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母子手帳と夫

日々 妊娠

10週1日、3ヶ月目も後半に入り、病院で母子手帳を交付された。そう、わざわざ役所に出向かずに済んだのである。これができるのは、この辺では福岡市だけらしい。つわりがきつい人や仕事がべらぼうに忙しい人のみならず、私のようなものぐさ人間にとっても非常にありがたい制度である。

母子手帳をもらえたということで、今日の検診でも特に異常はないようすだった。腹の子は前回の倍の4cmほどに成長している。また、これまではぼよーんとした塊状に見えていたが、2頭身になった胴体からちっこいちっこい四肢が生えている(?)のが2Dの超音波映像でもはっきりとわかった。写真も、なんかえらくかわいく見える。ほんとに大きくなるもんなんじゃのう。

病院から帰る道々は、いつも、なんとも言えず胸がいっぱいになる。自分の体の中にふたつの心臓があるという不思議、無事なことへの感謝、夫や両親に話すと喜ぶだろうなーとか、これからの変化に対する畏れ、具体的にやらなければならないことあれこれなど、いろんなことがないまぜになって頭をよぎる。ものの3分くらいの距離なんだけど、行くときの道とはまったく違って見える。

今回の写真はかなり人間らしくなっていたので、夫も「おー」と感慨深げであった。身近に(といってもしょっちゅう会える距離ではないが)甥っ子を見てきたこともあり、もともと私よりも子供を欲しがっていたような彼だが、今のところは「男かな?女かな?」「どっちに似てるだろう?」のような、とてもオーソドックスな興味関心ぐらいしか持っていないようだ。子のことよりも、むしろ、今はまだまだ私のほうに興味があるみたい。というより、私を通じてでないと、胎児のことは想像しにくいのだろう。

それにものたりなさを感じているかというとそんなことはまったくなく、男の人らしい、素直で自然な反応だと思っている。私が頭痛を訴えたりひたすら眠がったり、明らかに胸が張ってきたりというようなことに驚きながらも、いらいらしたり責めたりすることもなく、せっせとおいしいものを作ってくれるのはこれまでと少しも変わりなく、頼もしい。まだ姿も見えずさわることもできない子供に盲目的な愛情を見せるよりも、現実的で真実味のある姿のような気もする。

今日、病院に向かうため家を出てすぐの交差点で信号待ちをしていると、両手にふくらんだエコバッグを持ち、首をすくめてそぼ降る霧雨に濡れながらこっちに歩いてくる男の人がいた。いっぱい買い物してんなー、と思いながら見ていた視力の弱い私は、その人がだいぶ近づいてきてから、「あ、夫だ」と気づいた。一瞬、いじらしさに胸がきゅっと縮むような感じがした。

それは朝9時過ぎのこと。労働組合のなんちゃらのため、10時には家を出て会社に行くという夫は、それでもいつもの土日のとおり、朝からスーパーに買い出しに行ってくれてたのだ。(うちの近くのスーパーは24時間営業なのである。)

「9時前に野菜を並べ終わるから、そのころに行くのがちょうどいい」と彼は言う。
「わかってんだ・・・」
「うん、毎週のことやけんな」
「もうお店の人も、君の顔を覚えてるかもね」
「だろうね。俺も覚えてるもん」
「たまに私とふたりで現れたときに見られたら、私は『あっ、いっつもダンナさんに買い物させてる奥さんだ』って思われるんだろうね」
「そういうことだな」

掃除なんかにはまったく手を出そうとしない彼なので、炊事や買い物はそもそも嫌いじゃないんだと思う。夜は夜で、仕事から帰ってきたあと、億劫がるそぶりもなく鍋の準備をしてくれた(こうして行動を列挙していくと、私はじゅうぶんに鬼嫁の要件をみたしていると思う)。

それにしても、なんと愛すべき夫であることか。こんな夫でも、子どもが生まれると私にとって二の次の存在になってしまうのだろうか。それは、夫にとって私が“子供の次点”になることよりも、ある意味さみしい気がする。今はね。