大人の夏休みの日

子どもの成長を心から喜んでくれる人と会うのはうれしい。その代表格といえばやっぱりジジババだ。13日には私の両親が来た。翌14日は夫の実家、篠栗へ向かう。1時間のドライブはサクにとって人生最長なので行く前は少し心配もあったが、ぐっすり眠りっぱなしだった。

後部座席で抱っこするのがラクになったなーと思う。サクの体が大きくなったからだ。退院時や、実家と自宅との往復などのときは、あまり揺れすぎないように、カーブや加減速で付加がかかりすぎないようにと、しっかりホールドするために私がかなり体を丸め、腕や足に力を入れなければならなかった。今はもう、自然に私の腕の中に収まるくらいの大きさだ。えーと、子どもはチャイルドシートに乗せましょう。

夫の両親と会うのは20日ぶりだったのだが、その間に1キロ近くも大きくなったサクちん。当然驚かれる。「よっぽどおっぱいの出がいいんだねえ」と、最近どこででも言われる私である。褒められているんだろうけど、なんかこう、奥ゆかしさのない人間みたいで恥ずかしい感じもあるのよね。

車から降ろしても起きやしないので、これ幸いにとさっそく昼食をいただき、起きたら“出のいい”おっぱいをあげる。その後は、サクを義両親預けて私たち夫婦が昼寝。毎度のことだが、嫁ってこういう存在だっけ・・・? 

夕方、だんなさんのほうの実家に行っていた夫の妹一家がやってくる。ふたりの息子は4歳3ヶ月と1歳2ヶ月。やんちゃ坊主たちの来襲により、サクの存在感は一気に低下(笑)。ふたりがバラバラに遊んだり走り回ったりするだけでも賑やかだし、ふたりが絡み始めると大騒動。お兄ちゃんのほうは普段は弟をかわいがってるのだが、弟がまだわけもわからずお兄ちゃんをバンバン叩くと、さすがにカッとして手が出る、弟うわーんと泣く、お母さん(=義妹)怒る・・・の繰り返し。チビッコひとりに振り回されている私と夫だが、「うちなんて静かなもんだね・・・」と意見の一致をみる。

てんやわんやの夕食を終えたあと、義妹のだんなさん一人を留守番に、みんなで近くの公民館に行く。盆踊りをやっている。りらっくまの浴衣に着替えた甥っ子たちは『炭坑節』を踊る輪に入り、サクは寝たまま夫に抱かれている。夫のかつての遊び友達やその両親たちも来ていてチラホラと笑顔が交わされ、私もいっぱしの嫁っぽくあいさつをしたり。サク連れだったので私たちは間もなく辞去し、義弟とサッカー観戦。

順番におふろに入り、子どもたちを寝かしつけたので次の間も電気を消して、テレビの灯りでお寿司の残りをつまみながら大人たちで少しおしゃべりする。私はサクにおっぱいをあげながら。「疲れたでしょ」と義母に労われ、義妹、「でも今日はなんか楽しいね」と言う。そう、なんだか夏休みっぽい。家族の集合、盆踊り、この夜の感じ。子どもたちがいることで、余計そのムードが濃いような気がする。

この時間にはもう帰っていたが、今日の夕食では、義妹一家を車で送ってきた、義妹のだんなさんの弟くんも一緒だった。独身のころ、もっと若いころ、「私は恋人とおつきあいしているのであって、その家族とのおつきあいはちょっとな」と思っていたけれど、こうやってみんなでわいわいやってるのを普通に楽しんでいる自分がいる。・・・って、嫁らしいことを何もせず食っちゃ寝してりゃ、そら楽しかろうって話だが・・・。それでも、人生って不思議。

明けて15日は朝早く出て、サクのお宮参りに行った。おなかいっぱいにしてから出発したつもりだったけど、車の中でしきりに飲みたいそぶりを見せるので、お宮の中で大泣きされたらつらいかな、と思い、走行中だと吐いたりしないか心配したものの、結局また飲ませる。もちろん隠しながらとはいえ、母になると一般道で乳を出すのも辞さないのだ。その甲斐あって、お宮に着くとすやすやのサク。朝いちばんとはいえ真夏、お義母さんと汗をふきふき、交替で抱っこして無事にお参りを終えた。

帰りの車の中、あれこれ喋っている中で夫がふいに言った。「子どもの成長って早いね」。見るたびに大きくなっている甥っ子たちのことを指しているのだが、自分たちの子どもも同じなんだよな、という思いは、言葉にするまでもなく共通していただろう。そして、その一方で年を重ねていく自分らの親のことも想像せずにはいられないのだけど、いやおうなく、そうやって時は経ってゆくんだね。