで、長い歴史のどの時代についても精通している。膨大な史料、古い文献をあたっただけではなく、日本の隅々までを歩き、取材してまわって蓄えた知識だ。そして、それを、あまねく知らしめることのできる平明で魅力的な語り口をもっている! 

戦国の三傑とか、王朝絵巻とか、いわゆる「キャラ萌え」、あるいはめくるめくドラマに魅了されるのが、よくある歴史への入り口。実際、私もそうだった。子どものころに、大河ドラマを見たり『あさきゆめみし』を読んだりして好きになった。

もうひとつ奥の扉を開いたのは、今思えば高校生くらいのとき。

鉄の大量生産ができるようになると、農耕具が発達する。農耕具が発達したことによって、どんどん墾田が進む。田畑が増えると、その所有について争いが起きる。。。。

風が吹けば桶屋が儲かる」的っていうんでしょうか。こういうふうに、いろんな繋がりがあることがわかってきたとき。


司馬遼太郎によると、鎌倉幕府というのは土地争いの調停所としての性格が強かったという。

「おれの土地にするために、鎌倉殿(=頼朝)を推し立てる」という、これはリアリズムですよね。京都のお公家さんが形式的に坂東に土地を持っているんだというのではなく、自分が開いた土地は自分のものだ、というリアリズムの確立は、鎌倉の芸術や宗教に、非常に大きな影響を及ぼしてますね。

(中略)平安時代なんかは、数の子が貼りついたみたいで、どこに個人がいるのか庶民ではわからない。京都のお公家では才女もいたり御堂関白もいたりして個人の匂いがしますけれども、庶民というところでは、個人のにおいがしませんでしょう。

こういう、平安期の暗闇から、個人が光を浴びて躍り出てきた感じが、鎌倉幕府の成立ということですね。

このあたりの論説が『この国のはじまりについて』というタイトルにつながっていく。司馬によると、「鎌倉以前は日本ではない」らしい!

ともあれ、英雄も、歴史に残る出来事も、ゼロの状態からいきなり出現するのではない。需要と供給、じゃないけど、そこに至るまでの流れ、必然性の蓄積のようなものがあるのだということ。また、海の向こうの半島や大陸の情勢が及ぼす影響や、モノ・ヒト・カネの流通。地理や経済も、現代だけに存在するのではない。

そんなもろもろを複合的に捉えることができるようになると、歴史はさらに、そして飛躍的におもしろくなる。輪切りじゃない、スポットだけじゃない歴史のおもしろさを、俯瞰しては焦点を絞るというズームの動き自由自在に教えてくれる本である。

頼朝と義経は、なぜうまくいかなかったのか? 上流階級では一夫多妻がふつうであった時代に、政子が頼朝の浮気を許さなかったのはなぜ? 対談の中では、「相性が悪かったから」とか「政子は嫉妬深い女だったから」とかではなく、歴史を紐解いての解説がなされるわけですよ。

対談相手には、同業者である永井路子、異端の歴史学網野善彦、戦前戦中戦後を通じて日本(史)を深く研究したライシャワー、それになんと湯川秀樹までが連なっている! これでおもしろくないはずがなかろう!

*1:ん?池上彰・・・?