『経産省の山田課長補佐、ただいま育休中』 山田正人

経産省の山田課長補佐、ただいま育休中 (文春文庫)

経産省の山田課長補佐、ただいま育休中 (文春文庫)

神は細部に宿る。という名言は誰によるものだったか。そうなんだよねえ。どんな仕事にしろ、作品にしろ、優れたものはどんなに細かいところに至るまでも完璧に、美しく仕上げられている。

それは目に見えにくい部分で、知らない人にとっては、「えっそんなところにまで気を遣ってるの?!」ていうようなものなのだが、ここの出来がいいか悪いかが一流と二流の分かれ目だったりする。担当者、制作者本人がふだん自分からそこに言及することはなくとも、そういうところにほど、大変な労苦がかかっていたりする。そして、余人はほとんど、そんなところに目を留めることはない。

子育てや家事労働、介護などにもまったく同じことが言えるのであって、「仕事は大変」「子育ては大変」「家事は大変」「家事・育児と仕事との両立は大変」などということはだいたい誰もが常識にように認識しているのだけれど、そのイメージは実は漠然としていて、たとえ夫婦間であっても共有していないことは珍しくない。

3人目の子どもを授かったにあたり(ちなみに上のふたりは2歳差の男女の双子!)、父親である山田課長補佐は、自らが育児休暇をとることによって、そのディテールを体験していく。

  • 子どもを保育園に送り届ける任務(?)ひとつとっても、靴やコート、替えのおむつや着替え、タオル、連絡帳などなどを所定の位置におさめ、子どもの体温、体調を台帳に記入し、先生にあいさつし、なおかつ、むろん自分の職場に遅れないようにそれらすべてをものすごく急いで行わなければならない
  • 新生児はとにかくおむつ替えが頻繁。数分、目を離したらまた濡れている、ということもよくある。そのたびに洗う手は石鹸で皮脂が洗い落とされ、両手ともにガサガサになってくる。
  • 3歳以下の子どもが3人いる山田家、ひとりでも眠くない子がいると騒いで他の子を起こすので、スロットマシーンの目のように「眠い」を3つ並ばせるため、寝かしつけには大変な労力を要する

などなど、これらはたくさんのお母さんに共通する、子育ての大変さのディテールであろう。また、男性である山田さんが育休をとることについては、特有のディテールもある。

  • 上司や同僚に「コイツは出世をあきらめたんだな」という目で見られる(タイトルからわかるように、彼は霞ヶ関のキャリア官僚であり、ちなみに奥さんも同じである)
  • 平日の昼間に子どもをつれて市区の「親子ふれあいセンター」行っても、お母さんばかりで非常に入りづらい。また、子どもの○ヶ月健診のようなところでも、母親が子育てをしているのが当然と思っている保健師などとディスコミュニケーションが生じる。
  • 父親が育休をとっていることに違和感をもつ男性は多く、自宅マンションの管理人のおじさんなどとは毎日会うのに非常に気まずい

いっぽうで、早々と職場復帰している母親にも、当然、特有のディテールがあるし、

  • 日中、母乳を溜めこむことで、おっぱいが張って痛くて仕方がない
  • 上司が子どもを持つ女性なので安心していたら、彼女はバリバリのキャリアウーマンで「シッター雇って育てるのが当たり前でしょ」のような価値観をもっていた

専業主婦には専業主婦ならではのディテールがある。

  • 『旦那がいない前提で、それでも傷つかない生活プラン』を立てている主婦。たとえばパパがいると思って休日の予定を立てていて、急に休日出勤になってしまうと、子どもが傷つく。だから、そもそもパパ抜きで、加わったらラッキー、くらいの計画にしておく。
  • 断続的な授乳や夜泣きによって、睡眠不足は仕事をしているとき以上。加えて、子どもと向き合って家にい続けることによって、社会との隔絶感が深まっていく。著者で男性の山田さんも、『プチうつ育児』になった時期があることを書いている。

山田さんは育休によってさまざまなディテールを実感し、また育児仲間である母親たちから見聞きしていくのだが、時には夫婦間の齟齬もある。「育休中とはいえ、少しは出られるだろう。一杯やろう」と同僚に誘われて、妻に連絡メールを入れると、

いい先輩をお持ちですね。でも、どうしてみんな育休中なのに飲みに行けると思うのでしょうか? あなたが飲みに行く間は誰が子どもをみるの? やはりそこはお母さんがいるという前提? 女性が育休をとるといって、『飲みに行こう』という人は一人もいません。同じ育休なのに・・・

という返事が返ってくる。さすがキャリア官僚・・・・といった迫力で、この奥さんも随所で理路整然と主張しており、世の男性が読んだら生理的な拒否反応を示しそうだが、女性としては「そーだ、そーだ!」て感じです。(ちなみに、なんだかんだ言いつつ、山田さんは育休中もちゃんと飲み会に行ってます。奥さんのほうも・・・)

もちろん、この本では、「子育ての楽しさ、充実」に関するディテールももちろん豊富で、双子の兄姉・健人くんとえこちゃん、生まれてすぐからの成長がつづられている高志くんにも、読んでいるとすごく情が湧いてくる。山田さんも、「育休をとったことに少しの後悔もない。むしろ、人生が豊かになった」旨をこの本で伝えたいのであり、作中で語られるさまざまなディテールによって、その意見には相当な説得力がついている。

「子育てそのものの大変さ(手が荒れるとか、眠れないとか)」は、究極的に言えば取り除くことは不可能だし、「子育ての楽しさ」で相殺してあまりある部分も多いだろう。しかし、「職場での気遣い」とか、「世間の目」とかのディテールは、当事者でなければ気づかないことで、「気づき」によって解決されることもある。それは、少子化の解消など、社会全体の利益にもつながっていく。

まあ、結局は特別なものではない主張、結論に収束していくんだけれど、ともかくそれまでのディテールの語りがこの本の主眼。面白くて一気に読んだ。あ、あと、文庫版だけかもしれないけど、イラストがすっごくかわいいです。マンガ風になってるところもあります。

それにしても、問題はやっぱり、こういう本って、「こういう問題に興味のある」人しか、そもそも手にとらないんことなんだよねえ。作中で、著者の山田さんも、『人間というのは自分の理解できない価値観に出会うと無視してしまう』と書いている・・・。