11/8放送 NHK教育『ETV特集〜作家 重松清が考える働く人の貧困と孤立のゆくえ〜』

ワーキングプアとか格差社会とか。私にとって、数ある社会問題の中でもとりわけ気になってしまうもののひとつだ。

いわゆる『派遣切り』にあって住居からも追われ、貯蓄を使い果たし、ハローワークでも役所の相談口でも紋切り型の対応をされ、次の働き口も見つからず生活保護の申請もできない・・・そんな人たちの中に、それ以上だれを頼ることもなく、路上生活者になったり、あるいは餓死という道を選んだりする人が少なくないのは知っていた。

せっぱつまって最後のギリギリのところにいたっても、なお人に助けを求めない傾向にあるという彼らの多くは30代、バブルの弾けたあとで学校を出た世代だ。「助けて」と言ってはいけないと思っている。どうせ誰も助けてくれないから。それどころか、むしろ「自己責任」と叫ばれ責められるから。なんだかんだいっても一人でなんとか生きている、という最後のプライドがあるから。人に助けを求めるなんて思考回路自体がそもそもない・・・。

『こうやって、弱者が静かに死んでいくから、社会の秩序が守られているのです』

以前、やはりワーキングプア問題について書かれた、とあるブログのエントリーに、こんなブックマークコメントがついていた。(コメントした人も苦しい環境にいるっぽくて、自嘲気味に書いていた。)古今東西、それがおおかたの現実なのかもしれないけど、だからこそ底冷えのしてくるようなコメントである。

番組内で紹介された37歳の男性。トラックを作る工場で派遣労働者として働いていた彼は昨年末に契約を打ち切られ今も求職中だが、「首都圏青年ユニオン」という支援団体の力添えもあり、寮から立ち退くことは免れている。

長年、非正規雇用者であった彼は、それまで「友だちを作らないようにしていた」という。経済的理由から家庭をもてない低所得層・・・というのは、このごろよく報じられるけど、友だちさえも! かなりシリアスな、リアリティのある話だと思った。しかも、「友だちができない」という前段階で、「作らない」というのだ。

非正規雇用の彼は手取りの月給で生活するのが精一杯で、交際に使えるような金銭的余裕がないというのもあるが、そもそも、ほかの人と過ごせば、人と自分を比べて落ち込んでしまう。「ひとりでいたほうが、自分がダメなんだ、と考える頻度や程度が減る」。派遣のような、まるで「モノのように使い捨て」られる労働者たちは、生活が苦しく、将来の見通しが立たないのはもちろんのこと、このようにして、人生そのものにおいて、孤立を深めていく。

いわゆる「派遣切り」のような現象は、昨年の米国サブプライムローン問題に端を発した経済危機によって注目を集めたが、それより前からも実は多々あった。それまでは、静岡の工場で派遣切りに遭ったら大分の工場へ、大分から愛知へ、愛知から富山へ・・・などと次の派遣先にまわれたのが、先般からの不況で、もはやどこにも働き口がなくなったということ。

では、以前のように、非正規雇用でもいいから、とにかく全国どこかに働くところがあればいいのか?といえば、やはりそうともいえない。どこにいっても昇給も昇格もなく働き続け、企業の都合で一方的にクビを切られる人たちは、そのたびごとに、「自分がダメなのだ」と卑屈になり、あきらめにとり憑かれ、やがて前述の男性のように「ほんとうにひとり」になってしまう。

このように、番組では、正規雇用という枠から外れ続けることによってもたらされる「孤立」についてクローズアップしている。また、個人個人で孤立していた人たちが、前述の支援団体「首都圏青年ユニオン」の扉を叩き、ともにごはんを食べながら話したり、自分の元雇用先に対する団体交渉に同じ立場の人がついてきてくれたり、逆に人の団体交渉の時に一緒に行ったりすることによって、連帯感とか、それより以前の「人とつながる」という感覚を取り戻す様子なども映される。

この番組は90分間の放送なんだけど、まだ前半の40分ちょっとしか見てない段階で、これ書いてます。なにしろ、すごく真面目な気持ちで見ているのに、hcgホルモン(だっけ?)の関係で、とてつもない眠気に悩まされて・・・。毎晩これなので、とりあえず、見たしこ書いておかないと、たまりすぎてどうしようもないと思ったので中途半端に書いて、アップ。