『そうだ、村上さんに聞いてみよう』村上春樹

正確なタイトルは、『「そうだ、村上さんに聞いてみよう」と世間の人々が村上春樹にとりあえずぶっつける282の大疑問に果たして村上さんはちゃんと答えられるのか?』
1996-99年に開設されていたHP「村上朝日堂」に寄せられた質問に、春樹さんがネット上で答えていたものである。

朝日新聞社からこの本が出版されたとき、立ち読みして「おっもしれー」と思いつつ、「ま、ムック本だし買うほどでも・・・」なんて処した当時の自分はバカだと思う。この本、もう書店ではもう流通していない。だから、今回、図書館で見つけた瞬間はガッツポーズ!もんだった。

こんなにも長いあいだ、そして世界中で村上春樹が多くの読者に愛されるのは、その作品から「すくいとることのできるもの」がものすごく多いからなんだろうと思う。「ひどく個人的な」文体や雰囲気、時折挟まれる格言のようなもの、説明しがたいストーリー、なかなか細かいエロ描写などなど、魅力はたくさんある。

この「質問本」も、バラエティの豊かさといったらない。恋愛、不倫、人生、小説、音楽、マラソン・・・ありとあらゆるジャンルの質問に対する、その答えの面白さよ! もうすぐ図書館に返却しないといけないので、好きな回答のうち書き写しやすい簡潔なものをばんばん書きとめとこうと思います。

  • (質問)夫が主夫になることに。料理は上手だが後片づけは本人曰く「向いてない」。一時期、主夫をしておられた村上さん、家事を続けていく秘訣は?

「後かたづけのない家事」なんてものは世間に存在しません。家事とは、言い換えるならば、永遠の後かたづけです。そうですよね? 「そんな甘い考えで主夫ができるか!」と恫喝してください。家事をなめてはいけません。
僕は思うんだけど、芸術というのは日常からぱかっと離れたところにあるのではなくて、日常のちょうど裏側にぴたっとくっついてあるものなのです。(後略)

私は、数ある彼の特質の中で、「健全さ」と「ユーモア」が特に好き。新刊が大売れするたびにマスコミが組む春樹特集の中で取り上げられることはあまりない部分だけど、これがあるのとないとでは、春樹ファンの数はずいぶん違うと思う。

  • (質問)サンドイッチは縦に食べる? 横に食べる?

このホームページを始めて数年、日々つくづく感心するのですが、世の中にはほんとうにいろんな話題があるもんです。サンドイッチを縦にして食べるか、横にして食べるか、そんなことこれまで考えたこともありませんでした。「同じような話題が既に取り上げられていたらすみません」ということですが、大丈夫マイ・フレンド、そんな話題を持ち出したのはあなただけです。
とうもろこしを縦に食べる人がいたら面白いと思うけど、そんな人はまさかいないでしょうね。

「健全さ」には、むろん性欲の存在も含まれています。

  • (質問)村上さんは性欲が強いか?

ロールズロイスという自動車会社は一貫して、自社の車のエンジンの排気量を公開していません。数字についての問い合わせがあると、“enough”と答えるだけです。「とにかく不足ないぶんだけはある」ということですね。僕の性欲も、えーとまあ、その程度です。自慢できるほどのものでもなければ、恥じいるほどのものでもありません。かたちにして「この程度のものです」とお見せできるといいんですが、そうもいきません。

うまいこと言うよね。

  • (質問)春樹さんが奥様を口説いたときのことも、後生の参考のためにこそっと教えて欲しいです

気になったので妻に「どうして僕と結婚する気になったのか」とあらためて訊いてみました。そしたら、
1.手紙の文章がすごくうまかった
2.へんに屈折したところがなかった 
という答えが返ってきました。27年間一緒に暮らしてきましたが、そんなことぜんぜん知らなかったです。なんかそれだけ訊くと、頭の良い犬みたいに思えますが。

春樹さんは早稲田大学在籍中に奥さんと結婚しているので、約40年前、つまり小説家としてデビューする10年も前から、その文章力には奥さんのお墨付きがあったわけなんだね〜。「へんに屈折したところがない」、やっぱり健全さも昔からだったんだね。

  • (質問)“女の子”であり続ける条件は?

(前略)静かに歩く。音を立てずに食事する。姿勢をよくする。大きな声で話をしない。新しい情報の受け売りをしない。装身具にあまりお金をかけない。下着だけはバーゲンで買わない。テレビを見すぎないで、そのかわり本を読むようにする。なるべく愚痴を言わない。丁寧に歯を磨く。ジャンクフードは食べない。
「男の子とは何か」「女の子とは何か」という定義はけっこうむずかしいのですが、これだけやれば、「おばさん化」「おじさん化」はかなりふせげるのではないかと思います。

肝に銘じたいもの。今のところ、だいたいだいじょうぶ・・・かな?

さて、2009年に彼がイスラエル文学賞エルサレム賞を受賞し、彼の地における受賞スピーチで「卵と壁」になぞらえて個人とシステムの問題について言及したことは大きく報道された(“高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵。私は常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか・・・”)が、この回答は当時から遡ること10年以上も前になされたものである。

(前略)僕はきわめて個人的な人間なので、個人とシステムとの間の問題については、わりに真剣に考えます。そして戦争というのは、それがもっとも荒々しいむきだしの形で出てくるケースなのです。

「個人とシステムとの間の問題」というキーワードがはっきりと出ている。つまりあのスピーチは、受賞に際してひねり出された決意表明などではなく、彼が長いこと考え続け、表現し続けてきたことをまとめたに過ぎないことがはっきりとわかる。ちなみにこういった彼の思索については、ノモンハン戦地の紀行を収めた『辺境・近境』(1998年発行)に詳しい。

賞の授与の発表から授賞式までの約1ヶ月間、インターネット上では、「村上春樹は、イスラエル大統領も式に出席するこの賞を受けるのか?辞退するのか? 受けるならば、授賞式には出るのか? スピーチで政治的な問題に触れるのか触れないのか?」ということについて、相当に激しい議論があった。それは興味深いもので、触発されて私もブログに何度か書いたのだが。(村上春樹なる存在 : moonshine---the other side)(春樹、エルサレムで講演す : moonshine---the other side)(エルサレム賞授賞式の春樹についてもう1件 : moonshine---the other side

「ハルキスト」を自認する人たちには、「村上春樹は非常に“個人主義”を重んじる小説家であり、そこが支持されているのだから、こういった政治的な問題について言及しないだろうし、してほしくもないし、しないからといって責められるべきではない」というような論調も根強かったが、“そういった観点で”彼の小説を読んでいる人も多いんだろうね。なにしろ、1万部売る小説家よりも、100万部売る小説家のほうが、さまざまなタイプの読者を抱えているのはあたりまえだ。

しかし春樹さん自身は、この著書の、この質問に対して、はっきりとこう答えている。

  • (質問)村上さんはなぜ投票に行かないの?

(前略)政治的行為というのは必ずしも政治運動をしたり、特定の政党を支持したりすることではありません。小説を書いたり、食品を買いに行ったり、表を走ったり、そういうあらゆる社会的行為、個人的営為の中に政治性は否応なく含まれているはずです。問題はそれらのひとつひとつをどこまで深く掘り下げるかということです。僕が投票をしないというのは、今のところそういう「個人的な政治行為」というテーゼのひとつの「象徴」になっています。
これはもちろん、1970年前後の全共闘運動に対する深い「自己批判」から発している個人的な姿勢です。あなたがおっしゃるように僕は決して「非政治的」な人間ではありません。むしろ一貫してかなり政治的な人間であると思っています。僕はただ政治性においても極端に個人的であるだけなのです。

あのときの諤諤たる議論の中で、これを引用したものは、私の見る限り、なかったなあ。それはそれは「真性ハルキスト」みたいな人たちもけっこういたのに。これ読んでなかったんだろうか。やっぱり人間、自分の興味のない部分は「すくいとらない」もので、記憶にもまったく残らないんですかね。

同時に、「たとえスピーチでイスラエル問題(に代表される政治的問題)に触れなかったからといって、“政治性”から逃れられると思ったら大間違い」みたいな論についても、村上春樹はハナから認識しているのであって、さすがだなあと思わされるのでした。