『天空の城ラピュタ』 永遠のマスターピース!

そうだよー、ワイン舐めながらラピュタを見たんだった。ラピュタ・・・・! それは多くのアラサー世代にとって、「心のやらかい場所」に大切にしまってあり、こうして1,2年に一度取り出してはその輝きを確かめる宝物である。ここには、ほとんどすべてがあるといってもいいくらいだ。

愛情というにはあまりにも幼いけれど、かけがえのない思いを抱くということ。そのために強くなれるということ。子どもでも、立派に仕事をこなすということ。勇気。気高い心。一介の市井の人物である親方夫妻がわが子ではないパズーやシータを守ろうとし、一見エゴの塊のような女海賊のドーラも、そのぶっきらぼうなやり方で2人と共にあるという、大人たちの確かな愛情。それを素直に受け止められる子どもたち。巨神兵(じゃないのか、この物語では。)の、己の運命を粛々と受け容れている姿は、ロボットなのに命というものを圧倒的に感じさせる存在。その巨大な力で人を翻弄し、けれどそれゆえに人に翻弄され、滅びるかのように見えて、最後は本当に人の手を離れて天高くのぼっていくラピュタは、自然界の象徴のような・・・・。

1986年の公開当時、といっても私は地上波で見たので1年くらいはあとなのだろうが、それでも小学校中学年くらい。それからというもの、もう10回以上は見てると思うんだけど、そのたびに、言い尽くせない感動がある。これはもう体にしみこんでいる感覚だね。もはや巨匠といわれる存在の宮崎駿は、今なお現役だけれど、ナウシカラピュタ、トトロ、魔女の宅急便・・・小中学生のときに見たこのころの一連の作品っていうのは、やっぱり特別なのです。

あ、大学生の時に見た「もののけ姫」は、子ども心に刻み込まれた上述の作品群とはまた違った意味でものすごく意味あるもの。網野善彦さんあたりの歴史観を色濃く反映しているこの作品は、私にとって見るべきところが多すぎるんだよなあ。また見たくなってきた。