本当はすべてを選びたい

面白い話じゃないのでたたみます。
臨月に入るかというころ、親しい女友だち3人から結婚披露宴への出席の打診をされた。いずれも10月だという。そのころの自分がいったいどんな生活をしているのか、子どもはどんなふうなのか、まったく見当がつかなかった。

本来ならば一も二もなく快諾するところだが、軽はずみな返答ではむしろあとで迷惑をかけるかもと思い、しばらくの猶予をお願いした。夫や親、子をもつ知人友人たちなどに、3ヶ月の乳児とはいかなるものか、預けるときの対策など相談しているうちに7月には出産、あれよあれよと過ごしている8月に、前後して招待状をいただいた。

3人のうち2人は、同じ大学に通った友人で、いわば同じ友人グループに属する間柄だ。この2人が、なんという偶然か、一週違いで挙式披露宴をすることになる。先に挙げるほうは、我が家からはドアtoドアで片道4時間かかる九州内の他県での式。後の子は、福岡市内の式場だ。あとひとりは大学時代、2年半のあいだ同じアルバイトをしていた友人で、挙式はハワイ、10月の最終週に福岡県内の某市で披露宴をひらくらしい。ちなみに、3人とも私の結婚式に出席してくれた友人である。

熟慮の末、私は先のふたりの式には欠席することにした。8月の半ば過ぎ、それぞれに宛ててその旨の手紙を書きながら、暗澹とした気持ちに襲われた。

彼女たちは私を薄情に思うかもなと思った。仮に立場が逆なら、私はやっぱりがっかりしただろうと思う。確かに乳児を預けて出てくるのは大変だろう、でも、結婚式は一生に一度なのだ。なんとか融通してくれたっていいじゃないか。その日くらい、自分を一番に考えてくれたっていいじゃないか。友だちなんだから。心の奥底ではそんなふうに思ったのではないか、私が独身で、子をもつ前なら。

そもそも、自分自身、当然、彼女たちの結婚式には出席するものだと思っていた。その日の思い出を共有して当然の間柄だと。

でも、できなかった。身軽なころなら偶然を面白がったであろう2週連続というのが一番のネックだった。遠方の友だちは、夫とサクも一緒に出席するのではどうか、日帰りはきついだろうから宿も用意する、とまで言ってくれたが、結婚式はみんなのもの。親類縁者でもないのに3ヶ月の乳児を出席させることを良く思わない列席者の人だっているだろうし、赤ちゃんには突然の遠出というのはやはり負担で、病気をしやすいと言う。もし無理をして体調を崩した場合、翌週の結婚式には出席できないだろう。ドタキャンはもっとも迷惑だ。2人はお互いに友だちなのだから、あらかじめどちらか一方だけを選んで出席するという選択は私にはとてもできなかった。式場の距離の問題ではない。

同じ条件でも、どうにかして出席する人もいるかもしれない。でも、程度の差はあれ、母親になるってこういうことなのだ(つまり父親はちょっと違う)。まず確保するのは、子どもの健康や安全。それは子ども自身のためだが、同時に、自分の安心のためでもある。

子どもがいなくとも、同時に両方を選べない場面はある。独身のころ、仕事が忙しすぎて友だちの誘いを断ってばかりだったり、恋人と友だちとで予定がバッティングすることもあった。でも、本当に大事なイベントのときだとか、すごく困っているときには、何をおいても駆けつける。そういうのが友だちだと思ってきた。

心意気なら今でも同じだ。いや、むしろ、年を追うごとに、長年の友だちの得難さ、たまにしか会えなくてもいるのといないのとでは大違いだってことはわかるから、なおさら、何かの時には「いざ鎌倉」という気持ちでいる。それでも、こんなに小さい子を置いてはどこにも行けない。すべてに優先するほどの存在をもつことは、最高の幸せだけど、やっぱり時に、怖い、悲しいことでもある。

手紙を読んで、友人は2人ともすぐに反応をくれた。そこはやっぱり友だちで、心の奥はどうあれ、理解してくれた。と、思う。というか願う。その後あらためてお祝儀を送ると、そのお礼もあった。話していて何の違和感もないことを本当にうれしく思う。

子どもは案外すぐに大きくなって、また私も自由に出歩けるときが来るだろう。それに、子どもの有無にかかわらず、長い時間のうちにだんだん遠くなっていく友だち関係というのは珍しくないかもしれないし、そうでなくとも、友だちのために万難を排して駆けつけなければという機会は、大人になれば、それほど多くはない。子どもが三ヶ月のときに相次いでその機会が巡ってきたのは不運なほうだったのかもしれない。

でも、一生に一度の結婚式だもんなあ。残念だし、申し訳ない。子どもに多少の無理をさせてでも、トラブルのないほうに賭けてでも行くという決断のできなかった私は、やっぱり友達甲斐がないのか。あるいは、母として弱いのか。今でもまだ、幾分ウジウジしているのだ。