文月の十
●7月某日: 朝ラン5.5キロほど。9時ごろから始めて川沿いのコースだったけど、日陰が無くてもう大変暑かった。これからしばらくの季節は無理せず、でもちょこっとでも走ろうの気持ちで。スパイスたっぷりのカレーが食べたいと家族に提案、平尾「ジョティ」へ。インドカレーのお店ほんと増えたけどほんと安いよね、って、これ私、数日前も書いたっけ? 人件費の問題なんだろうかやっぱり。安くても、どこもほぼ間違いなく美味しいからうれしいんだけども。
そのまま、サクとパパは博多駅へ、鉄道模型店でNゲージを走らせに行ったけど3時間待ちだったらしい。昨夏に買って気に入った魚の図鑑(とはいえ当時は怖いのが載ってるから捨てたいと言ったのを私が隠しておいて、最近復活した)のシリーズの、「昆虫」を買ってきてた。最近の図鑑のすごいのなんのって、なんかスマホをかざしたらムービーが見られるの。私がその技を習得するとしょっちゅうやらされてイヤなので、夫担当にしたけど。
夜ごはんは天ぷらそば。さつまいも、ピーマン、ささみを揚げてくれた。「鶴瓶の家族に乾杯」綾野剛の回。当たり前だけど、東出くんといい、個性が出ますなこの番組。
●7月某日: 夕方から、サクの仲良しの友だちが遊びに来て、そのまま泊まっていく運び。泊まるほうも泊まられるほうも、お互い初めての経験である。寝坊ぎみに起きてきたサクにそんなプランを提案すると、「うん、うん」と静かな肯きからだんだんテンションアップ! 母と姉に贈りもの、サクが折り紙の切り絵で「木に止まる虫たち(かぶとむし、くわがた、かなぶん)」という作品を同封する。フリーハンドで切りだしている技術が、私には既にわからない。
さて16時ごろ、友だち来たる。ひと遊びする様子も、2人ともいつもより興奮ぎみ。5時過ぎ、お風呂。「おれたちだけでだいじょうぶ!」と力強く言うので、風呂場でのケガがいかに危ないかせつせつと訴えたのち、「困ったことがあったらすぐに呼ぶんだよ」と言い含めて、まかせる。はたして10分後くらい?「かーちゃーん! こっちこーい!!」とやや切羽詰まったサクの声。
駆けつける(というほど広い家ではない)と、友だちNくんが泣いている。目にシャンプーが入ったらしい。ジャバジャバと洗わせると大過なさそう。「○○、シャワーできん・・・」としょんぼりするので、「おうちではどうしよると? おんなじようにやろう」と言うと、「おかあさんにしがみついて・・・」と言うので「いいよ、やってみて」というと、素直に両腕を私の胴体にまわすNくん。やばかわいい・・・!
夜ごはんは、餃子、チーズ&ソーセージキャンディ、さつまいもサラダ、コールスロー、きゅうり。餃子は子どもたちに手伝わせて包み、定時で帰ってきた夫が焼く。49個つくって余ったのは5個。Nくん、すんごい食べっぷりの子なのだ。気持ちいい。
しばしラジコンやジグソーパズルで遊び、布団敷きも子どもたちに手伝わせ、しばし布団で暴れたあと(友だちお泊りの醍醐味だよね)、絵本を読んで電気を消すと、Nくんがごく小さな声で「サクタロー、○※◆×▽#」・・・と囁く。サク「もうちょっとおおきいこえでいって」と、こちらもごく小さい声で囁き返す(笑)。Nくんもう一度言うが、私にもサクにも聞き取れない。というかシクシク泣いてる。
「だいじょうぶだよ、サクタローが朝まで隣で寝てるからね。私のことも、いつでも起こしていいからね」と言い、サクと両側から額を撫でたり胸をトントンしていると、スーッと静かに寝入るNくんであった。てか、興奮したサクが寝やしねー。
『14歳からの社会学』 宮台真司
14歳からの社会学―これからの社会を生きる君に (ちくま文庫)
- 作者: 宮台真司
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2013/01
- メディア: 文庫
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一読すると、あちこちにちょっとした古さを感じる。もともとは2008年に刊行された本なのだという。恋愛や、仕事や、死について、今なら少し違った言及をするんじゃないかなと思う。この本に限らず2000年代の作品でそういうふうに感じることはよくあって、震災という出来事がどれだけ大きかったかを思う。
そうだとしても、読みでのある本だった。中高生向けにこういった本があるっていいと思う。親や先生に対してイライラしたり、自分のこの先の人生がつまんなく思えたりする時代。でも、その源はわからないし、どう対処していいかもわからず、反抗したり、つまんないとわかってることに没頭したりする時代。こういう本を読んで、すっとする子はいるだろうと思う。
14歳には難しいだろ~っていう話(カントやハイデガーの理論の紹介とか)が含まれていたり、筆者の子ども時代や恋愛体験(!)の話もあって、なんというか偏っている本でもある。無難な教科書みたいにしないという意図なんだろうなと思う。中2・・・。これを読んで筆者自身に超傾倒する子もいるかもしんない。でも、そうやって読み込むことで、派生事項に興味を持って、いろいろ見たり読んだりしながら年齢を重ねるうちに、いつしか自己を確立していくかもしんない。そういう「感染」と「卒業」が大事なんだ、と、この本に書いてあります(笑)。
いいなと思うのは、時代に伴って人々の意識や社会がどう移り変わってきたかを簡潔にまとめているところ。
「みんな仲良く」「みんながそう言ってる」の「みんな」が、時代と共にどう変化してきたか。
自分たちが受けている教育システムの原点は何か。当時の社会背景はどんなもので、どんな国民を育成するために教育課程が組まれたか。それが、現代、どのように合わなくなってきているか。
子どもは「今」しか知らないし「今」の視点しかないけれど、中高生になると、時代の数直線を伸ばして物事を見ることができるようになる。そんな時期にこういった俯瞰に触れると、とても新鮮で、世の中が違って見えるようになると思う。自分の立っている座標が見えてくるというか。
それから、(体験談などに偏りはあれどw)対人コミュニケーションや、生死や、社会に対して真摯に向き合おうと呼びかけているところ。「上手になれ」とスキルアップを求めるのではなく、真摯にコミットしようと言っている。その難しさや怖さを語った上で、それでも真摯なコミットはバーチャルやニヒリズムをはるかに凌駕するものが得られるのだと。
そのためには、自己と他者両方の「尊厳」が大切で、尊厳を支えるのは「多様性」だと冒頭ではっきり述べている。そういうことってあらためて語らずとも大人の姿から子どもが感じ取ってくれたらいいんだろうけど、こうやってストレートに書いてある本があっていいと思う。
ちょっとどうかなと思うのは仕事についてで、やりがいなんて必要ない、やりがいと吹聴するのは大人たちや社会の罠で、そんなものを過剰に求めるから不幸になるっていうのは大筋でそのとおりなんだけど、この本が書かれたときよりもさらに今、若者の雇用状況は悪くなっているだろうしその歯止めも見えない状況だと思う。「働く」ことへの期待水準を下げておくのが自衛だとしても、下げ過ぎるのも大人の不誠実なんじゃないかなあ。
おすすめの本や映画などがいろいろ載ってるのは楽しい。SF作品の社会批評性について述べていて、たくさん紹介している。大人には、巻末の重松清との対談が面白かった。
僕たちの世代は「民主主義」=多数決だと単純化して思いこんじゃった人がすごく多いんじゃないか、と。「みんなで決めたんだから文句言うな」というやつです。その「みんな」というものにうまく治まったときの安心感と、そこからこぼれてしまったときの不安感っていうのを、親が持ってると思うんです。そういう「みんな」との折り合いの付け方の難しさを、14歳の子どもだけでなく、親も持ってると思う。
同じく対談中、「切断操作」「クレージークレーマー」についての話も面白かったので興味のある方はぜひ。
文月の九
●7月某日: 1日2外食。私は一昨日もそうだった。なぜかこういう時がある。昼はうちの実家の親・姉夫婦と回転ずし。回るお寿司って子どものテンションを超上げるよね、パネル注文して皿ゲットして食べてとサク、大車輪の動き。父が孫を喜ばせようとメロンソーダを注文したら想像以上にすっごくでかくて(まるごとメロンを半分に切ったところにアイスやらかき氷やら入ってる)、こういうのって親子世代だけでは絶対頼まないのでまぁ夏の良い思い出としましょう。
姉から誕生日のプレゼントにヘリコプターのラジコンをもらって大喜びのサク。ラジコンづいている。国分くんが「男子ゴハン」でやってたものらしい。30分充電して5分しか飛べないというシロモノだが(笑)とってもかわいくてよくできている。
夜は幼稚園の友だち家族と近くの居酒屋。子どもたちここでもテンション超高く、「もうちょっと、もうちょっと小さい声で」と何度も言う。連休ということもありよそも小さい子連れのお客さんちらほらでよかった。親たちもよく飲み2時間ほどで解散、帰宅後サクを寝かせて、夫と2次会、『プロフェッショナル仕事の流儀』2連発。デジタルクリエイター猪子寿之と、保育士の野島千恵子。
●7月某日: 夫、午前中、幼稚園の夏祭り仕事会。サクは朝からすごろく製作に意欲を燃やし、夫が出発した後は私がパートナーを引き継ぐ。コマに「3こすすむ」とかいろいろ作ってるんだけど「おどる」とか「おちゃのむ」とかがあってウケる。
日曜美術館、花森安治。ついに常子と花山の雑誌作りが始まるこのタイミングで、NHKはいろいろ関連番組を仕掛けてきているようだ。花森が描いた雑誌の表紙の数々、なんだか泣きそうな気持で見る。
ところで3連休中ですが私、放送大学の試験前で勉強もしています。が、気分転換も兼ねて(というほど勉強してないくせに)午後、ぎょうざの皮が破れないフライパンなどを調達に家族でホームセンターへ。花火やらお風呂に貼るポスター(子ども)やらも買った。夜ごはんは夫の労作。ささみ青じそチーズカツ、地鶏のロースト、ナスの揚げ浸し、豆腐ときのこの中華炒め煮。一度食べてから栽培した豆苗も収穫(?)して食べた。おつまみに目刺し。ビール、白ワイン。
『とと姉ちゃん』 最終週 「花山、常子に礼を言う」
#とと姉ちゃん。正直、先週は脚本の達者でないところ&朝ドラ最終盤の難しさが前面に出ちゃってた気がして、最終週ではこのドラマのすてきなところを存分に見たいなと思うけど、いいとこもそうでないところも、ごった煮状態で最終盤に表れるのを堪能するのが長編ドラマの最期の醍醐味かも。
感情移入して半年なり1年なり見てきてたら、最後には何が来ても「あーこれこれ、こういうところ、このドラマらしいよね。こういうのももうすぐ見納めなんだね」って感慨深くなるような。
鞠子と2人で仏壇前のシーンは初めてだったね。君子亡きあと、この家の主婦としての大黒柱は鞠子なんだよなーとあらためて。「常子の相方は花山」だけど、常鞠コンビも大好きだったのでうれしかった。鞠子の支えがあってこその常子の活躍。2人きりのシーンはこれが最後かな #とと姉ちゃん
常子自身が言うとおり、在宅勤務がすべてを解決するわけじゃない。でも何か始めないと変わらない。ヒロインが魔法のような策で皆を救うのではなく、「それぞれの暮らしを大切に」という目的のためできることを考えてやってみて試行錯誤しながら進んでいく。現実的なプロセスを描くのね #とと姉ちゃん
栄養不足で痩せていた茜が元気に成長し結婚出産して、今は食べるものはたくさんあっても夫が多忙で不在がち、娘と2人じゃ寂しいからと実家にしょっちゅう来てる。花山は体を壊したことで家族の団らんを取り戻した。いろんなことが変わっていく中、立ち戻るように広島に向かう花山 #とと姉ちゃん
あー。やっぱり流れてきた。スタパとかあさイチのゲストって基本的に好きな人が見るもんだろうと思ってるので、ケチつける気まんまんでわざわざチャンネル合わせて怒涛の勢いで実況やらRTやらしている人にはおどろく。ま、アンチの典型的な行動なのかも。おつかれさまですよ
あー。やっぱり流れてきた。スタパとかあさイチのゲストって基本的に好きな人が見るもんだろうと思ってるので、ケチつける気まんまんでわざわざチャンネル合わせて怒涛の勢いで実況やらRTやらしている人にはおどろく。ま、アンチの典型的な行動なのかも。おつかれさまですよ
暮らしが一番大事なんだ、もっとも守るべきものなんだと言い、妻子や孫とのささやかな幸せがすぐそばにあるのに、爆弾のような病を抱えながら死ぬまで編集者でありたいと言い切る。人は矛盾した生き物ですね、何かを為す人は業が深いですね #とと姉ちゃん
取材は無理だから読者原稿を募集。本物が無理なら次善の策という #とと姉ちゃん 頻出のモチーフだけど、なぜいきなり広島か。なぜせめて企画を常子には相談してから行かんかね。と思うけど、常子も自宅勤務の案、黙ってたもんなあ。何十年経っても人はするっと最善には辿りつけないんですね
Pは政治色は抑えたいと言ってたらしいけど、世情がこんな中「嘘みたい、バカみたい、騙されないように」という言葉を劇中で書けるのは、原文があるからかもなあ。行進し旗を振る「子ども」たちと千人針を刺す「女性」たちの記録映像。唐沢寿明の力のある演技。結構がっつりやった印象 #とと姉ちゃん
“戦争中の人々の暮らし”企画。一見、過去に立ち戻っているようだけど、「女性がより働きやすい職場を」と考えた常子と同様、見据えているのは現在と未来なんだよな。歴史を見つめなおすのは永久に戦争をしない未来のため。しかも、与えられた歴史ではなく自分たちで語る歴史。#とと姉ちゃん
戦争中の暮らしを記録し、当たり前の暮らしの大切さを伝える。もう二度と、騙されて、嘘みたいな馬鹿みたいな戦争をしないために。滝子が「40年、50年先に生きる人のことを考えて仕事を」と言ってたよね。昭和48年の40数年後が現代なんだなあ。#とと姉ちゃん
48年に入ってからの常子の細かい老け演技、すさまじいレベルだと思う。
RT そそ、わかりやすく声のトーンを下げるとかゆっくり喋るとかじゃなく、細やか?にやってるよね。綺麗な中年・お年寄りじゃなくて、快活に働く女社長なんだけどもっさりした感じに寄せていってるのがさすが。体も相当丸く見えるように何か来てるんだろうけど、若いのによくやるよ。#とと姉ちゃん
あー、常子の老け演技が絶品で、思わずリピートしてしまった昨日今日。高畑充希おそるべし。そして2回目見ると、当たり前だけど唐沢寿明の演技もすごいな。花山も昭和48年から超老け演技になってる。 #とと姉ちゃん
かつての広告事件の話をしながら、今また3姉妹がちゃぶ台で雑誌作りの作業をする。戦後まだ事務所もなかった頃や、さらに昔の歯磨き作りでの3姉妹の作業風景を思い出す。もう君子は亡く、花山も病床についている。長い月日が流れたからこそ、いま再びのちゃぶ台作業が尊くて泣けたわ #とと姉ちゃん
今号は丸一週間やってほしいくらいだけど諸々検討してこの尺なんだろな。ただ、花山が読み上げる読者の原稿(ここで既に涙)。戦争を経験し50代になった3姉妹の作業を経て、映る誌面の戦時中の写真やバックの音、「町がもっとも苛酷な戦場」の文章など。抑えた表現だけどよかった #とと姉ちゃん
今日も常子の老け演技が絶品。超クセになる。先週の録画も全部残しとけばよかった。若い朝ドラ・大河ヒロインは、声の高さや喋りのスピードで中高年を表現することが多いけど、ちょっとした表情・仕草や話しぶりなどディテールで魅せる高畑充希。土曜日あたりにもっと老いるのかもね。#とと姉ちゃん
昭和後半の50代、創業女社長。老人ではないよね。高畑充希はキムラ緑子ともよく飲むらしいし、50代の雰囲気は参考にしてるかも? 飾り気なく自信があり快活。でも、上半身の動きに下半身がちょっと遅れるとか、喋るとき額に皺が寄りやすいとか語尾がバサッと切れるとか。#とと姉ちゃん
今日の #とと姉ちゃん はすごすぎて、「何も言えねぇ」気分…!
常子が「もし亡くなったら私どうしたら」と不安を吐露できたのも衝撃だったが、花山の「大丈夫だ」という返答の優しさと強さに泣いた。この「大丈夫」は気休めじゃなく、常子への、そして読者への揺るぎない信頼から出ている言葉なんだよね。なぜなら死後に掲載を頼んだあとがきに(続 #とと姉ちゃん
承前)花山は雑誌を紹介してほしい、と読者に頼む。花山が「自分の死後も雑誌を頼む」と願う相手は常子であるのが自然なのに、読者に頼むんだよね。読者を信じてるから頼める。読者を信じてるから常子に「大丈夫」と言える。そしてそんな読者を育ててきたのは常子であり花山。この均衡 #とと姉ちゃん
「花山の代わりは誰もいない」ほど大きな存在だと今週も描いてきたのに、常子が花山の代わりをつとめなくても大丈夫、常子自身の考えで大丈夫だし、常子が作ってきた雑誌には百万の、共に旗を掲げる読者がいるんだし、花山は常子に宿って一緒に悩んでくれる。ここまできたのね。泣くわ #とと姉ちゃん
花山がいなければあなたの暮らしは作れなかった。でも常子がいなければ花山がペンを握ることはなかった。そうして作った雑誌に百万の読者がいる。一冊一冊、財布からお金を出して買ってくれるから、広告収入のない雑誌を作り続けられる。常子と花山と読者の、この永遠のメビウス感! #とと姉ちゃん
常子はもう誰の代わりにもならなくていい、でもそれは常子がここまで走り続け、積み上げてきたものがあるからなんだよね。雑誌には読者がいるから、常子の肩には花山が宿るから、花山を失っても大丈夫。そのことを最後に花山が教えてくれる。熱い… #とと姉ちゃん
で、それを演じる高畑充希と唐沢寿明のすばらしさがね・・・すばらしかったよね。ものすごく静かな回だったよね。#とと姉ちゃん は静けさがすばらしい。いつもそうだね。
常子と花山はお互いにとって唯一無二の相手であり他人の入り込めない絆で結ばれた関係なんだけど、憧れや情はふんだんに盛り込みつつも、一滴も恋愛的なにおいを持ち込ませなかったこと、改めて心から称賛したい #とと姉ちゃん
常子が喫茶店で花山に迫る回、バラックで私となら雑誌を作れますと言い花山が決意する回、そして今日、2人の別れ(多分)。この3回で、中の人は親子ほど年の離れた2人がベストバディであると如実に表現してくれた。男女も上下もなく拮抗した関係性なんだよね。すごいべ高畑充希。#とと姉ちゃん
放送前はさすがに年の差ありすぎではと思ったけど、花山を演じるのは唐沢ほどの本物感ある俳優じゃないといけないし、唐沢寿明とバディるなら高畑充希ほど達者じゃないと無理。で、この2人だから男女の性が一切匂わないバディが表現できた。2人の繊細かつ力強い演技。すごいもん見た #とと姉ちゃん
「君は27年一緒にやってきて、だいたい僕の考えと一緒だよ。君の考えだけでやっていけるだろうけど、悩んだ時は君の肩に語りかける。君に宿ってやるから」これは武蔵の「ととの代わりになってくれ」の反対なんですね。誰かの「代わり」じゃなくて自分自身の考えでやっていけるのだ。 #とと姉ちゃん
花山が死をほのめかすような発言をした瞬間の常子の表情が例によって素晴らしかったなあ。ほんと震えがくるくらい。今週は高畑さんの集大成でもあるね。
常子と花山の、恐らく最後の場面に妻の三枝子を居合わさせたのも良かった。三枝子は花山と常子の関係をどう見ていたのだろう?という余韻があるもんね。
#とと姉ちゃん 花山伊佐次は決して常子に俺の代わりになれとは言わない。ありがとうと言って、ただ手を振る。死んでも君のそばにいると言った。それは常子に常子のままであれと言う事である。花山姉ちゃんになるなと。とと姉ちゃんはととの呪いを受けた少女の物語である。花山は常子を自ら解放する。
RT うんうんそうですよね、って感動しながら、「花山姉ちゃん」にじわじわきてるw #とと姉ちゃん
竹蔵から常子への「遺言」を、自分は単純な「呪い」とは捉えてなくて、それはやっぱり「祝福」でもあったと思うんだよね。「とと役」は、大変なことも多いけど、普通とは違った素晴らしい景色も観れるよ、っていう。実際、常子はそういう「素晴らしい景色」を観たと思うし。
逆に、よく言われる「そのままのあなたでいい」って言葉が祝福ではなく呪いとして機能する場合もある。「そのままの自分って何?」「どうすればいいの?」って。「役」を与えられたほうが、上手く行く人も多いと思うんだよね。そういうことを、ドラマ全体で言ってる気がする。
「旗」が戦争の道具にも平和の象徴にもなるように、花山の言葉・ペンも戦意高揚と「あなたの暮らし」両方に使われた。「呪い」と「祝福」、「生」と「死」も同じことで、結局は同一の物事の両面でしかない。両面でしかないんだけど、それをどう意思的に利用するかはその人次第なんだよね。
「すばらしいものが見える気がした」という理由で、禁止されていた物干し台に上った子供時代の常子。ととは彼女に、「常子は、すぐに妙なことを考えては行動し、周りが見えなくなるけど。その発想力と、集中力は、すばらしいと思います。」と、そのままでいてほしいとその時に常子に約束させてた
>RT そう、竹蔵の「遺言」、常子が「ととの代わり」になること、常子が「素晴らしいものを見ようとする」性格を持ってることがセットなんだよね。それがあの物干し台のエピソードや「代用品」の桜のエピソードと連動している。常子なら、どんな人生にでも「美」を見つけてくれるだろうという祝福。
常子さんどうもありがとう、花山さんがありがとうって...これ、「私となら理想の雑誌が作れます!」と言った常子へのアンサーなんだな。27年かけて伝えたアンサー。 #とと姉ちゃん
宿ってやるからという言葉は重い。場合によっては残った人間を縛りもするが、いまの常子に花山が掛ければ支えの言葉になる。受ける側の状況によって、意味が変わる。 #とと姉ちゃん はこうしたことの繰り返しなのかな。あなたが私になる、偽者でも本物になる、縛りは支えになる。解放は孤独でもある
とりあえず本編録画見た。昨日に続き常子の表情や仕草のすべてがツボりながら涙腺決壊・・・のあとで、花山よろしく水平にこだわって「よし!」の美子と、妙にぞんざいに花山を呼び出す常子に癒されたw あと平常業務遂行の阿川さんはまったく違和感なかった #とと姉ちゃん
横たわる花山の顔をのぞきこむとき、美子もすんごい顔してた。そこからわっと泣き出すところもすばらしかった。杉咲花さん、感情をためこんで爆発する演技がすごくうまいんだね。ただ叫んだり泣いたりするんじゃなくて、見る方に突き刺さってくる演技っていうか・・・ #とと姉ちゃん
原稿用紙が何枚あっても足りない、花山から常子へのお礼は、最後の一行が空いていた。きっちり最後の行まで埋められる名編集者の彼がそうしなかったのは、病で力尽きたからじゃなく、書ききれない万感の思いをその余白に込めているんだろうね。予告で見てたフレーズだけど泣いたわ #とと姉ちゃん
言ってほしい人に言ってほしいことを言ってもらえなくても、それが親だったとしても、親でない誰かが代わりになることはできるのだと感じられた。親に言ってもらってない言葉はあるし、子供に言う前に自分が死んでしまうかもしれない。でもなんとかなるかも。そんな気持ちになった。#とと姉ちゃん
昨日、今日の終わり方がいい。ありがとうの言葉に押し出されて夜の雪の下振り返る常子の表情だけで花山との別れが分かった。インタビューで語る常子からは今後もあなたの暮しは続くということが読み取れる。全てを表現しないが先にあることは分かるという、余韻を残す終わり方がいい。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 「ととの代わりをつとめてくれ」も「君の肩に宿ってやる」も言葉としては双方かなりの重量があるけど、その後「なんとなくとと姉ちゃんになりました」とか「肩のり伊佐次みたいなノリで気軽に話しかける」とか、直後にその重さをふわっと軽くするのがほんとうまいw
花山さんをカジュアルに召喚し編集以外のことで「どうしたもんじゃろのう」と話しかける常子、いいなあ。花山なら「知るか自分で考えろ」とか言いそうだけど、そういう「あまり役に立たない妖精」みたいな相手が必要なときって確実にあるよね #とと姉ちゃん
RT カジュアルな召喚w あまり役に立たない妖精ww いさじ、がんばww
プレミアムトークの充希さん、大きな仕事をやり遂げた朝ドラヒロインらしい、充実感にみちた雰囲気だったし、沼にハマりそうになった・脳が死にそうだったとも言ってたけど、合間にキャストらとふざけ倒してたという写真や動画に、しんどい中でも楽しみを作れる強さを感じたなあ #とと姉ちゃん
ドアに挟まるアドリブがことごとくカットされた唐沢寿明を笑いながら「かわいそう」って、あの若さでなかなか言えないよね、大ベテランに対して。それは生意気や不遜じゃなくて、#とと姉ちゃん のドラマ同様、ふたりが役者として対等で尊敬しあえる関係だったのを表してるようだった
第1話が、第1話よりさらに30年を経てリフレインされ、常子が駆けてゆく後ろ姿でのラストにカタルシスと納得感があったのだけど、竹蔵(慕わしい死者)との邂逅が「とても変わったものを見た…」という驚きでしばらく考えてて、竹蔵が思いもよらない激しさで泣いたからだと思った #とと姉ちゃん
↑文頭、第1話が、じゃなくて「最終話が」。書き間違えた
年とった常子が亡父に褒められ労われて子どものように泣く前に、竹蔵が激しく嗚咽するとは…。あの夢は常子の心象風景のはずなのに、まるで常子が竹蔵を救ったように見えた。「いくつになっても娘」のはずなのに、父があんなに激しく泣くなんて。竹蔵の涙には後悔と無念とが詰まってた。#とと姉ちゃん
本当につらかったのはととの役を託された常子ではなく、ととの役目半ばで去らなければならなかった竹蔵だったのでは?と思った。確かに平坦な道じゃなかったが、老年になり振り返れば誰の人生もそうだろう。そして私が見てきた常子は平凡でも輝いてた。悩み考える時もつらい決断でも。 #とと姉ちゃん
死者がいつも見守ってくれるドラマはいくつも見たことがある。#とと姉ちゃん では死者の代わりに頑張った常子が、数十年を経て死者に労われるのと同時に死者を救ったのでは。悩んでもつらくても命は輝いていてすばらしい。死者には永遠に叶わないこと。遺った者が懸命に生きることで死者も救われる
生者と死者とが対等というか、遺った者がヘタでも懸命に生きることで両者共に救われる。こういう形で死者との邂逅を描くドラマは覚えがなくて、独特の死生観という気がする。それでいて、あまりに多くの突然の死があった現代日本で描かれるのは必然のようにも思う。#とと姉ちゃん
ととを頼んですまなかったと言う父に、常子は「ととじゃなくて、#とと姉ちゃん だ」と応える。ととになりきれない、ただの姉ちゃんでもない、時におしゃれおばちゃまだったりする妙なものが、常子が生きて作り上げたアイデンティティ。それが、花山や星野が敬愛を込めて呼ぶ「常子さん」だ。
考えてみれば、誰だって1つでなく、曖昧でもある様々な役割を生きている。妻や母といってもそれぞれにあり方は違うし、一人の人間が娘であり母であり妻であり、上司であり部下であり友人であり、ある人にとっては憎らしい敵かもしれない。長く生きれば役割は増え、変化していく。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん はどこまでも小さな物語で、人と人とに上下や優劣を作らずフラットだよねと思ってきたし同好の人々にも言われてきたけど、最後に生者と死者とまでがフラットになるとは思わなかった。見守られている暖かさとはまた違う、不思議な深みがあったなあ。と思ったらRTがまわってきて→
西田さんのインタビュー?で(ファボしそこねた…)8歳のときに2つ年上の兄を交通事故で亡くされたとのことだった。#とと姉ちゃん で西田さんに興味を持って放送中に出たインタ等はいろいろ見てきたけど、初めて見た情報だった。子どもの頃に突然の身近な死を経験した人なのだな…
平凡と書いたけど、周りに流されず、大切にするものを迷わない強さを持つ常子はやはり稀有な人だった。彼女が沈思黙考し、いろいろな人や場面をじっと見つめ、ときどき情熱的に語る姿がとても好きだった。それは高畑充希の演技あってこそ。常子に彼女をキャスティングしたPは大手柄 #とと姉ちゃん
脚本の根底に流れるものがとても好きで、現代にふさわしいと思うのけど、書き方なのか撮り方なのか粗削りな部分も。でもこのドラマを格上げしたのは高畑充希を始めとする演者の芝居であり、脚本演出の演者への信頼を感じる場面も多く、静けさや、静かな激しさが印象的なドラマだった #とと姉ちゃん
とにかく高畑充希の演技がすばらしくて、140字×何ツイあっても称えるには足りない気分です。超ハードスケジュールで順番もバラッバラに撮る長丁場の朝ドラで、映像による文芸作品のような繊細さ、複雑さ、そして情熱を見せ続ける芝居。いやうまいのは知ってたけどここまでとは… #とと姉ちゃん
高畑充希が24歳だと知って驚いたのが一昨日くらい。いや思ってたのと3,4歳しか変わらんかったけど、なんという若さ。彼女と仕事したいスタッフは大勢いる(しかも今作で増えた)だろうから今後も仕事には恵まれるだろうけど、いつかまた長丁場のヒロインでじっくりと見たいな。#とと姉ちゃん
常子が父との約束を胸に、子供の頃の目標をすべて叶えたのは立派なことだけど、それと並行して夢を叶えず家庭に入った鞠子や、夢と違う仕事をすることで家族を守っている星野のことも肯定してきたドラマだというのが #とと姉ちゃん の懐の深さだったなあと思います。
今の常子は幼子を残して志半ばで亡くなる若い男の無念をわかるほど歳をとったけど、その心の中には頼りになる大好きなととに褒めてもらいたい少女がずっと息づいている、という両方を感じる夢の邂逅だったのが本当素敵でしたよ #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん ととは願いだけ残して逝ってしまったから、常子は永遠にその答え合わせができないんだよね。けれど、これまでの人生で様々な人と関わり、様々な価値観を受け入れ、一人一人の「あなたの暮し」を肯定することを大切にしてきたからこそ、自分の人生も肯定できたのかな。ほんとによかった
#とと姉ちゃん 「多様性を肯定する」って言うのは簡単だけど、それを作品で表現するのはとても難しいと感じる。単なるどっち付かず、芯が無いとも言われかねない。とと姉は表現が(私にとって)違和感あるところもあったけど、根底に流れる、一人の個人を否定しない静かな眼差しがとても好きだった。
#とと姉ちゃん 夢枕に立つ早逝した父相手に(つまりは自問自答で)自分の役割が一段落したこと、自分の人生に悔いがないことを常子は再確認する。その孤独の荒野を思うと辛い。今思えば彼女に慟哭のシーンは殆どなかった。強い強い、類い稀なるタフなワーキングウーマンの物語だったのだ。
#とと姉ちゃん 自分自身の中で、自分の人生を捉え、評価し、内面に落とし込める常子の強靭さは間違いなく経営者のそれだった。朝ドラという枠のヒロインとしては、喜怒哀楽が薄く見えたかもしれないけれど、私はこの切ない女傑が好きでしたよ。
RT そう、常子は本当に、他者に流されず惑わされず、自分の大切なものを一心に大切にする強い人。だから大切なものを傷つけるアカバネ以外とは、三兄弟とも女学生とも鳥巣商事とも戦わなかった。人を羨まず人に同情もしなかった。やりっ放しだカタルシスがないと批判もされたし→ #とと姉ちゃん
→それがに愛されにくさに繋がってたとも思うけど、私含めて常子を好きな人はそんな常子が好きなんじゃないかな。そしてそんな態度は、情報が多く悪意も溢れ迷いやすく偏りやすい現代で大きなヒントになるように思う。常子は家族や仲間を大事にするけど自他の境界がしっかりしてるよね。#とと姉ちゃん
文月の八 / お泊り保育
●7月某日: お泊り保育に持って行くサク弁、おにぎり2種、ソーセージ、ポークビーンズ、卵焼き、さつまいもチップス、オレンジ。遠足のように外で食べるときは食べやすいようにおにぎりにする。食べ終わったら捨てるとのことで、プラスチック容器と割り箸。
サクはいつもより30分近く早い時間に自分で起き出してはきたものの、さほど興奮した様子も、かといって緊張した様子もなく割と淡々としてる。天気予報を見て「きょう、はれだー!」と言ったり、お弁当をハンカチに包み、おしぼりを濡らしてケースに入れたり、普通に楽しみにしている感じ。1回くらい「おかあさん、さみしい?」と言ったかな。でもナーバス感ほとんど無し。
昨日の大雨が嘘のように晴れてきて、しかも割と涼しい朝。「お別れよ~がんばってねー!」感を出すと子どもも緊張するので、できるだけ普通に別れた方がいいかもしれませんね、と先生が言っていたので、普通に別れる。バスが出るまで見送ってほしいと言った子も何人かいたみたいだったけど、サクはここでやや興奮気味なハイタッチで元気にバイバイ。いってらっしゃーい。
昼、六本松でサニー夫妻とインドカレー。スパイスたっぷり、夏はカレーだね! 場所を珈琲店に移しておしゃべりは続く。創業40年以上、城南線沿いでちょっと道路より床の下がった専門店。あたりまえだけどコーヒーめっちゃおいしい!
そのときの記事はこちらにも
「自分本位」を大事にする波がきてる~朝ドラ、大河、ライフイズマイン~ |
夜は夫と待ち合わせてビストロ。お泊り保育の夜は子連れでは行けない店に行こう!とは前々から決めていたこと、飲み食いのチャンスを逃さないのが私たち夫婦である。サクが楽しんでいることを祈って・・・熱を出したり怪我をして急きょお呼び出しなどないことを祈って・・・いのりつつ、飲む。工夫された前菜、バケットにパテ、ムール貝、鴨肉。美味しかった。ワインも。「よっしゃ、もう無事に寝ただろう!」と時計を見て、バーに入って飲み足す。夫と2人でこういうのは出産後初めてで、もちろんいろんな人と会うのも楽しいけれど、夫というものはやはり心安い存在だなあと思った(よっぱらいながら)。
息子のスケジュールは、集合から油山に登り、お弁当を食べ、下山して磯遊び、そこから宿泊先へ向かって、お風呂、夜ごはん、お楽しみ会。お楽しみ会は、今幼稚園で読み聞かせをしている本「かえるのエルタ」のエルタから、○○幼稚園のみんなにお手紙が届くという趣向に始まる。グループごとに問題が出され、リボンを結んだりトランプの絵探しをしたりしてクリアしていくと、最後にプレゼントの場所を示した手紙に辿りつき、各グループのリーダーが集まってそれを取りに行く(他の子たちは背後でがんばってー!と応援している)というもの。サクもリーダーの一員で、見事プレゼントの花火を発見したらしい。
(後日、そのときの写真を園で購入、花火のプレゼント発見!)
ちなみにそれが19時ごろで、この時期の福岡はまだまだ明るい時刻ですが、子どもたちはもちろん花火を楽しんだとのこと。グループごとに部屋に分かれて布団を自分たちで敷き、就寝へ。パパママと離れて寝るのは初めての子も多く、親としちゃやっぱりここがハイライトだよなあ様子が見たいよなあと思いますね。
●7月某日: 子どもがいない夜、布団が広い。子どもがいない朝、静か。お迎えまで有意義にすごそうと思っていたが、ゆうべの痛飲で頭があまり働かずかなりのんびりと過ごしてしまったが、これはこれでまあ良し。読書などね。11時半に迎えに行く。
幼稚園に迎えに行って、帰ってきた子どもたちの姿を見たとき、なんとも言えない気持ちになったなあ。子どもたちもなんとも言えない顔をしていたような。
迎えに行って、子どもたちが園の部屋で軽食をとっている間、担任の先生から迎えに来たママたちに、お泊りでの子どもたちの様子の説明がザッとある。山に登り、川で遊び、海に入り、大浴場で泳ぎ、花火もして、自分たちで布団を敷いて寝て。
で、担任の先生がそうやって話してくれている間に他の先生がコピー機をフル回転させて、お泊りの間、先生たちで書き継いださらに詳しい「お泊り速報レポート」を印刷して、渡してくれる。A4用紙に全9枚。
帰ってきた息子は園で私の姿を認めると何も言わずにひしっと抱きついてきた…のは一瞬で、さようならをしたあとも友だちと園庭で遊んでいるという・・・てか、さようならをしたあとも虫捕りしたり竹馬したりしている子が多く、先生に「みんなー、今日は早く帰ろうねー」と促される始末
息子は、割と普段から自分のことは自分でやってるし(幼稚園の準備や、体や頭を洗ったり拭いたりなど)、山登りや海も好きなせいか、事前の不安はかなり小さかったもようで「たのしみー!」連発、リュックや旅行バッグの準備も積極的にやってた。グループのリーダーになっている自負もあったよう
が、「おかあさん、おれがおらんかったら、さみしい?」とは何度か言ってたので、そのたびに「一つ寝たら帰って来るし、お母さんも保育園のお泊りとっても楽しかったから、●●がみんなと楽しく遊んでると思ったら淋しくないよー」と繰り返す。当日も園まで送っていくと割といつもどおりにバイバイ
夫には、前夜「おとうさん、あしたのよるは、おかあさんとパーティしていいよ」と言っていたらしい。お酒など飲みつつ長時間ゆっくり食べて飲んで喋る週末の夜をうちではパーティと言っている。確かに我々は言われるまでもなく、外でパーティを開催すべく事前にお店を予約していたw
帰宅後は、夜ごはん朝ごはん、山や海や蟹、お楽しみ企画や花火のことなど矢継ぎ早に喋りつつ、「おかあさん、さみしかった?」「きょうは、きのうのぶんもだっこしなきゃ」などかわいいことも言うが、「早く歯磨きしなさい」と言うと「あー、おかあさんおったら、やっぱりめんどくせー」とも言い放つ
帰宅後、山のこと、夜ごはんのこと、ふとん敷きや夜のこと、朝ごはん、海などいろんな話を矢継ぎ早にしたあと、コトンと昼寝。やっぱり気を張ってた部分もあったよね。ものすごくハイテンションだったとは先生も言っていた。「さくたろうくん、山登りも先頭で、すっごく大きな声で叫んだり皆を呼んだりしながらのぼってましたよー」 夜は泣かなかったもよう、となりで寝た○○ちゃんが2かいオナラしたーとか面白がってた。朝は起床時間(6時)より前に目が覚めていたらしい。で、昼寝もしたけど夜も早く寝た。
『真田丸』 第39話 「歳月」
一見、平穏無事な九度山スローライフなんだけど不穏も孕んでるよ、って描き方がうまいよなあと。
「全部こんな感じか?」「全部こんな感じです」予告ですでにネット民の話題をさらっていった絶妙な間合いのやりとりが序盤に。堺雅人と大泉洋だから、やっぱりこういうのも欲しいなって思うよねw 本人たちもやってて楽しかったのでは。
おそらく昌幸の死を受けて九度山に立ち寄った(?)らしい信之。「孫氏の兵法にも劣らぬ価値」からの「凡人にはわからん」の言葉には、この人の亡父への崇敬が滲んでたね。10年も離れて暮らし、僻地で死なせた(救えなかった)悔恨も含んだ崇敬というのかな。それに比べると、ずっとそばにいて、親父の悲哀もぶれないろくでもなさも実際に見て、暮らしの格好をつけさせるために借金を重ねていた源次郎の感覚はより複雑で生々しい感じもする。
でも、信繁は父のジレを受け継いでるんだよね。いや単純に、九度山の苦しい暮らしでは新品を求めるのも難しいだろうから、寒さをしのぐにはあれがベストなんだろうけど。昌幸のジレや座布団の獣けものした感じが、前半ではワイルドでかっこいい戦国の世を表現していたのに、信之たちが江戸や国元ではカチッと「江戸時代!」って感じの格好をするようになった今、時代に取り残された感を醸し出してる。
夕食時には「何の不満もありません」と家族で口をそろえておきながら、兄と2人になったら「実は生活が苦しいんです」って打ち明けるのがなかなかリアル。確かに九度山の生活は平穏。領地を攻められる恐れもないし、伏魔殿で上手く立ち回る必要もない。でも貧しいから畑仕事に精を出したり、行くところも制限されてるから身内でこぢんまりと過ごすしかない。だから子どもがポコポコ生まれたりするんだけど、佐助がペラペラと信之をdisったり、春がいりいりしてたりもする。
佐助は確かにあんなふうによく喋るのも彼の一面なんだろうけど、ストレスが溜まってるってことだと思うんだよね。能力を発揮する機会が全然ないんだもん。余計なこと喋らずに本気出せる人生のほうが、彼にはラクなんだろうな。江戸にいる薫ママはじめ女衆や女子トークに馴染める茂誠さんは居心地良さそうだけど(家康はもう江戸のインフラ等を整えている!)、戦乱の世が終わることで活躍の場を失う者たちも多くいて、その一人が佐助なんですな。領主たるもの、村の整備や領民の暮らしを安定させるのは大事な仕事、でもそんなの佐助にとっては「面白くない」の一言なんだよね。
徳川も豊臣もほかの大名も出てこなかったのが効いてた今回。中央政治の情報は入らず、というかそんなことより借金かさんで生活が苦しい九度山ライフ、ほんとに僻地で流人生活で、でもだからこそ得られた初めての平穏な日々なんだなあと #真田丸
そんな登場人物の少ない中、OPでトメグループにクレジットされたのは薫ただ一人で、高畑淳子の文字が燦然と輝き弾き消えていくの見て何とも言えない気持ちになった。これからしばらく、大河でも、他のドラマでも彼女を見ることはできないだろう。恐らく初めてだろう、大河クレジットの大トメが、とりあえずのありがとうさようならを彼女に伝えているようで切ない。綺麗な着物を着て若く輝かしい日々を(いろいろ盛りながらw)回顧し、皆に大事にされて幸せそうな薫の最後の姿も。
平穏でやることないから子どもポコポコ生まれて、でも平穏でやることないから春がきりにいらん対抗心燃やしてたりもして、閉そく感なんだよね。で、源次郎は子作りで春に応えることははできても子育てはからきしっていう詰んだ感じな・・・。
春がきりの言葉を聞いて突如態度を豹変どころか大好きモードに入ったわけは、はっきりとは説明してないんだよね。でもなんとやくすんなり納得できる。そういうとこもうまいなーと思う。と言いつつ、あのときの春の心情を忖度してる私なんだけど。 #真田丸
春がきりに心を許したのは、良くいえば、きりの励ましには裏がないってのがわかったんだろうし、悪く言えばきりなんか本当にメじゃない、って確信できたのかなって思う。「源次郎の子どもが欲しいと思うこともあった、でも素直になれなかったし、出産はもう(年齢的にも)叶わない」ってことだよね。そんなきりは切ない。春が3人も子をもうけているからなおさら。サナール紐を両端から思いきり引っ張り合っても、(かつて薫の腕をそれぞれでひっぱったときのように)拮抗した敵じゃないんだ、って春は思えたんじゃないかな、だから自分から吸いつくようにきりの手を握った。目をキラキラさせる春にドン引きするきりが印象的。それでもきりは結局、春の面倒も見るんだろうなー、梅にも裁縫教えてるみたいだし…
きりは、源次郎との仲は「最後にたった一度」みたいな感じかなーと思ってるんだけど(たった一度のあとが「情を交わす」なのか「源次郎に心底から頼りにされる /感謝の言葉をかけられる」なのかは分からない)、やっぱり佐助との接触が最近は気になるよね。霧隠…いや先週も書いたけど。
いろんな人にいろんなことを教わるばかりだったから子どもの育て方がわかんなかった信繁が、息子に対して教わり上手を発揮することで息子を肯定する流れ、よかった。「父はおまえに教わりたいのだ」こういうキラーフレーズを息子に対してもサラッと発揮できるのはさすが愛され次男坊かな #真田丸
大助の碁の打ち筋(正しい言い方がわからない)が昌幸に似てきて内記が驚いたりするのかなあ。親子の碁盤対決はもう1,2エピソードありそうだなあ、最後はきっと泣ける方向なんだろうなあ(想像してもう泣きそう) #真田丸
親子の囲碁シーン良かった・・・不遇だし閉そく感ある九度山の暮らしだけど、そんな暮らしの中でこそ(昌幸が好きだった碁を通じて)通い合う親子の情であり、これはきっと先でも形を変えてリフレインされるんだよね~
先週から稲が微妙に似合ってない感じのピンクの着物を着てて、ん?と思ったら今週は薫様と一緒になってお化粧に夢中、そのうえ徳川に任せとけばいーじゃないと思考停止。本物の都びとで雅を知り、多くの人と交わって政にも精通してそうなお通との対比がえげつない #真田丸
最後、たかに抱きつかれたときの源次郎の顔がすごい好きなんだけど、あれは「困るよー、そんなんされたら据え膳食っちゃうよー」の顔だと思うしきっとあのあといただいたのだと想像している。やることはやっているのだな、と、梅ちゃんのときからそーゆー男だ #真田丸
それにしても、たかちゃんキュートだったなあ。平穏とはいえ閉塞感と諦観の漂う九度山に自由で大らかで若々しい風を吹き込んでいった。広い世界に出ていって自分の才覚で生きてきた娘にほうぼう探し回られてあんなふうに抱きつかれちゃ、そりゃ源次郎は悪い気はせんし春は凶器ふりあげるよな #真田丸
たかちゃん、岸井ゆきのさんだっけ? 初めて見たけどとても魅力的な女優さんですね。
『とと姉ちゃん』 第25週 「常子、大きな家を建てる」
今日から #とと姉ちゃん でたまき役をやってる蒔田彩珠ちゃん、お名前は確か「あじゅ」と読むんだよね。重版出来が記憶に新しいけど、ゴーイングマイホームのもえちゃんが本当に大好きだった。
#とと姉ちゃん 君子に完璧なうそをつく常子の目や顔にほんのわずかなブレというか震えがあって、高畑充希の顔演技力にあらためて感服しました。君子だってウソかもしれないと思っているけれど、でも信じたいんだよね。自分の母親のときのことを思い出した。
RT 高畑充希のすばらしい演技が毎朝見られるのもあと2週間だぁ。堪能せねばー
なつかしい思い出と共に家族を慈しむ君子と、そんな君子を見つめる常子の姿からは、夫を亡くしたあと君子にとっての支えは娘たちで、娘たちもまた君子を支えにしてきたのだとよくわかる。その中でも、長女であり今も伴侶を持たない常子と君子の紐帯は特別なのかもしれないと。#とと姉ちゃん
暗い戦時中でも子供が生まれる喜びに包まれる家があるように、高度経済成長真っ只中の明るい世にも悲しい別れはある。「明日があるさ」なんて嘘だと思える時もあり、嘘でも心の拠り所にしたいと思う時も。喜びも悲しみもそれぞれの暮らし。優しくて切ない。花山のお見舞いがうれしい! #とと姉ちゃん
鞠子の「早いわね」の言い方に、外で働く家族がいつもより早く帰宅したとき主婦のちょっと困る感じがよく表れてた。それぞれが家事を手伝っていても鞠子の負担は甚大だろうから(君子の看病もある)勇気をもってお手伝いさん雇ってる描写入れたらいいのにな、昼間だけでも #とと姉ちゃん
とと姉ちゃん→べっぴんさん#芳根京子#高畑充希#べっぴんさん#とと姉ちゃん#朝ドラ URL
RT とと姉のインスタでもよく上がってたけど、おどけた表情でのショットめっちゃ好き。芳根さんも超かわゆい #とと姉ちゃん
常子は会社を興し雑誌を作ったが星野と別れ、鞠子は大学に進んだが家庭に入り、君子自身も駆け落ちまでして結婚した伴侶と若くして死別した。ままならないことも多い中で、自分で選べたこと、巡り合った小さな幸せを大事にして積み重ねていくのが人生の喜びだね… #とと姉ちゃん
ままならないことも多い中で小さな幸せを積み重ねて…というと「置かれた場所で咲きなさい」的なんだけど、とと姉ちゃんの人々にはあれよりもっと主体的なものを感じてそこが好き。君子さんも相当いろいろやらかしてきたからなあ。でも美点もたっぷりある。
私も花山さん同様、常子が書いた「小さなしあわせ」読みたいな。常子が好きだから常子がどんな文章書くのか読みたい。#とと姉ちゃん
戦争を知らない世代が闊歩する時代。平和を希求して雑誌を作ってきた花山や常子にとってある意味願いが叶ったともいえるけど、ものが極度に不足する中を生き抜いてきた世代にとっては、ものがあふれかえる世の中に対する戸惑いって大きかっただろうなとあらためて思う #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 見つめる人・常子は今日も健在。あなたの暮らしで自己実現したいと目を輝かせるたまきを見つめ、花山劇場に翻弄されながらもベストを尽くそうとする受験者たちを見つめる。豊かになった日本、そこで育った若者たちを見つめる常子は物語の最後に何を思い何を語るのか
私のTL含め、#とと姉ちゃん 好きな人は、単純な勧善懲悪や二項対立“じゃない”ところ、物語を貫くフラットな眼差しを気に入っているという声が多いのだけど、このドラマが二項対立とか男尊女卑に見えてそういう観点で批判している人もいて、面白いなあと思う。
まあ、私のTLでは自分含めあさ来たの抑圧感ちょっと勘弁って人が多かったので、ドラマを見て作り手の思想をどう解釈するかって、見る人それぞれの価値観とか感じ方が表れるんだよね。
常子の自己完結力の強さは朝ドラヒロインとしての愛され力の不足につながってたと思うけどそこが好きでした。ふだんは無口でじっと考えて、口をひらけば文章みたいに立て板に水と喋りまくるアンバランスさも。高畑充希の豊かな演技あっての常子だったよなあ #とと姉ちゃん
が! 常子を無表情とか目が死んでるとか中の人の演技力を云々いう感想もある。高畑充希の絶品な演技を見るのがとと姉ちゃんの大きな魅力の一つで、常子ロスになりそうな私には驚きなんだけど、人の見方はそれぞれねーってのと同時に、愛され力ある朝ドラヒロインへの需要をひしひしと感じたりもする。
思い出してみれば、私が好きな朝ドラヒロインって常子に糸子、純さん、まれさん、あかり、古くは美月(オードリー)・・・。あかりはともかく愛され力低い人がズラリでした
とと姉ちゃん第70回。宿舎の造りが良くないという話をした後で見る青柳商店や滝子の部屋の建具、机などの品質の良さそうな描写。セットや大道具、小道具のクオリティの高さが滝子のセリフに説得力を持たせていた。甲東出版とともに「妥協」を迫られる時局だけど、「妥協しない」とはどういうことか…
…という全体的な流れも出てきそう。「妥協」や「ごまかし」と「工夫」「ささやかな喜び」は明確に違うってことなんだろうな。
『とと姉ちゃん』でよく言及される「本物/偽物」モチーフだけど、本物と偽物の二項対立を見せたいというより、その中間にある「第三の答え」を探すということがテーマという気がする。いわゆる「止揚(アウフヘーベン)」?
つまり常子は「とと」の偽物・代役としてあるのではなく、「とと姉ちゃん」という全く新しい役割としてあるのだということ。これから立ち現れるであろう生活上の工夫も、本当はそうしたいことの代用としてではなく、「新しい生活様式」としてあるということ。
ただ、元々常子がそのまま「とと」の座に収まるのはやっぱり不自然だから「なんとなく」「とと姉ちゃん」になったわけで、このドラマはそういう曖昧さを否定していないんだよね。寧ろダブルスタンダード、2重性、玉虫色の裁定みたいに普通ならネガティヴに捉えられかねないものをポジティブに見てる。
先のことを考えれば、常子はおそらく家族なんだか会社なんだかわかんない組織の中で2つどころじゃない「役」を担うことになる。それは今の森田屋が1家族なんだか2家族なんだかわかんないことや、常子が会社でタイピストなんだか雑用係なんだかわかんないのと似てるかも知れない。
だいたい、「分かる」ってなんだよ、ってことなのかも知れない。物事ってそんな簡単に「分かる」のかよっていう。「分かること」「分けられること」「分類すること」が過度に重視されることへのアンチテーゼなのかも。考えすぎか(笑)
家族の夜の団らんに入ってないわけじゃないんだけどちょっと離れたところから聞いて黙って考えてる姿が常子らしいね #とと姉ちゃん
仕事と家庭の両立を美子でなく寿美子さんでやるのは、常子が家族の #とと姉ちゃん であるだけでなく(というかその役割は実質的に終わっていて?)、会社の社長として長年仕事をし、社会を見て、自分にできることをと考えるようになったってことなんだろうな
文月の七 / お泊り前夜
●7月某日: すっごい雨。雷も。夜中、あまりに強い雨が降り注ぐと、何だか怖くて目が冴えることがある。朝も引き続き土砂降り。土砂災害に関する警報、通称「スーパー警報」が出ていて、小学校は、「遅刻しても遅刻扱いにしないから無理せずに」ということになっていたらしい。幼稚園の子どもたちは雨の中をどひゃどひゃ遊んだりもしてたらしいが(笑)。お泊り保育直前の最後の説明会&懇談会。先生から、この数日の子どもたちの様子の説明があり、親たちも一言ずつ、ここ数日の家での子どもの様子を話す。いろんな子がいて、本当に面白い。
お泊り保育では、当日の経験はもちろん大きいけど、当日に至るまでの取り組みを大事にするのがとてもいいなと思った。先生はお泊りを提案したあと、海で遊ぼうね蟹をつかまえたいね山でヤッホーって言おうね、泊まるところにはとっても大きなお風呂があって皆で入れるよと楽しい気持ちを盛り上げつつも
同時に、お母さんと離れて寝ることや、おねしょや、海や山が心配な子の気持ちも丁寧にすくいあげて、おねしょしてもいいんだよ一緒に着替えるよとか、淋しくなったら抱っこしてあげる、どうしてもつらかったらお母さんに電話するからね(迎えに来てもらう)とか言う。不安がる気持ちを認めてくれる
とびきり楽しいことには大きな楽しみと同様に大きな不安もつきもので、それでも親や先生という大人たちがいつも見守って応援してくれる、友だちも助けてくれる、不安は乗り越えられるんだっていう経験が子どもの自信につながるんだろうな
事前のいくつもの「語り合い」で不安を吐露する子に、同じグループの子から「いいことかんがえた! おれと、○○で、●●(ママと離れて寝るのが不安)をはさんでねればいい。そしたらさみしくないやろ?」とか「トイレいきたくなったら、いっしょにいけばいい」とかも出てたらしい
夜ごはん、ポークビーンズ、野菜のピクルス、きゅうり。サク、少うし甘え気味な気がしないでもないが、おおむね落ち着いた中で明日を楽しみにしていて、夜も普通に寝た。
>腸の環境が良くなると肌の調子も良くなる
めざましテレビで紹介された天然の便秘改善策【サジー】
文月の六
●7月某日: ゆうべ1時近くまで起きていたので眠い。午前中、出かける前に「ちょっと、(昼ごはん用の)ちゃんぽん麺を買ってくるよ」と夫が言うと、「おれがいく」と言い張るサク。お使いしたいらしい。うまく買って帰ってきたが、「ちょっとまちがえた」と言う。セルフレジの操作自体は、普段ママと行くときもやっていて慣れているのだけど、間違えて「カード決済」のパネルをタッチしてしまったらしい。「おみせのひとをよんで、かえてもらった」おお、それは良い経験をしたね。
お泊り保育に向けてパンツなどのやりくりが厳しくなりそうなので、西松屋に行く。と、クラスのママに会った。だよね、そうだよね。100円ショップにも寄り、最後に参議院選挙の投票をして帰る。開票結果は、まあそんなふうだろうなと思っていたとおりだったけど実際にそれを目の当たりにすると、そしてそれを受けての安倍さんの改憲への意欲に満ちたインタビュー(@池上特番)を見るとけっこう落ち込んで、夜中までネットを見たりツイートしたり。
●7月某日: サク弁、ちりめんごはん、なすと豚炒め、卵焼き、切干大根、さつまいもサラダ、枝豆。朝から雨が降っているのを喜ぶサク。昨日新しい傘を買ってもらったからである。前より長い傘になったのが大人っぽくてうれしいらしい。日中のto do、進行遅れたけど何とか間に合ったーって感じ。急いで迎えに行き、先日の日曜参観の写真が貼りだされているのをチェック。子どもたち、雨の中で「せみの そうめんながしだー」と蝉の死骸をいっぱい集めたのを流して遊んでいる。ふっ・・・。
夜ごはん、豚肉の味噌バター丼、さつまいもサラダ、きゅうり&パプリカ。
●7月某日: サクを送って行ったあと、そのまま園に残ってお母さん劇団の練習。9月に行われる7-9月の誕生日会の練習を開始。今回は私もキャストに入っている。とはいえ、私のパートは相方(になる予定の人)が欠席だったので、おしゃべりとか小さい子のお相手がメインで、これまた楽しい時間。クラスのママが3月に産んだ赤ちゃんがぷくぷく大きくなってよく笑うようになってきたー。かわゆ!!
降園後、サク友が遊びに来ることになる。うちに来るのが初めての子もいたけど、炎天下の中、みんなで30分近い道のりを元気に歩く。さすが年長さんやね。思い思いに好きなおもちゃで遊びながらも、一応「おうちごっこ」という設定(お母さんとかお兄ちゃんとか)があり、それが途中で「やっぱりおみせやさんごっこにせん?」「いいよ」とか変わっていったりして、おもしれーなw 夕方、それぞれお母さんが迎えに来て「じゃあ帰ろう」とみんなで外に出るも、とんぼの大群を見つけて色めきたつ子どもたち、サクが私のポケットから家の鍵をさらって「あみもってくる!」と行ってしまい、そこからしばらく虫捕りが…。久しぶりに女の子も来てたんだけど、一緒に楽しそうに遊んでてよかった。
夜ごはんは、ぎょうざ、チャーハン、トマトにきゅうり、野菜のピクルス。
ゆうべ夜ごはんを食べたあと、息子6才が歌い出した「♪いまは できないさーきょうの よるは ぎょうざーだけど しっぱいしたなんと ぎょうざが やぶれたー♪」ご丁寧に歌詞を紙に書きだし、『やぶれたぎょうざ 2016』というタイトルまで付けてある
ええ、餃子の皮を破ったのは私ですよ・・・なので連歌ふうに続きを「♪ごめんね ごめんね がんばったけどごめんね ごめんね こんなときもあるー皮は破れても 餃子ー中身はいつもの 餃子ー」
フライパンのテフロン加工がかなり劣化しちゃっててね、すごくくっついちゃったの。とほほ。
【ママじゃな】 でデンマークレポートを公開しています
読んでもらえたらうれしいです。
(facebook投稿より)
(上):
今回は、ちょっと国際的で、しかも社会派な記事です。
・・・といっても、やっぱり身近な記事でもあります。
以前、ポートレート記事にも登場してもらった幼稚園のママ友が、
一週間のデンマーク研修についてレポートしてくれたので、
ぜひ「ママじゃな」でもシェアさせてもらおうと、書きました。
専業主婦でも小さい子がいても妊婦さんでも!
一週間デンマークに飛んじゃっていいんですよ~!!
私(エミ)の汚いメモ書きを元に書いたので、
細かい事実誤認などありましたらすみません! ご指摘いただければ幸いです。
(下):
デンマークレポートの続きと、私エミの所感なども…。
私、ずっと自分は歴史の専門家だと思っていたんですが(うそですシロートです笑)、
思いつきで始めた「ママじゃな」を楽しくやってきて2年半、
柄にもなくジェンダーとか社会とかのことも考えたりするようになりました。
ていうか、誰でも、大人になって仕事をしたり家族を持ったり親が年齢を重ねたりすると、考えるようになりますよね。
皆さんのおうちは、平日の夜ごはん、家族そろって食べることできますか?
仕事の時間、家事育児の時間、自由時間を、それぞれ夫婦で比べてみると、どうですか?
mamajanaiwatashi.hatenablog.com
もちろん、ユートピアなんてあるはずはなくて、デンマークにもいろんな問題があることもレポートのはしばしに挙げられていましたが、今回は、良いところを学びにいった旅だということで、それを中心に書いてます。