NHKドラマ『白洲次郎』いささかかっこよすぎたきらいはあるが。


このドラマは結局、主人公たる白洲次郎を歴史上の偉人として美化しなかった。

近衛文麿との訣別から今生の別れ、終戦後の東奔西走、バタバタしどおしだった憲法草案作成、広畑製鉄所の外国資本への売却失敗、そのころ吉田茂との間にもできた距離、そして議会やマスコミに「ラスプーチン」をつるし上げられる様子など、次郎の仕事は、彼にとって思うようにいかなかった厳しいものばかりが描かれたように思う。

実際には、彼がバシバシと辣腕をふるった局面はたくさんあったはずなのだ。生前、本人が火中にしたため公式な記録が残っていないにしても、「これはフィクションです」とはっきり明示したのだから、八面六臂の大活躍を描くこともできた。でも、そうしなかった。それどころか、徴兵逃れや、戦後の怪しげな(?)資金繰りに至るまで描写した。

豪雨の夜、自宅の武相荘における新聞記者とのやりとりから、このドラマはクライマックスに入る。
記者は、次郎が黒い噂のある業者へ出入りしていることや、海外の個人口座に多額の金をプールしていることなどを挙げ、「何のためにそんなことを? あなたはいったい、何者なんですか」と問う。
「俺は何者でもない。俺の幼稚な良心に触る者は、みんな吹っとばしてやる!」と次郎は言い放つが、記者は食い下がる。
「あなたは裕福に生まれ育ったエリートだ。しかし大多数の人間は、地を這うような生活を余儀なくされているんだ。あなたの良心とは傲慢なことなのか?」
敢然とした正義感に裏打ちされた記者の糾弾に対し、
「戦争で失われた多くの命があるからこそ、生き残った者は肥やしにならなければならない。肥やしは臭ければ臭いほどいいんだ。俺は農業の天才でも政治の天才でもない。でも俺にしか出来ないことがあると信じる。」
次郎は自嘲的に笑って、「産業を興すにも何をするにも金が要るんだ。肥やしに出来るのは金稼ぎくらいのものさ」と言う。
そのセリフが発せられるとき映されるのは、次郎の背中だった。視聴者は、その背中に、彼の深い孤独を感じる。主人公を正面から持ち上げるのではなく、世間の冷たい視線を通して、逆に彼の信念、孤軍奮闘ぶりを印象づける。

子どもの頃から教師に楯つき、長じては占領軍の軍人や名だたる国内の政治家たちに対しても、常に一歩も引かずに堂々と相対し続ける次郎の姿に、私たち視聴者は惚れ惚れとするのだが、その結果、彼は権力を手にするでもなく、周囲に尊敬されるでもなく、むしろ働けば働くほど誤解されるようになった。孤独はどんどん深まるが、ふだん人前ではそれをちらりとも弁解せず、怪しい奴、憎たらしい奴と言われても平然として、信念のとおりに動いた。

サンフランシスコ講和条約が成ったとき、次郎はひとり別室で吉田の演説を聞きながら、ウイスキー片手に泣きむせぶ。サブタイトルの「ラスプーチンの涙」ということになるのだろうが、その姿もあまりに孤独だ。占領が終わったとき、終戦後の混乱期に力を尽くした彼を称える者の姿はいっさいないのである。

このドラマで、次郎の表舞台における活動は、ここまでしか描かない。実際は、政治を退いたあとも隠遁したわけではなく、いくつもの事業に携わり、多くの人と交流して尊敬を集めた。83歳で死去するまでの長い後半生は、豊かなものだったといえるだろう。しかし、ドラマではいっさいそれを省いた。あくまで次郎は孤独な格闘者としてのみ存在したように描いた。白洲次郎の生涯について、本などで知っている人たちにはものたりなかったかもしれないが、90分×3話という尺の中でのこの焦点の絞り方は、すごくドラマチックでかっこよかったと思う。

伊勢谷友介はすごい熱演だった。精悍な立ち姿や流暢な英語、紳士然としたスマートな振る舞い、権力に対する毅然とした態度と、ひとり苦悩する孤独な姿、どれをとっても、当分、白洲次郎といえば彼のイメージになりそうだ。
中谷美紀もその演技力を遺憾なく発揮! 晩年の姿は本物の正子にしか見えなかった。口元の老けメイクといい、たばこの吸い方といい、着物のきこなしといい、なんという緻密。あのお婆さん声、どうやって作ったんだろう? やっぱり、この世代の女優は、この人と松たか子だな。図抜けている。

夫婦仲の描き方も魅力的で、これなら、「安易なホームドラマにしないでください。」と最初から注文をつけたという、白洲夫妻の娘・桂子さんもじゅうぶん満足したんじゃないかな。
第1話で、映画のようにロマンチックな出会いとプロポーズシーンを描き、第2話では、酔っぱらって朝帰りし、暴れる正子を門前で抱きしめてなだめる次郎を描く。最終話では、同じ朝帰りのシーンでも、ふたりは簡単なあいさつだけで平然とすれ違い、お互いの道を歩んでいる様子を描写する。

ラスト近く、正子が第1話に出てきた、次郎が彼女に送った、熱烈な愛の言葉の添えられたポートレイトを持ち出して茶化すと、次郎は「そんなもの捨てちまえ!」と激しく狼狽するのだが、「年とったわねえ・・・」と述懐する正子に、「男は年をとればとるほどいいんだ。」と返し、さらに正子が「女だってそうよ。」と返す。このとき、年をとることの素晴らしさを、男はウイスキーに、女は骨董にとたとえていたのもスタイリッシュ。「時が人の魂を形づくるのよ。いい顔になったじゃない」と、夫の孤独の時期に、べったり内助の功を尽くすわけでもなく、時にそっと寄り添う正子と、恥ずかしがって席を立つ次郎の少年のような姿。年月を経た夫婦のありようをしっかり描ききった。

また、原田芳雄吉田茂や、岸辺一徳近衛文麿も、見た目からして本人と見まがうほどの役作りで圧倒的だった。吉田茂って、絶対あんな喋り方だったんじゃないかと思うもん。役者ってすごいね。あと、次郎の少年時代を演じた人のあまりの美形っぷりには驚嘆した。高良健吾、、、って、あ! 映画『南極料理人』で、『兄やん』役だった人やん! あの映画のラストでも、それまでの冴えない青年ぶりはなんだったの?ていうぐらいのイケメンさかげんを披露しててびっくりしたけど、いやー、なんたる顔立ち。今後もチェックだな。