『陛下の御質問』 岩見隆夫

陛下の御質問―昭和天皇と戦後政治 (文春文庫)

陛下の御質問―昭和天皇と戦後政治 (文春文庫)

上記の『昭和天皇(上・下)』と併読していった本・その2。ええ、これも、何回目だっていう再読です。

サブタイトル「昭和天皇と戦後政治」というのを見ると、ちょっと「あれっ?」と思う。戦後の天皇は国民の象徴と憲法で明文化されていて、政治とはいっさい関わりがないはずなのだ。

実際、このサブタイトルはちょっと“釣り”が入っている。この本を読んだからといって、天皇の意志や思惑が戦後の政治に反映されたという感想をもつ人はいないだろう。ただし、それこそ「森羅万象」について帝王学を施された昭和天皇が、国内政治や国際情勢について戦後、まったく無頓着だったわけではないって話。

歴代の首相をはじめとする政治家は、戦後も折に触れて天皇ご自身と話をする機会があった。昭和天皇憲法をよく理解した人だったので、「こうせよ」とか、「こう思う」みたいなことを表明はしない。なんせ、相撲の大ファンだったというのに、どの力士を特に応援しているか、ということさえ、口にするのを頑なに拒んだ人だ。

ただ、ポロッと口にする質問や相槌に、政治や、政治家自身への鋭い批評眼や、こうあってほしいという願いが覗かれ、それを政治家が斟酌したことはあっただろう。もちろん、無視したことも多々あったに違いない。無視してもなんら問題になることはないのだから。つまるところ本書は、天皇が、特に戦後間もない時代にあっては、「強制力の極めて薄い顧問」のような存在だったのではないか、と提示しているのではないかと思う。

本書の中でもっとも印象に残るのは、昭和22年に成立した片山哲内閣に対しての天皇の言葉。

物事を改革するには、自ら緩急の序がある。かの振り子が滑らかに動くのは、静かにこれを動かす結果である。急激にこれを動かせば必ず狂う。この振り子の原理は、私の深く留意するところである。改革しても反動が起こるようでは困る。

なんだか、断固とした意見のようにも思えるが、片山哲は、日本で初めて首相になった社会党員です。と書くと、「村山さんの前にもいたのね!」て思いませんか? しかも、戦後間もなくの社会党だから、当然ながら、村山さんの時代よりも遥かに「社会党的」、左派的であったことは明白ですよね。戦後の混乱期に成立した社会党内閣に対して、過激に走ることを天皇は懸念していたのだろう。
しかし不思議なのは、戦後の左派でありながら、片山哲天皇の質素な暮らし向きについて改善の進言をしていたらしいこと。これもまた、当時の複雑な状況だったのだろうか。それに対しての天皇の言:

片山は、皇太子が私の膝元で教育されないこと(エミ註:当時、皇太子は天皇と離れて暮らしていたのですね。)を人間味の欠如として心配しておるが、これも私の信条からきていることである。
親としての真情からいえば、手元におきたい。しかし、これを実現するためには家も建てねばならぬ。政府の財政が果たしてその負担に耐えるや疑わしい。
片山は、しきりに私の環境が私を苦しめ、私が困っているであろうと気の毒がって同情してくれるが、私には前述の信条(公を先にし私を後にして、先憂後楽でいきたい)のあることを呑みこんでもらいたい。
片山は私がもっと気楽に行動するように、また生活のうえでも一家団欒して暮らすようになったら良いと思っておるようだが、世論にも、現れた世論のほかにもうひとつ隠れた世論のあることを深く注意して欲しい。

おおかたの国民が、戦後、天皇を支持しているという状況のもとであっても、「隠れた世論」を意識していたということ。こういうの読むと、単なるお飾りとしてではなく、意志をもって天皇天皇であり続けたのだろうな、とも感じられて非常に興味深い。そしてその意志とは、ある種の政治家などより、よほど私利私欲ないものだったのではないかと思う。