I'm ready for the blue

朝、目が覚めたら朔太朗の顔が真正面に。ずいぶん動くものだ。まだ眠っているその顔が、で、でかい。
生まれてたった十日なのに、ほっぺがぷくたんになった。顎なんて角度によれば二重だ。おむつから伸びる太もももむっちりしてきたし、なんだか背も伸びた気がする。小さいなりにしっかりしてるというか、生まれたばかりのころ(って、まだ十日しか経ってないんだってば、それなのに)の、はかない感じがなくなった。。。既に。
相対的なことはわからないけど、まぁよく飲む子という印象だ。この時期、おっぱいは欲しがるたびにあげましょうということだが、そりゃもう頻繁に求められるし、なんせそのアピールがただごとじゃない。そんなにも、そんなにもですか! というくらい全身全霊での泣き叫び方には毎回笑ってしまう。日に3回くらいミルクをあげるときは、夫も私の母も飲ませ役をかって出る。あれだけ飲みっぷりがいいと、飲ませ甲斐があってスカッとするのだろう。
その一方で出しっぷりも見事なもの。一日に十回もウンチくん。病院では緑色っぽい粒々だったのが、黄色く、でろーっとした質感(笑)のものに変わった。主食がミルクからおっぱいに変わった証拠でうれしくも、瀕回の柔らかいウンチくんはおむつかぶれを起こしてお尻が赤くなるのが悩みの種。市販のお尻ふきの使用をやめて脱脂綿を水に浸したものでやさしく拭く。それとたびたびの座浴、少量のベビーオイルという対策で、だいぶ良くはなったものの、なんせウンチするのをやめるわけにもいかないからねぇ。ちなみに赤くなっても本人に痛みはないのか、おむつ替えを嫌がる様子はない。。。腹さえ充たされていれば。
子供はかわいい。本当にかわいい。
なのに、見ているのさえつらくなるときがある、といったらひどいですか。でもほんとのこと。そんな自分にびっくりしてまた落ち込む。一日中ではなくて、夕方かあるいは夜のひととき、ふいに涙もろい自分があらわれる。なるほど、いかにもホルモンバランスが崩れてるって感じだ。
しばらくすると落ち着くので、「あれはいったいなんだったんだ、、、」と”もうひとりの自分”について考えるのが最近の日課になっている。
退院するときはうれしかった。土曜日で夫もいることだし、と自宅に帰り一晩過ごした。一週間ぶりのわが家に子供を抱いて帰ってこられたことがうれしく、夫は料理もおむつ替えもしてくれるし、サクはあくまでマイペースだった。翌日の夕方、車で15分くらいの実家に移動して、夫が帰ってから最初の波がきたように思う。
マタニティブルーと一言でいってもどんな不安やいらだちに襲われるかは人それぞれだろうが、私の場合もっとも大きいのは”普段の生活”が送れないことへのストレス、それがいつまで続くかわからないという見通しの立たなさではないかと思う。やたらと夫が恋しいように感じられるのは、何も美しい夫婦愛というばかりではなく(笑)、私にとってスタンダードな生活の象徴が夫であり、夫と住む自宅なのだろう。
”普段の生活”といったって、何も本を読みまくったり月に何度も外食をしたりなんてことができないのはハナから承知だし、赤ちゃんが生まれてすぐの頃どんな生活になるのか心構えはしていた。それでも、実際にこうなってみると、気軽に本屋へ立ち読みに行ったり、夜には夫と埒もないおしゃべりをしながらごはんを食べたりすることのできなさって、意外とボディブローのようにじわじわ効いてくるな、と思った。
だいたい私は昔から怠け者のくせに依存するのは嫌いという性質で、食事も後片付けも洗濯も、どうかしたら子供の抱っこや寝かしつけも親がかりという状態は予想以上につらい。怠惰にゴロゴロして、その見返りが自分にくるのはやぶさかでないが、病院のように対価を払うならばともかく、善意でやってもらうと心苦しい(夫は確かにわが家の料理長だが、生活を共にするパートナーとして、すべての家事を考えると応分のはたらきだと思う)。親にしてみれば善意というより親心ってもんだろうし、産褥期は休むのが仕事だと理屈ではわかっていても、感情はついていかないのだ。
体を休めるべき、目を使いすぎないべき、といった”べき論”以前に、新クールのドラマが始まっているのに見たい気が起こらないし新聞も読みたくない、という心もちになっている自分に気づいたとき、この意欲のなさはまさしくうつ気味だな、と認識した。身内の前では気丈にしていたいので、弱っていることを口に出したくはないが、さりとてブルーな時間には気軽な会話をする元気もなく笑顔もろくに見せられない。
親もそれに気づいてそっとしてくれているのではないか、夫も内心、私が帰ってくるのを不安視してはいないか、子供が泣くのも私が至らないからではないか、さっそくおむつかぶれにもしてしまって、、、などと、こうなるとマイナス思考に歯止めがかからない。親が病院で採血したと聞けばどこか深刻に悪いのではないかと怯え、おっぱいを欲しがる子供を見れば、この子がこうやって成長していくのと引きかえに、自分の親はどんどん歳をとっていく、、、と悲しくなる。アホくさ、と思われる向きもあるだろうが、親の健康と経済問題は、(当時の)高齢出産・零細自営業家庭に育った私の子供のころからの二大トラウマなのである。
ま、黄昏どきの落ち込みが始まって四・五日、そのことを書けるくらいには冷静になってきたところ。書くって、ほんとにいい認知療法ですね。こうして書き連ねていると、「まぁまぁ、落ち着け」と言ってやりたいくらい典型的な悪循環だと我ながら笑えるくらいだもんね。や、笑うことはない、渦中にあるって、それだけ苦しいのだ。
そのほか、気分が浮上するのは、毎日の『ゲゲゲの女房』。15分と短いから見やすいし、週タイトルの「来るべきときが来た」のとおり、新しい風が吹きはじめている内容にぐっとくる。コメントのやりとり(皆さん感謝です)や友達とのメールも楽しいし、子供の一挙手一投足に笑ったり癒されることはもちろん多い。この辺りを書いている今(産後のブログは細切れの時間にちょいちょいケータイで書いてます)は夕方だけど、とりあえず元気。子供が起きるのを待っているのだが、朔太朗さんたら3時間以上爆睡中。胸が張って痛くなってきたんだけどなー。冷えピタ貼ってみた。
何より、今後を楽しみに思えることが増えてきたかな。実家とお別れするとき、サクをかわいがってる両親のさみしさを思うと想像だけで泣けるけど、なんせ車で15分だし(私も母も運転しないのだが、、、)。一ヶ月検診が終われば、サクと散歩したり一緒にお風呂に入ったり、途中からでも「ホタルノヒカリ2」を見たり、買い置きしている三浦しをんのエッセイでも読んで笑ったり、義妹の子供とサクでお盆に従兄弟集合したりしてみたい。休日くらいは三人で川の字になって寝たい。
まー、これでブルーな時期が終わったのでもないかもしれんし、育児の悩みは次から次に出てくるのだろうけどね。なんせ、割と図太くできてて情緒も安定しているほうだと思っていたので、この数日は自分でもびっくりでした。