五月の十四 / お尻を・・・

●5月某日: がんせさんのワークライフバランス勉強会。プレゼンしてからもう1ヶ月も経ったとですばいね。たぶん、参加者の中で一番近くに住んでるのに、今月も、先月も、先々月も時間ギリギリにしかつけないわたくし(しかも会場までダッシュで向かっている)。今月のプレゼンの智美さん、テーマは「夫婦のワークライフシナジー ~きっかけは○○○○から~」 ○○○○の部分が超気になると思いますが、ここで披露していいのかわからないのでとりあえず伏せますねw 
 
この会でのプレゼン経験はもちろん、いきいき塾のアドバイザーを始め、様々なところで活躍されている智美さんなので、サラッと余裕にお話されるのだろうなあ・・・とぼんやり想像していたところ、まさに「精魂込めた」という表現がぴったりのお話にびっくり、感動。
「この話をするのは私にとってチャレンジなんですが・・・」
というエピソードがあったのだけど、今日のプレゼンは、これまでチャレンジの連続だった智美さんの半生のお話で(大げさですか?)、今日のプレゼンもまた、智美さんにとっての1つのチャレンジで、これからも智美さんのチャレンジは続くのだろうなーと。
後半のディスカッションは「潜在的な人材を社会に生かすには?」 先月と同じテーマでも参加者が変われば出てくる意見もまた変わるもので、今回もとても興味深い意見がたくさん。

会終了後、がんせさん・智美さんとランチしながら来月の会の打ち合わせ。サクと夫はその間、晴好夜市のてっぱんバトルで焼きそばとかお好み焼き食べたり、ロフトでランチバスケット買ったりしてたようです。サク、お小遣い(お年玉)からまたナノブロックのセットを買っていた(レベル3・カメレオン。約1時間で完成)。今年のお年玉は一部しか預からず、自由に使わせてみている。夜ごはんは、さばのミリン干し、味噌汁、ズッキーニのグリル、トマト、きゅうり。
 
●5月某日: サクを近くまで送った後、だいたい毎日テコテコと辺りをウォーキングしている。今日もそうして、サクと一緒に行ってるお友だちを教室まで送っているお母さんとまた合流し、放課後の子どもたちの予定など相談しながら帰宅。サバの水煮缶で作った丼ぶりで昼ごはん。テキトーに作ったけど滅茶苦茶おいしい。滅茶苦茶お腹がすいてるからかもしれない。いっつも、昼ごはん食べるの2時前後になる。時間はたっぷりあるはずなのに、なぜ・・・。まあ、食べたらもう終わりだからね(=食後は頭が働かなくなるという意味)。

夜ごはんはカレーライス。きゅうり、トマト、甘夏。
夫、大きな仕事がひとつ終わったらしい。おつ。
 
サクを寝かしつけながら、「おしり撫でてもいい?」と聞くと、ニコニコしながら「だめ。」と言う。
「じゃあ、お尻を指でツンツンしてもいい?」
「だめ。」
「じゃあ、お尻をお餅みたいにコネコネしてもいい?」
「だめ!」
「じゃあ、お尻にチュってしてもいい?」
「だめだろ! ツンツンの100ばいダメだ!」
怒ってるような口調だがめっちゃニコニコしてて、次に私が何を提案するかをワクテカと待っている。
「じゃ、お尻ぺろは」
「ダメにきまってる!」
「じゃ、お尻にフーと息をふきかけるのは」
「だめっ」
「お尻を両端からムギュッと寄せるのは」
「だめだ」
「じゃあいいよ。寝よう」
と言うと、
「ツンツンならいいよ」と譲歩されたw
 

五月の十三 / 田植えのお手伝いで宮本常一を思い出す

●5月某日: まりちゃんがお友だちとやってる田んぼの田植えに行く。私とサクは初めて、夫は実は田植え経験者で、母方のおばあちゃんちでは夫が中学生時代まで手植えをしていたらしい(昭和60年代だよ! )。
行きの車中で夫、手植えがどれだけ腰にくるかを語るのでちょっとびびったけど、私はこういう作業は好きなたちじゃないかなと予想した通り、楽しかった! 楽しかったといえるぐらい、「ちょっとかじった」程度のお手伝いってことだろうけどねw 
 

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入る時はちょっと水が冷たく感じるけど、午前10時も過ぎると土は暖かくて。苗床から1房ずつとって、間隔を守りながら植えていく。近くの人同士でお喋りしたりしながらも、思い出すのはやっぱり宮本常一『忘れられた日本人』で何度も何度も繰り返し読んだくだり。
●昔はのう、田植えちうたら何も彼も競争じゃった。朝暗いうちに起きて、苗代へいって、みんなで一とき植えるほどの苗をとると、それを田へ持っていって植え始める。
あとは男が苗をとってくれる。それを苗運びが運んで、小苗打ちが打つ、早乙女は苗とりを追うのがおもしろうて、苗を持ってくるのが遅けりゃ、みんなで「この甲斐なし奴が!」とどなりつける。
●田植えのときは女のほうが偉うてのう、男を追うのが面白かった。男の苗とりがあんまりはかどらんと、早乙女がドベ(泥)を持ってのう、手伝いの男にぶちかけて、しまいには田の中へ突っ込んだりしたもんで・・・
●昔は田植え歌もずいぶん歌うた。この人の爺やの爺やにあたる人がのう、ひょうきんで歌が上手で、田植えごろになると太鼓一つ持って、あっちこっち田を植えているところの畔へ立って、太鼓をたたいて歌を歌うたもんじゃちうて爺やが話よりましたがのう。歌にあわせると手も調子がついて仕事がはかどったもんでありました。
●この頃は田の神様も面白うなかろうのう。みんなモンペをはいて田植えするようになったで。
「モンペをはかずにヘコ(腰巻き)だけじゃと下から丸見えじゃろうが。田の神様がニンマリニンマリして・・・。」
「見んされ、一まち(1枚)植えてしもうたろうが」
「そりゃあんた、神さまがお喜びじゃで・・・」
「わしもいんで(帰って)亭主を喜ばそうっと」
 
これらはすべて、宮本常一が昭和の前半に故郷・周防大島でお百姓のおばあちゃんたちに聞いた話。女性たちは田植えのときによくこういう(今でいう)下ネタトークをするもので、
『田植え歌の中にもセックスをうたったものは多い。作物の生産と、人間の生殖を連想する風は昔からあった。(中略)田植えのときにそんな話の中心になるのは、たいてい元気の良い四十前後の女である。若い女たちにはいささか強すぎるようだが話そのものは健康である』
 
と宮本は書いている。私、今まさに元気な四十女かなーと思ったりした(笑)。いえ、エロばなしはしませんでしたが(男性陣もいたしねw) 
忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

 

 

息子もがんばって植えてた。途中から、おたまじゃくしのつかみどりに気をとられてたけど、6才だもん、それでいいよね。
腰が痛くなったら、一枚下の田んぼのほうに降りて、土踏み。そこは今年から新たにやる田んぼなので、まだ土が硬くて水が入りにくい。人の足で踏みしめて柔らかくするんだって。
 
お昼は、茉莉ちゃんとお隣の内山さんがたくさんお米を炊いてくれて、おかずはみんなで持ち寄ってビュッフェ形式。素朴な料理ばかりでめちゃくちゃ美味しかったー!

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こうやってふらっとお手伝いして食べて(笑)ふらっと帰る私たちは気楽だけど、たくさんの人を迎え入れる茉莉ちゃんたちは本当にすごい。本当にすごいよね!と夫も感心していた。
 
早めにおいとま。マンションの排水管点検&清掃があるため。田んぼにいたのは2時間足らずでも、暑さもあってすっかりくたびれた。30分ぐらいカーッと寝たら復活し、ランニング30分。夜ごはんは、豚肉たっぷり野菜たっぷりで鍋! ビールに赤ワイン!
 

『おんな城主直虎』 第30話 「潰されざる者」

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おお虎松(のちの菅田将暉)、お母さんと離れてどう過ごしてるの? と気になってるんですが、物語はそれどころじゃないって感じで進んでます。

・・・と思ったらムロ劇場始まったw 「見たいよね? こういうムロさん、見たいよね?」っていう感がすごいww 大河らしくないって酷評なんてくそくらえ、という作り手側の振り切りがいっそ気持ちいいです。今までだって、スイーツ大河朝ドラ大河ジャンプ大河などなどいろいろあったんだから、ムロ大河があってもいいよw

方久を追いつめていく松也氏真の演技がすばらしかった~。こんなにも印象的な氏真像、大河でも初めて見るな、私は。で、こんなんされても今川には全然腹立たない。武田が憎たらしくなるばかりという、すさまじい武田dis大河だwww というか、「武田をここまで悪しざまに描いても歴史オタクは怒らない。なぜなら真実だから。むしろ喜ぶ」って感じで、時代の流れを感じますw

瀬戸・祝田は、直虎が家督を継いで間もないころにモメた村で、それをおさめるために取り立てた、つまり直虎が最初にパーティに加えた方久という男から篭絡するという、寿桂尼さまのデスノート計画のいやらしさよのう。方久が篭絡されるのは、まあ、わかるんだよね。武家の使命がお家を守ることならば、商人の使命は利を得て利を守ることだから。いや~鶴+龍で方久を追い詰める場面、これまたすばらしかったですね、視聴者サービス的に。私はやっぱり、いったん痛めた腰が治るムロ劇場で爆笑でしたけどww

井伊谷三人衆の前で、「直虎がデスノートで廃されたほうが私にはうれしいんですけどね」と言ったり、之の字と六左が下手な芝居を見せたり(←この2人も、久々に「まだまだ頼りにならないレベルの家臣ですアピール)、但馬も彼らの前で慇懃無礼してみせたり、「但馬は井伊の乗っ取りをくわだてている家老」アピールが久々にこれでもかと(視聴者に)繰り返されたw 
とどめは、直虎の「但馬は全部知っているとみんなに言ってしまいたい!!」 「内緒で社内恋愛てしてる2人が、みんなに言ってしまいたい!」と言ってるみたいだ、というつぶやきがTLを流れて来て笑ったww

前回と同じように関口を迎え、今川の企みを知って衝撃を受ける直虎。前回と同じように、之の字&六左に背を向けて「何とか考える」と言うんだけど、額を抑えて崩れ落ちていて、前回より懊悩の深さを感じさせていてよかった。

政次が今川の動きを怪しんでいたこと、そして怪しんではいても先手を打てるほどの器量はないこと、どっちも納得できる、これまでの描写の積み重ねだよなあ! そして「但馬はあのアマと同じムジナ」と読んでいた寿桂尼さま、お流石! できればそれを悟ったシーンもいただければありがたかったけど。あのアマ、というのが「尼」なんだろうけど「女と書いてアマと読む」のほうのアマにも聞こえて、ぞくぞくしました~!

この危急に際して、向かい合うのではなく互いに一人で碁を打つ直虎と但馬。大河の定番のようだけど良いシーンでした。2人はきっと通じ合っている、でもきっと、最後のところで政次は違う答えを出す。というのが伝わるんだよね。

そして今回わたしが一番感動したのは、瀬戸村の甚兵衛たちの「徳政令は望まんに!」大合唱です。ベタだけど泣けた・・・。森下さんの脚本はいつも普遍的な、つまり現代の社会システム・政治システムを思わせるところがあるのだけど、村人たちの危険を顧みない直訴は、「私たちにできないこと・やろうとしてないこと」が具現化されていたように思えたなあ。それは、私たちが直虎のように民を守ろうとするリーダーに恵まれないからというだけなのか? なんかそうじゃない気がしたんだよなあ。考えすぎかもしれないけど。

まあ、そんな村人たちの大合唱は、力ある者には騒音や害でしかなく、容赦なく打ち据えられていくわけで。なんてことないシーンのようで、とても胸が痛かった。泣けた。

前回、「井伊の民を一人も殺さない」と宣言した直虎が、ここに至って「関口の首」という血なまぐさい閃きを得るところでオオオーとなった。井伊を守るために今川を裏切る、それだけでなく、誰かの首級をあげると決意した!!!

そしてそこに出てきた但馬「俺を信じろ。信じろ、おとわ」。静かな口調と澄んだ目。森下さんは、ほんっと、少女マンガの勘どころをよくわかっとるなあああ!! と思ってたら予告のずぶぬれで「地獄へは俺がいく」で、憤死した・・・・のではなく、ちょっと笑ってしまったw なんか、なんかさww そこまで決めんでも・・・って感じw

いや、いよいよだなあって思うんだけどね。なんかちょっと、TLの盛り上がりがさ、「八重の桜」のときの尚之助様@長谷川博己フィーバーを思い出す感じ。八重はさー、尚さま人気にあやかりすぎてちょっと作品のバランスを崩した感があったからさ。
政次、もちろん退場にふさわしい盛り上がりはあってしかるべきなんだけど、なんもかんももってっちまうようなのは勘弁な、と個人的には思ってる。森下脚本だから大丈夫かなと思ってるけど。
・・・・なーんて書きながら、ええ、来週から鶴に悶絶してるかもしれませんw
 

五月の十二

●5月某日: 
朝は涼しくて肌寒いくらいだけど、9時、10時ごろからぐんぐん気温が上昇するこの数日。今日も27,8度くらいまでいったみたい。まぁ昨今の日本の5月後半ってこうだよね。
 


↑この気持ちに名前をください・・・
 
夫の飲み会の予定が急きょなくなり、ごはんどうするよ、っていうこの妙な焦りにも名前をくださいw 結局、餃子、チャーハン、ささ身ともやしとキュウリの中華サラダ、そして夫にテキトーな刺し盛を買ってきてもらい、なんだ全然いけてるやん(私レベルで)、という食卓になりました。ビール、白ワイン。

五月の十一

●5月某日: 朝から頑張った。すんごくお腹痛いのにサクの登校に付き添ったの。えらい。誰も褒めてくれないから自分で褒める。がんばった、私。

月、火と残業でサクが寝てから帰ってきた夫が今日は意地で早く帰って来た。珍しく平日にとーちゃんと風呂に入り、サクがぺらぺらと喋る声が部屋まで聞こえてくる。運動会の練習をしているサク。1~4組それぞれ1人ずつ、4人1組のかけっこで1番になってるらしい。うれしそうだ。「おれ、ほんきだしてないんやけどね~」というので、「本番では本気で走らないかんよ、絶対」「うん」「でも本番でいきなり本気出したら、コケる可能性高いね。やっぱり練習のときから本気やないと」と話してたら、「ほんきだしたりだしてなかったりしてるんやけどね、ほんとは」とか言い出した。なんか、わからんではない。

夜ごはんは、美味しい牛肉!(←朝、お腹痛かったくせに)。新玉ねぎと一緒にサッと炙って、キャベツを敷いた上に乗っけて、子どもは焼肉のたれをかけて、大人は大根おろしとカイワレも乗っけてポン酢で食べる。ウマい―! 悶絶ですよ!!!! 
 
●5月某日: 一緒に登校してるお友だち、今朝はとてもテンションが低く、いつにもましてお母さんにぴっとりとくっつき(その姿が私から見ればかわゆいのだけどね^^)、サクとも喋らないし、私がお友だちのお母さんと話すのもイヤみたいで、お母さんをぽかぽか叩いたり。学校までの道のり1/3くらいのところで私は基本的に離脱してるのだけど、サクに「そろそろバイバイしてもいい?」と聞くと、「もうちょっと」と言うので、残り1/3くらいの地点まで一緒に行った。

来月のワークライフバランス勉強会 “特別フォーラム” のチラシのリード文を考える。文字数が決まっていて、わかりやすく簡潔に書くって、私にない能力・・・(笑)。

学校から帰宅したサクは、今も毎日ハイテンション(それだけ、学校でがんばっているというか学校がまだ非日常なのでしょう)。ワーッと発散したい欲があるのだろうなと、「よーし、じゃあ明日の準備終わったら、お母さんが “もみくちゃ” にするぞ」と言ってみたら、「もみくちゃってなに? やってやって! おれそういうのだいすき!」と、語感で既にヒートアップしていたw 夜ごはんは、肉じゃが、味噌汁、小松菜、白身魚のフライ(スーパー総菜)を少しずつ。vs嵐を見る。相葉さんが今日も何とかっこいいことでしょう!

五月の十

●5月某日: 朝のEテレ『シャキーン!』で流れるシャキーンミュージックが新曲「こころね」に。今回の曲もイイ! シャキーンはMCの女の子たちも各コーナーの若い出演者たちも、ミュージックを担当するバンドも、みんな「やらされてる」感がなくて見ててのびのびする。見ててのびのびする、って変な日本語だけど。

登校、一緒に行く友だちはちょっとぐずってる。週明けだもんね。今日は荷物も重いし…。でも、サクが通学路にツバメの巣を見つけて盛り上がった。巣の中には大人のツバメがこんもり座ってる。「たまごをだいてるんだよ!」と子どもたちコーフン。しばらく、行き帰りの楽しみになるね。

荷物といえば、今日は教科書ノートや筆記具のほか、給食袋、上靴、給食エプロン、体操服と持って行くものが多かったのだが、手に持ちたくない・ランドセルの脇のフックにもかけたくないサクは、どーにかこーにかギュウギュウにランドセルに詰め込んでいた。その情熱に恐れ入る。そしてランドセルを体重計に乗せ「・・・3.7キロ!」と歓喜の叫び。

某件で応募書類を作成して提出。夜ごはんは、鶏とナスのトマト煮(ゆうべ夫が作った)、納豆とえのきのオムレツ、新玉ねぎときゅうりのポン酢がけ。夫は残業、今日もサクと2人で寝る。おやすみ絵本として『くんちゃんはおおいそがし』を読み、そのあと、創作おはなし『さくちゃんはおおいそがし』を即興で。喜ぶのなんの。

 

くんちゃんはおおいそがし

くんちゃんはおおいそがし

 

 
●5月某日: 運動会のダンスで使うバンダナをサクがこないだ天神で買ってきてたんだけど(天神といっても天神の100均だけど)、一度洗ってアイロンをかけようとしたらあてた瞬間にジュワッと穴が開いてしまった(*_*) 近所の100均に行ってみたけど、めぼしいものがない・・・

ということで、天神へ。転んでもただじゃ起きないとばかりに自分の服とかも買いつつ、きっかり1時間で天神をあとにした。この年になっても走って電車に乗るのやめたい・・・けどやめられない・・・。

夜ごはんは、豚とピーマンと玉ねぎの生姜焼き。ささ身とエノキとズッキーニのスープ。大根ときゅうりのごまマヨサラダ。サクと一緒に「ひよっこ」を見ると、「すみこがいない」とか、「しんぱいかけてごめん・・・っていうとおもった(本当に言った)」とか、文脈とかパターンとかよく読みながら見てるなーと感心する。夫は残業。9時半ごろ帰宅。12時近くまでだらだら一緒に焼酎飲む。「ガイアの夜明け」とか見て暗澹たる感想を話したりしながら。

五月の九 / “ とーちゃう ”

●5月某日: サクと朝っぱらから「サソリ対サソリ」の戦い。大人としては10分もやればもういいよ、ってなるけど、子どもはしつっこいのなんのって。

夫が買い物やら何やらに連れ出してくれたので、ランニングしようかどうか迷って、ウォーキングにする。走る時には避けている高台のほうへ行ってみる。近場でもほとんど通ることがなくて、すごく新鮮。すごく良い天気で、朝は冷えているようだったけど、歩いていると汗ばんだ。

昼ごはんはちゃんぽんの予定だったが、夫がちゃんぽん麺を買い忘れたので、肉野菜炒めになった。どっちにしろ作ってくれるのは夫だし全然無問題です。夕方からは友だちの家で持ち寄り飲み会。いただきもののソラマメとグリーンピースに良い仕事をしてもらった。ソラマメはクリームコロッケに(あまりクリーミーにならなかった・・・と夫)、グリーンピースは豆ごはんに。その他、肉巻きやズッキーニのおつまみ、ワイン、アイスなどもっていった。オイルサーディンとか燻製とか鮭とばとかごぼうのペペロンチーノとか美味しかったー。4時間は食べ続け飲み続け喋り続けたね…。

サクはシャワーでも浴びたようにびっしょりと髪の毛を濡らしていた。いつもながらすごい遊びっぷり。いちばん小ちゃい子が途中からおっかなびっくり、見てる姿も可愛い。
 
●5月某日: 息子のために朝ごはん(おにぎりなど)を用意して、早朝から休日出勤する夫。母親の私はちゃんと在宅してるんだけど、もしや、母の日だから休ませようとしてくれたのかな? いや、単に、休みの日に食べさせるのは自分の役目だと思ってるんだろうw 食べ終わった息子、いそいそとお返事を書く。



父と子のけなげなやりとり。私の「蚊帳の外」感、はんぱないけど(笑)、とーちゃんも喜んでたし、えがっだ。うむ。

小学生らしい、なかなかしっかりした文字を書いている。今、ちょうど学校でひらがなを習っているので、1文字1文字丁寧に書いている感じがよくわかる。
。。。けど、惜しい! 「とーちゃう」ってー!(悶絶

ふだんの会話では、「こてんぱん」とか「ぜったいぜつめい」とか「~~次第」とか「いっさい~~ない」とかをちゃんと正しい文脈に乗せて喋るので、6歳の語彙力すごいなーと思うこともしばしばなんだけどね。まだまだ、言葉を文字(目)でなく耳から聞いて理解してる時期なんだね。

さて、夫は昼前には帰宅。午後はサクと天神へ。私は留守番。夕方には7キロちょっと走った。良い心地。夜ごはんは焼き鮭、味噌汁、トマト、ほうれん草。2週間ぶりの鉄腕DASHは深海からレアな生き物があがる、あがる。最後は伝説の古代ザメ、ラブカが・・・! 相変わらず、やらせとか疑うレベルを超えているw 

DASHを見終わると、明日の準備の仕上げをテキパキと自分でやるサク。こーゆーとこほんとエラい。夫似なのだろーか。
 

『俳句と暮らす』 小川軽舟

 

俳句と暮らす (中公新書)

俳句と暮らす (中公新書)

 

 

小川軽舟、という文字通り軽みのある優しげな俳号と、文学であり芸術である俳句が「暮らす」という生活感の滲む語を伴っているのが興味深くて、手に取った。
本編の最初で紹介されるのは、筆者本人の句。
 

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レ タ ス 買 へ ば 毎 朝 レ タ ス わ が 四 月
 
50才の筆者は俳人といっても妻も子もあり会社勤めの身で、しかも独り東京の自宅を離れて神戸に単身赴任している。そこで簡単な自炊をするようになって、詠まれた句なのである。ささやかな独り暮らしのちょっとした淋しさと、それでも水分たっぷりのレタスをシャキシャキと毎朝食べて仕事に行く健やかさ。爽やかなユーモアが漂っていて、とてもすてきだ。
 
美しい情景を眺めるとか、激しい情念を謳うとかではなく、「暮らし」に寄り添う俳句。筆者の暮らしとは単身赴任の日々だから、章立ては「飯を作る」「会社で働く」「妻と会う」「散歩をする」などになる。
 
サ ラ リ ー マ ン あ と 十 年 か 更 衣(ころもがえ)
 
妻 来 た る 一 泊 二 日 石 蕗(つわ)の 花
 
渡 り 鳥 近 所 の 鳩 に 気 負 な し

 

句の中で出てくるように、筆者の句そのものがどれも気負いなく、肩の力が抜けていて読みやすいし、なんとなくわかるわかる、と思える。

でも、気軽に読める俳句入門、みたいな本じゃないことは、読んでいくとだんだんわかってくる。

「暮らしに寄り添う俳句」と筆者は言う。けれど暮らしを重ねればそれは人生につながり、人生には恋もあれば別れもある。社会への倦みや、重篤な病気もある。そんなときにも、俳人のそばには俳句がある。まさに、良い時も悪い時も、健やかなるときも病める時も俳句なのである。

若いときから藤田湘子に師事し俳句雑誌『鷹』の主宰をつとめる筆者は近現代の俳人名句によく通じていて、本文では多くの引用、解説がある。
 
吾 妻 か の 三 日 月 ほ ど の 吾 子 胎 す(やどす)か 中村草田男
 
23歳の妻が初めて妊娠したときの句だという。三日月ほどにかすかな胎児を想像する彼の感動が伝わってくる。その後も彼の妻に対する恋情は少しも変わらない。
 
妻 抱 か な 春 昼 の 砂 利 踏 み て 帰 る
 
仕事が半日で終わった日、妻を抱こうと心に期しながら砂利をザクザク踏みしめる、やる気まんまんの帰り道(笑)。草田男は、こうまで詠んでいる。
 
虹 に 謝 す 妻 よ り ほ か に 女 知 ら ず
 
昭和11年、34歳で結婚するまで女を知らなかった、そのことを七色の虹に高らかに感謝しているのである。なんという愛!

このように、夫が妻を詠めばオリジナリティーにあふれる名句も多いのに、妻が夫を詠む句はどうも平凡である、という筆者の気づきが面白い。夫は妻というプライベートを俳句という文芸で詠むことで自由になるが、妻が夫を詠んでも性別役割分担の範囲内の話にとどまってしまうのだという。ジェンダー的に、含蓄のある話じゃありませんこと?(笑)

「酒を飲む」の章では筆者の師や兄弟子すじにあたる人々との交遊が回顧される。若い俳人たちの飲み会では、「雨」とか「女」とか題を書いた封筒をプレゼント交換のように回しながら、制限時間3分以内に句を書きつけてゆき、その中から良い句を選んだり批評し合ったりするものなのだという。
 
「俳句とは座の芸である」といわれれば、確かに連歌俳諧の時代を思い出してそうかと思うけど、筆者の回顧する飲み会は文芸をたしなむというよりむしろ体育会系に近い。言葉や発想もトレーニングで鍛えられる一面があり、「一人で詠んでも未完成、人に読まれるというプロセスが何より大事」という筆者の言には多くの物事に通じるものも感じる。

ページを繰りながら人生のいろいろな局面を詠んだ句の数々を見てゆくわけだが、「病気で死ぬ」の章に至って慄然とする。
 
糸 瓜 咲 て 痰 の つ ま り し 仏 か な
 
という正岡子規の絶句を筆頭に、俳人たちは、長く緩慢な病の日々を、あるいは大病を宣告されたショックを、筆舌尽くしがたい闘病の苦しみを、そして死を覚悟した心境をも句に残すのだ。それらの句をここで引くのはあまりに軽々しい気がする。十七文字が発する力のすごさ。

共通して言えるのは、彼らが病気に屈して筆を折ることなく、俳句を作り続けたことである。死に至るかもしれない病気を宣告されても、実際に死ぬまでは毎日を暮らさなければならない。その暮らしに俳句がぴったり寄り添っていたのだ。彼らは、自分自身を深く見つめ、自分を愛してくれる家族を見つめ、そしてもうすぐ去るかもしれないこの世を見つめた。その軌跡として俳句が残った。

時間は、後戻りすることなく前に進んでいき、やがて私たちに死をもたらす。けれど時間は死という終点に向かってただまっすぐ進むだけではなく、四季を巡って循環もしている。冬で終わりではなく、また春が来る。そんな循環が私たちに束の間「永遠の時間」を夢見させるのではないか、だから俳句には季語が必要であり、人一倍季節を感じながら生きる俳人は幸いであるのではないか、と筆者は書く。

変わり映えのしない日常にも、人生最期の日々にも、季節があり、言葉がある。
春の七草の一つであり、小さな白い花を咲かせる「はこべ」を季語に、筆者が詠んだ句が好きだ。
 
平 凡 な 言 葉 か が や く は こ べ か な
 
 

五月の八

●5月某日: 今さらながら『カルテット』の感想を書く。だいぶ前に見終わってたけど卒園とか春休みとか入学とかで書きそびれちゃって、もういいかな~と思ったんだけど、書き始めたらキーボードを打つ手が止まらない~~~って感じでああなった(笑)
 
 
今、一緒に行ってるお友だちが登校に苦戦していることもあって、まだ毎朝途中までついていっているとはいえ、8時前にはサクとも別れるのに、昼ごはん食べるの毎日1時半過ぎになる。ま、昼ごはん食べたら頭働かなくなるからこれでいっか。小川軽舟『俳句と暮らす』を読み始めているんだけど期待以上に面白いです! 

夕方はどんぐり文庫へ。梶田さんに『みちのくまんだら』をお返ししながら、「後半は涙なみだで読みました」と言ったら、「そうでしょう~私もそうだったの!」と。やっぱり! 

お話会は、小2の男の子がなぞなぞの本から2問問題を出し、絵本『とんでいく』、そしてストーリーテリング「イヌとニワトリ」。なぞなぞの問題が読み上げられると、サク、サッとまっすぐに挙手して、指名されると見事に正解。わあ、小学生みたいだ~と思った(小学生です)。絵本『とんでいく』は最初左にページを繰っていくときは、タカのお話。最後まで行くと裏っ返して、右にページを繰っていくのだが、そのときはさっきタカだった絵が「雁の子」になる。頭としっぽを反対に見るという寸法で、すごくよくできていて、Sさんの読み方もとっても上手で、子どもたちが惹きこまれているのがよくわかった。サク、終わってからその本を借りていた。

幼稚園でサクの2コ上だったSちゃんちの双子ちゃん、会った瞬間「テレビ出とったろ!」と言う。事前にお知らせはしてなかったけど、アサデスつけてて「あーーーっ!」てなったらしい。「サクちゃん、ぎょうざ80こ作ったって言いよったね」「お母さん、最後3こアドバイスあったね」とか、記憶が細かい。そして「いいなあー。どうやったらテレビ出れると?」「どうしたら、餃子あんなふうに1つにくっついて上手に焼けると?」「朝から来とったと?テレビ」など質問攻め。4年生だなー、と感心。

夜ごはんは、さばみりん、野菜たっぷり焼きビーフン、味噌汁、トマト。夫は今日も残業で、2人で先に寝よう・・・というとき、サクが「きょうは “鳥バージョン” だよね。ああーたのしみー」とうっとりしている。腕によりをかけて「さくたろうは鳥がだいすき」を即興で語ってやると、キャッキャいって喜んでいた。ふ、かわええのう。夫と会社のあれこれなど、話し込む。
 
●5月某日: 通学路で、サク、泣く。一緒に登校している幼稚園時代からのお友だちが登校に苦戦してて、やっぱり友だちが元気だと自分も楽しく行けるし、反対に友だちが元気がなくておしゃべりもしない、途中で足が止まって泣いちゃう・・・だと、その対応自体はお友だちのお母さんがしてくれるとはいえ、自分も何となく沈んだ気持ちで登校することになるんだよね。今週は、お友だちを待っていて自分も予鈴ギリギリで滑り込んだ日もあったし、友だちを気にかけつつ時間も気になりつつだし。そんなふうな日々が続いてるので「友だちが元気ならそれでいい」というシンプルさだけではすまなくなってる部分があるんだよね。お互いいっぱいいっぱい。これが1年生、これが子どもというものだ。

サクは悲しいとか不安とかいうときも瞬発的にその感情を出すよりは、へーきな顔してためこんじゃうタイプっぽいので、こうやって泣けたのはよかったと思う。その場では何となくガマンできちゃうと、悲しさや怒りを周囲に気づいてもらえないもんね。もちろん、言葉で言えるのが一番いいけど、今のようなちょっと複雑な状況は、6才じゃまだ言語化するのは難しいだろうから、爆発もやむなし。学校が近づくころには何となく持ち直してお友だちともおしゃべりし始めたので、私は通学路から離脱。下校時、割とひどく雨が降っていたので家のそばまで出てみると、朝のお友だちと一緒に元気に帰ってきてた。幼稚園3年間仲良しだったという根っこがあることだし、こんなあれやこれやも彼の良い経験になってると思う。

夜は、近くの美味しい居酒屋へ。魚が特にいい。刺し盛にトビウオに牡蠣にエイヒレ・・・! サクは昨日どんぐり文庫で借りたなぞなぞの本を持参して、なぞなぞ問題だしまくり。
 

『おんな城主直虎』 第29話 「女たちの挽歌」

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ううう・・・しのさんに泣かされ虎松に泣かされ。

てか武田、悪すぎやろ!
ここまで邪悪な山県昌景って大河史上初だよねw 信玄を崇拝していた去年の真田父が人道派に見えてきたじゃないか。この信玄を思って、自刃前のヒラタケ勝頼様は泣いたのかw この信玄だったら叱られるどころかあの世でもう1回殺されるんじゃないの・・・?
そしてTLの武田クラスタが喜んでいる…「ひどい」「でもこれが正しい武田」ってww

もとい。

寿桂尼、ついに力尽く。屋敷中の楽隊の演奏を聞くどころか、親族・お付きの者ひとりにも見送られず、たった一人で逝ってしまわれた。けれど鬼門にさえ葬ってもらえれば、それで死してなお今川を守れるならば、何ひとつ悔やむところはない、そんな女大名だった。・・・という感慨を覚えさせるラストシーン。

森下さんが寿桂尼を書くということで、放送前から期待しかなかったけど、かつてのマドンナ浅丘ルリ子ってそんな怖い役できるのかなとも思ってたところ、名キャラぞろいの寿桂尼さまの大河史に、見事な1ページを刻んでくれましたよね…。
超美しくて超かっこよくて超怖い、そして超いとおしい寿桂尼さまでした。

おそろしい敵であり力強い味方であり、理解者でもあり畏怖の対象でもあり・・・だっけ。直虎にとってはそのすべてだった、と。直虎はこれから、周囲の男たちや女たちにとってどんな存在になるのだろうか。

瀬名さまがあんなに血相変えて差し出した「井伊からの手紙」に対して、結局「虎松の生母を差し出せ」で答える家康という、この夫婦の積み重ね描写も冷え冷えとするもんがあります。家康は別に意地悪でそう言ってるわけじゃない、家康自身、家中をまとめ戦国の東海地方を生き抜くのに必死なんだけど、瀬名さまの心にたまってゆくものには、ずぇっっったい気づいてないよね。

陰気でふてぶてしい松下常慶だが、和田正人を起用してるからして、いつどんなエモーショナルなシーンが出てくるのか楽しみ。でもとりあえず、源ちゃん@「ごち」に会いたくなった。

しのさんが頼まれてもいない仕事をしている・・・それを当然のつとめだと思っている・・・!
「ちっぽけな国衆の分際で大国を動かそうとしたのか、失策にも程があります」などなど、直虎にまくしたてつつも、かつてのヒステリーとはまったく違うドライな貫地谷しほりの演技がすばらしい。そしてあっさり了承。あっさり虎松に伝達。

「虎松を頼む」という直親の願いを、しのは、直親がいない分も自分が始終そばにいて陰に日向に守ってやる、というふうにはとらえていなかったんだね。虎松がやがて治める井伊を守り、盛り立てるためにはどんなことでもする、と。そして跡継ぎの生母たる自分にしかできない役目があるのだとわかっていたし、ただ虎松を守るだけでなく、未来の領主として育てることも、最後までやろうとした。そんな考え方は、「お方様」としての仕事をするうちに強くなったのだろうね。かつて千賀さまも(自分の夫も戦死したのに!)戦死者のお悔やみをしていたように、家中の者は、お家のため、当主の命で働き戦に出て死ぬこともある。それが役目。それぞれがそれぞれの役目をまっとうして家を守っているのだと。

虎松くんの「何も考えつかぬ阿呆なのですか?」に「因果、因果」と笑って逃げる南渓この。まあ、いつか(脚本に)ぶちのめされると思うので放っておきましょう(増田明美@ひよっこ風に)

良い策があれば母は行かずにすむはずだと懸命に考え、あやめを身代わりにするという、子どもらしい利己的な策を思いついて(そしてそれをあやめが了承するのがまた説得力あるキャラ描写だよね、これまでの!)、真正面から直虎に否定されて泣いて帰ってゆく虎松。泣ける。泣き疲れて寝た虎松を穏やかに見守っているしの。泣ける。

でも絶対、ここからさらに泣けるよねと思って覚悟して見てるんだけど、微笑んだしのの「行きたくなってしまったのですが、行ってもいいですか」からの、虎松くんの「嘘だ! 母上は虎松と離れたくないないはずだ! 虎松が一番大事なはずだ!」で涙腺決壊ですよ・・・今書いててもちょっと泣きそう。

「ぼくは母上と離れたくない! だから行かないで!」とは言わないんだよね。「母上は虎松と離れたくないはずだ!」と。もちろん前者の気持ちだってすごく大きいだろう。でも虎松は、自分がどれだけ愛されているか、母がどれだけ自分を大事に思っているか、ちゃんと知っていて、ゆるぎない確信を持っているんだよね。それがすごく泣ける。泣けるの。しのさんは子どもを愛し、守ってきた。虎松はそのことを強く感じていた。

2人を引き離す家康め~! てか元凶の武田~! 30年前、私を歴史の世界にいざなってくれた武田信玄をこんちくしょうと思ったのは初めてかもしれんよ!!!

そして、そこでしのさんが戦国の猛母的に、「何を言っているの。母は井伊のお方さま。我が子よりお家が大事、お家のために行くのです」なーんて言わない。「そのとおりです。虎松は母の宝です」って言うんだよ。「だから大事にしたいのです。母は虎松に力強い味方をたくさん作ってやりたい。嫁げば味方が増えるし、子ができれば兄弟を作ってやれる」 その言葉とまなざしの迷いのなさ、力強さ、嘘偽りのなさ。子どもを産む決心までしている!!!!! 
 
なんかもう、思い出して書いてるだけで、ワーッとなって疲れてきました。相変わらずすごい脚本っすね・・・。なぎの木の苗を見た虎松を泣かせない演出もすばらしい。失礼ながら、中の人が寺田心くんなのに(彼はプロだからさあ!)こんなに可哀想に思うなんて自分でびっくり。「だいじょうぶ、この子は菅田将暉になるんだから・・・」と自分に言い聞かせて耐えてたよw

「求める安堵は井伊谷と気賀のみ、民百姓をひとりも殺さない」
これまでの紆余曲折あっての、この宣言なのだよね、お花畑大河とは一線を画する。
それでも、ひとりも殺さない・失わないってことがどんなに難しいか、私たちは既にこの大河のこれまでで、結構いろいろ見てきておりますよね・・・。