『不毛地帯』最終話

半年間見続けた、この重厚なドラマがついに終わる・・・。

視聴者のそんな感慨をあざ笑うかのような、打ち切り臭ぷんぷんの最終回だった。実際に撮影もしただろうと思われる、編集で前後をぶった切ったような場面転換(紅子と千里、千里と壱岐のシーンなど)や、脚本自体を書き換えたのか?というようなあっけない話の流れ(中東の現場で石油が出るまでなど)など。ちょっと面食らってしまった。

やはり、数字がすべての世界なのね。少数派だろうと、見ている人はハマりこんでたし、将来的に高い評価を得てもおかしくない作品のように思うけど、放送中の数字が悪けりゃこの扱い。「○曜日○時枠は、平均視聴率○%以上いってなければ最終回の時間拡大なし」みたいな社内の内規、あるいはスポンサーとの取り決めみたいなのがあったりするのかな。

どうあれ、私はこの半年、それはそれはこのドラマに熱を上げていたよ。あまりに真剣に見てたんで、木曜日になると「ああ、今日もまたあの陰鬱な世界に入り込まなければならない・・・」と、ちょっと憂鬱ですらあった(笑)。いくら私がほだされやすい性格とはいえ、こんなにもずーん・・・とさせられる連続ドラマは、そうそうない。

第4話でぎばさんが死んだとき、

戦争が終わりシベリアから帰っても、結局、こうやって、あまたの死(社会的な死も含む)の上に生き続け、戦い続け、「泥水を飲み」ながら、すべてを見届けるのが壱岐の人生ってことなんだろうな。

来週からは戦域を中東に移し、竹野内豊も前に出てくるようだし、副社長に昇格した岸部一徳との軋轢や、今日キレまくっていた東京商事の遠藤憲一との争いも続くようだけれど、きっと彼らもいずれ敗れてゆき、壱岐が残されるんだろう。成功者として称えられたとしても、すべての人を見送った孤独や寂寥を噛みしめる老境の壱岐・・・この物語の着地点って、これぐらいしか思い浮かばないんですけど。

て日記に書いてたわたくし(きっと誰も彼もが敗れゆく - moonshine)。てっきり、壱岐さんは社長にのぼりつめるもんだと思ってたら、あんな形で身を引くとは。

軍用機、自動車、石油・・・。戦後、急激な高度経済成長を遂げる日本でばんばん活躍し暗躍もした壱岐。たくさんの人間の矜持を踏みにじり、本人やその家族にとっては、人生までも“蹂躙”した。でも、彼のラストシーンは、高層ビルの最上階で社長席に座って孤独に世を見下ろすのではなく、シベリアの雪原でただひとり、うず高く積もった雪に埋もれかけている無数の同朋の墓標に膝まずき、言葉もなく、とめどなく涙を流すものだった。このドラマに勝者なんてひとりもいない。安易なカタルシスなんてありえない。それでいい。

まあ、この重さが視聴率低迷の一番の要因だったんだろうけどね。私たちは日常に疲れている。このうえドラマでまでも、救いのない暗いもんを、そうそう見せられたくないのだ。「ヘビーな設定」「泣ける展開」みたいな、軽々しいキャッチフレーズで人の目をひきつけるような上っ面のシリアスドラマじゃないもん。本格すぎるもん。地味で堅実、骨太の脚本と演出が、役者たちの卓越した演技力を際立たせれば際立たせるほど、さざなみのように視聴者が引いていく・・・みたいな、皮肉な構造だったのでしょう。

しかし、唐沢寿明原田芳雄岸部一徳の三人の主要人物の演技は、ほんとに、ちょっと言い尽くせないくらいのもんだったよ。最終回、老いさばらえた大門(原田)と、気宇壮大、豪放磊落に大企業を率いていたかつての彼の回想シーンとのコントラストはすごかった。「ああ、いったいいつのまに、こんなに長い時間が経っていたんだろう・・・」と思わせたよね。てか、原田芳雄、「白洲次郎」といい、きのう放送だったNHKドラマ「火の魚」の主演といい(見逃した、無念!)、最近、大活躍じゃないですか?! 来年あたり、大河にきませんか?!

助演陣では、このドラマの、妙な一服の清涼剤になってくれた遠藤憲一の怪演が長く記憶に留められるのは言うまでもない。先週、小雪のいる壱岐の家に乗り込んできたときの「壱岐さんはシベリアで大変な体験をされた体なんですから、無理なさらず・・・ぷぷぷっ」の演技も、こいつはまったくもうどうしようもねーなー!!て感じに笑わせてくれた。また、社会で大きな仕事をする男の役にすっかりハマるようになった竹野内豊もよかったし、これまた妙な透明感をかもし出してた阿部サダヲも実にいい仕事してたけど、個人的には、天海ねーさんが想像以上のはまりっぷりだったな。女丈夫、とも、女狐、とも違う、不思議にすがすがしい艶めいた紅子という女性。魅力的だった。