米原万里対談集『言葉を育てる』
- 作者: 米原万里
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/09/10
- メディア: 文庫
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米原万里の本は本屋でよく見かけていたんだけど、「ガセネッタ・シモネッタ」とか「不実な美女か貞淑な醜女か」とかいったエッセイのタイトルと同時通訳者だったという前身から、エキセントリックなネタや特殊な職業まわりのトリビアで衆目をひきつけるような書き手かと思っていた。
それが大きな誤解だったとわかったのは、3年以上前になるだろうか、友人のおすすめだと言われて借りた『オリガ・モリゾウナの反語法』を読んだときで、けっこうな長編、ずっしりとした重量感のある小説だったが3日くらいで一気に読了したし、当時も相当な感銘を受けたことを覚えているのだが、それきり著者の別の作品を手にしたことはなかったのだから、やっぱりハマる「読みどき」「頃合」ってあるんだなーと思う。
この本は対談集で、しかもタイトルのとおり「言葉」に関する話が主となれば、ジェットコースターのように起伏に富んだストーリーとか、感動で思わず涙が、とかいうことはない。でも、心の底から打ちのめされるくらい米原万里という人に感服した。ちなみに、彼女の著作には『打ちのめされるようなすごい本』というタイトルがあって、これは2006年に彼女が死去したあとに出版された壮絶な闘病記であり同時に書評日記らしく、彼女が読んだすごい本のことを指しているんだろうけど、この人自身に私は打ちのめされてる。
このエントリで説明しきることなんて不可能なんだけど、たとえば、
わかりやすさには単純化という落とし穴もある。複雑なことを複雑なまま、しかも分かるように書くには、その分野の知識だけでなく広い周辺知識が必要になるしね。それに、分かり難さが読み手の能動的力を引き出すこともある。
みたいな、自分がもやもやと感じてきたことをバサッと簡潔に言い切れる頭脳明晰さとか、
おそらく日本人がロジックが苦手になったのは教育もあるけれども、紙があまりにも潤沢に手に入り過ぎたせいだと思います。
考えても見たことのなかった視点を次々と提示してくれること。このあとに続く理由を読んで、本当になるほど!と思ったもの。人間観察やシモネタ系などユーモアあふれる語り口(内容が内容なので具体例は割愛します・・・笑)
それから、ソビエトの隆盛した時代を知らない私にとって、ロシアやソビエトに対しての知識やイメージ、興味は貧弱なものだったんだけど、1960年前後に在プラハのソビエト小中学校に通った米原さんの体験や感想はとても新鮮で面白い。チャイコフスキー、ドストエフスキー、トルストイといった(私でも知っている)音楽や文学における巨匠を生み出してきたロシア。バンクーバー五輪でフィギュア男子銀メダリストのプルシェンコや浅田真央のコーチをつとめたタチアナ・タラソワを見るにつけても、その芸術性の高さには瞠目した。でも、じゃあ、そのロシア=芸術の国という伝統の土壌ってなんなの?とまでは考えてみたことがほとんどなかった。この本を読んで、その一端に触れた気がする。
そこでは生徒が絵や歌、詩の朗読が上手かったりすると先生は心の底から感動し、ときには授業の最中でも教室を飛び出して職員室まで行き、そこにいる先生すべてを呼んできたりしていました。そして同様にまわりの子どもたちも一緒に喜ぶのです。才能をもっている人と同じ空間に生きていることを純粋に喜び、そのことを祝福するのです。ですから、その才能と自分とを比較したりは決してしません。つまり劣等感がまったくないのです。