奥田民生 『FISH OR DIE』(角川文庫)

FISH OR DIE (角川文庫)

FISH OR DIE (角川文庫)

民生がソロになってちょっとした頃に発行されて、買った本。かなり内容のある本で、これまで相当読み返していて、私の「民生観」の根底になっている。民生自身は、自分の音楽以外のところでこういうものを作ることに、懐疑的な気持ちがあるらしく、ただこの頃はとにかく模索の時期でいろいろなことを試す中で、これだけのことを語ったということかな。現に、これ以降、こういう本はほとんど出していないはず。

だから、時期的にも内容的にも、民生の考えがこれだけの文章になってるってことでも、かなり価値ある本だと思うんだけど、なんか今では絶版になってるらしいので、さらに希少価値が! DVDを見たあとで久しぶりに読み返して、やっぱり面白いので、ここに書き起こしてみたいと思います。

私の抜粋は例によってかなり冗長になりますが、民生ファン(でこの本を読んでない人)は必見! そして、30歳を股にかけたころ、これだけのことを考えてやってるっていうのは、いまその頃の彼と同年代になってみると、あらためてすごいと思うので、そこまでファンじゃない人でも、アラサーの生き様(?)として面白いんじゃないかと。

民生がひとりで饒舌にしゃべってるようだけど、実際は聞き手の人と雑談したのを聞き手が文章にまとめているらしく、この聞き手が平山雄一という人。この人、音楽ライターなのかよくわからないんですが、ユニコーン時代からすごく近しい人だったらしく、復活ライブのDVDでも、ライブ中にかなりフィーチャーされてて、彼の姿と叫びもバッチリ収録されてました(笑)

立派になるとか有名になってやるといかいう野心ではなくて、“音楽の暮らし”ができる、でき続けるというのが目標だった。それで、売れてもない頃から「売れても困るしなぁ・・・」って考えたりするようなかんじだった。そういう意味で、たとえばこのバンドの人気が上がって、落ちても、その暮らしができればいいなと思ってた。解散しても、まあ友だちもできたし、なんとかなるんじゃないかなと。

本の冒頭では、「音楽生活」の根本みたいなことについて、ばっちり語られている。最初からこういう考えがあって、その姿勢は結局、これまでずっと変わってないわけだ。
ユニコーンの解散や、そのあとの約1年間の活動休止期間を経たソロデビューについて。

バンドのやり方、レコーディングの仕方とかライブの仕方とか、まずネタがあって、そのネタに向かってみんながダーッて行かないと力が発揮できないバンドだったっていう(笑) ただひたすらにレコードを作るっていうのもできないことはなかったでしょうけど、ネタありきでやるほうが盛り上がるタイプだったんでね。実際、ネタは尽きるじゃないですか。
こんなやり方ではもうすぐ飽きるなと思っていた。
(中略)
そう思ってたんですけど、まさかリーダー(ドラムの川西)がやめるとは・・・・(笑)。それは内外の人がそう思ってるでしょうが、リーダーがやめるとは何というバンドだ(笑)それでけっこうガタガタしまして、バンドを続けていく理由がだんだんと減ってきて。

wikipediaなんかを見ると、「ネタ切れで解散」みたいなことが書いてあるんだけど、それはつまりこういうことらしい。もちろん、こういうこと“だけ”じゃないとしても。

悲しくはなかった。ただ休みたかった。雑誌で写真を撮られたり、人前で、若い女の子の前でいろいろやったりとか、そういうことに嫌気はさしていた。それが嬉しい人もいるのだろうし、ぼくも嬉しいはずなんですけど、あんまり嬉しくなくなってきたんです。街を歩いていても声をかけられたり、いちいち腹が立つことがあったり。
半分冗談で、みんなぼくの顔を忘れてくれないかな、そうしたらラクにできるんじゃないかとか、そういう気持ちもあって、音楽を始めたときは女の子にモテたいっていう気持ちはあった。で、アマチュアの頃はモテるわけですよ。でもプロになったらね、別にモテない。キャーキャー言われるだけなんです。言われるのはぼく、大嫌いです。モテるのは好きですけど(笑)。他人がぼくの話題で勝手に盛り上がってると考えると、すごく嫌なんです。勝手にぼくのことをいろいろ想像されるのが嫌なんです。

休みたかった、5年くらい(笑)。最近やたらテレビとか出てますけど、今日を皮切りに取材もいっぱいあるんですけど、もうすでに「シマッタ」と思ってる。人前に出るのは今でもけっこう嫌なんです。今回のアルバムの中で、広島の人はぼくの顔を覚えているだろうかって歌ってますけど、広島はいいんですよ(笑)あれは郷土愛。

半年間、音楽から離れてた。前は楽器を買うのも趣味だったりしたけど、そういう所に行くのも嫌な気がして楽器屋にも行かなかった。レコードなんか聴かなかったよ。例によって昔のツェッペリンだとかを聴いてたけど、聴くだけですごく勇気がいるわけ。「聴くかあッ」とか言って聴く感じ。眉間にシワ寄せて、今日は30分も音楽を鑑賞したという感じ。

奥田民生はとにかく飄々としてるイメージだし、ユニコーンというバンドは、そこまで爆発的にセールスがあったわけじゃないけど、やっぱり解散した後は、当たり前にこれだけのダメージがあったんだね、という。そのころの彼は26歳とか27歳とかいう、若者というか、30になった私なんかにしてみたら「若造」と思えるほどの年頃でもあるんだし。

田舎で釣りばっかりやってるような休止期間を経て、それでも民生はまたメジャーシーンで音楽を始める。ソロという形で。

結局は成り行きで始まってるんです。でも一応半年くらい休んでるから、曲はできる。「ああ、できちゃうよな。俺も才能あるなぁ」とか言いながら、超快調に飛ばしていった(笑)。そのうちニューヨーク(レコーディング)の話が出てきた。エンジニアのジョー・ブレイニーから「すごいメンバーとやれるぞ」って連絡があった。そうしたら行くしかないじゃないですか。すごいメンバーがスケジュール空けて待ってると。「困ったな」と思いながらも「じゃあ行きますわ」と言いながら・・・。
(中略)
ニューヨーク・レコーディングは効率と言うより、人情で行きました(笑)。やっぱりあそこの音って期待して行く。何物にも代えがたいものだから・・・・。でも実際にはぼくは人見知りはするし、外人は苦手だし。最初の2週間は帰りたかったですよ。でも音はスゴイ。「オーッ」と思う瞬間がいっぱいあった。さすがぁってことに尽きるんですけど、俺のスゴさは向こうのメンバーに伝わってないかもしれない(笑)。

「成り行き」って言葉がいかにも民生っぽいんだけど、音楽については相当、いろんなことを考えてるわけで。

「愛のために」とか「息子」とか、1曲だけ取り出して聴いて、それがぼくの考えてることと結びつけてもらっても困るかな。ぼくの場合、他の曲でフォローしてあったりするわけですよ。人間、一瞬そう思っても、次の日はまた別のことを考えたりするじゃないですか。

詞も他の人と同じじゃ嫌だから。休んでる間、テレビとか見てると、詞が全部同じじゃないですか。昔はあんまり人の歌を聴いても思わなかったけど、最近さすがに「これはつまらん!」とか思い始めてね。“頑張れ”ソングに対する反抗的な態度というのもあるんだよね。要するに、勇気が湧くとか頑張る気持ちになれるような曲っていうのがもてはやされてもしょうがない。
(中略)
みんなラブソングだったり頑張れソングだとしても、俺はそれを聴いて頑張る気にもまったくならないし、ラブソングを聴いて昔の恋を思い出したりしないわけですよ。それは何故かっていうと、曲が感動しなかったりするからなんだよね。言葉ではいいこと言ってるかもしれないけど、そういう人たちに闘いを挑んでる気持ちもあるんですよ。そういうやり方じゃなくても人を感動させることはできるんだよという、闘いの幕が切って落とされたんです。

曲作りはね、あまりメロディ重視でもなくなってきた。いいメロディっていうのが自分の根本じゃないような気がしてきてですね。たとえばスピッツの曲はいいメロディですけど、それはあの音であの声で歌ってるからいい。メロディが普遍だというよりも、声とか全部足さないと意味がないわけですから。
(中略)
ぼく、最近あんまり起伏のない曲をよく作りますけど、それを周りのコード進行なりアレンジでいかにドラマチックにいけるのだろうか。そういう喜びもあるでしょうし。
今の日本人の多くのナイスなソングライターたちのメロディは、やはり日本人のメロディじゃないですか。最近のいい曲、ミスチルにしてもスピッツにしても。
(中略)
もともとぼくは洋楽、外人コンプレックスなんで、やっぱり1回くらいは外人になってみたいという気持ちが強いわけです。それで、いい曲とは何ぞやということになって。いいメロディって言ってたけど、外人というか世界中の人が聴いていいとか、そういうのって違うから。日本向けのメロディじゃなくても、それが突然日本で売れてもおかしくないんじゃないかと思うようになってきた。まあ売れるといってもいろいろあって、数でいえば100万じゃなくて50万枚くらい売れてもいいんじゃないかと(笑)
要するに、曲作りの煮詰まりを防止するためには、もっといろんなメロディをどんどん作る。メロディっていうか、いろんな曲を作りたいじゃないですか。そして、そういうところで日本人向けとか、これがいいっていうような限定をしないほうがいいのではないかっていうことなんですよね。

やり方の違いというか、スピッツなりミスチルなりは、メロディにけっこう凝ってるんですよね。でもぼくはあんまりメロディに凝らない。逆に、ひたすら真っ直ぐいきたいんですよ。それをやるために、コードをセコくいろいろ移動させているわけですけれども。度の程度までメロディも単純でコードも単純でいけるかなという。やっぱりシンプルでいけるに越したことはないのでね。歌っていて気持ちも入るじゃないですか。それが「イージュー★ライダー」でできたというのは、自分の中で成長したということになるんじゃないかと思うんですけど。

まあ、奥田民生に限らず、長く音楽をやっていく人、その中でもメジャーシーンの中で第一線でやり続けられる人って、これぐらいのことはいろいろ考えながらやってるんだろうね。流行りの音楽はそれとして分析して、称賛したり批判したりしながら、自分のやりたいことってのを見失わずに。

それにしてもですね、たとえばカラオケに行くと、ぼくはミスチルとかを歌うわけですよ。そうすると、歌を歌うっていう点で自分は日本人の声だなとかいうのもあったりして。やっぱりミスチルはいいとこいってるんですよね、すごく。うん、歌い心をくすぐるんですよ。外国の曲は聴いたらワーッと思うけど、自分で歌うと変わってくるんだよね。やっぱり日本人の声というものがある。響きとか。それはどうしても壁になるじゃないけれども、やはり歌ってて気持ちいいのはミスチルなんですよ。ぼくの声でもけっこうハマるんですよ、ミスチルの曲は。
(中略)
桜井くんとか歌上手じゃん。上手な人が作る曲っていうのは、絶対いいはずなんですよ。レベルの高いメロディができると思う。それを自分も歌って「ああ、俺も歌うまいな」とかっていう喜びもあるじゃない。自分の歌のうまさにほれぼれするんですよ、ミスチル歌うと(笑)。俺にも歌えたって。(中略)何か難しいファミコンでもやって達成したような喜びがあったりするものね。俺の曲を人が歌ってそういうことがあるのかなと思ったら、やっぱりないんじゃないかな。

この分析はすごく面白くないですか。「ファミコンをクリアするみたいな」という比喩がすごく秀逸で、これ読んで以来、私の「ミスチルすげー観」のひとつにもなっている。
当時、シーンを席巻してた小室ファミリーについての言及もいろいろあって、中でも浜ちゃんの歌が大ヒットになったことに対してはこう書いてる。

さすがに俺も怒りを感じましたけどね、あれは(笑)。「てめー」なんて。これはちょっと、なんていうんですかね、誰に対する怒りでもないんだけど。やっぱ、明らかにおかしいだろうって思ったんだよね。
(中略)
やっぱり、小室、恐るべし、ですね。でも、小室さんも不安をお持ちなんじゃないかなと俺は思うんだな(笑)。あそこまで行くと、ちょっと・・・・俺があの立場だったらすごい不安になるよな。うーん、そりゃ自分たちだっておかしいと思ってるでしょうから。
(中略)
小室さんに対しても、浜田さんに対しても、曲に対しても怒りはないんだけど、この様子になんかこう、やり切れんものを感じる。俺はいったい何やってるんでしょうかっていう思いが・・・。逆に、あれが売れたから、もう俺は絶対売れなくてもいいやと思ったんですよ。

怒りを感じた、と書きつつも、まあ焦るでもなく、心底怒り狂うわけでもなく、むしろ事態を冷静に分析してる感じで、結局は自分のスタンスをさらに確かめる機会にしてるとこが、やっぱり民生さんなんだよねー。これだからブームに流されずにここまで続いてきたというか、ブームに流されないために、あくまで冷静であろうとし続けたのか。
彼はどこまでも自分の音楽のあり方というのを真摯に考え続けてて、まあそういう性格ってだけかもしれないが。

やっぱりギタリストとしての憧れとか美意識がある。
(中略)
ただギタリストとして目指す人がいないのね。ギター持って歌って格好いい人って、実際あんまりいないじゃないですか。クラプトンよりジミー・ペイジのほうが格好いいと俺は思ってる。ギター弾くだけのほうが絶対格好いいんです。でも私は、しょうがないけど歌に才能がすごくあるじゃないですか。そのすごい才能が、ギタリストだけの美意識の邪魔をする。もったいないどころか、ギター弾いても全然ものにならないとか、いろいろあるんですけど(笑)

(エミ註:↑この前に、ユニコーンのとき民生のセンターマイクで他のメンバーが歌ったりするとき邪魔になるため、彼の足元にはエフェクターがなく、それゆえ今もエフェクターがうまく踏めないという、ギタリストとしての基本的な自分のダメさかげんを述べている)

日本人は手拍子好きですね。日本人は、ってことはないか。外国でもそうか。やっぱり、集団で意思の疎通を図ろうとすると、手拍子とかになるんだね。何か集団でまとまってやってないと不安になるんじゃないんですか。自然に手拍子が出てくるというよりも、しないと悪いんじゃないかとか。シーンとしてたら悪いとか、盛り上がらないと「奥田さん、不機嫌になるんじゃないか」とか。
(中略)
盛り上がり方にもいろいろあるんだけど、知ってる盛り上がり方が少ないんじゃないかと思う。ワーッとなるだけじゃなくて、シーンと聴いてる姿っていうのもある。それがだんだん不安になってきている人がいるんじゃないかと思って。曲によっては歌ってくれと、手拍子してくれという曲を、俺は用意してるつもりなんです。

こういう、聞き手に対する理解とか歩みよりもしつつ。

そして、取材はすごいブームになったパフィーのプロデュースを始めたころに差し掛かる。

“音楽の暮らし”をずっとしていきたいと思っていて、でもレコーディングっていっても自分のレコーディングとかいろいろあるじゃないですか。
(中略)
作曲活動を今までずっとやってきたんですけど、やっぱりいつも同じやり方じゃないですか。ライブでやることをちょっとだけ思いながら曲を作り始めて、レコーディングして、詞を書いて、それがよければっていうのも型にハマっているので、曲作りにもやっぱり煮詰まるんじゃないかなと。
煮詰まるというか、その流れでしか曲ができないと、曲自体が広がらないんじゃないかなと思ったわけですよ。曲調とかがどんどん固まっていってしまうんではないかと。もうすでに固まっているんですけど、自分で見ても、それがいいことか悪いことかまだ判断できないんですけど、もしそれが悪いことだってなったときに、脱け出せなくなるじゃないですか。今のこの、まだよう分からん時期にいろいろやっとけば、脱出方法もいちおう確保しながら・・・。だから単に、曲作りに煮詰まるだろうなという危機感があるんですよね。

パフィーやって、雑誌見たら、なんか「ポスト小室」とかって俺がドーンと出てたよ。マジかよ、何考えとんじゃ、この人と思って。奥田ファミリーが出てくるとか書いてあったよ。ファミリーっていったって、こいつらだけじゃんか、ほぼ2人じゃん(笑)。パフィーだけで十分じゃん。
(中略)
プロデューサーという仕事には、まだ全然慣れてないですよ。FISH or DIE(この連続取材)は今回が最後なんですけど、(中略)この影響力のある場で言いたいが、言っとくけど、ぼく、プロデュース業なんてやる気ないからね。今、俺たまたまやってるけど、やらないからね(笑)

このころはそれこそ、TKブームと重なっているわけで、民生のプロデュース業もそれと同じようなスタンスで見られることもあったのだが、あくまで彼にとっては、今後長く音楽をやっていくための模索のひとつであったということ。パフィーがそのためのダシになったというと乱暴だが、まあお互いに得るところが大きかったんだし、それこそTKファミリーの現在を思うと、このプロデュースは、今でもお互いに結果オーライと言えるのがすばらしいよね。双方ともに変な山っ気がなかったことを証明している。

で、本のラスト近く。ソロになって2回目?か何かのツアーのころ。

ようやく自分の音みたいなのができるようになってきた。ただそれを人のプロデュースしてバンバン出していきたいとは思わない。有り難みがないじゃない、そんないっぱい出しても。奥田民生のCDでしか聴けない音っていうほうがいいよ。
もちろん小室さんの音っていうのはわかるし、そういう点では評価できますよね。でもそれは'60年代のモータウンみたいなもので、今、俺はモータウンの音は好きだしカッコいいと思うけど、もし俺があの時代に生きてたら、そればっかりで嫌いだったはずなんだよね。あの時代の流行りの音楽なんですよ。てことは、ぼくはそれをやってないっていう。独立性というか、やっぱり人と同じなのは嫌だっていうのが、基本的にはあるんですよね。

今回のツアーは、もう慣れました。慣れたところで、軽く客観的に見たところで、前のツアーより明るい感じでいこうと思ってたんですけど、そうでもないみたいね(笑)。なんていうんですかね、明るい暗いにもいろいろあるじゃないですか。
今回のほうがもちろんダラダラしてるんだけど、全体的にこう、太極拳の奥義を目指そうとしているとでもいうのかな。円を描くようにライブをやるっていう形で。そういうところに無意識のうちにぼくは行こうとしているのではないかと。無理やり暗くもしてないし、無理やり盛り上がってもいないという。自分ではよくわからないんだが、理想的にはそういうところを目指しているんじゃないかな、ステージ上の俺は。ダラダラ見えるが、実はこの、無駄のない。

とにかく民生の言ってることは終始一貫してる。
音楽をずっとやって生活していきたい、という考えがそもそもあって、じゃあどういうふうにやっていくか、というのを模索してた時期なんだけど、根幹がしっかりしてて、なおかつ考え続けられる人なんだな、と思う。この取材は今から10年以上も前に終わっているのだが、いま読んでもまったく違和感がない。今の民生にもしっかり繋がっているから。単に明るくもなく、かといって暗くもなく、安易な頑張れソングでもなく、シンプルながらもどこか捩れた、独特のサウンドや歌詞。もちろん、長いキャリアを紐解いていけば、細かい変遷とかはいろいろあるんだろうが、基本的に変わってない。

その変わらなさが民生の魅力で、じゃあその「変わらなさ」はどこから来てるんだろう? という私たちの興味に対して、彼は普段ほとんど語ったりしない。何も考えてなさそうで、好きなことをのんべんだらりとやってるようにも、少年みたいに無邪気なだけのようにも、あるいはとにかく頑固な職人肌のようにも見える。でも、この本を読むと、やっぱりいろいろ考えてるというか・・・考えようとして考えてるのか、「なんとなく考えてしまう」性質なのかはわからないけど、やっぱりこれだけ考えてるからこそ、これまでの、今の民生さんがあるんだなーと思う。面白いです。

途中、そのころ大ブレイクしたミスチルスピッツについての言及もあったけど、この本には、当時のいろんな対談も収録されてる。その面々は、井上陽水桜井和寿矢野顕子広瀬香美パフィー。そしてツアーのバックバンド。ずいぶん長くなったので今回はここで終わるけど、対談もかなり面白いので、また気が向いたらそれも書き起こしたいと思います。