『龍馬伝』広末涼子、佐藤健、プロセスを見守る楽しみ

放送前、どちらかというとネガティブなイメージでとらえていた広末涼子佐藤健に夢中になっているこのごろだ。

広末涼子、圧倒にかわいい! かわいいけど年齢のおかげで青くさくないし、あの清潔感の中に漂うほんのちょっとのセクシーさ。奇跡だ〜。

夜、龍馬と二人きりになる場面「私はなんちゃー変わっちょらん」。翌朝、無言のうちにコトのあとだということを悟らせる上気した表情の演技。龍馬との別れを確信する場面「男の人って、なんでそないに不器用なんやろ」「どうぞ、私のことは忘れてつかあさい」京都弁と土佐弁を使い分けながらの演技。うまいっ。見ててどきどきしたし、きゃーって感じだったし、「おまんさぁは大きなことを成し遂げるために生まれてきたお人じゃき」のせりふだけは浮いてたけど(脚本が悪い)、切なかった。

いやあ、広末さん。昨年から、話題作に連続出演するわけですよ。連続ドラマ『ガリレオ』は2007年秋ですか。あのときは、被害者の妻としての1話限りのゲストだったよなー。去年の「トライアングル」のときも、あんまり良さはわかんなかったけどなー。野田秀樹の舞台やったりしてたのは小耳に挟んでたけど、人知れず(?てことはないか)研鑽を積んでたんだなーとしみじみ。ちょっとね、広末さん出てる最近のあの映画とかこの映画とか、見たくなってます。

佐藤健は、「ブラッディ・マンデ−2」の初回でしか演技を見たことがなかったのだけど、いつもこんなにいい感じなんですか? 私の以蔵像は12年ぶりくらいに塗り替えられました(これ以前は『竜馬がゆく』でやってた若き日の長瀬智也だった)。

最初は「かわいすぎる、甘すぎる」と思った佐藤さんの以蔵なんだけど、今回のドラマではそれでよかったんだ、と深く納得。子犬のようなけなげさや単純さという本来の性質ゆえに、いったん思いさだめれば宿る狂気が恐ろしく、また、哀れ。

とにかく、このドラマでの「人間の愚かさ、哀しさの体現」という面は、今は半平太とこの以蔵が一身に(二身か)背負っていて、その描き方、映し方は見事。ふたりとも、なんとも哀しいのだ〜。最期を想像すると、もう、毎週、胸が絞られます。

大河ドラマって、史実により人物の辿る道がわかっていたりするので、つまらないと思われる向きもありそうだけど、その着地点までをどう表現するのか、というのが興味深い。あらすじや結果を想像するのではなく、過程を想像(妄想)する楽しみですね。

それからこの15回「ふたりの京」では、香川照之のノリツッコミについても忘れちゃいけません。語り継がれる名(迷)シーンのひとつになりそうです。