「ヒバクシャ国際署名」 事務局リーダーを務める元シールズメンバー

 

師走の十四 / どんぐり文庫クリスマス会

●12月某日: 朝、Eテレで「ピタゴラスイッチミニ」が始まると(7:30)、「あ、もうこんなじかん、きがえな~」とニコニコしながら着替えるふりの小芝居をするサク。冬休みの開始を喜ぶしぐさも、6才になると進化するなw 午前中、小雨のうちに散歩を兼ねていろいろ買い物へ。サクのおねだりにうっかり乗って本を買ってやった。

昼ごはんのあと、クラスの友だちとお母さんが遊びに来る。はしゃぐ子どもたち。16時に一緒に移動して、どんぐり文庫のクリスマス会に初めて参加。小3の女の子が五味太郎の「まどからのおくりもの」を読んだあと、語り聞かせ「マーシャとくま」。梶田さんによる絵本の読み聞かせ「くんちゃんのだいりょこう」では何度も笑いが起きた。 

くんちゃんのだいりょこう

くんちゃんのだいりょこう

 

 

第2部は、19才の男の子によるギター演奏。数か月前、一年にわたるフィンランド留学から帰って来た彼はフィンランドの歌を弾き語ってくれた。1時間の会で、ふだんのお話会の倍くらいの時間なんだけど、途中でちょっとしたパペット劇やらの楽しい遊びを入れてくれるので気が逸れない。ひとつのお話をみんなで楽しむゆるい親密な雰囲気がやっぱりいい。

いつもどおり、12月生まれの子たちが「お話のろうそく」を吹き消し、最後に、クッキーやチョコレートやみかん、折り紙で作ったサンタの指人形など小さなプレゼントが子どもたちに配られた。梶田さんや、サポートのTさん、いつもここで会う元上司の奥さんと子どもたちにも「よいお年を」とごあいさつする。夜ごはんは鍋。豚肉、白菜、ごぼう、豆腐、しめじ、えのき、ニラ。

 

●12月某日: 朝ラン8キロ。気温は9度弱、冷たい雨が降ったりやんだり、何度か強めの風とともにびっしり降ったけど、真夏の猛暑ランに比べればまだまだマシなコンディションです。しかし某駅前でやっていたもちつき大会の人々はなかなかつらそうだった。

ちなみに祝日だが、夫が風邪を長引かせている。しつこい咳と微熱。サクと散歩がてらの買い物や、なわとび。なわとび久々にしっかり見たけどさすが年長、去年よりずっとうまくなっている。家では、チケットを描いて配ってもぎりもして実演するという何役もの活躍で、チャンバラショーとかトルコ行進曲のひとり合奏とか見せてくれた。

夫とサクが寝た後、放送大学の講義を視聴し、そのあとフィギュアスケート全日本男子SPの試合を見て、さらに勢いづいて(なんの勢い?)録画をいろいろ消化し、すっかり遅くなる。

 

『おんな城主直虎』 第7話 「検地がやってきた」

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鶴=政次の目線から:

直親「俺は隠したいけど、小野は難しい立場。おまえが決めてくれ」

(俺の料簡を読んで先回りしおって!ふんぬ)

玄番「小野を思いやってくれた人は初めて。直親さまは兄上を信じてる。竹馬の友っていいなあ!」

(え・・・そうなの・・・そういうこと・・・?俺が曲がってるだけ・・・?)

「隠し里の帳簿は破り捨てました」
直親「但馬、恩に着る!」

井戸に祈願「俺の思っているように事が運びますように(・・・直親は俺を信じているんだ、俺はそう思う!信じる! 信じてくれていますように・・・!)」

おとわ「鶴! 亀の言う通りにしてやって! 我の自主的な願い!」

「ちっとも俺の気持ちにはなってくれないんだね。俺、亀のせいで2回も煮え湯のんだよ? 
このうえ頼み事するってんなら、君たちも何か差し出して? そーだ、おとわそのものを差し出して? できるの?え?」

おとわ「・・・・・・」

「覚悟がないなら経でも読んでろ」

岩松「この里はなんだ!」
(・・・やばい・・・井伊を守らねば、こうなったら俺が・・・)

直親「私は知りません。但馬、どーゆーことだ、おまえが作った帳簿にもなかったな?」

(え・・・何それ・・・最初から小野をトカゲの尻尾切りにするつもり・・・? 信じた俺がばかだったの・・・?)

「(涙目)この里はかつて南朝の皇子さまが・・・」

直親「裏帳簿、どうするつもりだったんだ」

「好きに推測してください」

直親「怒ってるのか」

「俺を信じないのは別にいいけど、信じてるふりをされるのは気分悪い」

直親「おとわのためと思って力を合わせて井伊を守ろうよ」

「おまえのそういうとこ好かん」


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

亀=直親の目線から:

(そうか・・・・この隠れ里は、井伊の最後の砦・・・井伊にとって必要なもの・・・)

「次郎、今川の友だちに検地奉行の弱点聞いてみて。よろしくね。竜宮小僧!」
(次郎は誰より井伊のことを守りたいと思ってるし、大事な友だから、一緒に立ち向かってくれるよね。。。。)

「鶴、俺は隠したいけど、小野は難しい立場。おまえが決めてくれ」
(鶴はきっと俺と同じ心のはず・・・互いに父みたいになりたくないし、それにおとわのこと=井伊のことも守りたいだろうし、大事な友だから、いいよね。。。」

政次「隠し里の帳簿は破り捨てました」
「但馬、恩に着る!」(やっぱりそうくるよね!!)

(やべえ。。。岩松てごわい。。。)

おとわ「政次の様子はどう? 微妙な祈願してたけど」

(え・・・もしや政次は。。。土壇場で裏切る気じゃ・・・)

岩松「この里はなんだ!」

懐を探る政次 

(え! 鶴、破り捨ててなかったんけ?! 一人だけうまく逃げる気か?! 違うよな? おまえなら切り抜けてくれるよな? どっちだ?!)

「但馬、どーゆーことだ、おまえが作った帳簿にもなかったよな?」

「怒ってるのか」

政次「俺を信じないのは別にいいけど、信じてるふりをされるのは気分悪い」

「おとわのためと思って力を合わせて井伊を守ろうぜ」

政次「おまえのそういうとこ好かん」

(なぜだ・・・俺はおまえを信じてたんだ、おまえのほうが先に裏切る気だったんじゃないのか・・・? それにおとわのこと好きなんだろ・・・? だったら井伊を守らなきゃ・・・俺、間違ったこと何も言うてないじゃないか・・・)

 

こうしてみると、

・政次→直親に対して: 不信 → 信じてみるか →(おとわにイラッ!)→ やっぱり信じてないんじゃねーか!

・直親→政次に対して: きっと気持ちは一緒 → え、もしかして違う? → 一緒に働きたいんだけど、なんで怒る・・・?

ちょうど反転する心情が進行してたのかな。

思うに、3人とも、幼なじみに対して甘えがあるのだろうなと。

おとわは、政次の心情に疎いという甘え。子どもの頃からそうだったね。亀のほうが弱くて、助けてあげなきゃと思ってて、強くて賢い鶴は大丈夫だと無意識に思ってるような。

政次は、そんなおとわに対して、彼女に負わせるべきでない部分の怒りや鬱憤までぶつけてしまう。これも、昔からそうだったね。「何の覚悟もないくせに」って、それやっぱりおとわに言うのひどいよ。でも、おとわにだから言っちゃうんだよね。本当は、おとわには自分の気持ちをわかってほしいし、おとわなら失言も受け止めてくれると無意識に思ってるような。

直親は、おとわにも政次にも甘えてる。「井伊を守るため」という大義があるんだし、幼なじみなんだから、昔の感覚で気軽に頼んでいいと思ってる。きっと応えてくれると信じたがっている。でも子どもの頃に運命が暗転して、世の中の怖さ冷たさも知っていて、知らず知らずのうちに保身第一になったりするのかも。そして、基本的に、昔から「自分自分」の子だ。

でも、言うてもまだこの子たち、ハタチやそこらなんでしょ。10歳くらいまでは幼なじみとしての関係がほぼすべてだったんだし、それからはずっと離れていたんだし(おとわは出家の身、政次との間にも距離はあったよね)、何よりまだ若いんだもん、人間関係そんなにドライにビジネスライクにいかないよな。

幼なじみだと思えばフラットな3人。だけど現実には、主従とか、男女とか、配偶者がいるとか、いろんなしがらみができている。そのバランスの取り方、線の引き方、過不足のない振る舞い方を最初から上手にできるほうがおかしいんじゃないでしょうか。戦国の、井伊でなくても、若い頃って特に、無作法に、残酷に、傷つけあうものだよ。

ってことで、青い3人が楽しみです。政次、どんどんキレろ。我慢しちゃいかん!

しかしねー、直親の、「お前の思う通りにやれ。俺が責任取る」とは真逆の態度は、悪気は全くないんだと思うけど、上に立つ者の器じゃないってことを如実に示してましたよね。きっとそれができるのは、“女子にこそあれ次郎法師”の人なんだろうなー。

「政次と俺は、互いに“父のようにはならない”と思っているはずだ」という述懐には、オオッでしたね。直親は、自分の父のようになりたくない、なってはいけないと思っているのだ。彼のひとつの人生哲学を見ました。そして、政次もそうだろう、と思っている。前々回には、「おまえもおとわを嫁にしたいと思っていた(ことがあるはず)だろう」と言っていた。亀と鶴の2人にだけ通じる思いってやつもあるんだよね。だからこそこじれる。いいよいいよー

ツイートもしたけど、検地という戦国の実務の流れをベースに組み立てられた人間関係や感情のもつれという作劇がめっちゃ好みだった。

ほんのちょっとしか出てこない竹千代パートの屹立した存在感! 菜々緒さんはセリフ回しにはちょっとドキドキするものの、きつい顔ときつい所作がすごくいい。

 

『ごちそうさん』 第15週 「今日で おわカレー」

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師走の十三

●12月某日: 熱発中のサク。夜中はまだ38度超だったけど、朝6時半に検温すると37.2度。おや? 夫「すごい回復力だな」 私「汗かいた様子はなかったけどね」など話していると、「かいたよ」とおもむろに答えてサク起床。とはいえ今日は幼稚園は休みましょうかね。なにげに、年長になって初めての欠席だ。そして昨日はクラスで5人休んでいた年長組、今日はサク含め7人がお休みだったらしい(全部で18名よ!)。

朝ごはんはまた味噌汁をかけながら食べさせてやるが、やはり茶碗半分でギブアップし、しばらくぐったりしていたが、11時ごろにむくりと起きて遊びだした。☆マークを描く練習をしたり、ブロック組み立てたり、気力を感じさせる気ままさ。昼は「おなかすいた、たまらん」と繰り返して、ごはんと味噌汁を食べ、おにぎりを食べ、それでも足りないというのでクロワッサンもあげたら2個ぺろり。

リハビリがてら近くのスーパーまで歩いて買い物に行ったり、この1日弱の空白を埋めるかのようにペラペラとよく喋り、コマも回し、夜は夜で親子丼を通常量食べて、完全復活ののろしである。キャベツとにんじんの千切り・クリームチーズ和えには、「これはなあ・・・いつものマヨネーズのでおねがいします」と要望を出される。

 

●12月某日: 




迎えまで2時間ちょっとだったけど朝家事のほか『それでも、日本人は戦争を選んだ』の感想を書けて満足。冬休みに入ったら書き物は難しいけどスキマ時間で読書と勉強はすすめていきたい。幼稚園のみんなや先生に「よいお年を」と言って帰る。夜ごはんは、ハンバーグ、かぼちゃとレーズンサラダ、五目豆、味噌汁。自分で作っといてなんだが、永遠になくならないのじゃないかと思われた五目豆をついに完食しました。

 

師走の十二

●12月某日: 設備更新の時期に入っている(?)我が家。今週、宅配で届いていた新しいホットプレートと新しいフロアマットを開梱してセット。サク、喜ぶ。いっちょまえに消費社会の住人だねーと思うけど、ま、気持ちはわかるw 本棚やおもちゃ棚の棚卸し、整頓も少しやった。サクの本棚(絵本+図鑑+チビ鉄雑誌「鉄おも」)やおもちゃ棚なんてかわいいもんで、ラスボスは私の本棚なんですよね・・・。

夫の熱は下がったが、今度は私のほうがどうも不穏。やたら寒気がするし、肩から背中にかけて重苦しい。夫が揉んでくれたら、サクがその背後に回って夫の肩を揉んでいた。うい奴め。

夜、サッカーのクラブW杯で鉄腕ダッシュの放送なし。するとサクが「きのうみてないから、ブラタモリのろくがみようぜ!」と言う。ぶ、ブラタモリ好きの6才・・・! ということで溜まっている録画から「樹海の神秘」を見る。かつて昭和の初めまで、富士山の樹海で蚕の卵を冷やし、1年間の生産量平準化に資していたとの事実! そしてついについに、『真田丸』最終回である!



あー。あーあーあー。当然、眠れなくなるのでした。

●12月某日: 2学期最後のサク弁。豚うす切り肉炒め、卵焼き、五目豆、ふかし芋、ほうれん草。最後だからって特別なことは何もしませんw 迎えに行くと、

サク「○○がうちにくるー」 
友だち「サクのおかーさん、おうちいっていい?」

と、わらわらやってくる。ふむ、そうくるかなーと思った。「ちょっと待ってな」と持参した体温計で検温。ピピッ、37.9度。うーん、これはやっぱり発熱ですよね。朝、なーんかちょっと嫌な予感がしながらも、朝ごはんもよく食べるし、本人、元気だったんで送り出してたんだよな。数字を見たサクは「え?」て顔してたけど、幼稚園を離れると急に自覚したようで、家に帰るとおやつもそこそこに、フロアマットに転がってる。

ふとんに誘って、幼稚園で今日もらった(買ったんですけど)ばかりの絵本『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』を読んでやったあとは、ほどなくうとうとと眠りに落ちて、みるみるうちに38.4度、39.4度、ぎゃあ。顔真っ赤になり、さすがにしんどそう。ずっと布団にいるのもきついし暑いようで、ソファに来たり。

 

はたらきもののじょせつしゃけいてぃー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

はたらきもののじょせつしゃけいてぃー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

 

 
ごはん食べながら(夫は忘年会)、再見で見残していた『ゴーイングマイホーム』(阿部ちゃん・山口智子主演、是枝監督のね)の最終回を再生してると、じーっと見て、ぽつぽつ感想言ってた。山口智子演じるサエさんのお手製精進料理に「すごっ!」と言ったり、西田敏行が出てきたら「このひと、まだしんでなかったんだ」と言ったり(ひどい)。それにしてもいい最終回で、泣けた。サクはやはり食べる元気がなく、お味噌汁をかけながらごはんを半分くらい。とはいえ、夜は苦しがることなく、いつもと同じくぐっすりと眠り続ける。

 

 

『下り坂をそろそろと下る』 平田オリザ

 

 

人口減少、少子高齢化、過疎。そして被災地。タイトルの「下り坂」とは、私たちの国、日本のことである。でも、内容を読んでみるとポジティブな印象。地方各地で劇作家・演出家である筆者が携わった仕事がいろいろと紹介してある。

キーワードは「文化政策」。というと、夢物語を語っているように思われるが、欧州の自治体では文化政策は予算の5~10%を占める重大で、かつ一般的な施策なのだそうだ。

なぜ文化が大事なのか? 小さな町にとって、欲しいのは人口だ。それも、できるだけ若い、独身者や子育て世代に来てほしいから、彼らを呼び込むために雇用や家が必要だと、工場を誘致したり集合住宅を建てたりという対策をする市町村が多いけれど、「そうじゃない」と筆者は言う。若者はそれだけでは来ない。なぜなら、そんな、日本じゅうどこにでもあるような町は「つまらないから」。だったら、つまらなくない町を作ればいい。自分たちの町を肯定できるようなものがなければならない。

そこで紹介されるのは、たとえば小豆島町。人口15,000人にもかかわらず年間100人以上のIターン者を受け容れているのは、「瀬戸内国際芸術祭」を契機にしたアートの力が大きいのだという。定住しなくても、一年のうち一定期間、滞在するクリエイターやアーティストもいて、行政はそういった人々も「関係人口」としてバックアップしているそうだ。

また、温泉の知名度も低下してきた城崎では、いわゆるハコモノ行政の産物だった「大会議館」を滞在型のアートセンターに作り替えた。舞台装置を建て込めるホールはもとより、スタジオが6つあり、宿泊施設や自炊設備も完備している。滞在費は無料なうえ、城崎の温泉に1回100円で入ることができる。開館3年目には世界13か国、40団体から申し込みがあり、トップクラスのクリエイターや将来を嘱望される若手も多く含まれているとか。

特に面白いなと思ったのは、筆者が関わって四国学院大学の入試(推薦入試の一部)を変えたこと。軸になるのはグループワークで、出題例はたとえば

・レゴで巨大な艦船を作る
・組体操をやってみて、危険度や対策を協議
・四国の観光プロモーションビデオのシナリオを作る

など。これは、成果物を評価するのではなく(演劇を作れという課題でも演技がうまい子が評価されるわけではない)、グループワークの過程を評価するもので、たとえば

・自分の主張を論理的、具体的に説明できるか
・ユニークな発想があったか
・他者の意見に耳を傾けられるか
・締め切り時間を意識し、議論をまとめることに参加しているか
・地道な作業を厭わずに、チームに貢献できるか

などが採点基準なのだという。また、その後には個別のインタビューもあって「あと30分あったらどんなことができたか」「印象に残った他者の発言」など、グループワークに関する質問を受ける。

これが入試といわれれば、少なくとも私たちの世代まででは、「えー、めんどくさ」「苦手」と思う日本人が多いんじゃないかな。私だって自信ない。でも、それは、「自分の意見を言う」「議論に参加し、建設的にすすめる」「とにかく時間内に成果物を作る」ような課題に慣れていないというか、ほとんど経験がないからというのもあると思う。

現代の若者に、しかも四国という一地方の大学に通おうとする子たちに、こういった力が必要なのは、地方こそ「文化資本」の問題に向き合うべき だからだという。

思考力、判断力、感性、主体性、多様性理解、協働性、そういったものの総体を社会学では「文化資本」といい、これらのうち、特に「身体的文化資本」は子どもの頃から知らず知らずのうちに決定されていく。それらを育てるのは「本物」であり、となると、(世界水準の)芸術や文化に触れる機会が多い東京や都市部の子どもが圧倒的に有利なのである。また、文化資本の格差は当然、貧困の問題とも密接に結びついている。とても不平等な環境で子どもたちは育っていく。

「だから、文化資本の育成は教育が担わなければいけない。特に地方は」と筆者は言う。かつてのように、島や町から出ずに一生を終えられるのならば必要はない。でも、そうはいかない現代社会だ。

被災地、女川や双葉の章では、「安心はない」というところから始めなければならない、という言説が印象的。とりわけ、子をもつ親は「安心したい」と思ってしまうが、その言葉は私たちが「安全神話」に囚われている証左である。厳しいけれど「もはや絶対の安心はない」というスタンスに立って、なんとかして、低線量被曝の時代を生き抜いていかなければならないという(念のため、筆者は国内すべての原発の稼働に反対している立場)。

そのために、今必要なのは、先頭でぐいぐい引っ張っていくタイプの強いリーダーではなくて、「雨ニモ負ケズ」の宮沢賢治のように、オロオロと共に歩きながら、「けが人はいないか」「忘れ物はないか」と見て回ってくれるリーダーではないかというのが筆者の持論。

私たちはどうしても、「なんとかしてほしい」と望む。もちろんそれが政治や行政の役割なのだけれど、どんな問題も、魔法のように解決することはない。万能の特効薬はない。それに、この国ではいつどこで大きな地震や災害が起きてもおかしくない、と認識せざるを得ない。そんな時代では、政治や行政に求めるものや、その参加の仕方も変わっていかなければならないのかもしれない。

カリスマを熱狂的に支持する危険性は、ヒトラーやかつての民主党政権含め、歴史が証明している。 「わかりあえないという起点から出発する」というのは筆者のポリシーで、Eテレ「東北発☆未来塾」で講師を務めたときもそういっていた。

お上に求めるのではなく参加する。人が簡単に分かり合えないことを受け容れる。そのためにも文化は大切なのだと思う。筆者も書いているが、地方は長年、首都圏のために資源や人材を提供する存在だった。一兵卒として、満蒙開拓団として、集団就職の若者として。今でも、偏差値の高い子は東北大へ、東京へと都市に向かう。国家のためでなく地方のための人材をどう育てるのか?どこで育てるのか? 文化資本に重点を置く教育はそういったこととも深くかかわっているのだと思う。

さて、この本のタイトル「下り坂」は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を意識している。明治という新しい時代、一等国を目指して突き進む日本人の群像を描いた大作小説は、戦後の復興や高度経済成長の「上り坂をぐいぐいと上って来た」団塊以上の世代にとって支えになり、誇りになってきた部分も大きい。

その「上り坂」に比して、これからの日本は「下り坂」なのだと、本書の冒頭と末尾で筆者は繰り返し述べる。日本はもう工業立国ではなく、もはや成長することはなく、アジア唯一の先進国ではない ということ。

そんなことはわかっている、と私なんかは思う。とっくに自明じゃないかと。そんな世界で生きていかなきゃいけない。私たちも、子どもたちも。でも、あくまで論理的に淡々と著述する筆者が、随所で司馬遼太郎の文章を引用し、また、冒頭と末尾では金子光晴の詩を引きながら、その「淋しさに耐えて下り坂をゆっくりしっかり下りて行こう」なんて、やけに叙情的に書いているのを見て、思った。

これは、「坂の上の雲」を理想にしてきた人々に向けて書いているんだな、と。そういう人々にとっては、「下り坂」って、これだけ諄々と説かれても受け容れ難いほど、厳しい事実なんだな、と。私の周囲で言えば、「下り坂? そりゃそうでしょ」と割と簡単に言われそうである。それって大事なことなんだな、私たちがこれから下り坂を働いていく世代なんだな、と思う。

 

 

2/5 西日本新聞 2015年ノーベル賞作家アレクシエービッチが語るソ連と、今の世界

師走の十一 / もちつき大会完結編

●12月某日: 午前中、幼稚園のもちつき大会。今年もガチです。園児60数名に対してもち米35kgをかまどに火を起こしせいろで蒸して、うすときねで搗きあげます。どんな感じかは過去の記録をどうぞ~

 


私としては3年目なので要領をつかんだ感あり。小餅作り、あんころもち作り、一口サイズの大根おろしと磯辺作りなど。サクも3年目で、明らかに上手に搗けるようになっている! 1年に1回しかやってないので、技術の向上というよりは力が強くなったりとかって問題も大きいんでしょう。夫は昨日の夜中から熱を出したので、前半戦のみ参加で帰宅。もちでお腹がいっぱいになって昼ごはんはパスでした。

夕方からは友だちと持ち寄りでクリスマスパーティー。うちは、クリスマスなのでチキン・・・っていうか普通に鶏唐揚げがメインで、あとは白菜の塩昆布和えとか、サクと作ったクッキーとか、ビール、ワイン、サラミ。友だちの子供(小3、小1)が姉弟で何と「勇者ヨシヒコ」の寸劇をやってくれた。めっちゃ完成度高くて、元ネタを見たことのないサクものちのちまで「おもしろかった、めっちゃおもしろかったー」と。よく喋りよく飲んだ!

 

師走の十 / 6歳の発話

●12月某日: クリスマス会が終わったばかりですが明日はもちつき大会ですので前日準備です。例年、このあたりは園行事が立て込む時期。子どもたちが作った山やら川やら温泉やらででこぼこ、水たまりたくさんの園庭を往復しながら、もち米やせいろ、もろぶたなどを外の水道で(!)横並びで洗う私たちお母さんである。歩きにくいし汚れるけど、このデコボコの園庭がいいのよねー。

サク、降園後に友だちの家に遊びに行く。迎えに行った帰り道、「きょう、トルコこうしんきょく10かいぐらいやった」と言う。10回?! クリスマス会本番は昨日だったのに? 

サクの話と、後日のクラスだよりの情報とを総合すると、前日のクリスマス会で充実感を覚えた子どもたちが「がっそう、やりたいやりたい」と言い出したのでまた先生が楽器を出してあげて、本番で担当したものだけでなく、自分がやりたい楽器を交替しながら、本当に10回以上やったそう。「しき(指揮)もした、2かい」とサク。指揮って、あらゆる楽器をマイムと口真似で指示していく奮闘モノ。見たかった。 

夜ごはんは、鶏団子と野菜のスープ、五目豆。五目豆なくなりませーん!