『虚空の旅人』 上村菜穂子

虚空の旅人 (新潮文庫)

虚空の旅人 (新潮文庫)

本好き、いや本屋好き、いや文庫好き?の人なら、きっと目にしたことのある「守り人」シリーズ。興味を惹かれて何度か手に取りつつも、大人になってめっきりファンタジーから遠のいてしまっていたのでお持ち帰りする機会がなかった。今回、「面白かったから読んでみて」と友だちが貸してくれたのをきっかけに読了。

結論: 友だちありがとう!! てかこの本、10冊?ぐらいあるシリーズの、第4作なのね。大胆にも「最初にこれ読むといいから」と持ってきてくれたんですよ。えー、て思うやん。私わりと几帳面な人間だからさ(嘘つけ)。まあそれでも彼女の選球眼ならぬ選本眼を信頼してるので素直に読み始めたら、んもう、すごくよくわかった、その意味が。たぶん、私が大人だからです。それなりに社会に揉まれたり、小難しい本のひとつも読んでみたことのある、いい年こいた大人は、第4作から読むのがいいです。

この物語が称賛されるとき、きっと「児童文学、しかもファンタジーなのに大人が読んでも面白い」って表現されると思うんだけど、それがどういうことなのか以下に書きます。


1.物語世界の設定が完璧
ファンタジーは世界観が命です。本作「虚空の旅人」においても冒頭に物語世界の地図が示され、そこには「サンガル王国」「タルシュ帝国」「カンバル王国」「新ヨゴ皇国」などの見慣れない国々がありますが、大きな半島を擁する国、大小さまざまの群島からなる国、永久凍土に程近い国など、その風土や地形、成り立ちからして様々です。であれば当然、気候や文化、国民の気質、宗教や祭り、建国の歴史などもそれぞれ違ってくるわけで、それらすべてが説得力をもって、緻密に設定されています。膨大で必然性ある設定をもとに物語が展開している。作者は文化人類学の研究者というのも納得です。

2.多彩かつ魅力的なキャラクターが動いている
新ヨゴ皇国の皇太子チャグム、その養育係にして国の聖職者「星読み」たるシュガ、サンガル王国の第2皇子タルサンと、彼と仲の良い姉姫サルーナ、さらに彼らの長姉カリーナ、カリーナの夫にしてサンガル王国最大の島カルシュ島の島守りアドル、漂泊の民「ラッシャロー」の娘スリナァ・・・と、列挙しているとくらくらしてくるほど主要人物だけでも数多いのですが、それぞれが生き生きと動いていてます。おそらくシリーズを通しての主人公はチャグムなのだと思われますが、本作に関していえば、タルサン&サルーナ姉妹やスリナァもほぼ同等の力を注いで描きこまれ、あっという間に身近に感じられるようになります。

3.文章がうまい
もともと児童文学として書かれてあるので、必然、とても平易な文章になります。じゃあ大人が読めば味気なく物足りないかといえば、これがとんでもありません。

銀砂をまいたような星空…。小舟が切り裂いていく波の音と、帆がはためく音だけが、果てしない天と闇色の海原のあいだを通り過ぎていく。夜も半ばを過ぎるころには、緊張が、しずかにほどけていった。めまいがしそうなほど広大な夜が、スリナァを覆っていた。満天の星の下を木の葉のような小舟で走っていると、小さく、小さく縮んで、夢の中に溶けていくような気がした。

難しい語彙や言い回しがなくても、こんなにも豊かな文章が書けるんですね。美しい情景も、細やかな心情も、あるいは躍動感ある戦いや世にも恐ろしい瞬間も、作者にかかればお手のもの。「これしかない」とすら思えるようなぴたりとした言葉が選ばれ、書き表されます。大人でも、文章自体に浸ることができるのです。

4.見事なジュブナイルであり、ビルドゥングスロマン
このシリーズは少年少女の冒険の物語であり、成長の物語です。であれば当然、彼らは、思いもしない苦難や、身の内の葛藤や、大人の身勝手さ・世の中の理不尽と出会い、対峙しなければなりません。その試練の過程で、彼らは友と出会い、反目や誤解を経て仲間を増やし、自分の弱さから逃げず、誰かの弱さを許し、強き者に挑んで戦い、不公平な世界を受け容れて、大人になってゆきます。その姿に、これから彼らの年代を迎える子らは憧れ、彼らと同年代の子らは励まされるのでしょうが、実はもっとも心動かされるのは、かつてそんなに立派な子どもでなかった大人かもしれません。私たちは少年時代を二度と取り戻せないのですから。


そのうえ、先述したとおり、シリーズの中でも本作は「大人こそが楽しめる」一冊で、なぜかというと、各国・各民族の政治や社会システム(当然、唸るような設定)をもとに、外交や権謀術数が描かれるからです。これが本当に惹きこまれる。カリーナ王女の美しさ、明晰さ、為政者としての酷薄さなど、時代小説(時代小説って大人向けのファンタジーって面がありますよね)でもなかなかお目にかかれないほどです。そう、男女の果たす役割が実社会のように固定的でないのも本シリーズの特徴です。私は特段、フェミニストではないと思うんですが、これから大人になる子たちが読む物語として、こんなに配慮(というか意志)がはたらいているものがあることはうれしく思います。