『昭和天皇のお食事』 渡辺誠

昭和天皇関連読書シリーズは続く。

昭和天皇のお食事 (文春文庫)

昭和天皇のお食事 (文春文庫)

重たいものばっかり読むのもなかなかに疲れるので、息抜き用に購入。息抜きも読書。この感覚、本好きの人にはわかるでしょ〜?


◆豆知識

  • 宮中の料理人は国家公務員。南極越冬隊の料理人と同じですね。
  • 正式な肩書きは、「宮内庁管理部大膳課厨司」。通称「大膳」。厨子ってのも古式ゆかしくていいですね。
  • 天皇陛下やご一家の毎日の食事だけでなく、賓客を招いての晩餐会などの料理も作る。
  • 大膳の厨房の床はリノリウム張り。ホテルやレストランの調理場の床は、水で洗い流すのが基本だが、リノリウム張りでは水によって雑菌が繁殖するため、掃除のときも常に乾燥状態に保つ。


◆驚くべき調理法

  • グリーンピースは薄皮までとる。
  • サンドイッチは、具にかかわらず、すべて厚さをそろえる。切り口を横にして箱に詰めるので、1斤のパンがそのまま入っているように見える。箱をあけた新人が「これってホントに切れてます?」と質問するのが定番。
  • ジャガイモ(大膳では「白芋」という。サツマイモは「黄芋」)は包丁でまん丸くむいて用いる。調理台を転がしたとき、まっすぐ転がらないとだめ。ちょっとでもカーブを描いて転がるようなものは、やりなおし。
  • 米を炊くときは、まず研いで、ザルに上げて一度乾燥させる。大きな天板にその米を広げ、異物がないか、黒い部分が混じっていないかを見ながら、菜箸で米一粒ずつ(!)選り分ける。
  • 昭和天皇の時代は「陛下ともあろうお方に、納豆の糸を引かせるようなことはならぬ」と、納豆のぬめりまで取っていた。塩でもんで、ザルへ入れ、水で洗い流すという方法。ちなみに陛下の要望ではなく、おエラい職員の勝手な思い込みだったので、そういう人が辞めた今は普通に出している。


◆驚くべき昭和天皇

  • 「皿に盛り付けるものは、すべて食べられるもの」というのが天皇家の掟。よって昭和天皇は、筆者が柏餅を葉っぱつきで出したとき、葉っぱごと食べて「美味しくない」と言った。
  • 昭和天皇には猫舌伝説があるが、これには、日々多忙で昼食の時間が5−6分しかないこともある天皇のため、早食い対応を期していたという事情がある。わざと、「ごくっ」と飲んでも火傷しない温度のお茶などを出していた。
  • 日常の食事にはサバ、イワシ、アジ、サンマなどの魚が頻出。これは体にいいという理由もあるが、意外に予算が限られている都合上でもあった。
  • 対照的に、刺身の登場は非常に少ない。これも、天皇には公式行事が多いため、生物を食べてお腹を壊したりすると一大事になっちゃうから。
  • 外食の機会がほとんどないため、濃い味つけや辛いものなどを食べつけず、苦手とされていた。


昭和天皇ほのぼのエピソード

  • 那須御用邸に滞在時、職員たちと山歩きに。その日の昼食は戸外でのサンドイッチ(もちろん厚さはぴったり均一)。いろんな具があるが、昭和天皇は好物のジャムサンドのみを3切れだけとったあと、「あとは、皆に」と言う。
  • (上記の続き)新人の筆者が「えー、それだけ? 食べる前に、もうみんなにあげちゃうの? 職員にはちゃんと別に弁当があるってこと、ご存知でしょ?」と思っていると、みんなの手元に行き渡ったのを確認した天皇、「じゃあ、食べようね。」と言って、ジャムサンドをパクッと一口、直後にニッコリと「美味しいね」。天皇は、残り物をみんなで分けるのではなく、自分が食べるときに、みんなにも一緒に自分と同じものを食べてもらおうという趣向をもっていた。
  • 当時の皇后陛下とは、とっても仲良し。食事のときは皇后陛下の朗らかな笑い声がよく聞こえた。散歩の時に見つけた植物や、研究を続けていた生物学の話、音楽の話などがよく出ていた。皇后陛下が何か喋ると、「あ、そう。あ、そう。」と、お得意のゴキゲン相槌。
  • 夏は那須、冬は須崎の御用邸で過ごすのがお決まり。御用邸は半日以上歩いても一巡できないぐらいの広さがあるが、どこにどういう植物があるか、天皇は熟知。ある日、管理人が、天皇の通る道に咲いているユリが枯れたので引っこ抜いてたら、翌日、「あのユリはどうした?」と尋ねた。抜いたとも言いにくく管理人が困った顔をしたのを見て、それ以上は尋ねなかった。(確かに、それ以上責められたら、職員、めちゃ涙目やけどw)


◆ついでに、ほかの方々のエピソード

  • お正月は、皇統の大事な儀式のひとつ。3が日は3日間、朝夜、基本的におんなじメニュー。飽きるだろ!
  • ご家族といえど、成年になったら別々に食事をするのが決まりであり、今の皇太子殿下は結婚するまで、正月もひとりで食事をしていた(何という決まりだ、、、お気の毒に!)
  • 天皇家でも大晦日には年越しそばを食べる。昭和天皇は、天ぷらそばよりも普通の盛りそばがお好み。もちろん、独身時代の皇太子殿下は大晦日も「ひとりメシ」。ある年、年越し「そば」ではなく、「ラーメン」を所望になり、筆者が醤油ラーメンを作った。ラーメンのほうが彼にはレアだったのね。
  • 賓客のおもてなしにワインは不可欠。今の皇太子殿下はソムリエばりの知識をもち、公的な賓客があるときは、それぞれのお客様によってお出しするワインを自ら決める。ただし、自分はお味見程度。ふだんの食事では、リーズナブルな国産ワインを夫妻でボトル3分の1くらいの酒量で(飲んだうちに入らんやろ!!)、「みなさんでテイスティングしてください」と職員たちにあげちゃう。
  • エリザベス女王は、さすがイギリス人だけあって、お茶の温度にこだわりが大。昭和天皇とは対照的に、熱々でなくちゃだめ。訪日時も「お茶は決められた温度で出してね」とイギリス大使館から念押しがあった。

昭和天皇の食事は、1日の摂取カロリーが1,600kcalになるよう設定されていたらしい。高齢になっても仕事が多忙だったことも考えあわせると、けっこう少ないし、それでも天皇は残すことが多かったらしい。つねに腹八分、酒もたばこもやらない。長寿の秘訣かも・・・。
普段の食事は、チャーハンやらおでん、サバの煮付けといった、けっこう庶民的なものだったらしい。まあ、晩餐会などの会食も多いので、その反動でもあるだろう。
しかし、いかに食材が大衆的なものでも、その調理法はハンパじゃない。米を一粒一粒選り分けるとか、どういう人件費の使い方だ!税金だろ! 
。。。と憤りたくもなりますが、まあ、危ないものを食べさせたり、生活習慣病になったりして、病気になったり、早死にして次々に代替わりしたりすると、儀式やなんかがてんこもりで余計に莫大なお金がかかるので、まあ必要経費なのかな、とも思う。長生きするのも陛下の大事な仕事ってとこか。なんて、天皇には滅法甘い私です。
それに、なんと言っても、思いつきでお寿司を食べるとか、あるいはB級グルメを楽しむとかってできない身分だからねえ。
お年を召されてから、晩餐会でフォアグラとか牛フィレ攻めにあうのも、けっこうつらかろうし。別にお金もちじゃなくても、私たちのほうが、よっぽど自由気ままな食生活を楽しめてる気がする。

筆者は、昭和天皇今上天皇、そして現在の皇太子殿下と3代に仕えた料理人。本書では、軽妙ながらも慎ましい筆致で、その仕事について書き綴っているが、実は筆者本人も宮内庁大膳の名物男だったらしく、親しかった大林宣彦監督が、彼の楽しく豪快なエピソードについて、巻末にかなり長い解説ページを割いている。
また、心底、昭和天皇を慕っていたらしく、この本にあるよりも、もっともっとハートフルでチャーミングな天皇エピソードをたびたび聞かされた彼の周囲の友人たち(大林監督含む)は、そろって皇室ファンになってしまったそう。

(大林監督の解説より)
昭和天皇崩御された折、あの若々しく、黒々と艶やかな誠ちゃん(筆者)の頭髪が、ほんの2,3ヶ月で真白になってしまった。
あんなふうに急激に人間の髪の毛の色が変わるものなのか! と心底信じられない気持ちだった。
誠ちゃんは心から天皇陛下を敬い、彼のような若い世代としては、あたかも孫がお爺ちゃまを慕うような、人間としての親しみ、畏れをももてたのではないかと思う。

いくら近くに接していても、自分の会社の社長を、社員の誰もかれもがそこまで慕うことってないだろう。
日本で唯一の「天皇家」に仕える誇りがあっただろうとはいえ、昭和天皇が亡くなっても、彼が仕事を失うわけではないし、今上陛下や皇太子殿下などのことも非常に敬愛していたようなのに、やはり昭和天皇は彼にとって特別な人だったってこと。そば近くの人に慕われるカリスマが、やはり昭和天皇にはあったのだと思う(もちろん、現在の陛下に長く仕えている人たちにも、こんなふうに陛下を慕っている人もきっと少なくないだろう)。
また、2004年に単行本で刊行されたこの本は、そこで絶版にならず、今年の初めに文庫化され、わずか半年あまりで次々に版を重ねている。買ってる人たちの世代まではわからないまでも、やっぱり今の国民にも、ずいぶん興味をもたれているのだなあと思う。

そんな筆者は、この本の刊行直前にご病気のため亡くなったという。55歳という若さ。楽しいこの本に感謝し、心からご冥福をお祈りする。