1945年(昭和20年)6月19日、福岡大空襲(再)

lifeismine.me

6月19日は福岡大空襲があった日です。
昨年、【ライフイズマイン】に書いたものをシェアしますね。
当時の被害の状況など、ごく簡単にですがまとめています。

1年生になった息子も平和授業を経験。
帰宅後、開口一番ってぐらいに、
「きょうのどうとく、すげーこわかった!」と。
「ばくだんがおちてきて、おりがこわれたらやばいから、しょうがなく・・・・」と先生が読んでくれた『かわいそうなぞう』の要を得たあらすじを語り、「もう、すげーやばかった!!」と言う。

私は自分が平和授業をものすごく怖がるタイプで、平和授業がある日は「お腹痛い」と訴えるくらいの子だったのだが、息子もやはり強い衝撃を受けたようです。

でも、息子から「福岡大空襲」という言葉や説明は出なかった。
やはり、「人がおおぜい死んだ」「しかもこの近くの人たちが」というのと、「動物園の動物が死んだ」というのでは、子どもにとってだいぶ違うと思うんだよね。
もちろんいずれは戦争の事実を知り、学ばなければならないけど、それは1年生ではなく、もう少し学年が進んでから詳しく教えるということなのかな?今は。

それにしても、思い出すのは、怖がる私に対して母が
「だいじょうぶ。それは昔の話で、そんなことはもう起こらないんだから」と言ったこと。
もうそんなこと(戦争)は起こらない、
と断言できるくらい、日本人は平和を当然のものだと思っていた時代だったのでしょう。昭和60年代。湾岸戦争もオウムも阪神大震災もまだ先の話。
それから30年、今は地震など天災のみならず、原発やテロやミサイルに対する不安を抱えながら私たちは暮らし、子どもを育てている。なぜこんなことに・・・。
やっぱり歴史勉強会が必要だな!と思う私です。

 

卯月の七

●4月某日: 日曜日の今日は、サク、夫と一緒に小学校まで歩いてみる。道はちゃんと覚えているもよう。午後から、幼稚園のクラスのみんなでお花見をしようという呼びかけがあって、私は昼ごはんを適当に済ませてからぼちぼち行こうかなーと思っていたら、小学校から帰って来た夫「すごいいい天気! 外で食べたら絶対気持ちいいぞ」と言う。言って、自分で弁当を作り始めるので、何の否やがありましょうw 

おにぎり・卵焼き・唐揚げ・野菜いろいろポテサラ・苺など詰めて(詰めたのも夫)、意気揚々と公園へ。思い思いに来たり帰ったりだったけど、17人のクラスで12,3家族と会えた。子どもたちは、幼稚園からのお散歩&外遊びコースでもよく来ていたところなので、勝手知ったるといった感じで、弁当もそこそこに切り上げて遊びまくる。サクも早々に長袖を脱いで肌着で走っていた・・・。自然と、お父さんチーム・お母さんチームという感じで集まって、それぞれおしゃべり、そしてビール・チューハイ・焼酎・日本酒・ノンアル・・・たくさんの空き缶空き瓶。夫もちゃっかり、小さい焼酎&水筒にお湯を詰めて持ってきていた。やる気あるなw 

小腹がすくと戻って来る子どもたちにおやつとかあげながら3時間超。途中から日がかげって風が冷たくなったけど、桜は満開だった!(でも写真を取り忘れた)。中途半端に飲み食いし続けたので、夜ごはんは軽めに、けんちんそば。

 

卯月の六

●4月某日: サクと一緒に、小学校まで歩いて行ってみる。割と広い校区の中でも端っこのほうだし、遠い遠いと思いこんでいたが、実際に歩いてみたら思いのほか近かった。じゅうぶん、信号にひっかかりながら行ったのに、20分もかかんない。これはどういうことかというと、そう、幼稚園が遠かったのだw サクも、行ったその足ですぐ帰るという往復でもケロリとしてる。まあ、今日は天候も良かったし、ランドセルという大荷物もなかったけどね。

帰ると、さっそく、「ちず」を作成するサク。チョーさんか(古。from 「たんけんぼくのまち」)。『長くつ下のピッピ』の返却日だと思い出して、夕方、近くの図書館まで歩いて(走って)いく。外に出たときの、子どもの「開放されたーっ!」て感じの反応を見ると、うんうんと思う。

夜ごはん、麻婆豆腐、チャーハン、春菊の白和えときゅうり。夫は新入社員さんの歓迎会。Eテレ2355でやってた「缶を斜めに立てる方法」をやってみる。

f:id:emitemit:20170619201933j:plain

成功! ためにためてどうしよう、って状態になってた「逃げ恥」の4話を見たらめちゃくちゃ面白くて続けて5話を見た。4話に「2355」のパロディーが!
 
●4月某日: 午後の予定を鑑みて、午前中は料理の仕込みに集中すると夫が言うので、それは頑張ってもらわなと、サクを連れてまた小学校まで登校トライアル。雨が、上がったような、小さく小さく降っているような、傘をさすほどではないような・・・という空模様で、結局傘を持たずに出て、割と濡れる。そしてサクが、帰りに公園で濡れているすべり台を思いきし滑る。うん、いいよw うんうんw 

昼ごはんはブロッコリーなどの辛いトマトパスタ。午後、夫とサクはいろいろお出かけ。私、やること捗ったー。もう20日も、基本的に、ずーっとサクと一緒だからね。や、いいんだけど。そんなことも今だけだからいいんだけどさ。こないだ美容室でシャンプーデビューしたサク、今日はヘアカットデビューして、満足げに帰って来た。家具の物色は決め手がなかったみたい。

夜ごはんは、ささみチーズカツ、ビッグサラダ、ニラ玉。ささみチーズカツって、労作だよね。わたし絶対しない(断言)。中にピーマンも入ってた。んまい。ブラタモリの録画(神戸の港)とか、TBSオールスター感謝祭とか、いろいろ見る。ビール、赤ワイン。
 

「女性の翼」ノルウェー研修報告会、と、共謀罪法案成立

(facebook投稿より)

“ままいる”さん主催、福岡県「女性の翼」ノルウェー研修の報告会に向かう電車の中、
ついに共謀罪の法案が成立したことを知りました。
そりゃまあ議席数ってもんがあるんだから
結局は成立してしまうだろうとは思ってたものの、
こんなにもツッコミどころだらけのプロセスを辿るとは・・・。

法相は国会答弁のていを成していない状態。
首相も同様。しかもヤジまで。
官房長官は国連特別報告を受けて国連に抗議すると言い。
最後は、委員会採決という本来の手続きを省略して中間報告で強行採決。
そしてNHKはこの数日、国会中継をやらなかった。
どーなってんだ。
 
こんな方法で成立させた法案が、
瑕疵なく運用されると思えるほど楽観的にはなれない。
 
思えば。
集団的自衛権行使を容認する閣議決定のあとだった2014衆院選。
それでも、与党が勝ちました。
(475議席中、自民291+公明35=326議席)
 
秘密保護法や安保法案の成立のあとだった2016参院選。
ここでも、与党が勝ちました。
(242議席中、自民121+公明25=136議席)
どちらの結果にも暗澹としたものですが・・・。
 
次の衆院選はいつになるかまだわかりませんが、
年内か、来年か。
そこでも、与党が勝つのでしょうか。これでも。
みんな何も思わないんでしょうか。
忘れてしまうんでしょうか。
それとも賛成・支持してるんでしょうか。
 
おそらくは、興味がない人が多いんだろうなと思います。
Twitterを見ていたら、こういう意見を見ました。
 
「話し合いをしたくない」という有権者が多いのだろう、と。
他人と話し合いたくもないし、
問題を解決するための苦労もしたくもないし、
問題のことを視界に入れたくもない。
いっそ支配されたままでいるほうが楽。
その結果、自由を奪われてもいい。
それぐらい、考えたり解決したり話し合ったりするのがしんどい。
我慢することはそれなりに得意。
そんな人たちが、この政権を続かせているのだろうと。
 
あるいは、
マスコミが煽る『与党 vs 野党』の構図。
これが、勝ち組・負け組の格差に敏感にならざるを得ない、世知辛い今の世の中で生きる人々に、
「勝ち馬に乗らなければ」という意識を抱かせる。
「自分が支持している側が勝った」という安心感や快感のために政権を支持する。
 
なるほど、と思う。
6歳の息子。
私と夫(親とかでも)がちょっと議論したり、
ニュースについて意見を交わしたり、
「もっとこうしてほしい」というような要求とかをすると、嫌がる。
ケンカしてるとか、ケンカになりそうだと感じるみたい。
「やめろ!」「そういうこというな!」とか、言う。
 
だから、
「ケンカしてるんじゃないんだよ。
 話し合ってるだけだよ。
 言葉で伝えあわないとわからないんだよ。」
と、教える。
それでも不服そう。
話の内容は、6歳児には難しいものが多いから、
口喧嘩とディスカッション、意見発表とかの区別がつきにくいよね。
ニコニコ笑いながら楽しく過ごす雰囲気こそが「仲良し」の証拠だし、安心だと感じてるんだろう。
まぁ当然の反応だと思う。まだ6才だから。
 
でも、日本の社会って・・・
みんな、そのまま大人になってしまってるのかもしれないと思う。
 
仕事や家事や育児が忙しいから、
時間や心の余裕がないから、
社会のことも政治のことも考えないんじゃない。
いや、それもあるんだけども。
根本的に、考えたくないからだ。
問題を解決する能力なんて自分にはないと思ってるし
そんなことに労力や時間をかけたくないし
議論(対話)のやり方も知らない。したこともない。
議論なんてして、相手に、周囲にどう思われちゃうか怖い。
ニコニコ楽しい話以外で関係性を作っていくことが苦手。
言葉のいらない「以心伝心」がすてきなコミュニケーションとされていて、長年連れ添った夫婦は会話なんてなくても通じるよね、とか・・・。
 
子どもの頃は、勉強や習い事。
大人になったら、職場の業務、あるいは子育て。PTA。
「これをやりなさい」「これがあなたの仕事よ」「これが正解よ」
と言われたこと「以外」のことを、自分で選んで、主体的にやる機会が少ない。
だから、どうやっていいのかわからない。
そうやって、考えない習慣、興味をもたない習慣、言葉にしない習慣がついてる。
 
前段がすごく長くなりましたが、
この50年、さまざまな人々の努力や活動を経て
女性の地位が向上したノルウェーでは、
 
「対立から対話へ」
 
というスローガンが掲げられたとのことでした。
彼らは対立は何も生み出さないという教訓を得て、
対話を推し進めるに至ったのだと。
 
一方で、日本は、
「『対立もなく対話もなく』じゃないでしょうか?」
と言われていて、本当にそうだと思いました。
 
みんな興味を持たないし考えないから、対立すら生まれない。
まして対話もしようがない。やろうとしても、へたくそ。
それが、集団的自衛権や安保法案や秘密保護法、大臣たちの失言etc
いろいろあっても結局与党が勝ってしまう選挙結果に表れているし
 
今回の共謀罪成立のプロセスも、それから加計学園問題の「忖度」しろ、まさにそれなんじゃないでしょうか。
 
相手と対話をするためには、
自分の思い、自分の言葉、自分の存在が大切にされなければならない。
同じように、対話の相手も尊重しなければならない。
 
ノルウェーでは、
「すべての人を生かす」
「格差を生じさせない」
「未来(子ども)に投資」という国家のポリシーのもと、
保育園にも
「あなたはこの世で唯一の存在」
「1人1人を尊重」
「誰がエラいとかじゃない」(正しいニュアンスがわからない…すみません…)
などの掲示があったり、歌を歌ったりする。
平等や民主主義、リーダーの経験(社会性)、自分の思いを言葉で伝える
などを、子どもの頃から身につけられる環境があるそうです。
 
かたや、日本は?
和を乱さないこと、迷惑をかけないこと、均質であることが
今もって良しとされている・・・
 
今日は報告会で希望を感じたけれど
翻って日本の現状を見ると「うーん」となる複雑な日でした。
希望のほうが大きくなるように、していきたいですね。
報告会はとても密度が濃くて、充実していて、
みなさんの発表もとてもすばらしくて、楽しかったです。
取り急ぎの感想でした。
・・・・て、取り急ぎでどんだけ書くんじゃーい
 
あすばるの松田館長のスカート(ワンピースだったかな)が超かわいい♡
 

f:id:emitemit:20170617132935j:plain

 

facebookでは意外なほどいろんなコメントをいただけて、よかった。
 

『みちのく民話まんだら ~民話の中の女たち』 小野和子

f:id:emitemit:20170616102050j:plain

 
どんぐり文庫の梶田さんからおすすめいただいて読んだ本。聞いたことのない筆者に出版社、【みちのく】東北地方の民話(ここは福岡)。梶田さん、さすがニッチなところまでよくご存じだなあ、と思って軽く読み始めたら・・・最後はもう号泣ですよ。

民話は、お国言葉で1フレーズを1行に書いてあり、下の方は余白が多い。それが、土地のお年寄りにゆっくりと語ってもらっているような感覚を呼び起こす。それぞれのお話のあとには筆者の「あとがたり」が付されているのだけれど、これがすばらしい。お話についての解説や考察、採話したとき(収録されているお話は、筆者が東北を歩いてまわり「民話を知りませんか」と語ってもらったもの)のエピソードなどが書かれているのだけれど、平易であたたかみのある筆致で、さまざまな視点から実に深みのある内容がつづられていて、胸を打つ。

収録されたお話の中でいちばん好きなのは、『眠かけおそよ』。
 
村一番のべっぴんさんを見込まれて嫁ぐ“おそよ”だが、おてんとさまが沈むとちょっとも起きていられない。そうなると旦那はもちろん物足りないし、何より当時の農家では陽が沈んでからも縄をなったりと夜なべ仕事をしなければ食べられないのだ。旦那と実家のお母さんで、夜なべ仕事のかたわらおそよを眠らせないように見張るが効果はなく、おそよに気をとられた旦那は草鞋編みを大失敗、お母さんは大事な麻を燃やしてしまう。旦那さんは「やめだやめだ、おそよを気にしながらの夜なべ仕事は効率悪ぃ」と、おてんとさまがあるうちに真っ黒になって一生懸命働き、夜は夫婦してとっとと寝るようになった。すると、仕事は捗り、夫婦仲はうまくいき、赤ちゃんにも恵まれて、2人はいつまでも仲良く暮らした・・・。というお話。“これで よんつこもんつこ さけた”
 
朝餉の支度の前に草刈りをして、一日野良仕事をして夜は夜で夜なべ仕事、赤ん坊の世話も・・・。くたくたになっても「夫(や舅姑)より先に寝ない、早く起きる」が当たり前だった農家のお嫁さん。それで体を壊した人もたくさんいる。「嫁とはそういうものだ」という思い込みをひらりと飛び越えて、周りの者まで自分の眠りの中に誘い込むおそよは、旧来の倫理観をひっくり返して、みんなの夢を叶える存在だった、とある。
そういう背景でこういうお話が生まれ、好まれて語り継がれてきたのだなあ、とよくわかる。
 
『食わず女房』は、よく働くけど人一倍食べもするお嫁さんを折檻して食べ物を減らし、ついには死なせてしまった姑と息子が、今度は「よく働くけど食わない」女房をもらう。嫁の仕事のおかげで家は大いに富むも、ある日、嫁(実はバケモノ)が結い髪をほどいて頭の中の口でおそろしい量のごはんをかきこんでいるのを見てしまい、「見だなぁー」と振り向いた嫁は消えて、家屋敷も土蔵も消えてまた貧乏に戻ってしまう・・・という話。
 
身を削るほどに働いて、それでも家は貧しいし、夫や姑の目も気になるしで、あまり食べられなかった女たちがこの話の背景にある。語り手はこの話のあと、「ほだから、飯食わねぇで稼ぐなんてものは人でねぇ。人っつものは食わなくては稼がれねぇのさ」という言葉を洩らしたという。
 
最後のお話『猿の嫁ご』では、それまでのお話の蓄積で胸がいっぱいだったのもあって、「あとがたり」で涙が止まらず。家が貧しいために、田んぼに水を引いてくれた猿の嫁にいくことになってしまった三女が、知恵を働かせて猿をだまし、川に落として実家に戻ってくる話。
 
筆者が「なんだか猿がかわいそうね」と感想をいうと、語り手のおばあさんは「なんのかわいそうなことがあるかい」とふしぎそうに言う。いわく、自分も十六で見も知らない相手に嫁ぎ1日中働きづめ、料理も掃除も「やり方が違う」と姑に怒られて実家で身につけたものは全部捨てた。耐えかねて何度も泣きながら実家に帰ろうと山道を行くが途中で足が止まる。自分が戻ればお母っつぁんが泣く、弟妹の縁談にも差し支えると思うと・・・。“嫁ぎ先で好き放題を言い、猿の夫を川に突き落としてとっとと家に帰る娘”の姿は、現実には決して叶えられない夢の実現だったのだろう、と筆者は書く。
 
満足に食べられない、労働がきつい、行き来や電信が困難・・・そういう「民衆の苦労を吸い上げて咲く花が民話」と筆者は書くけれど、あまりにも生活の環境が変わってしまった現代においては共感が難しくなっており、共感ができなければお話自体が淘汰されていくという状況は、きっと民話や昔話の世界では皆さんが憂えているところだろうと思う。実際、自分が子どもだった30年前よりも、今の園児たちは昔話への理解が困難になっているのを感じたりもする。
 
でも、本書でさまざまな種類の民話を読むと、人間の真理や哀歓は普遍で、それらを短い語りの中に結晶化して伝える「お話の力」を強く感じた。実際に私はこんなに面白く、時に感無量に読んだのだし。昔話が、子ども時代に接するお話なら、民話は大人になってから・・・それも、人生の悲喜こもごもを経験した年代になってから読むのがいいのかもしれない。
 
おならが大活躍するような、大らかな下ネタの話もある(『お伊勢参り』)。
嫁をバラバラに切り裂いて殺すバケモノの正体が最後まで明かされない、ぞっとするような話もある(『戸ぉ あけろー』。筆者はその根源は、女の心の中にある嫉妬心ではないかと推察している)。
嫁姑の確執から、第三者のなにげない声かけを経て思わぬ和解に至る話もある(『毒殺、毒消し』。
ユーモラスだったりバッドエンドだったり、色彩はいろいろだけれど、長く生きれば決して逃れられない、己で向き合わねばならない老いをテーマにした話もある(『姥捨山』『山姥の万年機』)。
 
意地悪な継母にいじめられる継娘と、継娘を庇って立ち向かう実の娘という母子3人の話『お月お星』には、精神科医河合隼雄の「母性の二面性」という言を引きながら、筆者は「母なるものの光と影」そして「父なる者の不在」を見る。
農民(常民)よりも下に置かれ差別を受けた境遇を「一人暮らしの鉄砲撃ち」の藤吉とその妻で語る『藤吉谷地』や、筆者が生まれた飛騨の山里で実際にあった出来事として聞いた太平洋戦争を背景にもつ『琴の稽古』など、本書ではさまざまなバリエーションの話を収録している。
 
 民話は単に「むかしむかし」を語ることではなく、語り部という特別な人によってだけ語られるものでもなく、あなたも、わたしも、また語り手なのだということです。わたしたちがよく知っている「むかしむかし」の話だって、みんな、それが生まれた時代には「現代の民話」として生まれ、人々の共感とともに語り伝えられて、現在に至っているのではないかということです。
 いまこうして生きているあなたやわたしの暮らしがそこにある限り、今日も明日も、湧くように生まれつづける、それが命ある民話の姿なのだということを覚えておきたいのです。
 

卯月の五 / 『足元の小宇宙2』

●4月某日: サク、ゆうべから少し胃腸の様子が思わしくないようだ。少し元気がない。時々あるんだよね。体質というか。まあ、今日は雨だし、のんびりしよう。昼前に母が来た。餃子の皮でピザ作ろうと思ってたんだけど、サクが食べられそうにないというので、結局近所の美味しいパン屋さんで調達。それも、小さいメロンパンすら完食できなかったんだけど、母と遊んでたら調子が出てきたようで、結局は「落ち着いて」「声が大きい」と何度も注意したよねw 小松菜のプランターや、1人で作ったナノブロックや、ラQなど、いろいろと「最近の流行り」をおばあちゃんに見せて説明する中に、幼稚園の修了証書も。書いてある文字(漢字)は読めなくても、やっぱり誇らしく思ってるんだなあと思った。ひよっこのOPやEテレでやった春の特番『JAPANGLE』も見せていたw 夕方はどんぐり文庫へ。
 


 
夜ごはんは焼きそばと味噌汁と春菊の白和え。Nスペで「足元の小宇宙」数年前に放送して好評だった、絵本作家甲斐信枝さんへの再びの密着、ということらしい。
 



イベントのお知らせ 『私の あなたの 眠れる力を社会へ』

※ちょっと、しばらく、この投稿を一番上におきますね。

以下、facebook投稿をコピペで…

(facebookやってるっていうとリア充みたいですが、ブログにtwitterそのうえfacebookまでやってるって、完全にネット廃ですねぇ、はい)。

 

f:id:emitemit:20170601181220j:plain

 

【再び登壇しまっする】

6月のワークライフバランスプレゼン勉強会は、特別企画!

テーマは「私の あなたの 眠れる力を社会へ」

専業主婦や、フルタイムでバリバリ働いてるわけじゃない女性たち。
ええ、私も、その1人です。

それは自分で選んだ生き方だけど、なんだか時々モヤモヤする・・・
子どもはかわいいし、子育てを楽しみたい
やりたい仕事がハッキリとあるわけでもないけど
ずっとこのままでいいのかなと思う・・・

そんな気持ちになることないですか?
(“クイズ100人に聞きました” ばりの、「あるあるー!」の怒号を期待(古) )

●社会参加ってなんでしょう?
●家事育児など、主婦の仕事の価値とは?
●夫婦間、対等ですか?
●稼ぐ=エラいのか? 
 …でも確かにお金って必要だよね・・・

そんなこんなを、4人の登壇者をはじめ、
皆さんともお話しながら共有できたらと思います。
登壇者の1人がわたくしです!
10分くらい、プレゼンもするよ。

日曜日の午前中というみなさんそれぞれ貴重なお時間ですが
こちらも貴重な会になりそう!
今回は40席以上ありますので、どしどしご参加くださいませ。

私たちと同じような境遇の方だけではなく
企業で働いている女性や
専業(パート)主婦を配偶者に持つ男性などもぜひぜひ。
いろんな方に来ていただければ、お話もより広がりますからね!

まだ少し先の日程ですが、ぼちぼちご検討いただき、
参加してみようかなという方は、コメント欄やメッセージ、LINEなどでお知らせくださるとうれしいです(^^)
(お子様連れの方は、その旨も書き添えてくださると助かります)

 

ブログを見てくださってる方でこのあたりが行動範囲の方いらしたら、どうぞどうぞご検討ください。日曜日の午前中ですけども。おめにかかれたらうれしいです!

 

卯月の四 / 油山 / 気のいいやつ

●4月某日: 4週間ぶりのお弁当作りは、自分のとサクの、2つ。おにぎり、ハンバーグ、たまごやき、さつまいも、きんぴらごぼう、ブロッコリー、ミニトマト。

おしぼりや敷物と一緒にリュックサックに入れて、今日はどんぐり文庫で油山散歩。山の駐車場まではK田さんの車に乗せていってもらう。仲良しのNくんもいっしょに連れていく。車中、K田さんの、子どもたちの話の救い方、受け止め方のうまさよ! 山の桜は公式発表では「4分咲き」とのことだけど、やはり個体差があって、ときおり、何本かの連なりが見事なピンクのカーテンになっている箇所もあり、そのたびに後部座席の子どもたちも歓声をあげていた。

大人、子ども、合わせて20人くらいのツアー。はじめに、木の太い幹や切り株が椅子になった小さな広場で、なぞなぞ遊びや絵本の読み聞かせ。今日はうららかな春の日和で、風にそよぐ木の葉の音や、鳥のさえずりを聞きながら、エッツの絵本をみんなで見る幸福感!

f:id:emitemit:20170614173226j:plain f:id:emitemit:20170614173146j:plain

 
その後、自然観察センターの山歩きツアーへ。虫が大好きなさんちゃんと、鳥が大好きなマッキー、2人が案内してくれる。ヘビ草や、いろんなすみれ、椎茸などを見たり、蛙の声を聞いたりしながら歩く。マッキーは、鳥がちょっと鳴いただけで「これは、○○」と名前がわかる、サクにとっては神様のような存在であるw 道中、偶然、ヤマガラというかわいい鳥を間近で見られて、「今日はラッキーですよ」と。最後はおたまじゃくしの池。上は10才くらいから、下はよちよち歩き&抱っこの小さい子まで、多年齢のツアーだったので、サクにはそうハードなツアーではなかったけど、十分楽しんでいた。山歩き、気持ちいい。

くすの広場でお弁当を食べた後は、子どもたち、みんなで遊ぶ遊ぶ。鬼ごっこに始まり、かくれんぼ、あぶくたった煮え立った、ハンカチ落とし、だるまさんがころんだ・・・。最初の鬼ごっこにうっかり(?)入ってしまったので、その後も、

私「私もやるの?」
子どもたち「もちろん!」

と、ガチで参加することに・・・。や、楽しかったですよ。帰宅は4時ごろ。よく遊んだ1日。夜ごはんは、餃子、ハンバーグ、味噌汁、五目豆。なんと餃子の表面が黒焦げちゃんに。
 
●4月某日: ここ数日、睡眠不足ぎみな中でアクティブに過ごしたしわよせが、一気にやってきた感じ。ゆうべも早く寝たのに、眠いのなんのって。うんうんツケを払えばいいんだね、ってことでゴロゴロする。といってもサクがいるので、買い物がてら、近所をぶらぶらまわって桜の開花チェック。緑地の大木がこの数日でほぼ満開になっていて、歓声を上げる。

昼はシェフ・サクにホットケーキを作ってもらう。ひっくり返そうとフライ返しをつっこんでみたらまだまだで、フライ返しには生地がべったり、丸い形も崩れてしまった。「あーあ、落ち着いて待って、そーっとやらないからだよ」と私が苦言を呈するのを悔しそうに聞いていたサク、もう1分待っても生地の様子が変わらないのを見て「おいおい、これ、火がついてねーんじゃないのか?」 はっ! 火の世話だけは私の仕事だったのだが、ええ、付け忘れてましたねw 「かーちゃんのしっぱいだったな!」とサク。責めたてず、爆笑するところが気のいいやつだと思う。

夜ごはんは、小アジの南蛮漬け(夫が日曜日に仕込んでいたもの)、たいのアラ煮(義父からもらったもの)というW主役。春菊の白和え。子ども用にチキンライスを作ったのだが、この材料もサクに切ってもらった。
 

『おんな城主直虎』 第23話 「盗賊は二度仏を盗む」

f:id:emitemit:20170109220807j:plain

 

近藤をわかりやすい敵に団結し、すっきりほっこりするようで、どこか今後への不穏の芽も孕んでいるような回でしたね。

・・・・・と、それらしくまとめてみましたが、正直ムハムハです! 高橋一生と柳楽優弥を同時に鑑賞できる悦びよ!! あ、“よろこび”の字が思わず愉悦とか悦楽とかのやつに・・・

ということで、まずは但馬。そこへなおれ。

おま、時代劇における「おかしな咳」は重大な死亡フラグであると知らんわけじゃなかろうな? ハリウッド系や海猿とかの「この戦いから帰ってきたら結婚しよう」と同じ扱いよ?おかしな咳は。それを、近藤どころか視聴者をも出し抜く小芝居として使いやがってぇぇぇ! しかも小芝居が妙にうまい!! 中の人が高橋一生だから当然だけどぉぉぉ!
って感じでやられましたね、はい。

これさ、前回のラスト、直虎と龍雲丸の心が通い合う様子を見て席を立ち、スゴスゴと自宅にとって返したあげく「くだらないぞ、但馬」って自嘲してた但馬くんが、その直後の流れで、小芝居まで見せる機転で龍雲丸たちを逃がしたのだと思うとムハッときますよね。

「殿が大騒ぎするから」という理由は当たらずとも遠からずで、ようは政次は直虎が泣く顔を見たくないと反射的に思ったんだよねきっと。龍雲党と相通じるまでにあんなに頑張ってたおとわを悲しませたくないと。龍雲丸なんて但馬にとっちゃいろんな意味で危険人物なのに、それでもおとわが龍を求めるなら引き渡せないと思ったんだよね。

直虎に「致すな」と言った。「井伊のために奴らを使うのはいいけど奴らのために井伊を使うな」と。直虎のストッパーたる家老としてド正論だけど、もう既に政次自身が井伊のためというより直虎のために奴らを保護するという、裏腹の所業に手を出しているw

政次よう、けっこう危ないんじゃないのかい? 確かに龍雲党が家来になったら井伊の防御力は上がったけど、近藤とのしこりは後々まで残ることになってたよね。

でも、あの直虎と政次の対峙の場面、よかった。直虎がとても静かで、政次をまっすぐに見つめていっさい目をそらさない。「この件については政次に従う」という澄み切った言葉は、「政次を信じている」というのと同義でね。反対に、内心の動揺がいろいろとある但馬は頭も目も動いてね。

あとで龍雲党を待ちながら「われはいつでも平常心」という場面があったけど、その前に華やかな打掛を試着しながらウッキウキしてたとおり、直虎は龍雲丸に対しては全然、平常心じゃいられないんだよね。寺からの帰り道、とつぜん現れた龍雲丸が「お役目は続ける。俺たちを信じてくれた直虎に報いるために」的なことを言うのを見つめる直虎の、瞳を見開いた表情の可憐さ! そのあとの涙目と笑顔のかわいらしかったこと! 反対に政次に対しては、とても平らか。なんだかんだいって、直虎は芯のところでは、政次を信じ、あてにもしてるんだよね。

さて龍雲丸。



「断りまさあ」といい、「空に雲があったからでさあ」といい、柳楽くんの、ここぞっていうセリフ回しや表情が本当に好きです!!!!! 奉公を持ちかけられた時の「また酔ってんじゃないの~?」のマイムもよかったね!!!!(わたしはどこまでも目移りする視聴者よ!!!!)

奉公をやめた理由については、いろいろ想像はできるけれど、今のところ確定はできないような文脈で描いていたと思う。ただ、「党のメンバーが理由ではない」「党のメンバーにも誰にも言わずギリギリで決めて、誰にも言わずあの場に臨んだ」ってことは確定してる。龍雲党が、龍雲丸がリーダーとはいえ強権的な組織ではないことも描かれてる。それなのに一人で決めて、その心はメンバーにもわからない。うーん、いいねえ! 盛り上がるねえ!! その心が覗きたいぞ!!!

あの「龍の雲」を見上げた表情は暗いものではなかったからね。トラウマや怨恨が響いての翻意じゃなかったと思うんだよね。

私が思うには、龍の雲は龍雲丸にとって吉兆というか「自由な龍であれ、思うままに生きよ」と自分を鼓舞する道しるべみたいなものじゃないかと。井伊で伐採の仕事を請けることはチャレンジだったけど、「かこわれる」となるとそうじゃなくなる。ってことかなあ。

「仲間になる」って、井伊の「家中」というお家システムに加わる方法しかないわけじゃないんだよね。ってことかな。そんな龍の判断に対して、政次がプッと吹きだしたのがなにげにとてもよかった。彼には珍しく、曇りもなく、正直な反応だった。井伊だの今川だの幼なじみだのにがんじがらめで生きてる政次。人を食ったようなこと言って自由に生きてける龍雲丸を、つかのま素直に羨ましく、好もしく思ったんじゃないかなあ。

義兄を思うなつさんの瞳、思いが募っている様子がありありと。山口紗弥加さすがにうまいよなあ! この2人、このまま清く美しい義理の兄妹関係でいくのかなあ?と思わせといて、ここまでプラトニック期間が長くなれば積もり積もっていくものも大きいから、いつかどかんとくるぞ、そうとうエモい場面になるんじゃねーの???ってニヤニヤする私がいますw

お寺の場面、古い説話集のエピソードみたいで面白い。あたりまえだけど小林薫うまいし。読経もっと聞きたかった~。そして龍雲党を家臣に加えたい之の字、弓をそろえてやりますかな之の字、おめかし正装之の字、どれをとっても今日もかわええな!!! でも、単純なだけじゃなくて、之の字は強い家臣団への思いがことさら強いんだよね。なんたって井伊の当主は直虎で、戦となったときの怖さを語ってたもんね。
 
 

卯月の三 / オリンピック大河の主演発表!

●4月某日: 今日はとりあえず、学校で必要な文具類を買いに行こうとは思ってたんだけど、そのほかどうするか迷っててね。「ねー、きょう、どこいくとー?どこもいかんとー? きめろ! はやくきめろ!」と傍らでサクがうるさい。

結局、昨日に引き続き、福岡城址に行くことに。今日は途中まで(乗り換えなしで行けるところまで)バスで行き、そこからひたすら歩く。城内も、歩く歩く歩く。サクがスタンプラリーに執念を燃やしたこともあり、めっちゃ歩いた。昨日よりずいぶん暖かかったせいか、1日でだいぶ開花が進んでた気もしたし(気のせい?)平日だけど人はとても多い。「福岡城さくら祭り」は本来この日までだったけど、今年は開花が遅れているため、会期が延期されるそうだw 

祭りのグルメ屋台で焼きそばと唐揚げを食べる。すっごく歩いたし日差しは強いし、エールズが地ビールの屋台出してたしで、ビール飲んだら美味しいだろうなーって我慢するエラい私(とわざわざ書き添えておく)。帰りもまたバス停までてくてくてくてくてくてく歩き、降りて文具店まで歩き、油粘土1kgなども含めて買い込んだ荷物をもって、またてくてくてくてく歩いてスーパーで買い物して、荷物を増やして、帰る。すげー歩いたぞ。てか、サクもよく歩けるな・・・。

2019年、オリンピック大河の主演発表!!
 







 
なるほどー、むしろ勘九郎と同世代からくる可能性もあるわけね。じゃ、野村萬斎はどうよ(同世代じゃないだろ!)