帆をあげてゆく

子育てのストレスは意外に少ない。もちろん、今のところは、という限定つきかもしれないけれども。それどころか、子どもが、も、かわゆーて、かわゆーて。毎日百回は口に出してるし、心の中ではもっと言っている。

子どもに対する愛情ってほんとにすごい。日増しに深くなっていって、その底知れなさが怖いくらいだ。

仕事をするとかいう予定は具体的にはないけど、ふと、数時間でも人に預けきれないかもしれない、と思い至ったとき、ちょっと愕然とした。そういう感情があるとは聞いていたけど、自分には起こらないような気がしていたのだ。

今のところそこまで追いつめられていないので必要はないが、たとえば、たまに託児サービスのようなものを利用して自分のリフレッシュ時間を作るのは、決して悪いことではないと思う。けれども、実際には、そう簡単に割りきれない気がする。

サクはこのごろ、私の顔をじっと見るようになったし、声にもよく反応する。何より私にはおっぱいがついてる。サクが私を探して泣いて、泣いても泣いても私が(まあ、おっぱいが、と言い換えるべきかもしれないけど)見つからなくて、さらに激しく泣きじゃくる様子を、サクと離れて想像している自分、、、を想像してしまうと、むりむり、と思う。物理的に離れたって気持ちは離れられなくて、それはとてもつらいのだ、きっと。こういう感覚は母親独特のものらしく、夫に話すと、へえっ、て感じで驚いていた。

託児くらいなら乗り越えられるとは思う。いずれ必要に迫られるときもくるだろうし。でも、人生にはどんなアクシデントや落とし穴があるかもしれず、それでサクと決定的に離れ離れになってしまったら。あるいは、一緒にいても、満足な世話ができない状態になってしまったら・・・。たとえば地震、たとえば誘拐、たとえば私の重い怪我や病気、あるいは彼自身の。そんなことを想像するだけで耐えられないほどつらい。「好きなことして死ぬならば」なんてうそぶいていたけれど、10年近くも喫煙していたことだって、今となっては後悔しきりだ。

前に、年上の友人が言っていた。「家族をもつと、なんでも倍増する。家族3人なら、うれしいことも3倍だけど、悲しいことも3倍」。前に、と軽く書いたけど、もう7年くらい前のことだ。家族が増えるのは楽しくてすばらしいこと、というのはよく見聞きするが、そういう言い方は珍しくて、印象に残っていた。きっとそのとおりだろうと思う。J・ウェブスターの『あしながおじさん』のラストでも、彼と結婚して、生まれて初めて自分の家族をもつことになるジュディが、そういう不安をとてもチャーミングに手紙に書くところがあるよね。

私が代わってあげられたら、なんてよく聞くセリフも、紋切り型じゃなかったんだ。子どもにふりかかろうとするすべての災いを確実に取り除けたらいいのに。でも、もちろん現実には不可能だ。そう思うとき、本当に戦慄する。

それでも、いたずらに怖がるばかりでは親として愚かなんだろう。いま発売の育児雑誌は9月号だから、防災バッグの中身なんかについてのミニ特集もあったけれど、ほんと必要だと思う。震災掲示板の存在も、子どもをもつまで全然知らんかった。夫にも教えておかねば。

どんなことがあっても、この子を守っていかなきゃいけない。そしてできれば笑顔で育てたい、どんな状況にあっても。

武者震いしている新米母の私は、この先どんな壁にぶつかってくじけそうになるか分からない。でも強くなりたい、強くありたいと、いま人生でいちばん思ってる。