水無月の十四 / 代打弁当、ママじゃな にも書いてるよ
●6月某日: ゆうべ早く寝たのにモーレツに寝たわい。10時からランニング。今日は暑さもさほどでもなさそうだし、昨日の講座でついた勢いそのまま、板付遺跡まで行ってみよう!と目的地設定、30分足らずで着いたのだけども、そこまでの道のりでかなり汗をかいていて(時間的にもロード的にも日陰が少なく、かなり日なたを走っていた)職員の方に誘われるままに資料館を見学してると「あ、これ、ちょーっとやばいかも」という感じがしてきた。まだまだ大丈夫だけど、さらに日が高くなった状態であと30分普通に走ったらやばい。たぶん。という経験による予測。
帰り道は久々に本気出したよね、脱水防止との戦い。ランニングポーチには160円ぽっきりしかなかったので、まずアクエリアスを買って、飲んで、極力日陰を歩く! 歩くと時間かかるー。でもここで走ってはいけない。これ以上の水分(とミネラル)を失うわけにはいかんのだ! 家まで残り1キロってところになって、ついに走る。ここまできたら大丈夫。家にはシャワーとVAAMがある・・・! 遺跡見学も含めてたっぷり2時間強のラン&ウォークになった。板付遺跡・・・また涼しくなってからじっくり見に行くぜ。
さて、サクが夫と散髪へ。夏仕様になって帰ってくる。「おれのレベルでいちばんみじかい」と満足げ。夜ごはんは、焼きサバ、鶏ハムを作った出汁で豆腐や野菜のスープ。切干大根煮、トマト。
●6月某日: 今日のサク弁&シュン弁。ごはん(ちりめん)、のり卵焼き、マーボ豆腐、ウインナー、ひじき煮、小松菜の胡麻和え。出産後まだ間もないお母さんに代わって、クラスの有志(下に小さい子がいない、などのね)で交替でお弁当係をやっている。今日は私が当番で、2つの弁当を作った。いつも通りの地味弁ですがこれでも地味にいつもより1品多い感じよ(笑)。
代打弁当については、「ママじゃな」のほうに詳しく書いてます。実はなにげに反響が大きかった記事だったり。
mamajanaiwatashi.hatenablog.com
サクを幼稚園に送ったその足で、夏祭りのお母さん仕事会。各班、進捗が良くて余裕ある感じ。これまで、サクが買う可能性のある品物の班に入ることが多かったんだけど、今日初めて、かわいいヘアピン作りを手伝ってみた。ほうほうこんなふうに作るのねー。良い経験になりました(手と一緒にわいわい口も動かしながら)。クラスでアルプス一万尺が流行っているらしく、サクにたびたび誘われる。懐かしいすね。
明後日の「早起き会」の提案を先生から受けて、素直な子どもは「はやくねてはやくおきる!」と張り切っています。夫が飲み会だったこともあり、5時には風呂、6時には夜ごはんというさくさく具合で進められた。子どもが早く寝ると楽なのよね、実際。
>>うそ!つらい生理痛が?
鎮痛剤、飲みすぎかも… がまんできない痛みを自然の力で緩和しよう
水無月の十三 / 考古学講座を受講
●6月某日: 午後から、福岡市埋蔵文化センターにて考古学講座。「土偶と装身具にみる縄文人の身体装飾」奈良女子大学の武藤康弘教授。道路が混雑していたりして開始直前に着いたら、空いている椅子はもう本当に少なくて、200人の定員はほとんど満員だったんじゃないかな。よく埋まった、考古学講座だけに(←へた)。
先生が高校生のときに掘ったというものも含めて、縄文土器の破片をいろいろと持ってきてくれていて、席にじゃんじゃん気前よく回してくれる。写真をとっても、手に取って触れてもいい。博物館等で見ることはあっても、触る機会はまずないよね。で、触ると、すごく硬い。こりゃべたべた触ってもびくともしない硬さ。造作の技術、焼き上げる技術ってすごかったんだな。そして、縄文前期~中期~後期と時代が下ると、かなり薄い土器も出て来る。
縄文土器の模様は縄目でつけてるんだけど、当時は縄の既製品など当然ないわけで、どうやって縄を作ってたのか? ……ということで、急遽、クリネックスティッシュで縄作りのワークショップ化。先生めちゃめちゃ上手かった
ティッシュで作ったこより状の縄を年度の上でくるくる転がすと、確かにあの文様が。途中にコブを作ったり、4本で組紐みたいにしたり、右回しか左回しかでも、いろいろ違う模様になる。先生「縄文土器の模様はダイバーシティ」
何十種類もの土偶の写真を見て説明を受けてくらくら。先生は、精霊というよりは、人体を形作ったものだろうと言ってたな
土偶。年代や場所によってさまざまなものがつくられ、耳飾りや刺青、竪櫛など詳細な頭部の表現もされるようになるのに、顔の造作の表現はついぞ追求されなかった。っていうのが印象的だった
↑見よ! 本物の縄文土器! ぶあつい、固い!
↑これはレプリカだそうです。
↑後頭部。なかなか見ないでしょ?
土偶は女性の形が多く、妊娠表現(お腹が大きい)ものも見られる。入れ墨や抜歯の表現も見られる。マスク(仮面)をつけているようなものも。衣服では、ショールをかけているようなもの、パンツのラインみたいなものが見えるもの。頭部の冠に貫通孔があったりして、これは冠に羽飾りのような飾りをつけていたのではないか。耳飾りの表現や、耳環を嵌め込むための孔も。
先生は考古学だけでなく文化人類学などにもクロスオーバーして研究しているらしく、土偶について、東北アジアの狩猟採集民とのかかわりを推察していた。人体や人面のある祭祀道具が豊富に存在しているらしい。また、満州族のシャーマンの祭壇に供えられる祖霊を祀った人形が土偶に似ていると言っていた。写真をとりたかったけど拒まれたらしい。北海道の著保内野遺跡から出土した土偶の装束が、モンゴル相撲の肩のところしかない上着とよく似ているとも。縄文時代、東北アジアとの交流もさかんだったことはいろんな本でも読んだことがあるけど、今日もまたそれを感じた。
夜は、サクと2人。この日の2日後のツイートより。
さて、幼稚園は夏祭りの仕事会シーズンで、今日も朝イチから参加してきた。今年は、ヘアゴムやヘアピン、ブレスレット、ティッシュケース、小物入れ、ペットボトル提灯…などなどを手作りします。
お父さんたちの仕事会も土日に5回ほど設定されてる。こちらは木工車や変身バトンやら昆虫のペーパークラフト…等々のおもちゃを手作り。一昨日の土曜日の夜、夫も参加。6時から8時まで製作仕事したあと、8時からは園でそのままワンコイン飲み会。ひとり500円払って缶ビール等を飲む親睦会。
土曜のゴールデンタイムに夫がいないのは正直つまらんけど、お父さんたちの幼稚園への参加意識や、パパ友作りにかなり奏功してる良いイベントだと思う。ちょっと異業種交流みたいな趣もあったりして面白いみたいだ。男の人のほうが案外、新しい知人友人ができる機会って少なかったりするしね
サクはその間、夫と一緒に博多駅に行って、模型屋さんでNゲージ走らせたり、ラーメン1杯ひとりで食べたり、楽しんでいたらしいです。夜ごはんはひとくちカツなど。ええ、仕事会に行く前に夫がこしらえてくれたものでした。
水無月の十二 / 「ママじゃな」更新情報!
●6月某日: サク弁、ハンバーグ、たまごやき、切干大根、トマト煮のチーズ焼き、きゅうり。今日は「ママじゃな」の取材に。ちひろちゃんのほうが遠くから来たというのに、しかも赤ちゃん連れてきてると言うのに、待ち合わせたバスに乗り遅れてしまったー! 天神で4分遅れのバスならここでは7分くらい遅れると思ったのよー!(言い訳) ちひろちゃんがバスを降りてくれて、追いついてからあらためて向かいました。
モデルさんは友だちの友だちで、何度かニアミスみたいなもあるけど、会うのは実質2度目って感じ。ドキドキワクワク。今回も楽しいインタビューでした。お料理上手な方で、まんまとおごちそうになりましてねぇ…。そして、1歳児2人だからと、モデルさんがお友だちをベビーシッターに呼んでくれていたんだけど、本職?てくらいに子どもたちよく遊んでもらっていて、優しい人でした。
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預かり保育を頼んでいたサクを迎えに行くと、同じクラスの男の子Sくんと外で遊んでいる。Sくんのお母さんも迎えに来てたけど、2人があまりに楽しそうに遊んでるから帰ろうって言いにくいねえとしばらく様子を見ながらおしゃべり。
子どもたち、自分の手拭きタオルを前方に放り投げる→キャッチするの遊びをやってるんだけど、キャッチは往々にしてうまくいかず、雨や泥遊びで土壌がゆるくなっている園庭に落ちまくり、汚れまくり・・・と思うと、「あらおう!」と言い出して水道で…じゃなくて、泥の水たまりで洗い出す(笑)。そうしてたっぷり泥染めになったタオルを今度は「干そう」と言い出し、どこに干すのかと思ったら園庭の回転ジャングルジムにのぼり、そのてっぺんにぶら下げている。おもしろすぎる。毎日まいにち遊んでいる園庭で、飽きもせず次々に遊びが繰り出され生み出されるんだよねえ。
17時、いいかげんタイムアップだよ、ということで帰途に。Sくん「さくにあれあげたい」と言い出し、お母さんの車から黄桃を3つ分けてくれた。夜ごはんは簡単に。皿うどんとインゲンの胡麻和え。
●6月某日: 今日すごくびっくりしたことがあった。サクを迎えに行こうと家を出たら、マンションの自転車置き場に自転車がない。ない。ない・・・。学生時代に、こんな要領で何度か自転車をパクられたことがあった。でも、まさか今になって。鍵はちゃんとかけていたのに。クソ重たいカゴのついたママチャリなのに。真昼間なのに…。3分くらいその場で固まって、「ま、まさか」と思い、現場へ急行。現場、それは最寄りのスーパー。朝、途中、友だちと会って子どもたちは3人で一緒に歩いて登園して、そこから園ママとおしゃべりしながら自転車を引いて帰ってスーパーでおつかれ~と別れて買い物をして・・・そのまま歩いて帰ってきてたのだ! 何してんだわたし。いや、疲れてると思うの。今週、なんか睡眠不足が続いてたりして。まあ、発見してよかった。
それにしても午後の暑さ・湿気、今シーズンで一番だったかも。思わずかき氷的なアイスを買って、サクと半分こして食べる。夜ごはんは、グラタン、イカのパスタ、きゅうりとトマト。ビールと赤ワイン。綾野剛くんが出た火曜サプライズを見る。愉快。
そういえば今日、サクが一年ぶりにわが家の魚の図鑑を見た。昨夏、本屋で自分で選んでパパに買ってもらった立派な図鑑だが、サメやらのページを見ていると怖くなって、「すてて」と懇願。立派な図鑑なのでもちろん捨てるのは忍びなく、私の本棚の最上段にこっそり忍ばせておいたのをなぜか今日になって見つけて、「あれみたい」と言い出したのだ。じっくり見てる姿に「怖くない?」ときくと「こわくないよ。」と答え、実際に丹念に読んでいた様子だが、夜ごはんが終わったあと、「これやっぱりなおしといて(なおす=しまう、の意ね。博多弁)あのいちばんうえに」と言う。「やっぱり、怖かった?」「うーん、ていうか、まえのこわいおもいを おもいだした」。そーゆー気持ちあるんだ!!
『真田丸』 第36話 「勝負」
佐助の報告で凍り付いた一同からの、予告の家康「この生き地獄、たっっっぷりと味わうがよい」の完全無欠の悪役セリフ回しっぷりに戦慄で腰が抜けそうでした #真田丸
戦のない平和な世になるほうがいいに決まってるのに、昌幸のために乱世続けって思ってしまってる自分がw #真田丸 の昌幸は、彼が生き生きしてたら心底からうれし楽しく、彼がしょげるとどうしようもなく悲しい、ほんとに魅力的な人物であるよ…。それだけに来週以降がつらくて。
昌幸の初陣はさぞかし大活躍で調子乗ったんやろうなあw #真田丸
始終張り詰めた表情の信幸は痛ましく、いつになったら彼の笑顔を見られるだろうと悲しいんだけど、でも信幸のストレス耐性はまだまだこんなもんじゃないから大丈夫っしょ、とも思っちゃうんだよねw 昌幸はほんと、調子いいとさんざん調子乗るだけに、しょげると目もあてられんけんさ… #真田丸
「酒がうまくてたまらん」「源三郎には貧乏くじを引かせてしまった」 自分たちの目の前から徳川軍が消えたからといって、まさか半日で治部徳川のぶつかり合いが決着するとは思いもしないとはいえ、ここまで楽観できる昌幸の昌幸っぷりがもうね… #真田丸
沼田に戻った信幸を迎える稲・おこうの場面で、一言もセリフを言わせなかったのがさすがだと思った。こういうところで愁嘆場みたいな応酬をさせ妻がハラハラ泣くみたいな大河は多いんだよね… #真田丸
真田完全勝利みたいな描き方にしなかったのも踏まえてる。真田から見たら「追い払った」だけど徳川方としたら「家康の指図で戦略変更」。ただし「絶対勝てたのに」といきり立つ秀忠と冷ややかな本多佐渡を見せることで、「攻めてもそう簡単にはいかんかったやろうなあ」とも思わせるんだよね #真田丸
しかし秀忠は昌幸が戦大好きマンの本領発揮して翻弄される前までは、「自分は初陣だから」とわきまえ参謀の意見をよく聞き、戦術はすぐに理解し、信幸の親子の情を解する素振りも見せ、落ち着いた大将ぶりで、自分とこのお家の天下で良き二代目となる片鱗を見せたね。#真田丸
待ってました第2次上田合戦! 戦大好きマン・昌幸と、天下一の知恵袋・本多佐渡との戦いが楽しい。かーらーのー、急転直下!
秀忠の人間性が少しずつ見えてくるのもワクワクする。言葉少なく、父にしゃんとせいと言われて蛙のように家臣に平伏する暗愚っぽい初登場から、鬼嫁を通じて信幸への親近感をのぞかせたり、父への子供じみた反発心を元気すぎる妻にたしなめられたり、そして今回。ダメっぽいけど見どころあるやん!という。
犬伏での別れの宴、息子たちに大いに賞された昌幸の軍才が光る。神出鬼没で小競り合いに持ち込んで心理的に揺さぶり、刈田を防いで相手の兵糧を奪う。降伏文書で惑わせて時間を稼いで大雨を待ち、堰を切っていた敵を孤立させる。果ては染屋原に敵陣が張られるのを見越して背後の山への道を切り拓いておく。ピタリピタリとハマる策。
ツイートしたように、いたずらに主人公側の勝利と結論付けず「家康の命により戦は切り上げられた」ときちんと描いたのはさすが。初陣で冷静さを失っている状態の秀忠ではまともな戦はできそうにないなと思わせるんだけど、それを冷ややかに見つめる本多佐渡を描くことで、「でもこいつがいるから、簡単には負けないだろうな」とも思わせる。
当事者からしたら、敵が陣を払い去っっていったら「追い払った、勝った」と思うのは当然で、昌幸らの時代、戦とはそうしたものだったんだよね。そして、彼らが戦い、目にしてきた何万もの大軍どうしの戦いは、北条を包囲した戦であり、朝鮮への侵略で、どちらも長期戦になった。関が原の結果がどれだけ驚きをもって受け止められたか、脚本の妙によって視聴者も体感することになった。
治部と刑部、そして家康の軍装が、数多の映像作品や絵巻物で見る通りの格好で、「ああ、いよいよ始まる!」って高鳴ったあとに、佐助レポートだもんねw 戦の経緯は、(どこまで映像化されるかはわからないけど少なくとも佐助レポかナレで)来週説明があるんだろうけど、まずいきなり結果を持ってきたのがさすがの構成だよなあ。
これもツイートしたように、視聴者としては昌幸が生き生きして、彼の策が面白いように当たるのを見るとイェーイ!と思う。んで、次週予告で見せられた家康の悪役っぷりが憎ったらしくてしょうがない。
だけど、天下泰平を実現させ新しい社会システムを作って平和の礎を築いたのは家康で、それができたのは、昌幸みたいな戦大好きマン・戦がないと生きられないマンをしっかり処断したからともいえる。本当は下手で嫌いな芝居を涙をのんで続けた信幸のような人は、新しい世が訪れたとき、この平和を守るために力を尽くしたんだろうなとか。信幸だって本当は親子で徳川を迎えうちたかった。「戦場で暴れまくりたい」願望を持ってる戦国武将だったんだよね。
三成はどうやって死んでいくんだろう。いや、負け方も死に方も知ってるよ。このドラマで彼の死はどう取り扱われるんだろう。当然、昌幸たちに感情移入しながら見てるけど、一人また一人と去っていく登場人物たちを惜しみ、彼らの人生を称賛するだけではなく、新しい時代の意義もまた思わせてくれるドラマだと思うんだ。それだけに家康の予告での思いきった悪役っぷり(もうほんと、怖かったのだ!!)から、彼がそこからどのように描かれていくのか、気になる。
とりあえず、秀忠軍は「負けた」とは思ってないだろうけど、昌幸にいいようにされっぱなしで上田を去らなければならなかったのは本多佐渡には耐えがたい屈辱だったはずで、家康+佐渡の安房守憎しにお兄ちゃん+平八郎連合軍がどうやって立ち向かうのかドキドキします・・・
そんな中での昌幸「よっしゃー!!(ガチガッツポーズ」とか秀忠「これは・・・怒ってもいいのか?」とか、信幸「・・・・わたしです」平岩「(・・・コイツかフンヌー!?)」とか笑わせてもらいました。平岩役の役者さん、どこかで見たことあると思うが思い出せない。
前にも複数回書いた気がしますが近藤正臣はあさ来たのお父様よりこちらの軽みのある酷薄さが断然いいですね。稲。夫の筋の通し方に即座に対応、安房守にも読めなかった。兄弟での戦芝居はかつての上杉とのそれを思い出させ、城に入れず馬首を返して去っていく昌幸の後ろ姿はかつての勝頼のそれを思い出させた。
『とと姉ちゃん』 第23週 「常子、仕事と家庭の両立に悩む」
また悪役の投入で、このドラマが勧善懲悪に帰結してスカッとさせてはくれないのもわかってるけど、やな感じはしない。新しいこと、人のしないことを始めたら、こうやって次々と障害が立ちふさがる。理解してもらえなくても邪魔されても、考えて決断して道を拓いていくしかない #とと姉ちゃん
結局は金のためじゃない?本当に公正? そういう外野もいるよね。視聴者にそんな感想があるのが証明してるw 皆が好きになって理解してくれるわけじゃない。大切な人との板挟みになったりもする。それがつらくて動けない人、やめる人、日和る人もいる。でも常子は考えて動く人。 #とと姉ちゃん
邪魔され誤解されて大切な人を傷つけても、その仕事をする意味は何なのか。ペンの力が歪んで使われた時の恐ろしさ。「できることからやればいい」できることって何だろう? 常子が考えて動くときの強さ美しさは折り紙つきだから楽しみ。最後まで #とと姉ちゃん たる自分を肯定するだろうとも思う
石丸さんの言う通り、最初は常子もお金稼ぐためだったんだろうな。けど、そのお金を手にした後、ほんとうにしたいことをしている。元々お金持っていない人の自立って、これが自然なんじゃないのかな? #とと姉ちゃん
常子のことを考えている。今のまま、時々会うおしゃれおばちゃまな常子でもいい。もう会わないとして社長業邁進でもいい。社長のままお母ちゃんになるのもいい。社長辞めてお母ちゃんになるのもいい。こうして自由に色々選べるのは実は常子に職があるからなんだと思う。#とと姉ちゃん
RT そだね、ほんとにそうだ。どれかを選ぶ(全部は選べない)悲しみもあるけど、誰もがたくさんの選択肢を持てるわけではない。
常子は儲けたくて出版社を作ったし、社員もお給料たくさん貰えてついつい買い物しちゃうという「欲」を先週肯定したからなあ。儲けや欲はもちろんあるし悪いことじゃないけど、それと並行して大事にしたいものも確かにあるって話になるのかな #とと姉ちゃん
そうそう、甲東出版から独立した動機は「(家族のために)金をたくさん稼ぎたい」だったからねえ。なんかいろいろ漂白されて動機は「女性のための雑誌を作りたい」しか存在しなかったようになってたところにガツンと来るのがいいよね、「拝金主義」って言葉が。 #とと姉ちゃん
姉妹だけど、何を思って育ってきたかという歴史が違うんだよね美子と常子は。とと姉である常子は子供としての美子に本音を明かすことがどうしてもできないし、美子はそんな常子の胸中を想像できないのだろうなあ。常子のお陰で美子はそんな思いを知らずに育ってきたのだから。#とと姉ちゃん
自分の出来ることを一生懸命やってそれ以外は誰かがしてくれていた美子と、全て自分が背負わなければと思ってきた常子の差だよなぁ。美子の在り方の方が本来は正しい。でも、常子は常子のやり方でずっと生きてきたから容易に舵は切れないんだろうなぁ。
RTs #とと姉ちゃん の感想、面白いのが並ぶわー。最終盤までプロット(笑)ちゃんと考えられてるなあ。
「とと姉ちゃんの本タグは高視聴率プラス星野さんステキとか2人の関係にきゅんとするとかいうツイが多数。朝ドラってお話とか関係ないんだねー(棒)」みたいな感想を見て、「すごい! 私のあさ来たへの感想とまったく同じ!」と思う。他に「史実を歪めてる」「モデルに失礼」等もまったく同じw
その他、「社会人なめてる」「幼稚な学芸会」「新次郎(星野)全然ステキに思えないむしろ気持ち悪い」「恣意的な作劇」等も全く同じで、ドラマを好きになれないとそういう感想になりがちなんですね…苦笑。私の場合、波瑠さんやら玉木さんやら、中の人への好感度はまったく下がりませんでしたけど。
フィルターって強固で、且つ類型的なもんですね。。。。半年越しで自嘲してますw しかし、その類型的なフィルターの底に、「私はあさ来た(とと姉)が好きになれない」の理由の核があるんだよな。それぞれに。たぶん大事なのはそこ
んで、そこを探りたくて、4月から放送大学で勉強し始めて、無事に優秀な成績で(自分で言うw)単位を取得したよ。めっちゃ建設的な私の人生に乾杯。今日は後期の授業料を振り込んできたよ
いやー、出演者のインスタの写真や司会した特番、隅から隅にまで文句をつけるような人生じゃなくてよかったー。嫌いになってもいいんだよ? 彼らはプロだからそんなの全然承知のうえだよ? それ以上の理解者や人生の充実があるからできてることだよ。どうぞ安心してお嫌いになって。
かかと美子は応援、子どもらはなつき、星野は「補い合いながら」と求めすぎることなく(身体的にはぐいぐいくるけど)、花山まで「常子さんの人生を」と。これで正真正銘、常子自身の問題ってことだな。そこで「あなたの暮らし」という子どもに危機が訪れるわけだけど… #とと姉ちゃん
ここで酒井くんが社長の甥だと判明。会社では叔父さんと呼ばせないけど、前に「あいつらにも守りたい家族はいるだろうに」とも呟いてたね。美子にとと姉ちゃんと呼ばせ続け、会社は子ども同然という常子とは別のやり方で、赤羽は会社を育て守ろうとしてるのかな。#とと姉ちゃん
「会社は子ども」な常子は誠実だけど、仕事とプライベートをきちんと分けようという時代の流れになったのは、その方が効率的だったり、同族経営や公私混同にデメリットもあるからよね(私用電話や書類の社外持出しも昔は緩かった)。効率化を追求しすぎるデメリットも出てくるけど。#とと姉ちゃん
血縁の情を持ち込まず、大規模化して質より量でガンガン営業かけて売る。赤羽のような会社が多くの雇用を創出し人々の生活水準を上げていった面もあるんだろう。史実の大橋さんはおいといて、常子が会社の親たる事を優先して恋を諦めるなら会社はいつまでも未熟な子どものままかも→ #とと姉ちゃん
→アカバネも「あなたの暮らし」も、どちらにも良いところと未熟なところがあって、どちらが正しいかどちらが勝つかじゃなく、この対立を通じて互いに適宜変わっていくといいのかもしれないなあ。大事なのはそれぞれの暮らし。そして人の暮らしが時と共に変わっていくのは必定 #とと姉ちゃん
史実の大橋さんは妹さん家族?やお手伝いさんらも含め大家族で暮らしたようだけど(はいりさんがナビした番組でやってた)、#とと姉ちゃん ではその大家族に、星野家や美子と大昭(←この人、そのうち外国留学とかしそう…)とかもいたらいいんじゃ? 籍は入れなくても。常子なりの暮らしの形。
人生紆余曲折経てどこか悲哀すらにじませてるような雰囲気の中年星野が最近興味深い。学生の頃は個人的には全く興味がわかない人物の一人だった。葉っぱのあんちゃんの頃と今の星野を頭の中で並べると彼も相当苦労や挫折や諦めやら経験してきたのかなあってのが想像できる #とと姉ちゃん
RT だよね。結婚の経験値のみならず、「手を伸ばして届く幸せには、今、手を伸ばさなきゃ」ってのがあるんだろうな。南方の島で同僚たちを亡くし、志した職を失い、妻を亡くした星野には。逆に言うと理想の追求とかより「手を伸ばして届く幸せ、守る幸せ」のために彼は今生きてる #とと姉ちゃん
あー、星野っち、その「お話があります」は決定事項としてではなく、子どもたちがいない場所で、大人2人でしっかり話し合ってみてほしいんだけど #とと姉ちゃん
星野っち、あのとき「もっと話したい」って言ったやん。抱きしめてチューもいいし子どもたちと一緒の時間も大切だろうけど、2人でいろいろ話して考えてほしいのよ。一人で考えて結論出すより複数で助け合うほうが成功確率が高いっていう #とと姉ちゃん ワールドの法則を2人に教えてあげたいわ
赤羽、国実、買い物好きの松田くん(だっけ?)、大樹くんの傷、転勤…これでもかってほど茨フラグが出まくると、逆にどうにかして希望が見つかる気がするんだけど、戦時中に届かなかったのの反対で、名古屋の武蔵さんから月に1回お手紙を受け取る #とと姉ちゃん の姿も想像したり…
今日の常子の「いつでも戦ってる意識を」みたいなセリフが妙に気になってんだよな。確かに花山の権力とも戦うジャーナリズム精神はあの雑誌の思想だろうけど、それを社員=子どもたちに常子が強いるのは何か違う感。「それぞれのささやかな暮らしを大事に」の視点を忘れないで、常子 #とと姉ちゃん
常子と星野の行方、「もっと話したい」の他「乳繰り合う」がキーワードな気がしてならん。乳繰り合ってないのにそうだと弾劾されるのは許さんけど、乳繰り合うような欲望自体は否定されるべきものじゃないし、どんなひどい状況下でもそれが人を生き延びさせてきたって世界だと思うので #とと姉ちゃん
なんか、星野の決断にも受け容れる常子にも、15年前を綺麗に反転してリフレインさせる脚本にも納得いかないんだけど、なんか納得もしてしまう。高畑充希の演技のすごさがねー! 食堂での涙、握手を求める凛とした笑顔と、裏腹に、ほどき難い指。だけどゆっくりほどけてゆく… #とと姉ちゃん
花山までが応援するに至って、これはもう常子自身の問題なんだなって思ったら星野が勝手に決めて事後報告ですよ。でもハグやキスの戸惑いとは打って変わって、別れに来た常子は、自分の意思で人生を歩んできた大人の女性らしい表情をしてて。常子はこの別れも受け容れていくんだなと #とと姉ちゃん
常子は推進力もだけど、受け容れる力も天下一品の人なんだなあ。ととを亡くしてとと姉ちゃんになり、星野と別れて「これまで以上に仕事をがんばる」。受け容れた悲しみも推進力に変えているのかなあ。そんな常子を可哀想だというのは違うけど、やっぱり納得いかない気分でもある #とと姉ちゃん
やはり諦観に寄りすぎてて、受け容れるにしても、「自分で考えて」という常子らしい部分が見られなかった気がするからかなあ。その姿は残りの仕事パートで見られるのか、星野とはこれでホントに終わりなのか、何にしても、花山も言った「君の人生」についてドラマはどう結論づけるのか #とと姉ちゃん
色んな感想があるねー。すごいよね。こんなにバラバラな感想が出てきてそれをTwitterで言わずにいれないってさせることがもぅ、このドラマがどうしたって観てしまうドラマ、高視聴率ドラマになるわけだよね。好評だろうと悪評だろうと観なけりゃ言えないわけで。 #とと姉ちゃん
(星野は常子に選択肢を与えずに事後報告にしたけど、あれは優しさだよね。「僕が仕事を辞めた方がいいですか」と憂いを帯びた目と長崎弁でヒロインに選択肢を与えるように見せかけて、ヒロインに責任をおっ被せた男がいてな…周防さんっていうんだけどな…) #とと姉ちゃん #カーネーション
好きな人の永遠の恋人になるけど二度と会えなくなる周防ルートと、好きな人と結ばれないけど生涯仲良くできる北村ルートってすごく巧みなんだけど、あれは糸子→北村がつゆほどもないから対等に成立したんだと思うと、常子がおしゃれおばちゃまのまま居続けるには星野も常子も若くて生臭いのよね。
愛人として周防を囲うのも、腐れ縁として北村を侍らせるのも、男女逆にしたら都合のいいエゴイズムなので、それを糸子がやっちゃうのは業があってエグいなあと思うけど、男女逆転してダメなもんは正でもダメなんで、常子と星野がそうならずに別れたのは公平でいいなあと思った。
愛のためにお互いどちらかの「暮らし」を壊すことができないという別れがとと姉ちゃんらしさだよね。
RT 「あなたの暮らしを大切に」とお互いが尊重すると、切ない結果になることもあるよって面も描いた、ということかなあ。そう考えるとやっぱりエグくもあり誠実な脚本という気もする。#とと姉ちゃん
前の別れは、常子が自分で選んだ。今回は違う。君の人生の問題だよと言われてもまだ戸惑ってて考えきれてない段階で、星野が決めて、それを受け容れたんだと思う。人生、自分で選べる局面ばかりじゃない。人にも考えや暮らしがあるから。そんな悲しみを経てドラマは終盤に向かうのね #とと姉ちゃん
この、「自分で選べなかった」「納得いかない」って気持ちを抱えながら生きるのが人生だよね・・・という気分にもなるんだよね。いや、つまり納得いってないんだけどw #とと姉ちゃん
常子が受け容れる事に納得はするけど(見てる方は)納得がいかぬ、っていうの。常子が受け容れる過程をまるまるすっ飛ばしてのお別れだからこちらの気持ちはついて行ってないけど、今までの常子のものごとに対する様を見るにこういう風に受け容れるだろう、っていう前提ありきで→ #とと姉ちゃん
見てる方に委ねられてる故のすっ飛ばしな気がしてきた…。そういう風に想像で補えるっていう今までの描写の積み重ねすごいって改めて思った。でも想像はできるけど気持ちは置いてけぼりポカーンでやり切れないっていうイヤアアアアアアア(ゴロゴロ #とと姉ちゃん
RT そういうことなんだよね。一視聴者である私としちゃ納得いかないんだけど、常子(と星野)ならこうするだろうなと思える納得。亡くなった奥さん・花山というパートナーにそれぞれ「不器用」と言われた二人の選択と受容。で、そうだよね人生って不器用なもんだよねとも思う #とと姉ちゃん
常子としちゃ公明正大に、特定メーカーを非難する責任も感じながらやっている仕事でも、今や誌面を鵜呑みにする読者もたくさんいる。それが権力=戦中の大本営化する可能性を、外部=別のジャーナリズムが突っ込んでくる。面白いなあ。でもどうやったら証明できるんでしょうね。#とと姉ちゃん
松永のしたことは悪いけど、昨日のように「いつも戦っている意識を持って下さい」なんつって上から統制するのは常子らしくないよね。「ネガキャンなんて放っておけばいい」は花山らしいけどそれじゃダメなような。はっ。今ふと、星野「ぼくを植物だと思ってください」を思い出した。#とと姉ちゃん
「小さな一歩でも踏み出すのが大事、何度も繰り返していけば大きな一歩になる」良い考え方だけど、その実践が怖いことにもなりうるという含蓄あるセリフ。かつて、標語とか、何々自粛とか「乳繰り合い」弾劾とか、小さな一歩を繰り返してあの大きな戦争になったような #とと姉ちゃん
まあ国実も痛いところを突いてくるよね人気や影響力があるほど、逆に疑われたりアンチも増えるわけだ。少しでも隙があればいつでも突っ込むよ、出る杭ほど打たれやすいってね。怖い世界だよなー #とと姉ちゃん
国実は「あなたの暮らしはインフラだから」と言って「あなたの暮らし反省会」をやる気満々だしいつも叩く材料探してると。嫌なら読まなきゃいいというのは正論だけど正論の先を担ってこそ成長だということですね #とと姉ちゃん
こういう流れになるの現代っぽいよなー。Twitterで万人評論家になってるから、それを表してるみたい。 #とと姉ちゃん
RTs ほんと、#とと姉ちゃん は最後の最後まで深掘りするよなー。この作風は脚本家なんですかね、Pなんですかね、どちらにもあまり詳しくないのでよくわかんないけど、最後まで楽しみ。
さて、今日の #とと姉ちゃん。なんつーか、最終盤にきて、このドラマらしい愚直な展開だよなーとしみじみする。
夜中、常子と美子が話す場面で、入院中のあさと千代が1つ寝台で話す場面を思い出したんだけど、ギンコ・タンコとか、狸寝入りの新次郎を絡ませたりして工夫してたあさ来たに比べて、とと姉のなんと愚直なこと。素人くさい・工夫がないという感想もあろうが、これが #とと姉ちゃん の味だよなあと
商品のメーカーに対して彼らの暮らしを揺るがしかねない責任が生じるのは、ちとせの件でわかっていたけれど、それよりもはるかに多数の、雑誌を届けている読者たちそのものの考え・暮らしを左右する存在(権威に近い)になっていたことを、常子は痛感しているんだね。#とと姉ちゃん
戦後、家族が食いっぱぐれないためもあって始めた雑誌作り。数少なくても読者に届けられること自体が驚きであり喜びだった時期から、今やこんなにも大きな存在になった。それで「よかったね、頑張ったよね」で終わるんじゃなく「だから君たちも試験されるよ」て展開になるのが #とと姉ちゃん らしい
衣食住の工夫とか、すてきな絵や写真、著名な文筆家による魅力的な寄稿などではなくて、「ジャーナリズムとは」という面、その要件や責任を最後まで追求するのが #とと姉ちゃん だなあと思う。花山の戦中の仕事から続く問い。そしてマスメディアから個人まで誰もが発言できる現代にも通じる問い。
明らかに卑劣な行動をした松永が物語の中で応分の報いを受けないのも、いじめ女学生や多田さんや鳥巣の部長課長らの顛末に通じていて、#とと姉ちゃん らしい。物語中で報いを受けてチャンチャンで終わらず「こんな奴はろくな人生は送れんな」と視聴者の中で憤りや気持ち悪さが尾を引く
>RT 松永が応分の報いを受けないのは確かにいじめ女学生や商社勤務の顛末と同じ。物語の「因果応報」の快感は極論すれば一種の願望や逃避だものな。どうにも思うようにならないことに満ちた現実世界で自分(常子)がどう行動すべきかだけを追求する展開は倫理的だね。 #とと姉ちゃん
「Life is mine」 vol.33 「石川竜一 okinawan portraits 2012-2016 @三菱地所アルティアム」
天神イムズの三菱地所アルティアムで、9月25日までやっている写真展です。
私は絵も写真も専門知識とか全然ないんですけど、
見るのはとっても好きです。
この「とっても好き」が、意外と人前で言いにくかったりするんだけど。
「すごーい」とか言われると困るんだよな。
別に、なんもわかっとらんよ。見てるだけ。
感性に優劣とか大小とかなくて、誰でも自分なりのものを持っているもので、
それでいいんだと思います。
水無月の十一
●6月某日: ゆうべすごい雨であった。うっかり窓を開けたまま寝ていたところがあり、朝がきたらめちゃめちゃ振り込んでいました、たはは。朝も断続的に降り続いている。窓から見える道は上りも下りもずーーーっと渋滞してる。雨の日は込みやすいところだけど、下りまでというのは珍しい。最近ちょっと睡眠不足が続いて疲れを感じますが…まだ週半ばだなあ、ふう。
降園後はお母さん人形劇団のリハーサル。キャストでない私は託児で参加。絵本を読んでくれるお母さんがあり、子どもたち今日もすごく楽しんでいた。パンツが濡れたので着替えたいけど自分の着替えがないーという子がいたが、幼稚園に備置されているものは既に全て貸出済みで、サクの着替えバッグを見ても着替え用のパンツ(2枚)は既に履いてしまったらしく、というか着替えたものすべてが水分をたっぷり吸収していてずっしり重い。残っている子に聞いて回ってもみな同じ状態である。みんな…今日のすごい雨の中でも遊んだのね…濡れながら…。
夜ごはんは、鶏手羽の甘辛煮、鶏と野菜のトマト煮の鶏2連発。サラダ。
水無月の十 / 幼稚園参観日
●6月某日: 先週のクラス懇談会に続いて今日は参観日。送ってきたその足から参観してよい。
登園すると子どもたちはまず自由遊びの時間なのだが、年長さんには「係の仕事」というのがある。前年度の年長さんから3月に引き継いだもので、4,5人のグループごとに日替わりで、外遊びのための「ままごと(フライパンや器などなどを入れたボックス)」「くるま(手押し車)」を出したり、遊具に鎖(のぼるための)をかけたり、雑巾がけをしたりする。そういったあらましは子どもから聞いたりクラスだよりで読んだりしてたけど、やはり実際に見ると全然違った感慨があるもんである。
まず、係の仕事が始まるまでが、長い(笑)。園バスでなく親が送り迎えするうちの園では、登園時間にばらつきがある。仕事は全員そろってから始めることになっているのだが、グループ1人目から最後(4,5人目)の子が登園するまでには20分くらいの時間差があったり。すると、待っている間に仕事へのモチベーションが下がったり、遊びながら待ってる間に遊びのほうが面白くなったり。原則、先生は子どもたちの自主性を重んじているので、「かかりするよー」「○○グループ、かかりやらんと?」など子どもたち自身が声をかけあうのを待っている。
やっと仕事が始まっても、たとえば倉庫から「ままごと」を運ぶ、というだけでも、子どもたちが協力してやるのは難しかったりするのだ。重かったり、数が多かったり、機嫌を損ねて或いは集中力が途切れて途中でやめちゃったり、ケンカになったり…。この日は、お母さんたちが見ているからか、やり始めたらけっこう真面目にやってる子どもたちだったが(笑)。年少さん、年中さんが気ままに思いきり遊んでいる中、その子たちの遊び道具でもままごとや車を出したり、掃除をしたりしてる年長児はなかなか頼もしくかっこよく見えるのだった。
サクの「すずめのてっぽうグループ(グループ名は子どもたち自身が考えたもの。今回は「草花名シリーズ」)は、今日は教室前の簀の子の雑巾がけだった。友だちと2人並んで、たったった、と長い簀子を一直線に、裸足の足の指を立ててなかなか上手に進んでいく。かわゆい。雑巾が汚れたら洗う。何度か繰り返して、年長、年中、年少とすべてのクラスの簀子を拭きあげ、終わるとグループ全員で集まって、担任の先生に報告に行く。「○○グループ、○○のかかり、おわりました」と声を合わせて言うんだけど、形式的なものに終わらず、先生との語り合いになってる。
さてクラスの部屋に集まってからの参観もいろいろ面白く。「リズム」と呼ばれている、ピアノ伴奏に合わせての広義の体操みたいなものも、年長になってより高度な動きをやるようになってた。
2人組になって1人がうつぶせになり頭の上に伸ばした両腕をもう1人が引っ張って部屋を動く、という「こいのぼり」がバカうけ。これ、引っ張られるほうが「力を抜く」のがポイントで、「力を入れる」のと同様、「力を抜く」ことの大切さを園ではたびたび言われる。電子音や刺激にあふれた生活様式もあり、現代の子どもは特に「過緊張」の傾向が多いらしい。でね、力を抜くと、顔からも魂が抜けるのね、その子どもたちの顔がおっかしくてw
歌は「どろんこと太陽」「きかんしゃ」「たけのこ」歌も年長になると詞や音程が難しくて大人でも何回か聞いただけでは覚えられないくらい。それにしても「どろんこと太陽」っていいタイトルね!
絵本の読み聞かせの様子も、うれしい驚きだった。
息子は年長クラス。先生の読み聞かせは「いやいやえん」だった。最近、一章ずつ読んでもらっているらしい。「昨日の続きからね / 続きはまた明日ね」ってのができるようになってるのだ! 感動。物語の世界が広がるやん!
「いやいやえん」。1962年刊行のあれですよ。ぐりぐらコンビの中川李枝子さん大村百合子さんのコンビ。といっても、ぐりぐらとは違って文章が多くて挿絵は白黒だし少ないんですよね。でも、2016年の子どもたちも大好き。息子5才「いやいやえん、めっちゃおもしろいけん!いえにもほしーい」
白黒の素朴なカットを子どもたちは一生懸命見ながら聞いてる。挿絵がないページになると先生は本を自分のほうに向けて読む。そのときは「語り聞かせ」になるんだけど、子どもたちは変わらず集中して聞いてるんだよね。物語の世界が頭の中でしっかり想像できて展開できてるんだろうなと。
白黒の素朴なカットを子どもたちは一生懸命見ながら聞いてる。挿絵がないページになると先生は本を自分のほうに向けて読む。そのときは「語り聞かせ」になるんだけど、子どもたちは変わらず集中して聞いてるんだよね。物語の世界が頭の中でしっかり想像できて展開できてるんだろうなと。
でもね、割と長く読んでるし、参観日だしで、特に月齢が小さい子なんかはやっぱり、後ろに並んでるお母さんたちのほうを向いて、お話から集中が途切れちゃったりもする。すると先生が…
すると先生が、お話を読み続けながら、そーっと歩いてその子のとこまで行って、ポンポンと優しく頭に触れる。一言も注意の言葉を発したり、読むのを途切れさせたりせず、同じスピード・同じ抑揚で読みながら、そっと。楽しいお話の世界を心を込めて読みながら、子供たちの様子も見てるんだよね。プロだ
子どもたちは、先生が中央前から、その子のところまでそーっと移動するのに合わせて、自然と体の向きを変えながら先生(と本)の姿を追う。何の違和感もなく、注意された子に視点が移ることもなく、お話の世界に入ったまま。物語ってすごい。先生ってすごいね。あの空間そのものに癒された…
夜ごはん、鶏団子と野菜・きのこのスープ、切り干し大根煮、パスタサラダ。
水無月の九
●6月某日: 朝だから疑惑もあるけど夫の熱がとりあえず下がったことに、サクがものすごくうれしそう。だからってホイホイ急に遊びには行けないことはわかっていても、やっぱり親が具合悪くして寝てて、ってのは不安なんだよね…。午前中、ネット関係の通信工事が入る。意外に早く終わった。私はランニング。30度近かったんじゃないかな。でも暑さにもだいぶ慣れてきたのか、炭水化物が足りてた感じもあったからか、調子はなかなか良かった。8キロ。
ちなみにサクさんも朝から微熱があり、そのせいかわからんけど、昼ごはんのあと、ひっさしぶりに昼寝。家族3人してごんごん寝た。そしてサクさん、起こしても起きない! 夕方「つい、ねちゃってた….。さ、いこう」とテヘッて感じで起きてくる。寝る前、本屋に行くと夫と話してたみたい。「もう夕方だから明日にしなよ」と私が言うと、ふえーんと泣きだす。実は、いつ以来か思い出せないくらいに久しぶりだった涙だったサクさんである。「いいよいいよ、サッと行こう、サク今日、楽しいことなんにもなかったもんな」と夫がとりなすと、サッと泣き止んだw
夜ごはんは、鶏のトマト煮(ナス・ズッキーニ・玉ねぎ)、餃子、スパゲティサラダなど。夜中2時ごろ、ものすごい豪雨と稲光で目が覚める。ちょっと怖さを感じて眠れなくなりそうなくらいで、しかも湿気もあったので、思わず窓を閉めてエアコンをドライ運転して寝る。
●6月某日: 午前中、新しい扇風機を買おうと言って夫とサクが電器屋さんその他に買い物へ。2時間弱で帰ってくると、夫はそのまま布団へ直行。ごはんも食べたくないと言う。サクと私はホットサンドイッチ。具材を適当に並べて自分で好きなものを挟んだり塗ったりするスタイルにする・・・と、子どもはもちろん大喜びしますね。
心配なのは夫で、「この数日でいちばんしんどい」と言う。熱も下がり昨日はかなり元気になってたのに。頭痛と吐き気がひどいといってずっと寝ている。といって、ゆうべも今朝もしっかりごはんを食べている割に、実際に吐いてはいない。それは・・・熱中症による脱水症状では? 「どうすれば治る?」吐き気が誘発されそうな気がして、水分も控えているらしい。「飲まないと治らないよ。水と一緒に電解質も」←電解質とは何ぞやとか理論とかはよくわかっていないんだけどねw スポーツドリンクを飲ませてみると、案の定、超濃くてまずく感じるらしく、水と氷で割ると「おいしい」と言う。はいはいはい、これ完全に脱水気味ですね。でも自分で水分とれないほどではなさそうだ。
夕方、思い立ってサクとサーティワンアイスクリームに行く。行動範囲内なのに、初めて行ったこの店舗。もう4時ごろだったけど、ものすごくお客さんが多くて、家族連れや女子同士はもちろん、男の子同士や、何か外仕事系の休憩or帰り?みたいな男性集団もいて、アイス業界ってこうなってるのかーととっても新鮮だった。3日連続でサクと風呂に入るなんて久しぶりー。もう、頭も体も顔も自分で洗うし、拭くのも自分でやるので、ちょっと補足してあげるぐらいですむ、って感じで全然ラクだ。
夜ごはんは、焼き鮭、具だくさんの味噌汁、冷奴。夫はちょうどよいので(?)半断食してる。ところで午前中に買った新しい扇風機、開梱から組み立てまでサクが大活躍。好奇心、面白いって気持ちはいろんなことをさせるね…!
●6月某日: 夫、朝いちばんで病院へ。血液検査などの結果、やはり脱水の気が出てるということで点滴をしてもらったらしい。1日弱のプチ断食は良いデトックスにもなったかも? そういえば、先週の湯布院出張から帰ってきたときに、夫が「右足にだけ靴下の跡がすごい。むくんでるんだろうか?」と言ってて、思えばその日中、彼は昼食時以外ほとんど水分をとらなかったらしい。普段は屋内での業務がメインだから、暑さには慣れていないはずなのに。翌日の急な発熱も含め、それが発端だったかもしれないねと話す。
今回に限らず時々思うのは、男性は(…と一般化しちゃいけないか…)健康や身近な病気についての知識が少ない。熱中症や脱水のような症状については、特に子どものいる女性なら気になったり、どこかしらで情報を得る機会があったりして、予防法、対処法など含めひととおりの知識を持っているものではなかろーか。
さてサクタロー。親へのこっそり予告があったとおり、今日、来月のお泊り保育の提案を先生からうけたらしく、迎えに行くと、私を見るやダダダダーとダッシュして来て、「おかあさーん、おとまりいっていいー?」と叫びながら・・・コケた(笑)。スピードがついていただけに、なかなか立派にコケた。しかし素早く立ち上がって擦りむいた箇所を手でさすりさすり、「いっていい? おとうさんとおかあさんは、いかんとよ。○○○(組の名)だけでいくとよ。ちかくにうみもある。おふろがすっごーくひろい」など喋り続けるのだった…w 夜ごはんは、ニラ豚(玉ねぎ、ピーマン)、切り干し大根、スパゲティサラダ。夫はおかゆやお味噌汁から。
『真田丸』 第35話 「犬伏」
くー、「真田が生き残るための策」。粗筋だけを見れば巷説どおりなのに、なんと鮮やかに、なんとドラマチックに描き出されるのか。昌幸でも、主人公の信繁でもなく、あの信幸が用いる策。かつて戸惑い悩み続けてきた信幸の曇りのない決断。大泉洋のまじりけのない芝居が泣かせる #真田丸
これまでいろいろなときに、兄弟が並んで前を見つめながら語り合う場面が描かれてきた。苦しい時も悩める時も前に進むしかないけれど、兄が・弟が同じ行き先を見てる。今日も同じ。別れではなく同じ将来を見てる。戦が終わる時代に真田を率いていくという、同じ使命を帯びてる。#真田丸
新しい時代に真田を守り率いていくことを心に決して泣く兄弟。己の衰えをつきつけられた悲哀もあれど、先週よりももっと「良き息子たちをもった」とも思っただろう昌幸。それぞれ胸に秘めながら、笑顔で飲んで別れていく。互いへの愛情と敬意、真田の者である誇りにあふれた宴 #真田丸
「沼田に決まってるでしょう」「子ども“たち”に準備させなさい」 迷いなく速やかに真田の女・子どもたち皆を守る決断をする稲。さすが正室という器を見せる。そんな稲の、かつてとはまるで違う姿を一番喜んでいるのがおこうなのではないかと思わせる演出と長野さんの芝居。#真田丸
「生きていれば面白いものが見られる」 かつて昌幸が氏政にかけた言葉。氏政は拒んで死んでゆき、遺った板部岡が小早川に教唆して裏切らせ、三成方は負ける(これネタバレじゃないよね?)。「生きていれば面白いものが…」今度は昌幸が言われる立場になるのかな。何にしても巡る因果 #真田丸
「しらばっくれるからいいです」「キリシタンがわからない」 信じる力に惹かれつつもあくまで自分本位。それでこそ我らのきりちゃんですが、やがて彼女が命を賭ける姿を見ることになりそうな予感がぷんぷん。きりが最後まで信じたいのは源次郎なんだよねきっと… #真田丸
余分な言葉はいらないとばかりに一心同体な信幸の妻たちに比べ、薫の手を両側からひっぱってマウントし合ってる信繁周りの女たちを思い出してじわじわくる。あと、死に魅入られてる茶々とは正反対に生命力にあふれてそうな江と、そのまっすぐさがしんどい秀忠の夫婦もじわる…今後楽しみ… #真田丸
江のキラキラしたまっすぐさがしんどいながらも、その面前で内心を吐露しちゃうし、子どもも次々作っちゃう秀忠なんだよね。じわるー。新時代にフィーチャーしてほしいわ秀忠夫婦。この江ちゃんは茶々との敵対・別れをどのように捉えるだろうか。今日のちょっとしたシーンで今後の楽しみ激増 #真田丸
刑部の前で涙し、共に徹夜した三成は、こののちどんな窮地に陥ってもお腹痛いって言わなくなるような気がした。刑部は刑部で三成を待ってた。四日半と言われたら四日半、まっすぐなこの男は豊臣のためという大義のために戦いたかったに違いない。治部と刑部のがっぷり四つ具合最高だった #真田丸
大事な手紙だから魂込める、右筆なんかに任せられない、と言った刑部が三成に口述筆記。刑部は自分の魂を三成に渡した。「私に命を預けてほしい」という自分の言葉に、刑部はまさに応えたんだよね。魂をもらった三成は真に肚を決めただろう。しかし肚を決めきれない男がいる…いるのだ… #真田丸
はじめ、昌幸は実行可能な策を立ててるんだよね。家康の横っぱらを突いて首をとる。そうなると形勢は一気に上杉(石田)に傾く。佐助が届けた密書で三成の挙兵を知らされると、昌幸は即座に「早すぎる」と。これは正しい読みで、昌幸が戦の戦術面ではまだまだ冴えわたっていることを示している、そして信繁は「早すぎる」の意味をすぐに理解し、理解できない信幸に解説する。信幸は戦術の人ではなく、信繁にはその点、父譲りの才覚がある。こういうのがサラッと1,2分で描かれるけど、視聴者への戦術解説にもなり三者三様の人物描写にもなってて、うまいんだよなあ。
先週の感想で信繁を「父譲りで大局観ゼロ」と書いたけど、戦の成り立ちが戦国真っ盛り期から変化しているのはきちんと読めていたことが判明。父、昌幸は群雄割拠し小競り合いに終始しながら年月が費やされる時代にいまだ身を置いている。そうであってほしいという願いからでもあるんだろう。
「豊臣か徳川、勝った方が次の覇者になる、どちらかにつくしかない」中央政権を長く見てきただけあって、信繁はそこまではわかってるんだよね、そこでどちらかを選ぶとき徳川はあり得ないと思うのも大坂暮らしが長かったから。心情としちゃ、そりゃそうだよなあ。昌幸は「豊臣の下で自分は我慢し続けてた」、かといって徳川の下で働くのも矜持が許さない。昌幸はやっぱり真田という小さな郷の独立領主で、誰かの麾下について安穏を得るより、己の才覚で荒海を渡りたい男なんだなあ。武田信玄への思いは忠誠心というより畏怖心であり、今は郷愁なんだろうなあ、自分を思いきり暴れさせてくれた時代。
で、信幸は凡人だから戦術には疎い(それでも昌幸や信繁より一生懸命戦術書など読んで勉強してるところが泣かせる)。豊臣と徳川、どちらが勝利をおさめるのかもわからない。わからないうえで、二手に分かれるという奇策を出せるのが信幸! なぜなら誰よりも真田のことを考えてるから。家族みんなのことを思ってる、まっすぐな人間だから。
言われてみればほんとハマるんだよね、昌幸は組織としてカッチリしてる徳川軍よりはまだ自由に動けるだろう上杉の友軍のほうが向いてるし、信繁は豊臣寄り。で、父と決別してでも夫の自分につき従う稲がいる。それぞれの信条を考えると一手にどちらかにつくより別れた方がいいんだよな。んで、別れたらどちらかが勝って生き残れる(可能性が高い)。でも、どちらかが負けるのも確実なんだよね。そのリスクを希望に変えることができるのが信幸という真田の新しいトップなんだなあ。熱い。
「兄上には迷惑をかけっぱなしです」
「まあな、だが…」
の意味をはっきりと測りかねて、録画を見直した。この“迷惑”は何を指しているのか? ざっとTLを見た感じでも(真田丸のタグは速すぎて追えないからハナっから追わないんだけど)言及されてなかったように思う。パッと聞いたとき、まるで関が原の結末を予見(信幸がついたほうが勝ち、父たちの助命に動く労力をかける)しているのかと思ったけどそんなはずはなくて、だとすると・・・?
・安房守の血を引き「策士」を自負していた自分が妙案を出せなかったこと
→でもそれは「迷惑」っていうより「不甲斐ない」みたいな話だよね。
・父と共に上杉(豊臣)につくよりここに残って徳川に父の離反を報告し、麾下に降るほうが大変
→それはあるよね。受けた信幸の「徳川に一番近いのは俺だ(だからしゃあない)」みたいなセリフも。信繁にしたら前回、家康の三たびの勧誘を言下に断ってるから、ここで昌幸が離反したと知ると家康がさらに怒り心頭になって信幸につらくあたるかもしらん。つまり先週「家康を怒らせた」のを含めての「迷惑」。
さらに広げて、
・今後も自分は父の下で働くのに対し、兄は父とは別個で真田を背負う立場になる
ってことも考えられるのかな。兄を助けたい、というのが信繁のもともとの志だったのに、結局兄を一人にして、自分は父と共にあるんだもんね。いくら老いが見えるとはいえ、父といれば矢面に立つのも責任とるのも父だから。いくら再会への希望を秘めていても、こうして別れれば、兄を支え助けることは容易にはできないのは想像できるわけで。
なんにせよ、兄の提案に圧倒されて言葉もなくうなずいたあと、2人になったときくしゃくしゃに泣く信繁が、ここからどう成長していくかですよね。んで、今、超絶かっこいい兄上にはこれからまだまだ苦労があるけどこのままかっこよさ天井知らずで行くのか、ちょっと情けない姿なんかまた見せてくれるのか、どっちにしても心から応援したいと思った。パパは何となく哀しい予感がするけど秀吉の最期ほどむごくはあるまいて・・・!
その昌幸の「表返り」と、ガラシャを引きずりだそうとするきりの「案外重い・・・!」、そして「せっかくやる気になっておったのに気持ちが萎えた!」のあとの「・・・若干な」。それぞれの一言で3回笑わせてもらいました。春ちゃんの「表返りだそうです」もなw
そしてお屋形さまの「嫌がる奴は逃がしてやれ」を受ける直江は一言も発せず笑わせるww でも実際、真田軍でも嫌がってたよね、百姓足軽キンコン今野。そうだよね、一度戦場から離れたらもう行きたくないよね。ほんのちょっとだけど、庶民の意識にも時代の移り変わりがあると感じさせる描写だった。