『「芸能と差別』の深層』 三國連太郎・沖浦和光

「芸能と差別」の深層―三国連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫)

「芸能と差別」の深層―三国連太郎・沖浦和光対談 (ちくま文庫)

三國 連太郎:1923年生まれ
佐藤 浩市:1960年生まれ
私ことエミ:1978年生まれ

ということで、なぜか私まで並べて書いてみたのは、私と三國連太郎とに、かくも年の差があることを示したいがためである。息子の佐藤浩市(の演技)には子どものころから慣れ親しみ、その実力を思い知っている俳優のひとりだが、wikipediaをさらってみても、三國連太郎の出演作はまったくといっていいほど見たことがない。よって、私にとって、三國連太郎は「馴染みはないけど何となく畏敬の念を抱く」感じの、実像のないビッグネームだった。

この本は、その三國と、比較文化、社会思想史の研究家・沖浦和光とが「芸能と差別」について語る対談集である。

沖浦の著書は以前に読んでいた(『天皇の国・賤民の国』)ので、彼の学説やスタンスについては概略を知っていた。彼は瀬戸内のつましい水夫の家の出身であることから、海上で暮らす“家船”と呼ばれる海の漂泊民、「サンカ」と呼ばれる山の漂泊民など、いわゆる“士農工商”や“良民”の枠の外にいた人々・・・マイノリティの人々に心を寄せ、膨大なフィールドワークから驚嘆すべき研究の成果を挙げている。

その彼が、対談始まって間もなく、三國に向かって、かつて話す機会があったときのことを振り返り、こう言う。

沖浦:いや、私も負けず劣らずのおしゃべりなんですが、あのときは三國さんの生きざまを聞いて、すっかり圧倒されてしまったんです。三國さんの生い立ちから始まって、役者生活に入る前の青春放浪の時代ですね。
どうもあれを前座においたのがいけなかった(笑)。
常人ではとても真似できない深刻でナマナマしい実話なので、身につまされる思いで聞いていました。その原体験の重さといいますか、うまいコトバが見つからないんですが、一人の人間としての三國さんの生きざまに圧倒されて、私は「ウーン」と聞くだけでした。
やはり三國連太郎の俳優としてのすごさの原点というか、スクリーンで見る演技の迫真性の原点は、ここにあるのだなと感じ入って聞くばかりでした。

沖浦:やはり三國さんの生涯は、ちょっと類を見ない波瀾万丈の一生です。実人生としても、役者人生としても・・・
三國:まだ終わっていませんが(笑)
沖浦:ともかく他人が真似しようにも、とてもできない一生です。それ自体が、「人生とは何か」「この浮世をどう生きるか」を考える、類例の少ない貴重なテキストです。

長年にわたり、本島から離れた波の上や人里離れた山の奥地、それは日本国内のみならず、インドネシアやフィリピンといったところまでを旅して、さまざまな暮らしを営む古今の人々を研究してきた沖浦をして、ここまで言わせる三國の半生とは、いったいどんなものなのか。

その答えは、三國自身の口から、ページをたっぷり割いて語られる。大事なことだからもう1回言いますが、三國連太郎、1923年生まれ。といえば大正12年ですよね。いや本当に、この、三國の前半生の部分だけでも、この本には価値がある。それぐらい凄い。戦争時代を体験している昔の人というのは、多かれ少なかれ今の私たちが聞けばみな波瀾万丈な体験をしているものかもしれないが、それにしても・・・。

ともかく、そういうバックボーンがあっての、三國連太郎という人なのである。彼が、著名な研究家である沖浦のような人と共に、“ちくま文庫”などというやや学術寄りの出版社から「芸能と差別」についての本を出すことになったのも、そういった自身の体験をもとでに人生を切り開いてきた結果である。

いやー本当に、三國さん、よく勉強してるし、深いところまで思考しているのである。名役者としての鋭い洞察力や批評眼もあるのかもしれないが。彼は、中学校も途中で投げ出してしまったそうである。学問をするのに学歴がいるわけじゃないとはいえ、ここまで学ぶには、よほどの歳月や努力があったはずだ。そこには、モチベーションとかいう言葉じゃ軽すぎる、「学ばずにはいられない」という追いつめられたようなものがあったのだろうと察する。

語られる内容については、以前読んだ沖浦の著書と被っている部分もあり、そこから枝葉を広げたり深く掘り下げているような話もあったけれども、衝撃的というほどではなかった。もちろん、「芸能と差別」について、研究者ではない私たち一般人にとっては、たいそう深く掘り下げてあるので、非常に実はあるし、それでいて対談形式なのでふつうの学問書なんかよりはよほど読みやすい。しかしとにかく、三國連太郎だ。この男のことを多少なりとも知ったのが、私にとってこの本の最大の収穫だった・・・。

そして、こういう類の本(宮本常一網野善彦など・・・)を読むと、まったく知らなかったことを知って、私はエキサイトしながら知識の層を厚くするんだけど、知識が増えれば増えるほど、疑問が膨らむものである。

それは直接的には、新しい知識を得ることへの渇望ではない。もっと根源的なものだ。バカみたいだけど、
「昔と今と、結局どっちがいい世の中なの?」
「今と将来、どっちが良くなっていく?」
「郷愁と進歩・進化、どっちもを選ぶことはやっぱり無理?」
みたいな・・・。で、そういう答えを簡単に得ることはもちろんできなくて、やはり私は、もっと、もっとと本を読むことになる。

柳田国男折口信夫、時代遡って、時代遡って、鶴屋南北など・・・。この本に出てきた歴史的研究者や戯作者などの本、将来は読んでみたいものだ。