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『おんな城主直虎』 第10話 「走れ竜宮小僧」

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川名のご隠居様より先に奥山のタガが外れるとは! しかし何という井伊らしさ! …と思ってたら、パタンパタンとすべてがいい方に転がっていったまさかの前半。

直親が終始冷静で、一度も政次を疑ったり、この機に乗じて排そうとしなかったところにぐっときた。しのが直訴に来る前(竜宮小僧さまの働きの前)に、既に状況を見抜き、できるだけ穏便にことをおさめようとしていた名探偵直親。ね? ただの脳筋でもサイコパスでもないってことよ。

(なつさんに涙目で感謝する政次と恐縮するなつさんを見てると・・・この2人、やっぱり弟亡きあと、一緒になるフラグなんじゃないか、昔はそういうこと珍しくなかっただろうしな・・・という目で見てしまう私はなんかヨコシマなんでしょうか。)

しのの「あんな父でも、父は父」のシーンが印象的だった。激情家のしのが身も世もなく泣き崩れる姿が、赤ちゃんを待っているときはめんどくささでしかなかったけど、今、直親の心にお湯をかけて溶かしていったのだ。奥山の骸を見てすぐに冷静な現場検証ができたのは、逃亡生活の9年間でいろんな修羅場を経験してきた証だろうし、それらのとき、いつも父の首との対面が頭に浮かんでも、「いったん、心の外において」きたんだろうなと思う。そうしないと生きられなかった。




鶴も亀も、直満の死で心が凍って、おとわの道も変わって、3人とも無邪気な子供ではいられなくなった。井伊の当主・直盛も死に、その生まれ変わりのように虎松が生まれて、おとわたちが子を育て守る世代になった今、3人の心が通う。3人とも「井伊のために」ことを強く考えている。でも、父が死んだのは悲しいし、幼なじみは信じたいし守りたい、本当はずっとつらかったよね。そういう「受容」が大人になるってことなんだろうなーと思った。一報を聞いた次郎は、無事に「生まれましたか」じゃなくて「父となられましたか」と言ったよね。実際に父になったのは直親だけだけど、次郎も政次も、「親の世代になった」ことの象徴かなと思う。

直親が恩を売るのではなくて、「検地のときの借りは返した」と言うのが、またね~。あのときの自分は失敗だったと、政次を傷つけていたんだとずっと認識してたとこがね。直親は脳筋でもサイコパスでもないってことですよ(再)。しかし!!



妻との仲がうまくいっていて、かわいい子どもを授かって、そういう余裕がある状態での、跪き&「井伊の姫」呼ばわりに、くーーーーーーっ、この天然!!!という感じがした。分娩時に弓をべんべんやってるのは、源氏物語平家物語でよく見る描写で、ゆかしかったですね。



授けられた「虎」の字の強さ高貴さを口々に嘉される赤ちゃんだけど、この場に共にいられない墨染の次郎が、「虎」の字を名乗るのだよねえ・・・と、こういうとこもほんとうに行き届いた脚本ですこと。

で、井伊がえらくうまく落ち着いたなと思ったら今川方面がやばいと。






直親と政次が碁を打つ(将棋だったっけ?)場面があって、政次は「明日にも今川館が焼けるかも」という次郎の言い草こそバッチリ再現できてましたけども、鶴と亀が2人がかりでも、松平元康の「ひとりで無限のバリエーション碁打ち」には叶わないんだろうなーと思いました。


 

 

3/5 毎日新聞 教員遺族、語り継ぐ ~ 大川小「無念と責任」胸に

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当時、つらすぎて、あまり見れませんでした。
児童74人と教職員10人が津波にのまれた、石巻の大川小学校のこと。

「なぜ大川小だけ犠牲者が多いのか」
我が子を失った遺族の多くは真相究明を求め、損害賠償訴訟にもなりました。...
昨年10月の判決時には、遺族の男性が「勝訴」「学校・先生を断罪」という横断幕を掲げたといいます。

でも。
子どもたちを救えなかった、そんな大川小の先生にも子どもがいたのです。
考えてみれば当たり前のことだけど…。
3月5日の新聞に載っていました。

当時中学3年生だった奏太さんは、卒業式を翌日に控えた教室で被災。
高台にあった学校で、停電の中、親の迎えを待っていました。
友だちが1人、また1人と帰っていく中、心細さに耐えながら夜を明かし、町職員の母と会えたのは16日の夕方。
大川小の教員である父も、どこかに逃げていると信じていました。
けれど、泥の中から児童の遺体が相次いで発見されていきます。

彼は遠い高校に編入。被災した同級生が少ないため、
父のことを話すと周囲は気を使うだろうと口に出せず、
本当のことをわかってもらえないつらさにふさぎ込みがちになりました。
夏休みにNPO法人の研修に参加したり、
復興支援で関東などから来た大学生の学習ボランティアと話したりすることで、少しずつ心が軽くなり、教育大への進学を決めます。

同じ大川小の遺族でも、「児童の遺族」と「教員の遺族」には壁がある。

大学生になると震災を語り継ぐボランティア活動を始めましたが、
「教員の遺族である自分が語っていいのか。児童のご遺族はどう思うだろう」
という不安があったと言います。

昨年5月、奏太さんは、亡くなった児童の父・佐藤さんとfacebookで「友だち」になり、9月に初めて対面。
佐藤さんは「最初は先生たちのことを恨んだけれど、いろいろとわかり始めて、先生たちも同じ被害者だと思えるようになった」そうです。

12月、2人は教員をめざす大学生を大川小の被災校舎に案内しました。
「父もきっと無念だったと思うし、その瞬間を考えたら苦しいですが、子どもたちの小さな命が失われた事実とつらくても向き合わないといけないと思い、ここまで来ました」

記事を読んでいて涙が止まりませんでした。
たくさんの命が失われたことはもちろん悲しいし、
学校で子どもを亡くした親御さんの気持ちを考えると胸が張り裂けそうになる。

そして、お父さんが津波で亡くなったのに
「悲しみを表現していいのか」
「自分が震災を語っていいのだろうか」
と思い続けて高校・大学時代を過ごしてきた子がいるという衝撃。

自分は何ひとつ悪いわけじゃないのに、「つらくても向き合わなければいけない」なんて…。

この奏太さんだけでなく、亡くなった先生たちの家族はたくさんいる。
もちろん、大川小だけじゃなく、私たちが知らない、想像できない苦しみは数多くあるのでしょう。

被災を免れた私たちには、どうしても、だんだん遠い記憶になっていく。
そんな6年間も、ずっと苦しみを抱え、葛藤し続けている人たちもいるのですよね。
特に、子どもたちが苦しんでいることを思うと・・・。
福島から避難してきた子がいじめられる、なんてニュース、つい最近もあったよね。

毎年この時期になると震災関連の番組等が増えることに対して、批判や不快感を示す人もいるそうで、確かに安易なお涙頂戴番組は良くないと思いますが・・・
テレビも見ない、新聞も読まないということも珍しくない今の時代、
3月11日も、自分の慌ただしい日常に追われて、何の感慨を抱くこともなく過ぎていく人も多いんじゃないかと思ったりもします。

ちなみに今日3月10日は、10万人以上が亡くなったといわれる東京大空襲の日です。

 

facebook投稿より転載)

 

睦月の五

●1月某日: 朝ごはんを食べたり(夫がサーブするのです)テレビを見たりする合間、7:30、8:00とサクが定期的に「おきろー!」と起こしにやって来る。ゆうべ遅くまで飲み食いしていたのでまったく体が重く感じる、そして物理的に重い…。これはいかん、と思ってランニング、軽く5キロ。ついでに、両親にあげるお酒も仕入れる。

待ち合わせてお寿司。好きなの頼んでいいよ、と言っておしゃべりとか自分の食べるのに熱中してハイハイと好きなの頼ませてて、あとで気づいたらサク、サーモンとブリしか食べてなかった。ま、いっか。たまには。コーヒーも美味しかった。またお年玉をもらって超金持ちなサク。5桁でも所持金を把握できるようになっているので、今年はお年玉を預からない(預金せず本人に管理させる)ことにしてみようかなと。

今日の夜ごはんは鍋なのだが、夫が明日の仕込みをしている。コロッケの具を炒めるのをサクも手伝っている。サクは昨日見た篠山紀信の「BODY」写真がまだ熱いらしい。

「なんで、そとで ふくぬいで はだかになって しゃしんとるんだろう?」
「なんで、しりとか ちんこのけが みえそうなしゃしん、かざるんだろう?」

と至極まっとうな問いを口にしていた。「なんでだろね。でも素敵やったやん?」「はー?!」 うん、その答えは自分で見つけていってくれ…。

七草がゆの日。似て非なる鍋という食べ物。湯平で買った椎茸と、義実家の畑からもらったほうれん草と春菊がめっちゃうまい。そのほか、夫特製のつくね(つなぎがレンコン)もたっぷりでした。サクが寝てからも1時近くまでだらだら喋りつつテレビ見つつ飲む。

 

●1月某日: 私も夫も人生で初めてのことだが、プロのクリーニング業者さんを招聘。キッチンと浴室を徹底的に掃除してもらうことに。なので年末の大掃除は手抜きだったのだよーん。朝にいただいた電話で、夫の聞き違い(?)で1時じゃなく11時開始と判明。焦って、該当場所の備品等を撤去したりと、いろいろ準備。

3時間はかかるとの話なので、立ち合いは夫にまかせて(彼はこういうとき自分で立ち合いたいというタイプ)私はサクを連れて外遊wしようとしたら、サクが興味津々で掃除の様子を見つめているので出るのが遅くなり、2人してバスの中でお腹をグーグーいわせた。モスバーガーでお昼をすませ、ブックスキューブリックへ。このとき(神無月の十・立花山へ)箱崎店で予約していた波佐見焼の長皿を引き取るのが目的だけど、その前に2人してさんざん立ち読み。

お年玉を持ってきていたサクは、さんざん立ち読みはしたものの「ここ、ちょっとちがう。」と欲しいものはなかった様子なので、薬院大通りの子どもの本屋、「ちえの木の実」へ。そこまで歩いて向かったのは、途中、六つ角のパン屋で夫へのおみやげを買おうと思ったからなのだが今日は店休日だった…。で、ちえの木の実でもさんざん物色。サクが選んだのは「ハヤブサの四季」だった。夫には、結局、家から割と近いお店で美味しいシュークリームを買って帰った。

夜ごはんは、里芋のコロッケ、ベーコンとほうれん草のパスタ、きびなご素揚げ、サラダ。夫よ、われわれは食べ過ぎではないですか!? 食べたけど。おいしかったー。

 

2/24 西日本新聞 同志社大教授 浜矩子『安倍・トランプ会談 同じ穴の貉の同床異夢』

睦月の四 / 篠山紀信展(ライフイズマイン) / ファミリーヒストリー北野武

●1月某日: サクと天神へ。夫にオフ用のかわいい靴下を何足か買い、かわいいティースプーンと、かわいい夫婦茶碗、そしてかわいい布巾を買って満足(形容詞の語彙が死んでいますが失礼)。

昼はサクの要望により、マック。というか、今日はサクがお年玉を使うのがメインの天神行きなのだった。いろいろ迷ったあげく彼が勝ったのは、ぐでたまのトランプ。1枚1枚に「かえりたい…」とか「ぐでーん」とかやる気のない絵と言葉がついているという、新年さいしょの買い物にしてはあまりにテンション低いやつだが本人はテンション高く1枚1枚に爆笑していたのでまあいいだろう。あと、日ごろはやらせてもらえないガチャガチャをやってうれしそうだった。プラレールのやつを2回やってた。夜ごはんは、豚バラと大根のこっくり煮。味噌汁。がめ煮を少し。ミニトマト

●1月某日: 今日もとりあえず天神を目指す。ホームに着くとまず時刻表のところに走って行ってダイヤをチェックするサク。すると「さくたろーう!」と聞き覚えのある声が。果たして、反対側のホームにクラスの友だちとママがいた。「どこ行くと?」と聞くと「どこもいかん」と言う。電車を見学に来ていたらしい。ホームのあっちとこっちでいろいろ会話し、私たちは乗車してバイバイを言う。

天神からバスに乗ってリバレイン。篠山紀信の写真展、「写真力 THE PEOPLE」を見に来たのだ。時代とスターとスペクタクル! すばらしかった。出口まで来て「再入場できないけど、もういい?」と尋ねると、サク「もういっかいみる、はじめから。はだかのとこ、すごかったやん?」だってw そう、『BODY』と題されたヌードのコーナーがあったのです。

というわけでもう一周したあと、お腹すいたと騒ぐサク。ラーメンでも食べるかね、と川端商店街をぶらぶらしていたら結局キャナルシティまで来てしまい、ラーメンスタジアムに落ち着く。無印でいくつか小さな買い物をし、なぜか無印の中で充実している子どもの絵本コーナーの座り心地良いイスに並んで tupera tuperaの絵本を2冊読んで、さあ帰ろうと外に出たらそこは川沿いの清流公園。

「こ、ここは・・・とりのおうこく じゃないか!」とサク。あちこち移動しながらカモの仲間たちやアオサギ、アジサシなど観察。木の上からは何かのヒナのような声も盛んにする。そのまま天神まで歩いてしまった。私は帰宅後、休憩モードに入ったけど、息子はまた近所の川を見に行く(鳥を)。6歳児の脚力すげー。

夜は割と近所の焼き鳥屋へ、夫と待ち合わせ。昼間の出来事をお父さんに報告するサク、「しり、しりが、われとって、まるみえやったと!」とヌード写真について克明に語る。「わ、わかった、詳しくは家で」と言うと、家に帰ったあと図示までして語っていた。「そとの、くさのうえにすわって、おっぱいもしりもまるみえ!」←宮沢りえサンタフェの写真の説明ですw ところで焼き鳥はとても美味しかった。割と近所だけど初めて行った店でした。また行こう。

篠山紀信展についてはライフイズマインに書きました】

lifeismine.me


サクを寝かせてから夫と「ファミリーヒストリー北野武の回を見る。母サキの娘時代、奉公先での日々のVTRを見た後の武、「いかがでしたか?」と司会の今田に問われ、「・・・・・。本人からは師範学校で教育やってたって聞いてたんだけど、便所掃除って」とおどけるくだりなど、随所で笑った。テレビカメラの前は初めてという武のお姉さん(80代)の元気そうなこと(前日にEXILEのコンサートで弾けたらしい)、ユーモラスなこと! 父・菊次郎について「家族にあの人をよく言う人はいないわね」w 

 

睦月の三 / ババ嵐

●1月某日: 昨日の夕食前にホットカーペットが壊れた。夫の独身時代の持ち物で軽く10年以上は使ったことになる。ありがとう。で、さっそく新調する。時期的に既に遅くて選択肢があまりなかったが、いつものように「ま、これでいっか」って感じで軽く選んだ。

義実家から甥っ子(5年生)を連れ出してランチ。ばぁばも具合が悪く、ヒマを持て余してるだろうなーと思ったら昨日プレステのモバイルっぽい奴(もはや名前すらわからない)を買っていたw ともあれ、「洋食と和食どっちがいい?」と聞くと「洋食」。そうだよね、義実家では洋食ないからw で、ファミレスに行ったんだけど、うちって基本的にファミレス行かないもんだから、我々のほうがテンション上がってたかもw 

南蔵院を参詣。中の稲荷神社(寺の中に神社。神仏習合? 何でもありだ!)のてっぺんまで登ったり。みんなで鳥居に小石を投げて置く遊び。私、一発で乗った! 幸先イイ! 義実家でお茶を飲んでしばし逗留、夕方帰宅。夜は「vs嵐スペシャル見ながら夜ごはん。焼きさば、お吸い物、がめ煮大根おろし






ババ嵐を何回も見てて、これに出て印象が悪くなった女優って皆無。やっぱり、演じる職業って本人の魅力が必須なんだと思う。芦田愛菜ちゃんもいつもすごい。今回も面白かった。堤真一綾瀬はるか伊藤淳史松下奈緒宮川大輔。最弱王は横山裕に!

●1月某日: 虫たちが冬眠やらに入り、渡り鳥の飛来する季節になってから、サクの鳥フィーバー加速中。バードウォッチングに行きたい、と言う。「さいしょは、いえの ちかくからでOK ってかいてある」と図鑑の指南ページを示すので、散歩がてら行ってみる。

スズメとハトとカラスの三大町鳥(と私が命名)のほか、最近よく見るかわいいハクセキレイや、木の枝を使って器用に組まれた街路樹の上の鳥の巣、コゲラみたいな鳥も発見。街にもいろんな鳥がいるのです。最初から視認できる場合もあるし、鳴き声を頼りに姿を見つけることも。とにかく、鳥を見るって、川や池みたいな水辺を見るか、木の上や上空を見上げるかで、今日みたいに綺麗に晴れている日は特に、なんだかとても気分が良いものではある。

鎮守の森まで行って帰宅、少し遅くなった昼ごはんを、爆食する息子。夕方もまた近くの川に行きたいというのでつきあった。ダッシュも数本。夜ごはんは、鶏の照り焼き(しめじ、玉ねぎ)、味噌汁、ミニトマト。飲み会から帰って来た夫と日付が変わる近くまで飲む。

 

2/17付 西日本新聞 「都市の地元学講座」@九大社会教育研究室

睦月の二 / 箱根駅伝

●1月某日: 2017年、初ラン。一本木宇賀神社。

拝殿の天井に、大きな馬の人形が飾られていることで有名。福岡西方沖地震でも落ちなかったことから、「おちない」「“うま”くいく」、そして神社名から「“うか”る」と言われ、密かに受験生の聖地となっているとかいないとか。最近、有志が150万円の寄付を集めて博多人形師によって修復されたのだけど、10年ほど前ですかね、私が初めて見たときは、かなり古さびて歴史を感じる姿で、その古めかしさがいい感じだったんだけど、今の立派な姿ももちろん一見の価値あり。

由来などは不明ながら、裏紙には昭和4年(1929)の新聞紙が使ってあったらしく、竹やいぐさを活用する手法は博多祇園山笠の飾り山と同じ。解体された飾り山の一部を氏子の誰かが奉納したのではないかという説があるそうな。

 

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一年の初めに縁起の良いものを拝観し、ランニングの調子も良くて、私の2017年、幸先いいに違いない!・・・と思いつつ、箱根駅伝が気になるので早々に切り上げて帰ってきたテレビっ子です。

箱根ー! 1区の区間賞は服部弾馬。4年生になったのねえ。しゅっとして、4年生らしい表情。見事区間賞だったけど、計算ではもっと離すつもりだったのかも。2位の東海大鬼塚くんとはわずか1秒差。この鬼塚はじめ、東海大は1年生が5人が箱根を走った! 弾馬の高校時代からのライバル、駒澤の西山は、最後の箱根でもやはり弾馬と同じ1区を走り、トップから8秒差だった。

花の2区は、青学の一色、順天堂の塩尻、ニャイロやデレセを押さえて、神奈川大の3年、鈴木健吾が区間賞! 箱根しか見てない私にとってはまさにニューヒーロー誕生であります。しかしこのあたりから青学が確実に上げてきてですね、小田原中継所では2位早稲田に1分半の差をつけて5区に入ったのですが、山ではやっぱりいろんなことがある! 早稲田の安井は区間4位の健闘で青学に33秒差まで詰めた! 他にも、駒澤(大塚くん区間賞)や中央学院、順天堂なども健闘し、トップから10分以内に16校。5分以内に7校。これは明日の復路、めっちゃ面白そうじゃないですか!! 明日見られないのにー

さて、私が初ラン&箱根に夢中の間、夫はメガネ屋さんの初売りに参戦し、そちらに付き合ったサクは帰りに本屋さんで鳥のミニ図鑑を買って帰って来た。これなら外出先にも携行して、鳥を見かけたらスッと探しやすいからだそうだ。好きだな! お昼は味噌ラーメン。夜ごはんは鉄板焼きをしました。牛に豚に鶏手羽、えりんぎ・玉ねぎ・キャベツなど、あるものをどんどん焼いて、最後は焼きそばもカリッと焼いて食べた。美味しかったー。ビールと赤ワイン。

 

2/15付 小中学校の学習指導要領の改定案。年間授業時間の一覧表など

『おんな城主直虎』 第9話 「桶狭間に死す」

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1ー4話が、子ども時代。5ー8話が、成長した3人@井伊谷編。脚本はもしかしたら4話刻みで考えているのかもしれませんね。9話からは井伊動乱編、にでもなるだろうか?

 






アバンタイトル桶狭間!  玄蕃ちゃん、これで終わりかー(T T) まあ、ギャツビーあるし仕方ないよね…
今回は思いきり「陽」というか「幼」な役でしたね。井上芳雄の映像次作(できれば時代モノ。近代可)に期待。

義元の最期は、泥だまりの中で踏みつけにされる金の日の丸扇。いろんな意味で潔くて、「有り」な演出だったと思う。
ここで昇太義元に、『武田信玄』の勘九郎(当時)ばりの憤怒の死に際演技をさせても、それは違うもんねえ。

ただひとつ、“義元の死を知らされ大今川を動かす下知を迫られて怯える氏真”という場に、寿桂尼さまは居てほしかったな。あの不在は意図的な演出だったのか、浅丘さん側の事情だったりしたのか、ちょっと気になっている。先週は貫地谷しほり風林火山について書いたけど、「風林火山」では義元の首と対峙する藤村志保寿桂尼がすばらしかったのですよ。「悔しいか、義元・・・」ていう、あれね!

さておき、「俺の首を持って突破しろ」な直盛!!
エエエエエエーーーーー

当主 > その他家臣

じゃなくて、

当主(中高年)< その他家臣(若者)

ですか、戦国武士の命の重さが?!
別に、(最終回ラストの信繁のように)深手を負ってるわけでもないやん!

・・・・っていう決断を直盛にさせたのは、わざとなんだろうなあ。
農民に身をやつしてでも、隠れたり這ったりしてでも生き延びようとするのではなく、「井伊の当主」という価値を、「自分の命を絶って」、次世代の者を生かすために使うのが直盛という人だったと。

ここ、非常に矛盾を感じさせるシーンでもあったよね。「優しくて頼りないようだけど、井伊のために命を投げ出す覚悟の人だった」というのが、千賀による夫・直盛像。

実際は、井伊のためというより、娘でも、家の後継者ですらない、たった1人の若者を生かすために命を投げ出した。うん、まあ。やりかねんなー。というのがありますね。これまでの彼を見ていると。小野和泉を斬らなかった(むしろ守った)直盛である。2人で逃げ切れない状況で、俺が当主だから俺が生き残ると言えない奴。

直盛にとって「井伊谷の人間」こそが「井伊」だったのかもしれない。それは、竜宮小僧の系譜なのかもしれない。優しすぎる竜宮小僧の最期。親の代ではそれが限界だったという描写でもあるのでしょうな。
「いつか…」の続きは、ただの!「辻が花の着物を着せてやりたい」だったのが直盛という人物そのものなんだろう。幾度となく見事な花を活けていた彼の美的感覚がおとわに受け継がれているかどうかは、還俗後にわかるのですかね。

そんな直盛(首)の帰還。
弟・玄蕃の死や、義妹との会話も合わせて、予想以上に涙もろいな、但馬!
口も態度も悪い頭脳キャラって、往々にして鉄面皮なものだが、但馬くんの場合、感情を抑えきることができなくて、ダダ洩れしちゃうのね。
このあたり、策士ぶってはいるものの肝の据わりようが足りなかった父・政直とそっくり・・・というか、むしろ父の劣化版になってる感がある。

今を時めく高橋一生を涙目にさせる、という意味でも良いキャラ設定だと思いますw

対照的に、直盛の帰還で顔を固まらせたままなのが直親なんだよね。
一言で簡単に表現できない表情だったなーと思う。近しい人が突然、首で戻ってくるのは、直親には初めての経験じゃなかった。むしろ既視感。

直盛の首を見て、直親が己の父・直満の死を知らされた時のことを思い出さなかったはずはないよね。あのときのショック。あの瞬間から、彼の人生のほとんどすべてが変わってしまったこと。“今の直親”を形作っているものの根幹があの場面にあるんだよね。

そして、おとわに「父のようにはなりたくない」と打ち明けていた。それは、「横死しない」という意味なのか、「井伊を危機に陥れない」という意味か、それとも・・・。両方かな?と私は思ってるけど。「お家に実利をもたらす」ことを、己のアイデンティティにしようとしてるんじゃないのかな? だから、おとわに求婚を拒まれても自分は「井伊の跡継ぎ、直親」としての道をゆくと決めたし、跡目からいったん外されても受け容れた。

奥山に言われて但馬への疑念を覚えつつも、「今はそんなこと考えてる場合じゃない」と呟いてたね。「隠し里は井伊の最後の砦」というのに感じ入っていたこともあった。直親は直親なりに、井伊を守ることを真剣に考えてる。それが簡単なことではないのを知ってる。井伊を離れていた9年間があるから。

「血縁を亡くさないものは誰もいなかった」井伊の主な面々。誰もが悲嘆の中にあり、平常心を失っている状態で、めんどくささ全開になるでんでんの説得力な・・・!

その昂りの受け皿になるのはもちろん、小野で。何をやっても、というか何もやらなくても、小野が小野であるだけで疑われるわけですよ、もはや。
そこにきて、自身も大好きな弟を失ってるし、平常心でない但馬さんの、当人比何割か増しの「そんなん言うなら受けて立ちますが?」がなああああああ!
但馬さんホントにへたくそーーーーー!

これ、同じように逆恨みされた政直が斬られそうになったときは、直盛が身を挺して助けたんだよね。その直盛はもういない。それで但馬は、次郎のもとに身を寄せようとする。次郎どうする? そのとき亀は?! ・・・って、めちゃめちゃ楽しみな引きだな!!



首が帰還したときの落ち着きぶりは、「殿の生まれ変わり」を聞いたときの反応との対比でもあったんだなーと最後に納得。気を張って、心を込めて奥方の役割を果たす千賀を見て、「娘として」手紙をもらい、あなたがいてくれるから有難いと言われ、せめて寄り添っていようと心したそばから、おとわは、自分が決して母に与えられない喜びがあることを知るのだね・・・。

最後の財前直見の泣き顔には涙腺が緩んだ。演技と思えないような演技。女優だ!

別の見応えがあったのは、南渓と佐名の対峙。花總まり様のすばらしい着こなしとセリフ回し!!
岡崎城で奮闘している元康、「じゃがそれは」 どちら側として、何のための戦いなのか?と言外の南渓の問いに、「答えはいまだ出ておりませぬ」皆まで言わない、頭の良い人たちの会話! 

兄を毛嫌いしていた佐名さまが、やけに今川の情報をホイホイ明かすなーと思ったら、「もしものときは瀬名たちを匿って」と言うので納得。しかもそれだけじゃなくて、「私も瀬名も、ずいぶんお助けしてきたと思いますが」って、あの無邪気な文通にはそういう意味合いもあったのか、という・・・! 

いや、おそらく瀬名ちゃんはそこまで考えてなかったと思うのよ。無邪気におとわ姉さまを慕ってた様子があふれてたもん。でも佐名さまは「これはいつか売れる恩になる」と思ってたに違いない。史実で瀬名ちゃんたちに何が待っているのか、私たちは知っている。そのとき、佐名さまも何らかの関わりを持つんじゃないだろうかと、今回私は思ったね。作り手は、花總まり様という類稀なる女優の力をちゃーんと使うつもりじゃなかろーかという期待が・・・!

積み重ねられる家康の描写も面白い。



そして、「戻れてしまったのう!」のセリフは、運の良さも強調してるんだろうな。