『Mother』 第10話

いやあーーー……、もう、なんつーか……
「楽しいか?」て感じ。「満足か、え? こんなに泣かせて。これが望みか?」て。や、製作陣に向かって叫びながらも完全に白旗あげてるんだけどね。いつものとおり、録画してひとりで見たんだが、泣きすぎて呼吸困難ぎみになり、視聴後は軽く吐き気がした。

来週は最終回か。「母性とは?」みたいな重いテーマを扱っているんだから、どうしても、このドラマがどんな答えを出すのか、という視点も持ってしまうけれど、それとは別に、「そんなことどうでもいいから、とにかく、奈緒もつぐみも鈴原家のみんなも幸せになって! 笑って終わって!」と激しく願ってしまう。そういう感情移入の仕方をさせるドラマなんだもん。たぶん、最後は渡り鳥って感じになるんだろうけどね・・・一縷の救いを見せる感じで・・・

無邪気に笑いながら日々の他愛ない話をしていた子役の芦田愛菜ちゃんが、「お母さん・・・いつ迎えに来るの?」のところから一転、いかにも子どもって感じでえぐえぐ泣いて寂しさを訴えるシーンを涙なくして見られる人は数少ないだろうし、テレビドラマに出演することがレアな田中裕子の怪優っぷりに改めて舌を巻いている人も多いだろう、私もそのひとりだ。もちろん、松雪泰子の好演なくしてこのドラマは成り立たない。先週、それまでいつもいつでも小声でぽそぽそ喋っていた松雪さんが、警察に囲まれて逃げ場を失い、天に向かって「つぐみーーー!」と咆哮する姿(と、それ以降の別れ)もね、泣けてしょうがなかったもんね。

それらは当然として、私のこのドラマでの隠れた泣きどころは、高畑淳子の演じる鈴原籐子なんだよな。“奈緒(松雪)→つぐみ(愛菜ちゃん)”、“葉菜(田中裕子)→奈緒+奈緒が愛する子としてのつぐみ”、という、ただひたすら一方向に向かう母性に比べて、籐子(高畑)の母性は、奈緒、芽衣(酒井若菜)、果歩(倉科カナ)という三人の娘たちに並列して等量で注がれる。彼女は長い年月、三人ともを愛し、守ってきた。明るく美しく、一家の太陽みたいに。かつ、冷静に、現実的に。あっちもこっちも大変になっても、あくまで気丈で、いざとなれば世間体を気にしない強さもある。ついには、奈緒の実の母である田中裕子にまで深い共感と同情を寄せる。

なんかさー、あんなに立派でなく経済力もなくきれいでないにしても、世の中の母親って、きっと、この高畑さんの役にいちばん近いと思うんだよね。松雪さんや田中さんの役は、ドラマチックすぎるし、なんか背負いすぎてて、ほんとに「ドラマの中の人」て感じなんだけど、高畑さんは、子どもが何人かいたり、夫や両親もいたりと、たくさんの守るべき愛すべきものをもっていて、いろんなものと格闘しながら生きている「現実世界のお母さん」をすごく髣髴とさせる演技だなーと思う。このドラマで私の中の高畑株はもうとっくにストップ高を実現。

なんにしたって、『母の愛は海より深く』って話ですよな。これ、初めて見たNHK大河ドラマである「独眼竜政宗」の、ある週のサブタイトルだったんです。当時私は小学2年生だったんだけど、すごく印象的なフレーズで忘れられない。完全に余談だが、このときの母は、姐さんこと岩下志麻さんでしたね。