水無月の十五

●6月某日: 夫、有休で早朝からゴルフへ。道具も新調して気合十分。はりきりすぎにより後半バテたらしいが。「昨日、練習でいつもの倍打ったのがいかんかったんよな…」 そしてめちゃめちゃ曇ってたのにめっちゃ日焼けして帰ってきた。

私はサクを近くまで送っていってから、ランニング30分。土日にできなかったので。すっきり~。

帰宅したサク、すごい焦ってるので「トイレか?」と声をかけると(←よくある)、「それもあるけど、Nがころんでないてる!」と。話をきくと、骨折とか重篤ではなさそうだけど、すりむいたりしてるみたい。まぁ、Nくんちももう近いけど・・・。「助けに行く?」「うん!」 トイレから出てくるとバタバタばんそうこう、ウェットティッシュなどを用意している。外に出ると、Nくんもういなかった。「だいじょうぶだったかな?」「いや、もうちょっとさがそう!」 言うや、すんげー走る。速い。追いつくとNくん、もう平気そうだったけど、「ばんそうこはる?」ときくと「うん」と膝を差し出した。

夜ごはんは、ホットプレートで瓦蕎麦。野菜もたっぷり。赤ワイン。

 

●6月某日: 朝、サクを近くまで送って行って、周辺をぐるりと歩いて帰っていると、バス停前で出勤中の夫と会う。こういう「バッタリ」って、子どもがいるとめっちゃうれしくてかわいく感じるんだけど、夫婦の場合なんか変な感じw 「おう」「いってらっしゃい」「おう」「・・・・・」って感じw 

さて、今日は、放課後の校庭開放事業(事業?)の見守りサポーター当番。入学してから初めて回ってきたんだけど、これって、これって・・・・謝礼あるんや!! 図書カード500円!! なぜ誰も教えてくれなかった、ママ友たちよ?! めっちゃモチベーション上がったんだけどw 子どもたちが遊ぶ様子を見るのはほんと、いい機会になる。今日は雨ふりで体育館。サクは追いかけっこしたり、紙コップ等でなんか工作したり、けん玉もやってた(なんか、急にできるようになった)。クラスの子たちとも遊ぶし、でも最後はやっぱり幼稚園時代の仲間って感じだったかな。

夜ごはんは、肉じゃが、アジフライ(惣菜)、ピーマン&ベーコンなど。

 

水無月の十四

●6月某日: 昨日の宣言通り、夫の買い出しについていってガチャポンをするサク。彼が生まれてからずっと通っているスーパーだが、初めてのガチャポン。300円もするわけですが、まぁ自分のお小遣いだしね、ほんとにそりゃもうオタクの熱心さでキュウレンジャーを愛してるしね。ってことで出てきた「リュウキュウタマ」なるものを、1日で既に“もと”を取れたんじゃないかなっていうぐらい喜び大事にしていた。

午後からヤフオクドームへソフトバンク戦を見に行く。行く前に、家で、ダイヤモンドを書いて野球のルールを簡単に説明する。まあ、なんとなくちょっとわかったような・・・ぐらいだけど、全然わからんよりは面白かったんじゃないかな。野球のルールって難しいよね。それでも、球場って華やかでいろいろ出てくるし(マスコットとか)、周りに合わせて手拍子した利、いろいろ買い食いしたり、事前に楽しみにしていた通り楽しんでいた。私たちもビール飲んで楽しみました。試合には負けたがな、くそっ。

風船を膨らませて待っているのにヒットやらデッドボールやらでなかなかアウトがとれず7回の表が終わらない……という球場一体となったジリジリした雰囲気に名前をつけたい。

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雨もあって、行きも帰りも渋滞。バスに乗り続けてちょっと疲れた。負けたしさ。でも、気を取り直して夜はお刺身とか砂肝とか食べてワインも飲みました。

 

●6月某日: サク、2週間ぶりのキュウレンジャー放送にかぶりつき。「えええーーっ!」とか「わーっっ!」とか叫びながら見てるのを、生あたたかく見守る簡単なお仕事。番組の中身まで一緒に見たら一緒に楽しめるんだろうけど、どうもそういう気にはなれないのよね。

昼は「ジョティ」にカレーを食べに行く。スパイスが幸せをくれる。誕生日プレゼント(もちろんキュウレンジャー関係)の下見に行くというサク&夫と別れて帰宅。パワポをいろいろ扱ってみる。ここへきてパワポを始めることになるとはね。ママじゃなの取材とか、政治勉強会とか、いろいろ連絡事項。家計簿。

夜ごはんは、さばの煮つけ、味噌汁、きゅうりの塩もみ。昼のカレーがまだきいててあんまりお腹すいてません。直虎が相っ変わらず面白い!!! 

 

水無月の十三 / おてがみ

●6月某日: 友だちの家で、幼稚園ママ仲間の懇談会ランチ。同じ小学校に通う6人が一品を持ち寄りつつ集まった。美味しいものを囲んで、子どものこと、その他もろもろ話し込んであっというまの3時間。こういうとき、ちゃんと誰かがケーキとかアイスとかも持ってくるのよね~良くできてる。

帰宅後は、サクの友だちが遊びに来る。前半ブロック、後半ビンゴ。子どもたちにとってビンゴってすごい魅力があるものなのである。夜ごはんは、焼きチャンポン。きゅうりと小松菜の和え物。夜、「おーい、ねよう」とサクに声をかけると「もうちょっと」。何をしこしこやってるのかと思えば、夫(飲み会)に手紙を書いていた。

 

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●「ガチャポンをしたい(願望)」が「しにいきます(宣言)」になっている

●「湯船にお湯ないけどごめんね」 

なんか、私の主婦業の至らなさを代わりに謝ってもらったみたいですみません(笑)

息子+友だち vs 大人(私)のかけっこ対決を何本もやって、すごい汗かいた勢いでそのままバーッとシャワー浴びて頭と体洗って、「今日はこれで風呂終わりね」ってことにしたのだ。なんか最近、息子がどーも「うちの母ちゃんはテキトーだ」と気づき始めているふしがあるw(それに比べて父ちゃんは常識人なことにも気づいているようだw) しかしそんなことで態度をあらためるような母ちゃんではなーい。

 

水無月の十二 / 大人のためのお話会

●6月某日: お昼に最近はやりの(自分の中で流行ってるだけです)もやし坦々スープを食べる。夜ごはんの準備し、サクに手紙を残して出発。今日はサポーター講座の2回目で、サポーター+アミカス職員による寸劇と、大竹さんの講演。そのもようは以下に。

●『オリジナル寸劇 と「オイコノミア」大竹先生に学ぶ 社会×男女×経済学。』 メモ1 - moonshine

●『オリジナル寸劇 と「オイコノミア」大竹先生に学ぶ 社会×男女×経済学。』 メモ2 - moonshine


大竹さん、飾らないお話しぶりで感じの良い方だった。前回の講座は5時終了だったのでお友だちの家におじゃまさせてもらったけど、今回は4時終了なので、3時半前に学校から帰るサクには留守番させることにした。帰ると、ちゃぶ台の上に宿題を広げ(終わっていた)、おやつと牛乳も広げながら、「おさるのジョージ」の録画を見ていた。大きい声で「おかえりー」とは言うが、駆け寄ってくるほどではない。夜ごはんは、皿うどん、じゃがいもの味噌汁、トマト。サクと一緒に早寝する。

 

●6月某日: 早寝したので早起きした。なんという健康生活。家族が起きてくるまで昨日のメモをまとめるなど。今日はどんぐり文庫で大人のお話会。10時半からと思い込んでいたら10時からだったー!!! 手帳にはちゃんと書いてたのに書いてたのに・・・直前に気づいて泣きながら自転車を漕ぐの巻。20分遅れでおじゃまする。

 

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出典の本のディスプレイ。表紙がどれもすばらしい。

●『小石投げの名人タオカム』はラオスの昔話。

タオカム少年の活躍の小気味よさもさることながら、
「会議でしゃべりすぎるアイツを黙らせたい」
という古今東西、人類普遍の願いが詰まっているところに感動する(笑)

●『七人さきのおやじさま』はノルウェーの昔話。

おじいさんが出てきたと思ったら、おじいさんのお父さん。
次は、おじいさんのお父さんのそのまたお父さん・・・
と、なんと7代前までさかのぼって出て来るおじいさんズ。
奇想天外すぎて、ノルウェーっていったいどんな国なんだろうと(笑)。
や、人の住むところには、必ず、喜怒哀楽いろんな話があるんだよね。

●『とうさんのすることには まちがいはない』は、アンデルセン童話。

明らかに次々と間違いをおかしている夫の話に、
次々と心から喜び、「すごいねぇ、えらいわぁ」とキスをする妻。
これを自分と自分の夫に置き換えて、この妻と同じことができるかと想像すると・・・「無理!」としか言えないのであるが(笑)、だからこそ、
「こんなふうに、夫に優しくできたらなあ」
「こんなふうに、妻が優しくしてくれたらなあ」
という、男女それぞれの願いが結晶化したお話ができたのでしょう。

ちょうど一週間前にノルウェー研修の報告会に行ったり、
夫婦について考えさせられるイベント&講演会に参加したりしていたので
このお話たちがとてもタイムリーで、
こんなふうに不思議につながることってあるよなあと感じたのでした。

後半は、3人の方によるライアー&縦笛のコンサート。毎回、レパートリーの多さに驚く。300年以上前の宮廷作曲家(?)、オ・カロランの『アイリッシュ・ウォッシャーウーマン』のかわいらしさ! そしてやっぱりバッハ。『主よ 人の望みの喜びよ』なんて高貴で荘厳で、それでいて親しみやすいのでしょう。

さて今朝のこと、「あー、今日の夜ごはんの献立きまらんなー」と言ってたら、夫が「おれ今日早く帰れそうだから、鶏の唐揚げしちゃろうか?」と。なんというすばらしい忖度の能力であろーか!! 朝からサクと2人でワクテカ。「唐揚げ楽しみだね」「とーちゃんのからあげうまいからな!!」こうして楽しみにする時間だけでも幸せである(いや、実際にやってもらって食べる時間が一番幸せなんだけどさw)

 

『おんな城主直虎』 第35話 「蘇りし者たち」

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予告で「今回の目玉」とも思われたようなくちづけのシーンを開始7分くらいであっさりやっちゃうのが心憎いよね。こんなのは枝葉だから、さっさとやっちゃうよ、と。へたなドラマだったら、枝葉にもかかわらず延々と終盤まで引っ張ったりするからね。

今に始まったことじゃないけどとにかく構成がうまい・・・。なにげなく流れていくようで必然性をもったシーン展開にほとほと感心する。

「次郎にできることは私にもできる」 安直な自己犠牲を許さないのは森下脚本らしい。TLを見ていると、自宅で認知症のお母さんの介護(主に排せつ介助など、日々本当に大変な様子をTLでうかがっている)をされているフォロワーさんがこのセリフを見て「私にも誰かそれを言ってほしい! そして介護を代わって」と呟いていて、そうだよなと思った。代わってくれる人がいる次郎は幸いだ。

“龍雲丸への献身的な看病の後”に近藤方の将兵の手当てを頼まれるのがミソだ。「これだけの看病ができるのに、恨みのある近藤は見捨てるのか」と問いかける脚本。「近藤の者など一人残らず野垂れ死んでしまえばいい」という衝動を龍雲丸に「そうだそうだ」と3回繰り返されて、近藤の手当てに赴いた次郎の気持ちがどう動いたのかはハッキリとは描かれない。井伊家の領主として近藤に大きな貸しを作るためだったか、それとも尼僧として、もっといえば人として、苦しむ人々を見捨てることに良心の呵責を覚えたか。

たぶん、後者に近いのだと思う。それは鈴木の子、重好への対応でも描かれる。近藤も鈴木本当は思い出したくもない。できればスルーしたい。でも相対してしまう以上、捨て置くのは良心が痛む。一片なりとも憐れみの思いがある。それが人間というもので、次郎は政次を刺し、政次を失うという非業を経ても人間性を失いはしなかった。

死者を弔う経を聞いて龍雲丸が俗世に戻ってくるのも面白い。

大沢が徳川に降る。強面でいかにもマッチョな大沢が、酒井忠次の残酷な非人間的なやり口に屈するというのが象徴的で、あらためて大沢に嶋田久作をキャスティングしたうまさが光る。

で、そうなると、徳川家としては「一般人見せしめ虐殺大作戦」は功を奏したということになり正当化されるんである。「民まで射殺したそうではないか」という家康のなじりは、忠勝によっても封じられる。戦国の論理、強者の論理である。

せめてもの抵抗とでもいうべきか、家康は極秘のうちに氏真と会談をもち、電撃和睦を結ぶ。いぶかしむ氏真に、「戦に嫌気がさした。自分は戦わなければならないように追い込まれているだけ」と言う。偽らざる本心であり、家康とて戦国の荒波を生き抜くためにもがいている1人とはいえ、そのために(家康の配下の作戦で)民がおおぜい殺されたのも事実だ。

氏真が「国と国との争い事も、蹴鞠で雌雄を決すればよいと思うのだ」と熱心に言いつのったとき、なんか泣けてしまった。舞や蹴鞠にうつつを抜かす氏真は「あほボン」なのか? 戦って多くを殺し、非道な手を使っても勝つ者が、正しく強いのか? この感覚は、直虎と龍雲丸との会話「勝ち負けとは何なのか」にも通じていく。

今作での氏真は、大大名今川を率いていく器には程遠いものの、「蹴鞠で勝負をつけることにしたら、今度は蹴鞠の上手い者を奪い合う争いが起きる」とまで見抜ける人物造形が見事だったと思う。尾上松也が見事だった。彼の代表作誕生といっていいし、当分は氏真の代名詞といってもいいんじゃないでしょうか。

戦国の非情な勝負から降りることで「肩の荷が下りた」と笑う氏真に、このあと正室と仲睦まじく平穏に生き延びていく史実を知っていればこそ、こちらも「よかったねえ」とほのぼのしそうになるが、彼ら夫婦の助命も、気賀をはじめ多くの民百姓の命の犠牲の上にあることを忘れてはならない。・・・・と感じさせる稀有な大河だと思う。

ひとたび戦争が始まれば、終わらせるためには一定の血の量が要る。って、古今東西の法則である。気賀であれだけの血が流れたからこそ、やっと家康(上に立つ者)が「もう戦はいやだ」と思いさだめるのであり、それによって氏真(上に立つ者)は救われるが、気賀で失われた多くの命はもう返らない。

負けた今川で、太守さま夫妻は生き延びる。勝った徳川で、近藤は深手を負い鈴木は戦死して、年端もゆかぬ子どもが後継ぎとして戦場に行く。勝ち負けとは何なのか。

「井伊は大して負けてはいないんじゃないか」と龍雲丸は言う。「しかし但馬を失った」と直虎は言う。

その但馬は皆の中で生きている。亥之助と直久が小石を拾ってきて碁を始めた、というエピソードがいかにも「復興」という感じでそれだけでぐっときていたら、「いわば但馬と但馬が戦っているようなもの」というところで涙腺決壊。一向に勝負がはかどらないと思ったら、この2人はともに但馬の薫陶を受けていて、手筋が同じだからだと。それで井伊谷のみんなが泣いたのだと。

こういうエピソードを作れるところが物語作家の技量だよね。なんかホントに、一昨年とかその前とか、この枠で何を見せられていたのかと・・・)

そのあとに、但馬のモノマネが流行っているというところまで描くのが、森下さんらしい過剰さなんだけど、まさかこのために高橋一生はあんなオーバーな演技をし続けてたわけじゃないでしょうねw 私、生前の政次には(面白いんだけど)もうちょっと正統派な時代劇演技をしてくれてもなー、と思ってたんだけど、このモノマネ大会(違)で「そうか、このための伏線だったのか」と納得しそうになったわよw 

そして、劇中では弥吉が大賞になってたけど、私から見るとダントツうまかったのは山口紗弥加だぞ。よッ、芸達者。

そうやって、但馬が「井伊谷のみんなみんな」の中にしぶとく生き続けるからこそ、龍雲丸の悲しみがまた際立つのだ。いなくなった彼を「かしら、かしら」と探すけど、彼はもう“かしら”ではない、党の仲間はみんな死んでしまったから(そういえば、今川を失う氏真に対しても、家康が「太守様」というシーンがあったな)。

蘇生したあと意外に飄々としてた龍雲丸が、「誰か帰ってきてるかも」と思えばいてもたってもいられなくなって気賀に向かったのが切ない。但馬のことはたくさんの人が覚えている。でも名もなき龍雲党の者たちを、(モノマネをするほど)近しく愛おしく覚えているのは龍雲丸ひとりしかいない。なんて淋しい。柳楽優弥が涙する横顔が美しすぎて、私でよければいつでも口映しますよぉぉぉぉ!!!!という気分になったので、

「そなたが生き残ってくれてよかった」と泣いた直虎は、このあと、人々の死に果てた気賀、もぬけのからになった龍雲党のアジトで、かしらと懇ろになったと解釈していいんでしょうかーーー! 

但馬を失い、気賀の多くの民を失ったけれども、ただ一人かしらが生き残ってくれたおかげで、自分も生きていいのだと思えたのだと。そういうファム・ファタールを確認したわけですですよね直虎と龍雲丸は。寒くて人肌であっためるしかないわけですよね? これはもう待ったなしではありませんか! 

あれ?違う? 朝ドラとか大河って、「お茶の間で子どもも見るものなので、露骨には描写しませんけど、そういうことです、お察し下さい^^」みたいな描写もよくやるからさ。でも、森下さんの場合、「どったんばったん」ぐらいにはハッキリと書くと思うので、来週、そこらへんが明らかになるかどうか期待し見守りましょう。

気賀の民をたくさん死なせてしまった方久が、自暴自棄になってさらなるダークサイドに落ちるのではなく、改心して仏門に入るのでもなく、「武器はもう売りたくないけど新たなる商機発見!」方向に向かったことにびっくらこいた。「カーン(銭の犬の声)」あっての剃髪だったのかw すごい。人間は強い。しぶとい。「再び巨万の富を~~~~!」って必要以上の大声に笑ったわw

掛川城に「入れてしまったのう」と言う家康。桶狭間のあと、岡崎城に入ったときも似たようなことを言ってたよね。時代の奔流にもてあそばれてあっけなく死ぬ人間もいれば、巻き込まれた結果、なんだかいい感じのポジションにおさまる人間もいるのだなあと、このドラマの家康を見ていると感じる。「持ってる人間」「選ばれた人」という感じで描いてあるなあ、と。

でもそれも、気賀のように、大勢の人の犠牲の上なのだ。と、「これからも徳川のためならいくらだって死体を積みますよ」って顔で傍らに控えている酒井忠次を見るとあらためて思った。忠次を演じているみのすけ、悪い奴を演じる時の豊原功補をさらにもっと卑小にした感じで、すばらしい存在感に惚れ惚れする。

 

『作家的覚書』 高村薫

 

作家的覚書 (岩波新書)

作家的覚書 (岩波新書)

 

 『黄金を抱いて翔べ』や『マークスの山』で知られる小説家、高村薫が雑誌に連載したものなど、時評集。2014年から2016年にかけての発表で、言及された時事も記憶に新しく、政権を始め今に続く話題も多いし、1記事が2~3ページと短いのもあって、とても読みやすい。

ただ、内容は、愉快というようなものではない。時世を慨嘆するというのがこの本を通じての基本姿勢である。暗澹たる現在に対しては自戒をこめた批判、その先に続く灰色の未来に対しては不安とせめてもの決意が書かれている。箸休めやユーモア、一切なし! だから読んでいて楽しい気分はちょっともおこらないが、ここまで硬派に徹する潔さに敬服する。それに、硬質ながらも装飾をそぎ落とした平易な文章で簡潔に問題を突いてあって、やっぱり面白い。読まされる。

2014年10月、雑誌「図書」に掲載された原稿で、『この夏に死んだ言葉』として「人道」を挙げているのにハッとした。

いま自分が書斎でこんな長閑なコラムを書いている間にも、紛争地域では女性や子供たちが爆撃や銃撃戦の犠牲になっている。ウクライナの旅客機が撃墜されたときにも反応が鈍く、ロシアの武力によるクリミア併合に対しても看過する世界。これはいったいどういうことだろうか、と筆者は問う。

第二次大戦後の世界各国は唯一、「人道」を共通の旗印にして、かろうじて結束してきたという私の認識は誤っていたということだろうか。(アメリカと密接な関係があるにしても)女性や子供を1800人以上も犠牲にするような事態を起こしているイスラエルの当事者たちはなぜ「人道に対する罪」に問われないのか。マレーシア航空機が親ロシア派に撃墜されたとされる事件も、少し前なら国際的な非難の声はもう少し高かったのではないだろうか。
(中略)この夏の世界情勢を眺めるに、「人道」は死語になったのだと思う。


人道とか人権って、最近では口にすると「なんか過激な人」あるいは「お花畑な人」と思われそうな気がする。でも、人道や人権がかえりみられない世界で子どもを育てることほど恐ろしいことはない。よね。

いつか自分の国に決定的なことが起きて自分たちが巻き込まれることになったとき、私たちは「まさかこんなことに」と驚くのだろうけど、過去を振り返ると、こんなふうに「自分には関係ない」「自分が何か言ってもしょうがないから」と見過ごしてきた因果の積み重ねが見えるんだろうな・・・。

「現在の自分の生活がひっくり返るような大事は起こらないという根拠のない楽観と、仮にそうでなくとも運を天にまかせるほかない無為の間で、私たち日本人は今日も浮遊し続けている」

というのはまさに日本人の現状を鋭く言い表してる。私だって、そう。でも、無邪気で罪のない子どもを見ていると、やっぱり浮遊してる場合じゃなくて地に足つけるしかないと思う。ちなみに本書中に「自分の足で立つほかない」という項もあります。

以下、いくつか引用。 

大統領の車列を一目見ようと平和公園の外で列をなした市民たち、その手に握りしめられた歓迎の星条旗、さらには大統領の一挙手一投足を追うテレビの中継映像、街頭インタビューに応じる人々の感動の面持ちなどが、私にはひどく不思議に感じられた。

(中略)戦後七十一年の日本の歩みと現在の立ち位置を考えるとき、アメリカによる原爆投下がまぎれもなく人道への罪であった事実を黙って呑み込むほかないのは、私たち日本人が耐えしのばなければならない不条理であり、歴史の非情である。だからこそ、なおさら個々人の怒りは燃え続けるほかなく、被爆地も被爆地である限り、その怒りを永久に刻み続けるほかない。そう信じてきた私だが、オバマ氏の広島訪問の風景は、この国において、原爆を落とされたことの怒りや苦しみはもはや完全に風化したことを告げるものだった。

『二〇一六年のヒロシマ』

  

(原爆の日や終戦記念日、熊本地震の被災地の現状や沖縄・高江へのヘリパッド建設、北朝鮮のミサイル発射、そして天皇のお気持ち表明など、大きく報道されておかしくない出来事の数々が、リオ五輪の興奮と喧騒に押しやられていった、と2016年夏を振り返る記事)

全国紙や公共放送が突然オリンピック一色になってしまうのが自然の成り行きであるはずもない。これは、いくらかは大衆の気分と政治の思惑を反映した結果・・・

(中略)ふつうの人間は、複数の事柄を同時に注視することはできない。数あるトピックのなかからオリンピック観戦を選んだとき、たとえば沖縄の現状や、天皇の生前退位の可能性や、日銀の金融政策の是非などへの目配りは大きく減じる以外にない。してみれば、こうしたお祭り騒ぎをつくりだしているのは、私たち自身だということもできよう。扱いは小さくとも、内外の重要な出来事は日々報じられている以上、それに注意を払わないのは私たちなのだ。よりよく生きるために、時代に足をすくわれないために、私たちは相当強い意思を発動させなければならない。

『お祭りのあと』

 

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水無月の十一

●6月某日: 蒸し暑い。今年もニッポンの夏が近づいてきてる。昨日、父の日だったので、イベントの帰り、夫に何かちょっとしたいいものを買ってあげようと思ってたのにすっかり忘れとった。ゆうべ、夫に「ごめんね」と言うと、「え?いいよ、全然。明日で」という返事。要らないとは言わないのねw それなのに、ああそれなのに、今日も買いに行く暇がなかったの。忙しかったの。ごめん! 

夜ごはんは、鶏とキャベツのクリーム煮、ポテサラ、きゅうりと小松菜、青じその和え物など。夫、私がリタイアを宣言した「CRISIS」の録画消化を毎晩のようにさくさくと進めている。

 

●6月某日: イベントのまとめ記事をいくつかfacebookにあげたけどそちらもなかなかの反響をいだたき有難い限りです。

さて今日は小学校へ、読み聞かせサークルの打ち合わせ&リハーサルに行く。私は新米なので1時間ほど遅れて行ったのだけど、最初から最後までいた人は10時から13時半すぎまで。すんごい労力だな! でも、授業を1時間(正確には45分ね)もらって行う「お話会」を6学年分+特別学級分行うわけだから、確かにいろいろ打ち合わせや練習は要るのだ。で、結局子どもの下校時間になったので、傘をもって迎えに来ていた友だち親子と一緒に帰った。今日は先生たちの研修か何かで下校が少し早かったの。他に、サクと同じクラスの女の子もいて、この子がめっちゃ面白い。

帰宅後、サクは本を見ながら夏の夜空の星座を書きまくり、「こんなよぞらが みてみたいなあ・・・」とひとりごちている。ロマンティックな発言のように聞こえるが、その実はオタク発言だw 夜ごはんは、ほっけの塩焼き、鶏ハムときゅうりのゴママヨサラダ、大豆とピーマンのカレー炒めなど。白ワイン飲む。

 

『赤朽葉家の伝説』 桜庭一樹

 

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

 

 

ある方の読書ブログでたまたま見かけたのがきっかけで読んだ。
すっっっごく面白かった。勢いがすごい。割と長い小説だけど、続きが気になって気になって、どんどんページをめくって読んだ。これぞ、小説の面白さよね。

鳥取県、山陰の山近くの紅緑村、1953年から50年、女三代と、彼女らをめぐる多くの家族や人々の物語。いかにもドメスティックで荒唐無稽でもあるけれど、歴史や風俗など現実のエッセンスをうまく取り入れた設定。おどろおどろしいようで、どこか滑稽でもあり、なんといっても疾走する筆致でつむがれるストーリー。

'50~'60年代、力強く復興し発展していく「たたら場=製鉄所」や造船所で汗水たらして働く紅緑村の男たち。人々はテレビに映る力道山や長嶋茂雄に熱狂した。「男の時代」である。

そんなふうに、一地方の小さな村たるこの物語の舞台の背後に、「時代」の巨大な影をちらつかせながら物語は進んでいく。序盤、シベリア抑留から帰ってきた「おんなおとこ」の友人の兄が凄惨な自死を遂げ、一代目の主人公・万葉は友人と2人、彼を密やかに葬る。友人が言う。「よぅく働いてもっと豊かな国になれば、わしらの娘や孫の時代には、おんなおとこでも長生きできるかもしれんな」 強烈なジェンダーの匂いが漂う。

製鉄所の労働者夫婦に拾われて育った万葉は、見染められて旧家に嫁に行き、求められるままに夫に体を差し出し、次々に子を産む。彼女は製鉄所で働く穂積豊寿と出会い、生涯プラトニックではあるけれど魂が通じ合うような仲になる。万葉にも豊寿にも思想はない。ひたすら、家族や国家のために働き、よい暮らしを求める時代だった。

万葉たちにとっての戦後は、丈夫な男と、丈夫な女が、死に物狂いで崖を這い上がっていく、その死に物狂いの汗と油にまみれた、そういうものであった気がした。

 

やがて製鉄所にも、全国各地の工場と同様、公害が出始める。万葉の年の離れた弟世代は、政治に怒りを燃やす。'60年代後半、安保闘争、学生闘争の時代である。'70年代は、成長のあとにオイルショック。万葉は、友人と「おんなおとこ」の兄の亡骸を探しに行き、ジョン・レノンのイマジンを歌う。

第2章は'80年代から'90年代、万葉の娘、毛毬の時代。万葉が生んだ4人の子どもは、泪・毛毬・鞄・孤独という名前なのだ。その命名のいきさつなんかがまた、フィクションの面白さをたっぷり味わわせてくれる。スケバンをはり、レディースとして爆走する毛毬。

いまここにいるのは、真ん中に空洞をもった若者たちであった。毛毬たちに思想はなく、その意識の中には社会もまた、なかった。代わりに自分たちのフィクションの世界を作って、実際の世界を上から塗りつぶした。不良文化は、若者たちの幻想であった。なんのために戦うのか、中心部分は空洞であった。そしてだからこそ若者は燃えたのだ。


ステレオタイプだといえばそうだけど、人が時代のうねりの中で生きている、生きるしかないことを強く感じさせながら物語は続く。レディースのマスコットガールだったチョーコを「心の闇」とでもいえるような事件で失い、毛毬は物思いに沈んだ後、鉄腕の少女漫画家として一世を風靡する。バブルを謳歌する世の中で、出稼ぎフィリピーナのアイラを影武者に、描いて描いて描きまくり消費され、過労死のように突然死ぬ。

母の頭には、自分がやるべき仕事しかないようであった。育てるべき子どもも、つくるべき家庭も何もなかった。母はいつまでも、夢に燃える、元気で、そのくせ頑固な二十歳の女のままであった。いくつになっても変わらなかった。

多忙が理由だと言えなくもないが、ほんとうは、毛毬は、産んだ子供を簡単に愛せない、そういう世代の女の一人ではなかったかとわたしは疑っている。(中略)母、毛毬はついに、大人になれなかった人なのではないかとわたしは思う。

 

最後は21世紀、毛毬の娘、瞳子の時代。千里眼奥様の万葉、鉄の女・毛毬を祖母と母に持ち、この小説全体の語り部である瞳子は、「自分には語るべき物語など何もない」不肖の娘だ、と書く。

そして第3部は、祖母・万葉が殺した人間は?というミステリー色を前面に押し出して進むのだが、その実、「語るべきもののない個人」という時代性を強く印象付ける。瞳子には思想がなく、夢中になるものもない。付き合う男も、男性性の弱さに自分を見失いかけているような、優しく弱い男の子だ。でも、なんだかんだいって、瞳子は彼が好きで、彼も瞳子が好きで。

「祖母の時代も母の時代も、みな社会の矛盾を受け入れ清濁を併せのんで大人になって社会で働いたと言うのに、自分はそんな覚悟も力も何も受け継いでいない。」

と瞳子は己を嘆く。

私には語るべき物語はなにもない。紅緑村の激動の歴史や、労働をめぐる鮮やかな物語など、なにも。ただわたしに残されているのは、わたしが抱える、きわめて個人的な問題だけだ。それはなんと貧しい今語りであることか。


親や祖父母の世代が必死に働き、闘って、豊かになってたどりついた先が、こんなふうにふにゃふにゃした弱弱しい、個人の悩みだけを抱える若者たちの時代だというのはとても皮肉なようで、やはり進化なのだろうとも思う。

泪が男を愛する男だったことも、今では平然と口に出せるほどのことにはなっている。男らしさに乏しい瞳子の彼氏だって、そのことに悩みはしているけれど、生きられないなんてことは決してない。一方で、東京という中央に対して、地方にますますしわ寄せがいく課題があるのも'00年代だ。

わたしたちは、その時代の人間としてしか生きられないのだろうか。

祖母が抱えて死んだ、哀しい死の謎を解いたあと、瞳子はそう自問する。そのあとの、

だけどわたしは、がんばって生きていくぞ、と思う。

という述懐の、なんと凡庸で、けれど涙が出てくるほどの尊さだろう。

この物語が閉じた後の2010年代は、震災を始め、これまた想像もできなかったような時代になっている。このあともきっとずっとそうなのだろうなと思う。たった一世代でも私たちをとりまく時代の環境は全然違って、だから断絶があったり、先の見えない不安があるのは当たり前なのだ。「だけどがんばって生きていくぞ」と私も思う。

 

 ●以前に読んだ桜庭一樹の本

emitemit.hatenablog.com

 

水無月の十 / イベントやった日

●6月某日: 4月にプレゼンさせてもらった勉強会。その後、雁瀬さんに誘われてまた専業主婦向けの勉強会?トークショー?をすることになった。手を挙げてくれた智美さんと合わせて、今回は不肖わたくしも企画者というか。タイトルを考え、プロフィールやイントロダクションを入れたチラシを作り、登壇者に依頼し、詳しい内容とタイムスケジュールを練って、そしてとにかく集客につとめる!! ということで、このように宣伝していたのでした。

mamajanaiwatashi.hatenablog.com

 

キャパが45席で、うち登壇者+雁瀬さんで5人。お客さんは全部で30人くらい来てくれて、中にはお子さん連れの方もちらほらだったので、なんだかジャストサイズだった。すごくすごくありがとうございましてうれしかった! サニーさん、どんぐり文庫かじたさん、にきちゃん。千尋ちゃんはカメラ持って来てくれた。

前半は登壇者の15分プレゼン、後半はパネルディスカッション・・・というのかな? 会の終了後、会議室を閉めた後も、多くの方が廊下に残っていろんな輪を作り、会の内容などについてお話を続ける姿に胸熱。「もっと聞きたかった」「すごく面白かった」「続きが聞きたい」などたくさんの方に声をかけていただいた。


終わって、参加の方、何人かも含めて打ち上げ&反省会ランチ。「なにかをやった」っていう充実感と余韻を抱えながら帰宅すると夫とサクはブックオフなどに行ってるようで、一人でオールフリーで乾杯。で、だんだん、自分の至らなさや反省点、つまり恥ずかしさの波が押し寄せて来るというw でも、それもまた経験。とまとめておく。

サクは今日、子ども会の低学年向け「町内対抗おてだまビンゴ大会」だった。ていうか、うちも親として係だったんだけど、そんなこんなで当日の世話は夫に頼んでいたのだった。サンキュー! 行く前は、どんな感じかわかんないし、チームには知ってる子(1年生すら)いないしで、いまいちノリが悪いというか緊張してたけど、「こういうのは、行ってみると意外と楽しいもんなんだよ」という私の言葉通り、けっこうはっちゃけて楽しんでいた様子。最後にはもりもりのお菓子をもらえるしね。夜ごはんは、焼き鮭、味噌汁、人参サラダなど。

 

水無月の九

●6月某日: しほちゃんが音頭をとってくれて4人集合。ひろみちゃんニキちゃんとは久しぶりに会う。

集まるとおもむろに、それぞれDVDやらマンガ本やらを交換し合う(私からはニキちゃんにDVD『洞窟おじさん』を返却)。とてもすてきな甘味処に集合するかわいい女子4人なのに、女子会 or ママ会ではなく、どう見てもオフ会の様子・・・ww その後ももちろん、ドラマやら映画やら俳優やらの話はひとしきり続いた。子どもとかのことも話した(一応)。ネタ切れになる前に子どもたちが帰宅する時間切れに・・・ふっ、オタクの話は尽きない。

帰って来たサクは開口一番ってぐらいに、「きょうのどうとく、すげーこわかった!」と。初めての平和授業を体験したのだ。「ばくだんがおちてきて、おりがこわれたらやばいから・・・・」と先生が読んでくれた『かわいそうなぞう』の要を得たあらすじを語り、「もう、すげーやばかった!!」と言う。私は自分が平和授業をものすごく怖がるタイプだったので、サクはどうだろうと思っていたら、やはり強い衝撃を受けたようだ。でも、怖さのあまりその日は母から少しも離れられなくて、内容を口にするなんてとんでもない、という感じだった自分に比べると、まだドライなような。

サクが寝たあと、『プロフェッショナル仕事の流儀』岡崎慎司の回を見る。すごくよかった。憧れのプレミアリーグに移籍し、優勝の立役者になるが、翌年はチームも自身も最悪の状態。それでもプロだから、常に「言葉」を求められる。悪い時も自分の状態や展望を語らなければならない。そのことに慣れているし、言葉にすることを通じてだんだん自分を上げていく様子すらあった。前に遠藤のを見た時もだけど、本当に人間力を感じる。

 

●6月某日: 土曜日だけどサクは学校です!! 脱ゆとりっていうんですかね、学期に一度くらい、土曜日も授業しないと課程が間に合わないんだよね。午前中だけなので、いわゆる私たちが小学校の頃はこれを毎週こなしていた(大人も土曜日は仕事あったよね)わけだけど、昔のほうがのんびりしてた気がするのはなぜでしょう? 

さて、サクを送り出したあとは、夫はゴルフの練習に、私はランニングにとそれぞれ健康・体力増進の途へ。明日のプレゼンの原稿をなおしたり(まだやってる)。午後はのんびり休憩。夜ごはんは、牛肉の焼きしゃぶ風。もやし、玉ねぎ、カイワレたっぷり。うますぎるぜ・・・! ミックスビーンズのポテトサラダ、レタスなど。ビール、赤ワイン。『LIFE!』に菅田将暉登場!