吉岡忍さん「なぜ、彼は人を殺したのか」

めちゃすごいインタビューだった。長いけど一読の価値あり。ほんと長いので、備忘のためにいくつかの切り口からエッセンスをまとめたい。

www3.nhk.or.jp


話者はノンフィクション作家。幼女連続誘拐殺人事件(宮崎勤事件)、神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)、オウム事件秋葉原通り魔事件など数々の凶悪犯罪を「加害者」にこだわって取材している。理解し難い存在を排除せず知ろうとすることが、社会を知ることにつながるからだ。


【歴史の蒸発】

加害者を取材して気づくことの1つが、「歴史の蒸発」。
日本とアメリカが戦争をしたことも、広島に原爆が落ちたことも知らない。

人間は誰でも、グロテスクな妄想をすることもある。

けれど、たとえば戦争のことを知っていれば、
戦争という場におかれた人間がどれだけ残虐になれるか、どんなに悲惨な目に遭うかわかる。
そして、今生きることの命のかけがえのなさもわかってくる。

それが「脳内で考えても実行はしない」ブレーキになるのだが、加害者にはそういう歴史感覚が欠如していて、そのまま事件に突き進んでいってしまう。

オウム真理教の信者もそうだった。
彼らは高学歴。核戦争のことはとてもよく知っていた。
彼らの教義書を読むと、例えば「現在のアメリカやロシアの核の状況」まで書いてある。

しかし、実際に広島や長崎に落とされたときどれだけ悲惨なことが起きたのか、なぜ原爆投下のような事態になったのか、そこにはまったく触れていなかった。
日本で、世界で、戦争において人間がどんな愚かなことをしてきたか、彼らはびっくりするほど知らない。何の関心もない。

学校の先生は、教えたつもり。
親たちは、知っているから子どもに伝えたつもり。
地域は、地域学習やったつもり。

でも、彼らは全然、知らない、理解していない。
100年もたっていない、親たちが生きた時代のことなのに何も知らない。
日本のこの教育力のなさは、想像以上にひどいことになっている。

(以上、まとめ 終わり)

 

…と、吉岡さんは加害者に限定して語ってるけど、不肖わたくし「子育て世代のための歴史勉強会」主宰者としては、この21世紀、歴史の風化はもっともっと広範囲に及んでいると感じている。

敗戦(終戦)の日はいつですか? 原爆投下はいつですか?
とたずねて、サラッと出てこない人は全然ふつうにいる。たくさんいる。

別に日付が絶対重要ってわけじゃないけど、
戦争を経験した人にとっては、わずか4~50年後に同じ日本に生まれた人たちが「日付すら覚えていない」というのは相当ショックなんじゃないだろーか?

子どもを育ててる親でもそうなのだ。
先生だってそれに近いもんがあるだろう。
これじゃ、子どもたちに伝わらないのは当然だよね。

「中国の脅威が」とか
「9条では国を守れない」
とかいう若い人(子育て世代含めて)もたくさんいる。

確かに安全保障については現実的に考える必要があっても、
戦争の歴史を知ったうえで、そういう勇ましいこと言ってるのかな? 
…というと、知らない人がほとんどなのだ。

実際に戦争になったとき、
10代の少年すら戦場に送られたこと、
魚雷にくくりつけられて特攻して死んでいったとか、
フィリピンやミャンマーガダルカナルのような「どこ?」って場所まで連れていかれて、戦闘以前に飢えや赤痢マラリアに苦しみ抜いて死んでいったとか
戦後、浮浪児となって駅で餓死したり、丸裸で収容されて人間扱いされなかった子どもたち。
生き延びても何十年も「戦災孤児」とか「被爆者」だという理由で差別されてきた人たちとか。

何百万人もだよ。
それが戦争だ。

「日本の教科書は自虐史観だから~」 とか言ってる場合じゃない。

別に日本人だけがことさら残虐だったわけでもないから、
自虐史観で自分まで傷ついちゃう~」
みたいなナイーブな人は、
村上春樹の小説(『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』あたり?)なり、
ハンナ・アーレント全体主義の起源』なり、
フランクルの『夜と霧』なり、
他にもいろいろあるよね、
読んだり見たりしてみるといいんじゃないだろーか。

無知や無関心、傷つかないための都合いい解釈、、、そういう空気がどんな悲惨な結果を生むかわかる。

(あ、お願いだから『永遠のゼロ』とかで歴史を学んだ気にはならないでくださいね。あれはどこまでもカジュアルなエンタメだから。)
余力があれば他の切り口からもまとめたい。

 

『冒険者たち ~ガンバと15ひきの仲間~』 斎藤惇夫

児童文学。すばらしくおもしろかった!  

冒険者たち ガンバと15ひきの仲間 (岩波少年文庫044)

冒険者たち ガンバと15ひきの仲間 (岩波少年文庫044)

 

 

ただひとつ。
最後、XXがXXXしてXXXしたのは、いただけなかった。
ガンバがXXXするためにそうする必要があったんだろうけど…。

21世紀の子どもたちにこの展開はなじまないし、見せたくないなと思う。1972年刊行の本だから、当時のジェンダー観としてはしょうがないんだろうけどね。
(ネタバレ回避のため伏字にしてみました😆)

でも、だからといって避けるのはもったいない! 
文章もストーリーもディテールもすばらしく、ぜひ子どもたちに読んでほしい。
性別を問わず楽しめるはず。

個性豊かなネズミの仲間たちがぶつかりあいつつ協働し、勇気と知恵をふりしぼって強大で獰猛なイタチと対決していくまで。

1章1章にスリルやカタルシスがあり、どんどん引きこまれていく。
大人が読んでもかなり長い物語だけど、
その分、読みごたえがあり、読後の達成感も大きい!
あるていど活字を読み慣れている子なら夢中になって読破できるんじゃないかな。

ネズミたちが「名は体を表す」になってるのも面白いんだよね。

ガンバ、マンプク、ヨイショ、ガクシャ・・・
あたりは子どもにもすぐわかると思うんだけど、
イダテン、バレット、イカサマ、バスとテノール
あたりは、何年かあととかに、別のきっかけで

「ああ、だからあの子は“イダテン”だったんだ、“バレット”だったんだ・・・」
とわかるんじゃないかな。

本や映画(や、今ならゲームとかもそうかな)って、
そうやって世界と重層的につながって味わうためのツールにもなるなと思う!

 

如月の十二

●2月某日: 











お昼は、夫が長崎で買ってきた「みろくや」のちゃんぽん。これ大好き。夕方、ランニング6.5キロほど。夜ごはんは、キャベツのメンチカツ、ひき肉のフィトチーネ(?)、イカ、うるめいわし(?)など。食材大量発注の責任をとって(?) あれこれ作る夫であった。

サクお手製のプラネタリウム上映。夜、暗くした天井に、オリオン座やこぐま座がきれいに映った。おお! 本人も大満足。オリジナル漫画「トビハネくん」の執筆も3巻目。巻を追うごとに、コロコロコミック臭が増していっているw


●2月某日: 風邪を引いたっぽい…。とりあえず、昨日からの約束で家族でボーリング。1ゲーム目の7投目くらいからボールが重く感じる。別に風邪のせいではなく筋力とか加齢とかの問題だと思いますが(笑)。2ゲーム目のほうがスコアが上がるサクさん、若いね。80前後まで乗せてくるようになって、抜かれるのも時間の問題やなw 

近くでラーメンを食べて、私は某公民館で、わが2区選出の代議士いなとみ修二氏の国政報告会へ。統一地方選に向けて稲富氏が言ってたのは、水道民営化の件。

国会ではすでに強行採決により成立しているので、止めるには各自治体の議会が頑張るしかない。つまり民営化に反対する野党の議席数が必要だと。

民営化すると、政府と癒着する外国企業への委託によって、料金高騰や水質低下につながる可能性がある。「水は全員の生活に直結。ロープウェーどころの話じゃない」とのこと。なるほど、これは争点としてわかりやすいなーと思う。

夜ごはんは、アジの干物。豚汁、おからなど。

辺野古基地建設のための埋め立てについて、沖縄の県民投票の結果について。
結果は72%超が「反対」。投票率は52%超。
出口調査の結果が興味深い。18歳、19歳は圧倒的に反対が多いのが、20代になると、ぐんと賛成が増えるのです。

emitemit.hatenablog.com

如月の十一

●2月某日: 午前中、成瀬さんの事務所で用足し。各所、連絡事項大忙し。合間にたまってた『3年A組』の録画を。夜ごはん、さばみそ缶のトマトドリア。事前、夫が非常に不安視してたけど(笑)おいしくできたっちゅーの! サクは最近、体育でやってる「ボールけりゲーム」が楽しいらしい。


●2月某日: 朝から成瀬さんの「引き回し」。私のママ友を中心に15人ほどリストアップし、おたずねしてまわる。やはり仕事等で不在も多く、会えたのは片手の指ほどだけど、やっぱり実際に会ってお話するって大事なことだよね。そして両方を知る紹介者がいたほうが絶対イイ! 学び多し。

夕方はどんぐり文庫。詩集「のはらうた」より、冬眠からさめたクマちゃん、パペット人形とともに。ストーリーテリング「まめこと鬼」、絵本「みかんのひみつ」。夜ごはんは、すき煮~! 

みかんのひみつ (しぜんにタッチ!)

みかんのひみつ (しぜんにタッチ!)

 

 
●2月某日: いろいろ事務仕事。名刺の発注や振込とか。冷凍便で干物と肉が大量に届く。夫よ、我が家の冷凍庫の容量に見合う発注をしてくだされ・・・全部収納するのに20分くらいかかった。

サク、【ストローでこんにちは】という図工の授業で作った作品を気に入ったらしい。『ヘビ vs 鳥』という、ストローを引くとヘビが鳥を襲う劇場w 「動画をとれ、とれ」というので 作品だけを撮るのかと思いきや、顔出しで紹介から始まるところが動画時代の子どもよのう…。

夜ごはんは、冷凍庫からあぶれた大量の手羽元を利用し、大量の野菜もごろごろぶち込んで作ったポトフ。

『いちねんせい』『どきん』 谷川俊太郎

 

いちねんせい

いちねんせい

 

 

小学校にはお決まりの「音読」という宿題。いつもはハナから放棄している息子(新 小3)が、2日連続でやっていた(たぶん3日で終わると予想)。(※2019.4.11記ス)

国語の教科書の最初に載っている「どきん」
聞いていて面白かったのが、本人は普通に読んでいるつもりのようだが、明らかにヒップホップ調(笑)

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今どきの子ども、こういうrhymeを見ると、このリズム感が体から出てくるんだなあ。我が家、そこまでヒップホップ聴いてるわけじゃないのに。

息子は割と詩が好きらしい。工藤直子さんの詩集『のはらうた』も、私の本棚にある銀色夏生もパラパラと見ているときがある。息子に限らず、子どもはけっこう詩情を解するものです。小学校や家庭文庫の読み聞かせでもそう感じる。

今回の音読の「どきん」も割と気に入ってるらしく、中でも

「いんりょくかんじるねえ みしみし」

のところが特にイイと言う。

谷川俊太郎って、『いちねんせい』を書いた人だよ」と言うと、「ああ! たしかににてる!」と大きくうなずいていた。

この詩集、和田誠の絵がいいし、学校のクラスで読み聞かせるのも楽しい。おすすめです。

その中で、息子が一番大好きだった詩がこれ。↓↓↓

「あな」

はまべに あなひとつ
のぞいてみたら カニがいた
みちで見つけた あなひとつ
のぞいてみたら ひとがいた
へいにあいてる あなひとつ
のぞいてみたら おこられた
からだにあった あなひとつ
のぞいてみたら うんこさん
そらにぽっかり あなひとつ
のぞいてみたら まっくらだ

 

結論: 息子が好きなのは う ん こ

それはともかく、谷川俊太郎ってすばらしいよね。

如月の十 / 「1000人会議CF」に出演、お話し会

●2月某日: 午前中、成瀬さんのビラ配り、Nさん、Kさん、Hさん一緒。多少の土地勘はあるつもりの場所だったが、想像以上のアップダウン&ラビリンスのコースでいい汗かいた。私ってポスティングに向いてると思うw 

急いでご飯たべて大名、中村さんと待ち合わせ。『1000人TV、ゴールはタモさん』という面白そうな企画の3人目にご指名を受けるという光栄な機会。

中村さんは、ああーこういう人が大きい仕事してきたのわかるな、って人だった。えらそうなところが全然ないのだ。若いころ何読んでたんですか?って聞いたら「うわあー恥ずかしい。大江健三郎」ってめちゃくちゃ顔を赤くして言ってたのがツボだったw どうぞごらんください!

 


井上恵美さんと「ブラタモリ」のクラファンTV版を考える!


いつもの店でハーブティ買って帰る。サク、昨日の科学館に触発され、熱心にプラネタリウム(もどき)を作って披露する。夜ごはんは、白菜と肉団子のスープ。キャベツとブロッコリーマスタード炒め。

●2月某日: 3年生、4年生、そして支援学級の「学年おはなし会」。私のメイン担当は、3年生向けに『しっぽのはたらき』を大型絵本で。ほか、6人でやる手毬歌「いもにんじん」と、かわいくて大好きな絵本『まちにはいろんなかおがいて』の補助。

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通常版と大型版の差。オールフリーも比較参照にご利用くださいw

総じて、子どもたちの反応はよく、先生たちからの野暮な制止やまとめもなくてよかった(笑)。代表さんが最初の挨拶で「先生方も一緒に楽しんでくださったらうれしいです」といったのがよかったのか? 

終わったあと、メンバーでそのまま反省会。このとき、決して反省は多くなく(笑) あれが良かったよね、これが良かったよね、子どもたち、こういうリアクションしてたよね・・・などなど、本当に子どもたちが好き、読み聞かせが好きという感想であふれるのが、いい。こういう親たちは、学校の先生とはまた違った目線で子どもたちを見ているもので、それってとても大事なことじゃないかと思うのだ。
行き帰りにサクのクラスの前を通って、様子をチラ見するのもいい。しかし今日は8時半集合、帰宅は2時半で、ちょっとした仕事ですよねこれはw 

夜ごはん、ネギと豚肉としめじ炒め。ブロッコリー。おから煮。夫と飲んで夜更かし

如月の九 / 子ども会の行事でぷりぷりヽ(`Д´)ノ

●2月某日:facebookより

【愉快な話じゃないですが】
昨日は、近隣4校区、子ども会の交歓会でした。「お手玉ビンゴ」という競技?遊び?を中心にしたレクレーションです。隣のO小学校の体育館で開催。子どもも親たちも、100人以上いたと思われる。

私もその一人ですが、引率してきてるのは、まー、見渡す限り女性たちだったよね。

んで、こーゆーとき、
来賓の挨拶なんかもきっちり含んだ開会式があり、
開会式のために学校ごとに早めにきっちり集合して会場に向かい、
学校ごとの集合のために各町内で集合し、
会場に着いたらきちんと受付、
学校ごと・町内ごとの整列、
もちろん 受付のための名簿をあらかじめ作り、
名簿をもとに参加賞を準備し‥‥
と、際限なく仕事が増え、拘束時間が長くなるのが、すごい日本的だよねw

9時半からの開会式のために、9時に受付。
そのために、8時45分に当校区で集合。
そのために、8時25分に町内で集合。
実際に競技が開始したのは10時前。
ギャグのような話だw

フロアにスペースがなかったらしく、わざわざステージ上にもうけられた来賓席、その数、軽くオーバー20。その一人一人を、肩書つきで、開会式で紹介していく。
しかも、来賓の誰とかが到着してないとかで開会式の開会は遅れ‥‥。

パイプ椅子やテーブルを運んだりする準備や雑務全般を担い、来賓をお迎えし、案内し、お送りしているのはお母さんたち。
準備された椅子に座り、PTA会長や来賓として、マイクを持って挨拶するのは、おじさんやおじいさんたち。

それらのすべてが、社会の権力勾配というものについて、
子どもたちへの無言のメッセージになっている。
(男女の役割分担や年功序列ってやつは、こういうふうに刷り込まれていくのだ)

来賓の方々は、地域で大切な仕事をしていて、彼らの協力があって、こういう会が開催できる面もあるのだろうけど子どもたちの交流会で、ここまでする必要があるけ?
来賓に、どんだけ時間を使うんじゃい!

だいたい、8時半に集合して、13時解散(お昼ごはん含まず)って、子どもたちお腹ぺこりんやろ!帰ってごはんを食べさせるのも、私たちやぞ!
…という声は、さすがにあちこちのお母さんたちから出ていましたね。

ちなみに「一番上の子がハタチ」というお母さんは、
「もう10年以上、子ども会にかかわってるけど、来賓の顔ぶれ変わってないね~」
と言ってましたw

子どもたちを見てると、競技自体はみんな楽しんでる。
だから、こういう行事自体は、全然賛成。
やり方がねー。
真面目だからな。いや、面倒だもんね。わざわざ、労力かけて変えるなんて。
4校区合同だとなおさら難しいんだろね。
役員になることがあったら、とりあえず、抵抗勢力になってみようとは思います…。

こうやって親同士が集まる(話せる)機会があるのも実はとても大切で、
「来賓あいさつ、長くね?」
「開会式、いらなくね?」
のほかに、
「この行事、担当校区になったら大変やんね」
から
「ところで来年度のPTA、どうする?」
「選抜方法の変更は、●●が理由だってよ」
みたいな情報交換もあったし、
いろんなお母さんたちと話す中で、
昨日、学校の土曜授業で行われた「2分の1成人式」の話、
各校の読み聞かせボランティアの話、
図書室の話(予算が少なすぎる)、
それから、小学校の支援員さんの勤務形態の話にもなりました。

私の友人や先輩にも、
支援が必要な子についてサポートする「支援員」のお仕事をしてる人が何人かいる。
福岡市の臨時職員(というのかな? とにかく非正規雇用ね)の扱い。
市の制度で、どんな部署でも、2か月ごとの採用なんだよね。
連続2か月働いたら、そのあと最低2か月は雇われない。その後、再雇用されるかどうかもわからない。

「雇用機会をあまねく提供するため」という理由なのかな。
それが一理あるにしても、ナイーブな子どもにとって、支援員さんが2か月交代で変わるってどうなのか?
子どもの2か月は大きい。引継ぎも大変だ。
本当はもっと働きたいけれど、2か月単位に甘んじてる主婦も多い。
…などなど。

共働きが増え、名簿や連絡網もなくなった今、
お母さん同士のつながりや、話題の共有も、めちゃくちゃ難しくなっているのが現実。
いろんな人とちょこちょこ話せて実りあるなーと思った。
こういう話を、お母さんだけでしてちゃダメだろうとも強く思ってますけどね!
父ちゃん!!!
君たちは部外者ではない!!!

ともあれ、
個人レベルや、仲良い人同士での
「これおかしくない?」「もうちょい、こうしたいよね」
を、井戸端レベルで終わらせないこと。
子どものこと、子どもの世話をする人のことを理解した、学校運営、地域運営。いろいろな支援。

そのためにも、子育てをよく知る女性議員が増えたらな~ってなるわけです。
政治に、いたいけな私たちを利用させるんじゃない。
私たちが賢く政治を利用するべきなのだ。

サクと夫は久しぶりに科学館へ。サクがっつり楽しんだようだ。あ、上記の子ども会行事は、高学年が対象だったの。
夕方、ランニング6キロ。調子いい。夜ごはんは、イワシのグリル、みそ汁など。

映画「キングダム」はジェンダーや属性に囚われない世界

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長澤まさみが、仮面を剥いでその美しい貌をあらわにしたとき、
「女…?」
と信(山﨑賢人)が驚愕の声を一言、上げただけだった。それがすごくよかった!

並みの作品なら、続けて
「女なのに、すげーな!」
とか、もっと悪ければ
「女なんかで大丈夫か?」「女には頼めない」とか、
戦う姿に「くー、色っぽいな!」etc…

性別への先入観に関するセリフが一言、二言入るところだ。

橋本環奈が演じる貂にしても、性別を確かめられるようなシーンがなかった。
(どうやら、原作では、もっと先で判明するらしいけど)

そして大沢たかおが演じる王騎は、「将軍の中の将軍」と称えられ、筋骨隆々、威風堂々で登場し、実際に鉾をひと振りで幾人も倒すくらい強いのだけれど、しゃべり方や表情がちょっと独特(笑)。少なくともマッチョではない。
けれど、劇中で「あいつ、強いけどヘンだよな」的に指摘したり笑ったりするキャラがいない。

もっといえば、
秦の王、政(吉沢亮よ!)が息をのむくらい美しいのに、登場人物はその美しさを全スルーだ! 

そのように、ジェンダーや外見に関する言及がないことが、とてもストレスフリーだった。

映画「キングダム」の世界は、「強さ」に価値をおいてる。

不自由な境遇から抜け出すため、
友と同じ夢を追うため、
中華を統一し人々の苦しみを除くために、強くなる。

それ以外の価値観はいらない。
王である政と奴隷出身の信が対等な口を利き、共に戦うのがその象徴だ。

もちろん、見てる私は「吉沢亮かっこいい! まさみ、美しすぎる!」と随時、心の中で絶叫してる(笑)。
人は、そう感じることは止められない。

でも、それはあくまで視聴者の感想で、わざわざ、登場人物が口に出さなくていい。
まして、「男だから」「女のくせに」なんて型にはまった先入観は、この作品には不要なんだよね。

意識的に、そう作られてるのかな? 
そうでないなら、すごくセンスのある作り手だなと思う!

映画『KINGDOM』に見るどこかフラットな世界、俳優の魅力

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朝ドラ『まれ』で最初に見てから4年、山﨑賢人は何て大きくなったことでしょう❣️
(「まれ」は現代的・社会的でヒリヒリする作品でした。偏愛してます)

少女漫画の映像化からアグレッシブな作品まで、彼はずーっと主演し続けているんですよね。
あの若さで、あれだけの仕事の洪水の中で、 流されず潰されずピンで中心に立ち続けてきたってすごいことです。

今回、宣伝で露出している彼を見ると、一見、いつもどおりフワッと自然体ながら、精悍で、とてもセクシーな青年になっている‼ くらくらします。
「キャリアが人を育てる」をまざまざと見る思いです。彼はスターになりつつある!

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『キングダム』での信は、身は軽く心は一途、いかにも少年マンガの主人公だけど、
あの巨大なスケール感の中で激しく泣き、叫び、名優たちとアクションを繰り広げるすごい熱量は圧倒的。 ほんとに、汗がきらきらと輝いてるようなんです。

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吉沢亮のほうは、

・主人公・信の幼馴染・漂
・漂に面差しが瓜二つの秦国の王、政

という、設定を聞いただけで萌え萌えする、おいしすぎる二役。
実際、少なくとも5~6回は見せ場があったもんね。やばかった。

その都度、心の中で「うおおおおおお!」と咆哮してました。

等身大の少年、漂の爽やかさもさることながら、若き王・政のたたずまいがすばらしい。

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孤高で誇り高く、鋭い刃のような威厳を宿し、かつ人間味のある王なのです。

すでに多くの者に命を投げ出されて守られてきたからこそ、自分の命と地位を粗末にはできない。

そのために、
受難に耐え、
謎の異民族の根城に乗り込んで大胆不敵に交渉し、
圧倒的不利な戦いにも決してひるまない。
はぁ~(*´Д`)

漂が致命傷を負いながら 幼なじみの信のもとへ戻ってきて残した言葉、

「俺たちは力も心も等しい。お前がはばたくとき、俺もそこにいる。俺を天下に連れて行ってくれ 」

それは無念の遺言ではなく、彼は最初からそういう気持ちだったんだと思います。

信と共にはばたくために先に一人で王宮に入り、天下の大将軍となるために仕える王として政を見込んだ。
政のために力を尽くすのは自分と信の夢のためであり、自分がダメなら信が政のもとで大将軍になればよい。

つまり漂は、おもて向きは「王の身代わりとなって死んだ」けれど、実は「信と自分の夢のための道をひらいた」。

信と漂には固有の夢と絆があり、王のために死んだ人々の多くにそんな夢や友があり、その無数の死の上に立っているのだと自覚している政なんですよね。

政が信に向かって突きつけた、

「ここから先はお前の道だ
 今、おまえの目の前には2つの道がある
 奴隷の生活に戻るか、ここで薄弱の王を助け修羅の道をゆくか」

という言葉には、
「奴隷の道も、王たる自分の道も、どちらも等しく修羅だ」
というような、慄然とした響きがありました。

王と奴隷、
ピラミッドの頂点から底辺までの身分差がありながら、
どこかフラットでイコールな世界なのです。

そして、
王も奴隷も辺境の民も、
誰もが自分の道を(それも修羅の道を!)選んで
果敢に切りひらいてゆくのが『キングダム』の世界の魅力なのだと思いました。
  
…などという、個々のキャラクターとそれぞれの関係性、それが国レベルまでつながっていくようなスケール感までを短い場面、限られたセリフで脚本演出が描き、俳優たちは見事にそれに応えています!!!

 【その2】に続く…かも…(笑)

『KINGDOM』見ちゃったよ

映画『キングダム』。あーあ、もう! 見ちゃったよ!! みなさまのおすすめのおかげです。

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その後、関連動画を見たり、原作マンガの情報を調べたり、家の本棚に関連文献を探したり(←直木賞作家・宮城谷昌光の小説で中国の古代モノにハマった経験あり)で、にわかに忙しくなりそうな気配。

これから吉沢亮や山﨑賢人のインタビュー記事を漁ろうかというところ…。こんなことしてる場合じゃないのにーーー!

見たらこうなるだろうから見ないようにしてたのよ(←よくある)。でも周りでいい噂しか聞かないからさ~。ついつい…。

心を鬼にして見たものの、あえなく撃沈。吉沢亮ほんとやめてほしい。沼からの手招きがひどい。あー。

とりあえず、萌え悶えや考察は一旦おいといて、ざっくり感想としては

「『ワンピース』の功績はすごい」

「外見は中華だが中はすこぶる日本的」

ジェンダー的に引っかかるところがなく快適」

「ゆるいのからエモまで山ほど二次創作されるんだろうな」

大沢たかおの得体の知れなさが『花燃ゆ』では完全に悪いほうに出ていたが、こういうふうに使えばいいんだ!」

「まさみどんわくわく」

左慈役の役者は何者ですか!」

「最後の音楽でずっこけた」

って感じです。(個人の感想です!)

山﨑賢人が圧巻である。
吉沢亮の沼にはまだ抵抗してるけど(抵抗の甲斐なく いぼりかけとるけど)、山﨑賢人にはもう、ついていくしかないでしょう!!!て感じ。