『ごちそうさん』 第15週 「今日で おわカレー」

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師走の十三

●12月某日: 熱発中のサク。夜中はまだ38度超だったけど、朝6時半に検温すると37.2度。おや? 夫「すごい回復力だな」 私「汗かいた様子はなかったけどね」など話していると、「かいたよ」とおもむろに答えてサク起床。とはいえ今日は幼稚園は休みましょうかね。なにげに、年長になって初めての欠席だ。そして昨日はクラスで5人休んでいた年長組、今日はサク含め7人がお休みだったらしい(全部で18名よ!)。

朝ごはんはまた味噌汁をかけながら食べさせてやるが、やはり茶碗半分でギブアップし、しばらくぐったりしていたが、11時ごろにむくりと起きて遊びだした。☆マークを描く練習をしたり、ブロック組み立てたり、気力を感じさせる気ままさ。昼は「おなかすいた、たまらん」と繰り返して、ごはんと味噌汁を食べ、おにぎりを食べ、それでも足りないというのでクロワッサンもあげたら2個ぺろり。

リハビリがてら近くのスーパーまで歩いて買い物に行ったり、この1日弱の空白を埋めるかのようにペラペラとよく喋り、コマも回し、夜は夜で親子丼を通常量食べて、完全復活ののろしである。キャベツとにんじんの千切り・クリームチーズ和えには、「これはなあ・・・いつものマヨネーズのでおねがいします」と要望を出される。

 

●12月某日: 




迎えまで2時間ちょっとだったけど朝家事のほか『それでも、日本人は戦争を選んだ』の感想を書けて満足。冬休みに入ったら書き物は難しいけどスキマ時間で読書と勉強はすすめていきたい。幼稚園のみんなや先生に「よいお年を」と言って帰る。夜ごはんは、ハンバーグ、かぼちゃとレーズンサラダ、五目豆、味噌汁。自分で作っといてなんだが、永遠になくならないのじゃないかと思われた五目豆をついに完食しました。

 

師走の十二

●12月某日: 設備更新の時期に入っている(?)我が家。今週、宅配で届いていた新しいホットプレートと新しいフロアマットを開梱してセット。サク、喜ぶ。いっちょまえに消費社会の住人だねーと思うけど、ま、気持ちはわかるw 本棚やおもちゃ棚の棚卸し、整頓も少しやった。サクの本棚(絵本+図鑑+チビ鉄雑誌「鉄おも」)やおもちゃ棚なんてかわいいもんで、ラスボスは私の本棚なんですよね・・・。

夫の熱は下がったが、今度は私のほうがどうも不穏。やたら寒気がするし、肩から背中にかけて重苦しい。夫が揉んでくれたら、サクがその背後に回って夫の肩を揉んでいた。うい奴め。

夜、サッカーのクラブW杯で鉄腕ダッシュの放送なし。するとサクが「きのうみてないから、ブラタモリのろくがみようぜ!」と言う。ぶ、ブラタモリ好きの6才・・・! ということで溜まっている録画から「樹海の神秘」を見る。かつて昭和の初めまで、富士山の樹海で蚕の卵を冷やし、1年間の生産量平準化に資していたとの事実! そしてついについに、『真田丸』最終回である!



あー。あーあーあー。当然、眠れなくなるのでした。

●12月某日: 2学期最後のサク弁。豚うす切り肉炒め、卵焼き、五目豆、ふかし芋、ほうれん草。最後だからって特別なことは何もしませんw 迎えに行くと、

サク「○○がうちにくるー」 
友だち「サクのおかーさん、おうちいっていい?」

と、わらわらやってくる。ふむ、そうくるかなーと思った。「ちょっと待ってな」と持参した体温計で検温。ピピッ、37.9度。うーん、これはやっぱり発熱ですよね。朝、なーんかちょっと嫌な予感がしながらも、朝ごはんもよく食べるし、本人、元気だったんで送り出してたんだよな。数字を見たサクは「え?」て顔してたけど、幼稚園を離れると急に自覚したようで、家に帰るとおやつもそこそこに、フロアマットに転がってる。

ふとんに誘って、幼稚園で今日もらった(買ったんですけど)ばかりの絵本『はたらきもののじょせつしゃ けいてぃー』を読んでやったあとは、ほどなくうとうとと眠りに落ちて、みるみるうちに38.4度、39.4度、ぎゃあ。顔真っ赤になり、さすがにしんどそう。ずっと布団にいるのもきついし暑いようで、ソファに来たり。

 

はたらきもののじょせつしゃけいてぃー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

はたらきもののじょせつしゃけいてぃー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)

 

 
ごはん食べながら(夫は忘年会)、再見で見残していた『ゴーイングマイホーム』(阿部ちゃん・山口智子主演、是枝監督のね)の最終回を再生してると、じーっと見て、ぽつぽつ感想言ってた。山口智子演じるサエさんのお手製精進料理に「すごっ!」と言ったり、西田敏行が出てきたら「このひと、まだしんでなかったんだ」と言ったり(ひどい)。それにしてもいい最終回で、泣けた。サクはやはり食べる元気がなく、お味噌汁をかけながらごはんを半分くらい。とはいえ、夜は苦しがることなく、いつもと同じくぐっすりと眠り続ける。

 

 

『下り坂をそろそろと下る』 平田オリザ

 

 

人口減少、少子高齢化、過疎。そして被災地。タイトルの「下り坂」とは、私たちの国、日本のことである。でも、内容を読んでみるとポジティブな印象。地方各地で劇作家・演出家である筆者が携わった仕事がいろいろと紹介してある。

キーワードは「文化政策」。というと、夢物語を語っているように思われるが、欧州の自治体では文化政策は予算の5~10%を占める重大で、かつ一般的な施策なのだそうだ。

なぜ文化が大事なのか? 小さな町にとって、欲しいのは人口だ。それも、できるだけ若い、独身者や子育て世代に来てほしいから、彼らを呼び込むために雇用や家が必要だと、工場を誘致したり集合住宅を建てたりという対策をする市町村が多いけれど、「そうじゃない」と筆者は言う。若者はそれだけでは来ない。なぜなら、そんな、日本じゅうどこにでもあるような町は「つまらないから」。だったら、つまらなくない町を作ればいい。自分たちの町を肯定できるようなものがなければならない。

そこで紹介されるのは、たとえば小豆島町。人口15,000人にもかかわらず年間100人以上のIターン者を受け容れているのは、「瀬戸内国際芸術祭」を契機にしたアートの力が大きいのだという。定住しなくても、一年のうち一定期間、滞在するクリエイターやアーティストもいて、行政はそういった人々も「関係人口」としてバックアップしているそうだ。

また、温泉の知名度も低下してきた城崎では、いわゆるハコモノ行政の産物だった「大会議館」を滞在型のアートセンターに作り替えた。舞台装置を建て込めるホールはもとより、スタジオが6つあり、宿泊施設や自炊設備も完備している。滞在費は無料なうえ、城崎の温泉に1回100円で入ることができる。開館3年目には世界13か国、40団体から申し込みがあり、トップクラスのクリエイターや将来を嘱望される若手も多く含まれているとか。

特に面白いなと思ったのは、筆者が関わって四国学院大学の入試(推薦入試の一部)を変えたこと。軸になるのはグループワークで、出題例はたとえば

・レゴで巨大な艦船を作る
・組体操をやってみて、危険度や対策を協議
・四国の観光プロモーションビデオのシナリオを作る

など。これは、成果物を評価するのではなく(演劇を作れという課題でも演技がうまい子が評価されるわけではない)、グループワークの過程を評価するもので、たとえば

・自分の主張を論理的、具体的に説明できるか
・ユニークな発想があったか
・他者の意見に耳を傾けられるか
・締め切り時間を意識し、議論をまとめることに参加しているか
・地道な作業を厭わずに、チームに貢献できるか

などが採点基準なのだという。また、その後には個別のインタビューもあって「あと30分あったらどんなことができたか」「印象に残った他者の発言」など、グループワークに関する質問を受ける。

これが入試といわれれば、少なくとも私たちの世代まででは、「えー、めんどくさ」「苦手」と思う日本人が多いんじゃないかな。私だって自信ない。でも、それは、「自分の意見を言う」「議論に参加し、建設的にすすめる」「とにかく時間内に成果物を作る」ような課題に慣れていないというか、ほとんど経験がないからというのもあると思う。

現代の若者に、しかも四国という一地方の大学に通おうとする子たちに、こういった力が必要なのは、地方こそ「文化資本」の問題に向き合うべき だからだという。

思考力、判断力、感性、主体性、多様性理解、協働性、そういったものの総体を社会学では「文化資本」といい、これらのうち、特に「身体的文化資本」は子どもの頃から知らず知らずのうちに決定されていく。それらを育てるのは「本物」であり、となると、(世界水準の)芸術や文化に触れる機会が多い東京や都市部の子どもが圧倒的に有利なのである。また、文化資本の格差は当然、貧困の問題とも密接に結びついている。とても不平等な環境で子どもたちは育っていく。

「だから、文化資本の育成は教育が担わなければいけない。特に地方は」と筆者は言う。かつてのように、島や町から出ずに一生を終えられるのならば必要はない。でも、そうはいかない現代社会だ。

被災地、女川や双葉の章では、「安心はない」というところから始めなければならない、という言説が印象的。とりわけ、子をもつ親は「安心したい」と思ってしまうが、その言葉は私たちが「安全神話」に囚われている証左である。厳しいけれど「もはや絶対の安心はない」というスタンスに立って、なんとかして、低線量被曝の時代を生き抜いていかなければならないという(念のため、筆者は国内すべての原発の稼働に反対している立場)。

そのために、今必要なのは、先頭でぐいぐい引っ張っていくタイプの強いリーダーではなくて、「雨ニモ負ケズ」の宮沢賢治のように、オロオロと共に歩きながら、「けが人はいないか」「忘れ物はないか」と見て回ってくれるリーダーではないかというのが筆者の持論。

私たちはどうしても、「なんとかしてほしい」と望む。もちろんそれが政治や行政の役割なのだけれど、どんな問題も、魔法のように解決することはない。万能の特効薬はない。それに、この国ではいつどこで大きな地震や災害が起きてもおかしくない、と認識せざるを得ない。そんな時代では、政治や行政に求めるものや、その参加の仕方も変わっていかなければならないのかもしれない。

カリスマを熱狂的に支持する危険性は、ヒトラーやかつての民主党政権含め、歴史が証明している。 「わかりあえないという起点から出発する」というのは筆者のポリシーで、Eテレ「東北発☆未来塾」で講師を務めたときもそういっていた。

お上に求めるのではなく参加する。人が簡単に分かり合えないことを受け容れる。そのためにも文化は大切なのだと思う。筆者も書いているが、地方は長年、首都圏のために資源や人材を提供する存在だった。一兵卒として、満蒙開拓団として、集団就職の若者として。今でも、偏差値の高い子は東北大へ、東京へと都市に向かう。国家のためでなく地方のための人材をどう育てるのか?どこで育てるのか? 文化資本に重点を置く教育はそういったこととも深くかかわっているのだと思う。

さて、この本のタイトル「下り坂」は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を意識している。明治という新しい時代、一等国を目指して突き進む日本人の群像を描いた大作小説は、戦後の復興や高度経済成長の「上り坂をぐいぐいと上って来た」団塊以上の世代にとって支えになり、誇りになってきた部分も大きい。

その「上り坂」に比して、これからの日本は「下り坂」なのだと、本書の冒頭と末尾で筆者は繰り返し述べる。日本はもう工業立国ではなく、もはや成長することはなく、アジア唯一の先進国ではない ということ。

そんなことはわかっている、と私なんかは思う。とっくに自明じゃないかと。そんな世界で生きていかなきゃいけない。私たちも、子どもたちも。でも、あくまで論理的に淡々と著述する筆者が、随所で司馬遼太郎の文章を引用し、また、冒頭と末尾では金子光晴の詩を引きながら、その「淋しさに耐えて下り坂をゆっくりしっかり下りて行こう」なんて、やけに叙情的に書いているのを見て、思った。

これは、「坂の上の雲」を理想にしてきた人々に向けて書いているんだな、と。そういう人々にとっては、「下り坂」って、これだけ諄々と説かれても受け容れ難いほど、厳しい事実なんだな、と。私の周囲で言えば、「下り坂? そりゃそうでしょ」と割と簡単に言われそうである。それって大事なことなんだな、私たちがこれから下り坂を働いていく世代なんだな、と思う。

 

 

2/5 西日本新聞 2015年ノーベル賞作家アレクシエービッチが語るソ連と、今の世界

師走の十一 / もちつき大会完結編

●12月某日: 午前中、幼稚園のもちつき大会。今年もガチです。園児60数名に対してもち米35kgをかまどに火を起こしせいろで蒸して、うすときねで搗きあげます。どんな感じかは過去の記録をどうぞ~

 


私としては3年目なので要領をつかんだ感あり。小餅作り、あんころもち作り、一口サイズの大根おろしと磯辺作りなど。サクも3年目で、明らかに上手に搗けるようになっている! 1年に1回しかやってないので、技術の向上というよりは力が強くなったりとかって問題も大きいんでしょう。夫は昨日の夜中から熱を出したので、前半戦のみ参加で帰宅。もちでお腹がいっぱいになって昼ごはんはパスでした。

夕方からは友だちと持ち寄りでクリスマスパーティー。うちは、クリスマスなのでチキン・・・っていうか普通に鶏唐揚げがメインで、あとは白菜の塩昆布和えとか、サクと作ったクッキーとか、ビール、ワイン、サラミ。友だちの子供(小3、小1)が姉弟で何と「勇者ヨシヒコ」の寸劇をやってくれた。めっちゃ完成度高くて、元ネタを見たことのないサクものちのちまで「おもしろかった、めっちゃおもしろかったー」と。よく喋りよく飲んだ!

 

師走の十 / 6歳の発話

●12月某日: クリスマス会が終わったばかりですが明日はもちつき大会ですので前日準備です。例年、このあたりは園行事が立て込む時期。子どもたちが作った山やら川やら温泉やらででこぼこ、水たまりたくさんの園庭を往復しながら、もち米やせいろ、もろぶたなどを外の水道で(!)横並びで洗う私たちお母さんである。歩きにくいし汚れるけど、このデコボコの園庭がいいのよねー。

サク、降園後に友だちの家に遊びに行く。迎えに行った帰り道、「きょう、トルコこうしんきょく10かいぐらいやった」と言う。10回?! クリスマス会本番は昨日だったのに? 

サクの話と、後日のクラスだよりの情報とを総合すると、前日のクリスマス会で充実感を覚えた子どもたちが「がっそう、やりたいやりたい」と言い出したのでまた先生が楽器を出してあげて、本番で担当したものだけでなく、自分がやりたい楽器を交替しながら、本当に10回以上やったそう。「しき(指揮)もした、2かい」とサク。指揮って、あらゆる楽器をマイムと口真似で指示していく奮闘モノ。見たかった。 

夜ごはんは、鶏団子と野菜のスープ、五目豆。五目豆なくなりませーん!



 

『おんな城主直虎』 第6話 「初恋の別れ道」

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いやー、やばいね。「真田丸」の録画にも手を付けていない今、「直虎」まで録画消去できない流れになってきて、我が家のハードディスクの残量が危ない。また家族に「消せ、消せ、まずスケート(フィギュア)を消せ」と言われる流れだな・・・w

直親がおとわに「悔しくないのか!」と迫り始めたとこで、もうぐっときてしまった。「ごちそうさん」といい、「天皇の料理番」や「経世済民小林一三」といい、森下脚本で人が感情をあらわにする場面と、非常に相性が良いといいますか。すごく掴まれるんですよね、私。

「死んだことにして娶ろうなんて直親怖い」「事が決まったあとであすなろ抱きする直親ずるい」って声もネットで散見したんだけど、そういう残酷さを含んだ描写をするのもこの脚本家らしいのよね。

しかし直親も、「井伊の跡取り」という地位を得た今だから、強くそして怖く見えるわけで、これまでの9年間はやはり必死だったと思うのですよ。父の死を寝耳に水で聞かされてから、あれよあれよとお尋ね者になり、追っ手に怯えながら暮らしてたわけですよね。井伊に戻れる日がくるのかどうかもわかんなかった。一生懸命文武に励んで、みんなに認められる立派な男として戻ってきたけど、絶望とか憎悪とか諦めとかヤケのやんぱちとか、いろーんな気持ちでぐるぐるするときもあったんじゃないでしょうかね。

死んだことにして名前も変えて、数年、親しい人たちに会えなかったとしても、家のために犠牲になり僧として無味乾燥な一生を終えるよりは、妻になり母になって、俗世の人として苦楽を味わった方が、生まれた甲斐のある人生のはずだ。そういう提案なんだよね。「娘としての喜びも『悲しみも』…」と言ったんだから。そういう思いに至るまでの直親の9年間を想像すると、やはり切実なものがあります。たぶん今後、作中でその9年間の空白について触れることあるだろうけど。

その「僧としての無味乾燥な一生」を「黴びた饅頭」なんてものに比喩しちゃうのが凄味だよねえ。切羽詰まった態度で直親に「井伊を継ぐ者として答えよ、我と添うのは上策なのか」と問い、問答のあとで「黴びた饅頭、重畳ではないか」と笑う、一連の柴咲コウの演技もすばらしかったと思うのです。私は今回で、この物語への期待値をぐっと、ぐっと、さらに上げましたよ。

おとわの言葉に覆らなさを悟った直親は、あすなろ抱きしながら「置き去りにしてすまぬ」と言うのですよね。自分は井伊の跡取りとして、世に出ていくのだと。嫁もとり、子も作り、茨かもしれないけどとりあえず日なたの道を歩く決意だよね。おとわへの思いは本物だったはずなのに、おとわと心中するのではなく、そっちの道を選ぶ。そこには直親の、自分の生き方への強い思いがあるよね。9年間、表向きは死んだ者にされていて、いわば「置き去りにされてきた」直親が言う「置き去りにしてすまぬ」には、口先だけじゃない重さがあったと思うよ。

あすなろ抱きもさ、ひどいっちゃひどいけど、嫁をとったあとでやるよりは遥かにマシだし、おとわが一生、男女の仲というものから隔絶して生きるのであれば、あんなあすなろ抱きだって、ないよりあるほうが小さな宝物になるかもしんないよ。「置き去りにしてすまぬ」には直親の真情がこもっていたのだから。

でもね、直親もまた、おとわの9年間を知らないんだよね。おとわの竜宮小僧人生は、楽しいというのは違うかもしれんけど、無価値で憐れまれるべきものじゃないと思うよね、視聴者としては。

この回を見てて思ったのは、

●おとわ・直親・政次の三者は、それぞれに、本人にしかわからない思いがある。他の2人とは共に歩めない道をそれぞれが生きる。

ということ。そして、最後の直親と政次のシーンを見て、こうも思った。

●三者のうち二者だけが共有し、もう一人には見えないものがある。それは、おとわ-直親ペア、おとわ-政次ペア、直親ー政次ペアと、3通りすべてにある。共有する思いは、ライバル心だったり、淡い思いだったり、労わりだったり、たぶんいろいろ。

●そんないろいろな思いを、1人ずつが、あるいはいろんなペアが抱えながら、これから共闘したり、葛藤したり、いろんな喜怒哀楽があるんだろう。

ってこと。

2016の星野源に続いて、2017は高橋一生イヤーになりそうですけども、政次の魅力だけが屹立してたら面白くない。直親も拮抗してこそ物語は盛り上がるわけで、そのことを重々承知しているだけじゃなく、ちゃんと表現してくれる作り手だと信頼しています。

「3人」のいろんな関係性を存分に堪能させてくれるんだろうなってわくわくする! それに、尾張攻めを進めてる今川、雀を手懐けた家康・・・歴史もじりじりと動いてるよ!

 

 

師走の九 / 歌と合奏のクリスマス会

●12月某日: 近所の子と待ち合わせて一緒に徒歩で幼稚園に連れていく。早めに昼食をとって、かなりの雨の中徒歩で再び幼稚園へ、12時からクリスマス会の練習、お母さん劇団。よしもう完ぺきだ、これ以上は練習しない方がいい、ってことになって、最後の30分くらい円座でお茶飲んでおやつしてたw 

他学年のママさん(お母さん劇団での同僚生活は3年目)がかなりの活字好きだというのが最近分かり、主に小説を読んでる様子だしピアノも上手な人なので、私が2016年に読んだ数少ない小説の中から、自信をもって『ピエタ』をお薦めする。

サク、夕方、図鑑を見ながらハヤブサとかオオカンムリワシとかカリフォルニアコンドルとかいろいろ描いてる。色まで塗って、なかなかリアルなタッチ。

クリスマス会でやる合奏「トルコ行進曲」を歌いながら、いろんな楽器をパートごとにエアでやってみせたり。かなり細かくやるのがうける。何より一番面白いのは、指揮者の先生の真似。先生は、身振り手振りに言葉も交えながら細かく、そりゃもう一生懸命に指揮をするというか、こちらも楽器の演奏のマイムをし続けるのだ。それを、自分でトルコ行進曲のメロディーも歌いながら、真似をするサク、大忙し。

「おかあさん、クリスマスかい、たのしみ?」すごーく楽しみだよと力を込めていうと、「どれくらいたのしみ? おれはね、1まんパーセントくらい」だって。

 

●12月某日: クリスマス会だがあいにくの雨。8時、近所のママが4人の園児をまとめて乗せて行ってくれたんだけど、乗り込むとき、雨が突然ヒョウに変わってびっくり。一度家に戻って、8時45分、幼稚園近くのクラスの子の家で、お母さんたちの歌の練習。ピアニストでもあるFさんが、抑揚のつけ方やサビをアカペラで追加することなど提案してくれる。

9時半過ぎから幼稚園に移動し、45分にクリスマス会、開始。サクは私を見つけるまでにしばらくかかり、キョロキョロしてた。目が合うとニッコリして落ち着く。子どもってかわいくて切ない存在だなーとこういうとき思うよね。親が本当に大きな存在なんだよね、小さい子には。

暗幕を引いて真っ暗になった講堂の中、最初は年長児だけが壁に沿って並び、一人ひとつずつキャンドルを持って、先生に火をつけてもらう。みんな緊張した、でも誇らしげな表情。ピアノの「きよしこの夜」に合わせてお母さんたちがハミングする中、年中・年少児が入ってくる。普段の幼稚園とはまったく違う雰囲気に、緊張しつつ興奮してる面持ちの子が多い。

みんなそろったら歌詞入りできよしこの夜を歌い、年長児は自分のキャンドルの火を吹き消す。そのまま、年長児の歌。「はずむよ はずむよ」「羊飼いの娘」「たきぎとりの歌」そして「十二月の歌」。十二「つき」の歌、と読む。

もえろ もえろ あざやかに
夏は かっかと 照るだろう
冬は なるたけ あたたかく
春は やさしく 照るがよい
もえろ もえろ あかるくもえろ
きえないように どんどんもえろ
もえろ もえろ ぱちぱちと
つもった雪の 山がある
若木林の あちこちに
木の実が たくさん なるだろう
もえろ もえろ あかるくもえろ
きえないように どんどんもえろ

毎年、年長児がこの時期に歌っている歌で、すごく情熱的でかっこいい歌なのだ。ピアノ伴奏もダイナミック、ドラマチックで、サクも「あれがいいんだよね」と言っていた。

続いて年少さん、年中さんのかわいくて元気な歌や楽器遊び。一年ごとの子どもたちの成長を感じる。子どもたちの歌声や歌い方って、1年で全然違ってくるんだよね。子どもたちの出し物の最後はやはり年長児がしめくくり、合奏『トルコ行進曲』。原曲3分30秒のピアノ演奏をテープで流して、それに合わせて、鈴、トライアングル、タンバリン、木琴、小太鼓・中太鼓・大太鼓・シンバルの各楽器が演奏するんだけど、もーう傑作である! 子どもたちの様子はそれぞれさまざま。先生の指揮を食い入るように見て必死についていってるふうの子もいれば、確信をもってやってる子、ぽやーんとマイペースにやってる子など。サクは前日に自信があるふうなことを言ってたとおり、自分のパートはよく覚えている様子だが(「おれ、まちがえんよ。せんせいにも、もっきんさんじょうずねーっていわれた」)、割と緊張した面持ちだったような。

とにかく、いろんな表情、いろんな思いの子どもたち、みんなが集まっての、この合奏のこの音なのだなあととてもうれしく、面白く感じた。曲が終わったときの、子どもたちのホッとしたような、やってやったぞというような顔も良い。もちろん、万雷の拍手。

さて続いてはお母さんたちの歌。クラスごとに披露する。年少組は赤い服装で「おめでとうクリスマス」、年中組は白い服装で「踊ろう楽しいポーレチケ」、そして私たち年長組は緑の服装で「おぼろ月夜」。服装は、クラスごとに色みがそろっていて、でも思い思いのグラデーションがあって、舞台に上がるととても華やかさがあります。お母さんたちの歌声を聞けるのは1年でこのときだけ。この時間もとても好きだ。

そしてお母さん劇団による手袋ダンス「おもちゃのチャチャチャ」。手袋以外は演台に隠れているので子どもたちの表情は見えないけど、何度か歓声が上がる瞬間があり、見ていたお母さんたちからも面白かったと言ってもらった。夜、ビデオを見た座長さんから「神ってる!」とメールありw 

サクは帰宅後、「めっちゃおもしろかった! おかあさんはどこにおったと?」と聞いてきた。「前の段の真ん中だよ」と言うと、「ああ、ひとりだけこういううごきするとこあったよね」とやってみせる。他の動きもいろいろ正確に再現してた。よく見てる。「こういううごきのところ、みえないかべを さわってるみたいだった」とか具体的な感想も。

最後にサンタさんが来て、子どもたちにプレゼントを置いて行ってくれた。サクいわく「わかそうなサンタだったな」www

午後、サクとクッキーをたくさん作って焼く。彼はサンタさんにもらったコマ(紐でまわすやつ)に熱中。最初は全然回る気配がなく、すぐにあきらめるかと思いきや、おもしろい、おもしろいと集中し続け、ひもを巻くのも早くなり、ついに成功するとヒートアップ。1時間くらいやってたんやないかな。夜ごはんは、クリームシチュー、レタス、五目豆。献立に統一感とか問うてはならない。

 

師走の八

●12月某日: サク弁、ごはん、かつの卵とじ、卵焼き、きんぴらごぼう、ほうれんそう、大根煮物。

夜中に鼻水や咳で何度も目を覚ましていたサク。私たちも付き合って随時起きていたので眠たいでがす。ということで降園後は病院に。風邪(ウイルス)というより鼻炎(アレルギー)的なものだと先生は言うけど、これって冬の間ずっと治らないんでしょうか・・・。帰宅後も動きが鈍くテレビをボーッと見てる。お疲れですわな。幼稚園で使い果たしてきた感じ。

夜ごはんは、豚と玉ねぎとしめじのしょうが焼き、里芋の煮ころがし、サラダ。生姜焼きうまかった…。昨日、義実家から、もらいもののおすそわけで茅乃舎のだしパックをもらったので、里芋煮に使ってみた。ちょーうまい。なにげに初・茅乃舎。サクを寝かしつけて、今日はいいやって観念して私も寝た。すごく疲れてたの。

 

●12月某日: 何件か手紙・はがきを書いて投函したり、支払や、配当金の受取などの雑事。ここのところ後回しになっていた放送大学の講義を2回分受講。チョコ入りスコーンも作った。入浴中、サクが「あたらしい(浴室用の)イスの すわりごこちはどう?」と言う。そんなこと尋ねるようになったんだー。「座り心地」なんて語彙もサラッと出てくるんだね。

夜ごはんは、豚肉のにんにくみそ焼き、味噌汁、五目豆。トンカツ用の肉を使った、「きょうの料理ビギナーズ」のレシピ、美味しかった。明日の天気について、Eテレ「0655」および「2355」でやってる「さらば、○○」シリーズの替え歌で心配して見たら、サクがノリノリで自分もどんどん替え歌を作る(ノリノリって死語ね)。

「♪あしたは あめか ふらないか わからないけど こどもは どしゃぶりでもはしりまわる やんちゃだから(大意)」

みたいな歌詞で朗々と歌い上げていた。夫は飲み会。サクを寝かせてから井上芳雄×高橋大輔のスイッチインタビューを見て、さらに畠山重篤×宮崎学の回のも、再見する。