『とと姉ちゃん』 第19週 「鞠子、平塚らいてうに会う」
鞠ちゃんがはっきりとした努力を重ねてなさげだから、この悩みが等身大でリアルなんよねぇ。夢に向かってがむしゃらに努力できる人間がまずひと握り。なんとなく年月は過ぎていくもんね。。。 #とと姉ちゃん
君子にしても水田にしても、母や恋人の立場で「待つ」といえるのはなにげにすごいこと、あれほど一喜一憂するたちなのに鞠子の真意を知ったら落ち着いて受け止める水田は大した器やね。自身の体験談とかに走ってしまいそうなところ鞠子に響きやすい助言をする東堂先生もさすが #とと姉ちゃん
甚大な努力なしに夢が叶わないのは当然としても、だからってそんな人間に悩む権利がないわけじゃない。折々の節目で自分を振り返り、立ち止まって悩みながら、自分なりに折り合いをつけたり踏み出したりしてゆくもんだと思う。正解のない問題だけにどう描いていくか楽しみ #とと姉ちゃん
青鞜。東堂先生の凛とした朗読。未来はまだ何もわからない女学生常子の朗読。そして特別な何者かになれずに大人になって久しい鞠子の朗読。ひとつの文章がいろんな時代、いろんな人間に、いろんな読まれ方をする。そのたびにぐっとくるなあ #とと姉ちゃん
平塚らいてうの家のセットがすごい! #とと姉ちゃん
すごいなー、真野響子の演技の深み。「ゆとりですが何か」に続いてまた強い印象を残す役だなあ #とと姉ちゃん
平塚らいてうがお汁粉記事を寄稿したのは史実らしいけど、そこから逆算しての、常子星野のお汁粉デートだったんだろうか #とと姉ちゃん
ぶれないだけがすばらしいわけじゃない。物語の主人公たりえなくても、「あなたの暮らし」は等しく尊い。勇ましく革命的な文章を書いた人もそれに胸震わせた人も、「美味しいお汁粉の作り方」の大切さを伝える。鞠子に光を当てることでドラマのメッセージがさらに深まるなあ。いい展開 #とと姉ちゃん
んー。さらっといったな、って印象。「変わるのはいいことなのよ」の話の続きも、らいてうの言葉を鞠子が受け止める過程も、もうちょっと詳しく、突っ込んだところが見たかったなー。迷っていた結婚を決めるのも。鞠子らしいっちゃ、らしいんだけど。#とと姉ちゃん
常子は妹たちを嫁に出すと目標に掲げながらも、適齢期とか交際何年とか気にして急かしたり先回りすることなく、基本的に本人にまかせて見守ってきたよねぇ。その結果の鞠子の結婚は感無量だな。結婚がめでたいというか、自分の人生自分で決めた妹を見届けるのがね。竹蔵も喜ぶだろう #とと姉ちゃん
んで、「結婚は自分の意志で決めるけど、仕事を続けるという選択肢はまるでない」作劇は面白いなと思う。前者は、小橋家の家風によって当時の普通と違うところ。後者は当時の普通であり、鞠子の性質上もそうなるだろうなっていう。両方を取り入れたのが何か妙な説得力に #とと姉ちゃん
弾むように働く今週の鞠子を見ると「仕事辞めるのもったいないな」と思うんだけど(寿退社を迫る会社でもないしさ)、これはこれで面白いな。「それが彼女の決めた道だから最善なnだろう、私が何も言う筋合いないけど、ちょっともったいないな」って現実の友人の結婚への感想みたいな。#とと姉ちゃん
ところで「花子とアン」をサッカーW杯ブラジル大会開催を機に視聴リタイアしたの思い出す昨今。今の五輪同様、時差で早朝にやってる試合を見て、すごく興奮したり感動したあと、朝ドラでモヤモヤした気分になるのが非建設的で良くないなって思ったんだよね。で、見るのやめたら実にすっきりした。
結果的に(作家性が出る傾向にある)戦時中を見なかったのは、自分の朝ドラアーカイブ構築的に惜しいことしたかなって思うけどね。でもドラマ見ちゃったらTLに流れてくる感想にも目が留まるし、そういうの見るとどうしてもひきずってしまうので、やっぱりリタイアして時間を大切にできたと思う
高学歴の鞠ちゃんが結婚退職してしまうんだったら残念だなあと思ったけど、その問い自体が今週のテーマみたいなもんだった。(まだ水曜日だから結論は出せないとはいえこの作品の作風からして掘り下げなさそう) #とと姉ちゃん
平塚らいてうは、別に拳を振り上げて権利を主張する、ことを否定もしてないし、やめたわけでもないのでは…あくまで「あなたの暮らしにふさわしい原稿を」という事とアプローチの方法を色々身につけただけであって…拳振り上げて権利を主張することの大事さも理解してると思うけどな…
なんか「拳振り上げて戦う」こと、と「しなやかに攻撃をかわす」こと、は別に対立構造にあるわけじゃないのに、対立させて「権利を主張するフェミニスト」の方法への攻撃に転化させるようなはなしってあって、とと姉ちゃんは、それはしないんじゃないかな、と思う。ここまで見てると。
「あさが来た」は私は、宜ちゃんや平塚らいてうで「声高に権利を主張するのではなくするっとかわして行動することが大事」みたいに言っているような気がして、昨日の壇蜜さんの件みたいでもにょってたんだけど、
その平塚らいてう先生をもって「人は変わるもの、それは素晴らしいことです」と言わしめ、「あなたの暮らしに相応しいもの」としてごましるこを出したのが、今回よかったなと思ったのです。「どちらか」ではなく「どちらも」にしてると思った。
本当にいろんな意味で親は子どもを育むなあ。常子がこんなにしっかりしたのは、父の不在と母のおっとりゆえだったりする。でも常子がいつも安定していられるのは、どんなときにも承認してくれる君子の存在が大きい。君子は完ぺきじゃなくても良い母だ。完ぺきじゃなくていいんだよね #とと姉ちゃん
そして君子が「自分と違う幸せ」を生きようとする常子を自然に認められるのは、夫を亡くしていわゆる標準的な家庭でなくなったり、戦争という非常時も共に過ごしてきた経験も大きいのかもしれない。当たり前に思えることだけの中で、それを疑わず生きられる環境じゃなかったから。#とと姉ちゃん
多様なものを見る、触れる経験は本当に大事なんだね。らいてうの「変わるっていいことなのよ」にそれ以上の説明がなかったのは、今日の君子と常子の会話が答えになるからだったのか。短い会話でもすっと入ってきたもん。彼女たち親子の歩みはこれまでずっと見てきたから。#とと姉ちゃん
多様なものを見る、触れる経験は本当に大事なんだね。らいてうの「変わるっていいことなのよ」にそれ以上の説明がなかったのは、今日の君子と常子の会話が答えになるからだったのか。短い会話でもすっと入ってきたもん。彼女たち親子の歩みはこれまでずっと見てきたから。#とと姉ちゃん
今日も見かけたんだけど、#とと姉ちゃん を批判するときに脚本家が芸人として成功しなかったことを持ち出すの本当に不愉快。脚本家も芸人も大衆に見られる職業とはいえ、作品批判を超えて中傷だと思う。軽口めいたものでもやめて頂きたい、そういう塵ツモで悪質なdisまで出てこれる雰囲気になる
2ちゃんのアンチスレならいざ知らず、そういう中傷をtwitterで平然とやる人が1人2人じゃないのが、良くない傾向だなーと思う。ヘイト社会っていうか。「そういうふうにタグが荒れるのも作品の質が悪いから」と言う人もいるが、これは作り手に負わせることじゃないと思うな。受け手の問題。
ごちやカーネを見てもわかるように、のちに名作秀作と評価が定まっても、リリース時には賛否両論吹き荒れたものも少なくない。とと姉が名作というわけじゃなく、絶賛だけ集まる=名作じゃないってこと。それ以前にどんな迷作・駄作だろうが作り手を中傷したり尊厳を貶めたりが許される空気はよくない。
朝ドラが書けるなんて脚本家を志望する人全体のうち、ほんのわずかな割合。日本代表レベルだろう。書いたものがどうかはまた別の話だけど舞台に上がれた時点で転職大成功。そんな彼を嫌いなのも軽蔑するのも個人の自由だけど、「芸人で成功しなかった=しょせん失敗人間」みたいな烙印は違うでしょ
今日の息子6才と #とと姉ちゃん。・白打掛を見て 「つるがいっぱいかいてある。うすーく」 ・最後の夜の語り合い 「みずた おらんやん」「みずたまり・・・・くくく」・花嫁を見にきたご近所さんたち 「みずたが まだみてない、みずた」・披露宴「はなやま ぜんぜんわらっとらんな」
伊佐次の祝辞の異様な迫力よw #とと姉ちゃん
花山と常子、ネタかぶり(笑)。でも、おかげで常子は自分の本当の気持ちを言葉にできた。花山、ナイスアシスト! #とと姉ちゃん
国・内閣・味噌汁。文字で読んだらけっこう激烈な話だったと思うが、こういうたとえを大真面目に、言葉に力を乗せて喋れるのが花山だなあ。唐沢さんさすが。「国と国」も、列座の人々は皆戦争経験者、今聞くよりずっと重い話だったろうなあ #とと姉ちゃん
「鞠子を嫁にする君は幸せ者」結婚式でこういう親バカ挨拶するお父さん、いかにもいそうだよなあ。常子、挨拶に親父入っちゃうの安定だなw #とと姉ちゃん
常子の挨拶は、彼女らを知らない人や好意を持ってない人には、身内アゲでけしからんと思われるだろうね。時代考えると特に。でも、常子があんな挨拶する気持ちが分かるし、じんとくる列席者・視聴者もいる。常鞠コンビが好きで、思い入れをもって見てきた人間もいる。それでいい #とと姉ちゃん
同じ挨拶を聞いてもいろんな受け取り方がある。感動の大きさも違う。常鞠との関係性もそれぞれ違うし、各人が内面化してる良識や価値観にもレイヤーがある。全員に認められなくてもいい。みんなに愛されるヒロインじゃなくてもいい、理解者はきっといるから。#とと姉ちゃん はそういう話だなあと思う
変な汗かいてるのを知っても、水田にイライラしなくなったんだね鞠ちゃん #とと姉ちゃん
身内アゲは失礼かもしれんけど、「数え切れないほど幸せなことがたくさんありますよ」のとこでウルっとくる。これってホント身内的な感慨だよねw 水田が鞠子と一緒で幸せになるということは、常子たちがその幸せを失うということでもあるんだよね。常子の目標は切ないね。#とと姉ちゃん
花アンの時の加賀田Pもそうだったけど、「高視聴率の原因がわからない。意外」って(笑) AKの朝ドラはすごい高視聴率は狙ってなくて、最低限をクリアすればいいかな、って雰囲気あるよね。実験的というか>RT
とと姉ちゃん第114回。「鞠子を嫁にするのだから幸せになるに決まってる」とかなり強い「祝福」を水田に投げかける常子。あまりに強い祝福は「呪」に転じてしまった場合が怖いが、水田も同等の気合で受け止めた。
常子は「愛する妹をよろしく頼む」という気持ちとともに、やはり「娘を嫁にとられた」的な父親の悔しさも少しにじむところが複雑で良いね。「とと姉ちゃん」としての見せ場だったと思う。
常子にとって鞠子は歳も近く陰に日向に支えてくれる自分の「分身」「相棒」のような存在であると同時に、自分が働いたお金で食べさせたり学校行かせたりする「娘」でもあったわけで、まあ、複雑で外野にはよくわかんない関係だよね(笑) そういうわかんなさが、常子のスピーチの演技に表現されてた。
でも、そういう外野にはよくわからない関係性って多分どこの家庭にも多少なりとはあるはずで、それが「味噌汁の味」ってことなんだろうな。
鞠子の話をここでやることで、女性の生き方の難しい部分と多様性を描いてるんだけど、そこに平塚らいてうを介在させ、同時に善意の人(水田父)のまったく無意識なデリカシーのなさも描きつつ、結婚しない常子の姿も通底音として流れ、星野登場までの前奏曲にもなっている。やっぱり、いろいろ練られた脚本だと思う。
弾むように働き、花山にダメ出しされて凹み、らいてうに相対し、花嫁姿になる鞠子=相楽さんの大活躍も良かったし、やはり今週の常子=高畑充希もすばらしいのだった。鞠子を見守る姿。仏壇の前での君子とのシーンはこのドラマの名場面のひとつに数えられるだろう。そして披露宴での豊かな表情! 脚本演出と役者の芝居とがすごくいい相乗効果になってると思います。木村多江の君子もいつもとってもキュート。伊藤淳史の芝居ってこんなにいいんだな、と初めて知った。
『人生の旅をゆく 2 』 よしもとばなな
『キッチン』が出たのは私が小学校4年か5年生のころで、それから私の10代に吉本ばななの小説は欠かせないものだった。アイデンティティのひとつだと思うくらい。でも20代になり、30才に近づくころ、違和感のほうが大きくなった。情が深い人で、闇もあって、そんな人がしばしばそうであるように、排他性を感じる。そこには優越感があるような。「私は持っていないけど持っている」というか。優越感と劣等感とが同居してるんだろうな。よくわかる。そういう凸凹が作家の個性、魅力でもあって、若い頃はそこにとても共感し、癒されたり励まされたりしてたのだと思うけど、だんだん読んでてしんどさが増してきた。自然と離れた。
久しぶりに彼女の本を買って読んでみて、好きなところも嫌いなところも変わらないなー、と再確認。作家も変わってないし読者の私の方も変わってないってことかな。でも、震災について書かれた文章は、「あー。こういうとこある人よね。」という部分は随所にあれど、とても胸に響くものだった。彼女は外国にもたくさんの読者を持っている。彼らに向けてという意味合いもあるらしく、とても臨場感ある文章になっている。一人の人間が、一人の作家が、東京で体験した震災・考える震災として、貴重な記録だと思った。
そういえばあの震災からまださほど経っていないころ、彼女が震災について寄稿したのを雑誌で読んだことがあって、そのときもズシンときたのだった、と思い出しながら読み進めていって、最後に「あの日の海」と題された文章の重さに打ちのめされた。父・吉本隆明が海で溺れ、重篤な後遺症を負って過ごす15年もの晩年について書いてある。
すべてが変わってしまってもう決して戻れないのがそのとき既にわかった、という戦慄。周りは生きていてくれさえすればそれでいい、と思うけど、仕事もできず後遺症に苦しみながら生きながらえている本人はどう思っているのだろう。命があって良かった、という思いと、あの事故が父のすべてを奪っていったのだ、という思いとは延々とせめぎ合い続ける。
苦しいことも楽しいことも経験しながら年月を過ごして15年、今でも私の心はあの日の海辺に呆然と立っている、と彼女は書く。それは彼女の固有の体験でありながら、そんな悲しみを、苦しみを、あの震災で、いや震災に限らず、多くの人々が味わった・味わい続けている・これからも・・・という普遍性にも感じられた。それはつまり「私の体験」にもなり得るということだ、と思う。それが「人生の旅をゆく」ということなんだな。という感慨はあまりにも重く、だから私たちは強くなりたい、優しくなりたい、と願うのだろう。誰もが人生の喜び悲しみを味わいながら生きている。でもそれをこんなふうに書ける彼女は、やはり作家なのだなあ、と思った。
皐月の十五 / オバマ大統領が広島に
●5月某日: 今日から、周辺工事のため、移動保育。昨年2月にもお邪魔した施設へ、また2週間ほどの間借り生活。幼稚園にいったん集まって、子どもたちは徒歩で移動する。先生たちの手間や気配り(間借り先に対しても)は大変なものだろうと思う。
さて、私は今日、友人が勤める某社でちょっとしたバイトの打ち合わせ。(曲がりなりにも)仕事の件で会社を訪問して応接室に入るって、いったい何年ぶりだろうw そして友人と会社で会っている不思議。おもしろい話をいろいろ聞いて、その流れでお昼も一緒に食べて、面白い話をいろいろする。駅南のwith the style…未だにこんなバブルの香り濃い店があるって奇跡のようだわ。でもアーリオオーリオもパンもコーヒーもすごく美味しかった。
その足で幼稚園まで、自転車で35分くらいかかったかなー。暑い。子どもたち、今日も良く遊ぶ遊ぶ遊ぶ。年少の時に担任にしてもらった、45年選手のベテラン先生(今は故郷の島に帰っておられる)が来てた。お話するたびに元気になるような。夜ごはん、かつとじ、きゅうり、トマト、ピーマンきんぴら。夫は飲み会。
オバマ大統領が広島に。
今日は歴史的な日なんだと思う。でもでも、なんとも言えない気持ちもある。アメリカではどんなふうに報道されてるんだろうか?
資料館に行ってくれたのはすごくよかったというか。どれくらい時間をかけて見たのかな
揚げ足取りってわけじゃなく、こういうときこそメディアには冷静な報道をしてほしいんだな。現職の大統領が広島に来て資料館を見て演説をした。そこには日米両国の或いは政治家や関係者の政治的意図もあるだろうけど、この事実を未来のためにどう意味づけるべきか。祭りじゃない。感傷でもない。
関心を持つのはいいこと、というかそこからすべてが始まるんだろうけどもさ、ガス抜きとか共感とか票集めのためのイベントにしちゃいけないと思うんだよね。森重昭さんとの抱擁はシンボル的な映像になるんだろうけど、それを安く消費してはいけないんだよ。絶対。
どうしてオバマは広島に来ることになったんだろうか。少なくとも、私たち、被爆国の国民の総意として、それが必要であると熱烈に望んでいたから実現したわけじゃないよね…。
報道を見てると、何だかチグハグな感じがするんだよな。日ごろの私たちの思い(関心の無さ、と言い換えてもいい)と、今日の熱烈な歓迎や興奮。もちろん、この出来事を起点にして未来につなげていけばいい。でもそのために必要なのは冷静さ。熱狂ではない。そういう類の話ではないでしょう
大統領の振舞いやスピーチはあれでいいというかしょうがないというか、自国の利害の上に立ってきてるわけだから。彼に求めるというより、自分たちの問題だよね。今日の日を、原爆投下を、かつての戦争をどう受け止めるのか。今日を実現させたことだけで政権を評価しないこと。政治家に何を求めるか
来てくれて本当によかったと思う。だからこそ「感動をありがとう」じゃないよね、って思う。
生涯にわたって歴史を学ぼうじゃないですか、平和のために (3・完) - moonshine
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皐月の十四 / 「直虎」キャスト発表!
●5月某日: 昨日、「わーい給食が始まったー!」と歓喜したけど、今日はもう弁当です。週2回は弁当だからしょうがないです。ということで今日のサク弁、ごはん、ポトフ(ソーセージ、じゃがいも、にんじん)、卵焼き、大根とみぶ菜のサラダ、ひじき煮。今日も途中で友だちと会い、歩いて登園。「ママじゃな」の聞き起こしから原稿作成、放送大学の授業視聴も。
14時から子どもたちは健康診断、大人はミニ懇談会。7月の一泊保育についての第1回説明が主旨で、これは「その日というよりそこまでのプロセスを大事に」という、この園らしいやり方。他に、最近のクラスの様子のお話もあり、これが面白い。
終わると、「子どもたちからお母さんにプレゼントがありますよ」と言われ、子どもたちが「おかあさん、めぇつぶって!」と要望。首に手作りの紙粘土ネックレスをかけてもらったのでした。「えええー!なにこれ!!」とびっくりした様子はフェイクだけど、実際にブツを見るのは初めてなので歓喜は本物ですよ。
※これまでの流れを記録しておきますと・・
★3日前:
・迎えに行くと、その場で一言目に「おかあさん、あした、はやくいく!」と張り切った様子。 私「へえ、すごいね、係の仕事?」 サク「ううん、はやくいったら、いっぱいあそべるけん」とニコニコ。この時点では気づいてなかったけど、これも、ネックレス作りの作業のため、「早く来ようね~」と先生から言い含められていたようだ。
・家で「あした、おだんごつくるよ」と言う。私「じゃあエプロンもっていく?」 サク「ううん、エプロンも、すりこぎもいらん」とにこにこ。
★2日前: お迎えにいった一言目「おかあさん、なにいろがすき?」 ははーんw、と思いながら「黄色かな。それと水色」 サク「ほかには?」 私「緑かな」 サク「ほかには?あと3こくらいいっていいよ」
★昨日: 夫が帰宅した瞬間に「おかえりー!」と玄関まで走って行って、こそこそと話している。すごくわくわくした様子が伝わってくる。やはり、プレゼントのことを話していた模様。
★今日:
・「おかあさん、うれしかった? つくりかたをおしえるね。1ばん、おだんごをつくる。2ばん、くしであなをあける。3ばん、かわかす。4ばん、えのぐでいろをぬる。5ばん、もう1かい かわかす。6ばん、ひもにとおす。7ばん、ひもをむすぶ。そして、ぴかぴかになるの(ニスのことだろう)おかあさんにはみえないやろうけど、ぬると。これはせんせいがやってくれた」
「おでかけのときとか、していいよ。おばあちゃんとか、おねえちゃん(私の姉)にもみせていいよ」
さて、ひとしきり説明したあとは、また園庭に行って、よく遊ぶ遊ぶ遊ぶ。帰ると、来年の大河のキャスト発表が!!
17年大河『おんな城主直虎』新キャスト発表 柴咲コウ父は杉本哲太、母は財前直見 | ORICON STYLE URL
『おんな城主 直虎』発表 キャスト2瀬戸方久/ムロツヨシ井伊直満/宇梶剛士小野政直/吹越満新野左馬介/苅谷俊介奥山朝利/でんでん中野直由/筧利夫語り/中村梅雀URL
この、「森下さん作品」感あふれるキャストね・・・!
大河や朝ドラって、「作家性あふれる物語を味わい尽くしたい」って思いが私は強いので、こんなふうに、作家色の強い座組って好きだし、それって面白くなる(作品のカラーが作りやすい)要因の一つになる気がする。
官兵衛で不完全燃焼だった(私にとってね)高橋一生が、こんなに早く大河に戻ってきてくれるのがうれしいよ! それだけ人気役者ってことだよね。
ムロツヨシの使い方も森下さんはよーくわかってるしね!
柳楽くんを大河で見られるのもうれしい。森下さんが柳楽くんを使い倒さないわけがない。意外とチャーミングな役になるんじゃないかなって思ったり
これ、どうしたって菅田くんの出演期待しちゃうよなー。菅田くん的には今は大河じゃないかなー
それから、わた離つながりで水川あさみちゃんも出てほしい! 「江」の初、後半すごく良かったんだよ。あの変わった声が気にならないどころか、時代劇のセリフ回しがすごく良かったんだよ。それに尼姿が世にも美しくて眼福だったの・・・
岡本P「小さな谷を守ろうと、直虎さんが全身全霊を傾けたことが思い起こされます。志半ばで命尽き、直虎さんに後を頼まざるを得なかった人々の姿も」 全身全霊とか、志半ばで倒れ後を託すとか、森下さんが腕に寄りをかけて書くのが想像できるわ・・・
来年はきっと楽しめると思うの。森下さんが書くなら、歴史的に無名な人物とか不安材料にならない。戦々恐々なのは再来年よ…。誰が書くの…。そろそろ発表かしら…。
そして、上野樹里ちゃんとトライセラ和田さんが結婚!! 公開された2ショットの写真がすばらしかった。夜ごはんは、餃子、豚汁、ピーマンとベーコンのきんぴら、小松菜のおひたし。
>>私の疲れが すうっと消える。栄養豊富な天然オールインワンドリンク、サジー
皐月の十三
●5月某日: 昨日、クラスの “語り合い” で「幼稚園に早く来よう。そしたらいっぱい遊べるから」ということになったらしく、「はやくいく!」と張り切っているサク。昨日から、着るものや着替えや手拭きタオルも準備していた。宣言通りの時間に(いつもより15分早い)自分で起きてきたので、本気だったんでしょうねー。
家の近くのパン屋さんでパンを買っていると「○○さん・・・」と声をかけられる。同じ幼稚園で、今春、卒園して1年生になったKくんのお母さんだった。最近、この店で週3でパートを始めたらしい。午後から、幼稚園の保護者会総会。不肖わたくしが議長として議事の進行を務めました(原稿読んでただけ)。しゃんしゃんで終わるのが毎年の恒例です。去年の会長さん(なのでこちらも今春子どもが卒園された)も、久しぶりーとお話してたら、もう近くの短大の食堂で働き始めてるらしい。すごい! 総会終わった後も、子どもたちひとしきり園庭で遊んでから、帰る。
サクが「そうじきやってみたい」と言うので、ちょっとコツを教えてやらせると結構うまい。よろしくお願いしますw 続いて、じゃがいもの皮むきもやるという。これは苦労していたもよう。夜ごはんは、麻婆豆腐、じゃがいものスープ(鶏ハム、玉ねぎ、えのき)、わかめときゅうりとみぶ菜の酢の物。
●5月某日: ついに、ついに今日から今学期の給食が始まります! いやー、今学期は園側の(というか園側にも如何ともしがたい周辺工事とかも)いろいろあって、今日からやっと始まるの。今日までしこしこお弁当づくりがんばったの・・・。
最近の登園途中、サクが作る即興の歌が面白い。「つばめ」とおもむろに題を言い、
「つばめは5がつにとんでー かぜにのってとんでー そらからみんなのゆめをみてるー」
とか。「むしあつい」というタイトルの歌も面白かったんだけど、書き留めとかないとすぐ忘れちゃうね。自転車こぎながら爆笑している私である。仲良しの友だちと途中で会い、一緒に歩いて登園。会うとうれしそうな2人がかわいい。
毎日、27度とか29度とかまで気温が上がって暑いのだが、子どもたち、降園後もよく遊ぶ。それから歩いて帰るので(30分近くかかってるかな…)、毎日付き合うのはなかなかホネなんだけど、今日は降園後の園庭で、サクが初めて鉄棒で前回りする瞬間を見られた。ちょっと前からできるようになってる子たち(少数だが逆上がりができる子も)はいたけど、私にしろ先生にしろ「サクちゃんもやってみなよ!さあ!」的なことは全然言ったことがない。「できるかも」「できないかも」「こわい」「やってみたい」いろんな気持ちが心の中にあったろうけど、自分でエイッと殻を破るときがくるんだねー。すごくうれしそうで、そして1回やったらすっかりコツを掴んだらしく、その後は何十回もやっていた。
夜ごはんは、アジの南蛮漬け、手羽元の甘辛煮、大根ときゅうりとみぶ菜のさっぱりマヨサラダ、トマト。アジ南蛮は野菜もたっぷり一緒に漬けていて、とってもヘルシー(まぁアジは揚げてるんですけどねw)。最近、夫に料理の腕をさらに上げていただくために、きょうの料理とか何とかを録画して、たまに酒の肴に見てる。谷原章介の「タイムレスキッチン」。83歳の超元気であか抜けた先生がアジのたたきやら握りやらを教えてくれる回。夫、感心。
『真田丸』 第31話 「終焉」
はあああー、小日向さんすごかった #真田丸
「一代の英雄が死を迎えようとしている」あたりのナレーション、めちゃ司馬遼太郎ぽかった #真田丸
出浦様は、先週の吉野太夫よろしく、途中からニセモノに入れ替わっているんじゃないかと思ったんだけど、昌幸の前に現れたのは本人ぽかったなー ということは史実で生きてる出浦様がニセモノで佐助が中の人になったりして #真田丸
曲者を怖がってわたわたしてる秀忠が、ドラマ序盤期の家康にそっくりであったな #真田丸
「先送りにしていいことなんかひとつもない」昌幸パパの言葉はまたも外れるというか当たるというか・・・であった。お兄ちゃんが今日まで先送りにしてきて家康に泣きついたからこそ家康の命は助かった。確かに昌幸にとってはいいことじゃなかったね #真田丸
有名な秀吉の遺言状を家康(本多正信)が無理やり書かせるという創作に「うわー、そうくるか!」と。家康のときには秀吉が勝手に追伸を書き、三成は命じて書かせるのも史料を生かしてるなあと唸る。秀吉の書状には「追而書」が多く、そこに人たらしぶり、人心掌握術が見えるんだよね #真田丸
秀吉の冷たさ卑しさを指摘する茶々(と、きり)と、血まみれの男子の幻とが重なって、秀吉が処刑した茶々の兄・万福丸を想像させ、それが秀頼につながる。うまいなあ。自分が数々殺してきたから、自分の子がそうなるのをあれほど心配する。だから戦国の世は終わらせないといけないんよねえ #真田丸
でも万福丸の処刑は信長の命によるもので、信長の鎧も出てきて、秀吉という一代の英雄の正負の歴史両方は、戦国乱世という「戦い殺し合う時代」の流れの中にあるんだよね。そして「戦は大っ嫌いじゃ」と昔から言ってる家康が控えている #真田丸
自分が数々殺してきたからこそ秀頼もそうされるのではと心配でたまらなくて、その心配を払拭するために命じるのが「家康を殺せ」だから秀吉はやっぱり戦国の人だよなあ。さらに念を入れて源次郎への「佐吉を頼む、あれは淋しい男で」の情に訴える力! これぞ天下人に成りあがった男の執念 #真田丸
血まみれ男児の幻を見て佐吉にすがりつく姿に、2人には昔からこういう関係もあったのかもしれないとふと思った。三成がなぜ秀吉に絶対忠誠を誓っているのか、作中では特にエピソードは語られてないけど、寧が昔から秀吉の怖さ冷たさを知るように、三成は昔から秀吉の怯えを知っていたのかも #真田丸
人が身を挺してでも誰かを守りたいとか尽くしたいと思うのって、偉大で畏怖すべきだからではなく、相手の弱さとか哀れさとか、何かしらウィークポイントみたいなのを知るからじゃないかと思う。んで、それを知る人が少なければ少ないほど思いは増すだろう。茶々に対する大蔵卿局もそうだし。#真田丸
出浦(昌幸)が家康を襲ったことに多大なショックを受けてた信幸だけど、徳川の側も秀吉に強制遺言状を書かせるという立派に利己的な行動をしてたわけで、それ言い出すとスケールは違いすぎるものの自分も今までおこう母子のこと隠してたわけで、清廉潔白な人間なんてそうそうおらんのよね #真田丸
「戦は大っ嫌いだ」とは言うものの、本多正信のように卑怯だろうと手を汚すのを厭わない腹心がいてこそ家康が天下をとるわけよねえ。でも今回の書類操作を見た家康は自分の政権でそれやられないように水も漏らさぬ統治機構を作る必要性を知ったんだろうな #真田丸
稲とおこうを見てるとホントお互いしんどいだろうなって思うんだけど(先週の共に腹ぼてな二人の場面は笑うとこだったのかもだけど私にはかなりエグかった)、今回の茶々を見てると茶々は寧がいて有り難かったろうなと思う。稲とおこうにもそんな日も来るかな #真田丸
信幸はずーっと正しいんだけど、二人の妻にしんどい思いをさせてるってのは何げに念入りに描かれてると思うんよね。もちろん当時複数の妻を持つのも侍女に手をつけるのも普通だけど彼女らがしんどい(こともある)のは明確に描かれ続けていて、これがどう展開するのか着地するのか興味深い #真田丸
信幸と秀忠の恐妻トークは、Eテレ「スイッチインタビュー」あたりでたっぷりやってほしいもんです。にしても、二人の初めての会話が妻という奥向きのトピックだったのは何か示唆を感じさせる #真田丸
わたし今作の秀頼は、秀吉の実子じゃない設定かもしれない、とところどころで感じたことがあったけど、今日の鈴の音を父子ともに楽しむ姿は同じ血統の示唆なのかなあ。秀頼が遊んだから所定の位置になかった、という帰結もあるんだろうけども。 #真田丸
天下をとった男、華やかな席が似合う男がたった一人で、床の中ですらない「淋しい死」を迎えた。劇中、上杉景勝が「死にざまは生き方そのもの」というシーンがあったから(12話)、秀吉の死もそういうことだろうか。
個人的には、人間の晩年が必ずしも当人の人生の因果応報だとは思わない。そうだよね? でも少なくとも、秀吉は多くを殺してきたから万福丸のような男子の幻を見るのであり、だから秀頼が心配でならないのだと思う。ただ自分が天下をとって以後だけでなく、信長の命令でも秀吉は多くを殺した。それは断る余地のほとんどない行動だし、この時代の多くの武将がそうだっただろう。落首事件やキリスト教徒の処刑者の幻であると具体的に示さなかったのは、秀吉の行動の背後にそういった時代性を持たせる意図かなと思った。多くを殺した者が天下をとり、だからこそ天下人がもっとも孤独で、深い業や罪を背負うという戦国の側面。時代が移り変わらなければならない必然。
「家康を殺せ」「佐吉を助けよ」死を目前にしたそれらの言葉は相手に対する「呪い」となりうる。そういった運命の悲劇的な側面をとりあげていくこともできる。でもねぇ。生きていく中で、人間はいろいろな祝福や呪いの言葉を繰り返し受ける(あるいは授ける)のではないだろうか。その中で、誰かの人生の最期の時間まで濃密にかかわることは綺麗事だけでは決してすまないだろう、でも「それで呪われる」という筋書きはあまりに救いがないような気がする。
今作に限らず、ドラマの感想をネットで見ていると「(登場人物AはBに)呪いをかけられた」のような言葉で解釈している感想が散見される昨今だけど、そんなに簡単に人は呪われないよ、人と関わることでたくさんすてきなこともあるよ、って思いたい。
さまざまな人と出会い、かかわり、死や滅びや悔恨も見てきている信繁だけど、彼の中に多くの呪いが蓄積していって死に花を咲かす・・・なんてことにはならないっすよね、三谷さん。
・・・とはいえ、三成の滅びや、(三成でなく)家康が天下をとるにふさわしい人物であるという説得力も描かなければならないので、やっぱり作家は大変ですね。
小日向さんの秀吉は軽みと酷薄さ、そして老いをあますところなく表現し、全体に鬼気迫るものだった。フジ「HERO」で知名度を得た彼の二度目のブレークになっちゃったんじゃないのー? 小日向・鈴木京香・竹内結子の豊臣家は私の大河アルバムの1ページになったね。今回の茶々もすごくよかったよ。なんという繊細さ。
昌幸の私説・桃太郎が面白くてスピンオフで一寸法師とかいろいろやってくださいw ツイートもしたけど、登場人物に扮してというのはもちろん無理でも、真田丸関係者でスイッチインタビューやってくれないかなー。あまちゃんのとき、クドカン×葉加瀬太郎とかやったよね。岡田くんも官兵衛のとき出たよね。
吉野太夫が途中からニセ物になっていた、ていうネタは、あのとき限りだったらちょっと脈絡ない感じがするので、どこかで使われる気がしてて、さっそく出浦さま危うしになった今がぴったりなんじゃないかと思ったんだけどどうかしら。わくわく。
『とと姉ちゃん』 第18週 「常子、ホットケーキを作る」
自分のしんどさは心にしまって元気に振る舞ってしまう常子。とりあえず「誰かに話してちょっとすっきりする」ができたらいいね。鞠子だって理解者なんだもん。花山が戻ってくるのは確定事項だけど、その経緯はまだよくわかんなくて楽しみだなあ #とと姉ちゃん
宗吉と照代が戻ってきて、なおさら年月の経過を感じるなあ。彼らも昔のままじゃないし、三姉妹も今では無邪気に思い合ったりぶつかり合ったりだけの関係性じゃない。鞠子のそばには水田もいる。綾にもさらに月日が流れている。そして花山がいない喪失感。#とと姉ちゃん
RT ドラマガイド2の表紙になってる新しいポスター(?)もすごい好き。常子の聡明な表情! 前編では駆けながら振り向くカットだったのが、今度は座って、真正面から。大人の女性になったんだねえ。しみじみ。
賢いとか気が回るとか、手のつけられないお転婆だけどその分…とかじゃない、常子の不思議な聡明さがとても好き。
2人ともかわいい唐沢寿明、スカート姿で「とと姉ちゃん」高畑充希とポーズ 「違和感ない」「唐沢さん可愛すぎる」 URL @itm_nlabentaから URL
RT あと、この写真もすごい好き。大先輩と写るときにこういう顔できちゃうのが、唐沢寿明をして「演技も歌もうまいし絶対的な自信を持ってる」って言わしめるゆえんなんだろうなー。そういうとこも何かすごくいいなって思う。充希ちゃん。
とと姉ちゃんってやっぱりフレッシュな若手女優さんじゃできない話だよなー。Q10もごちそうさんも問題のあるレストランも(最初の2話だけ見たこないだの月9も)もちろんうまかったしよかったしけど、とと姉ちゃんの高畑充希が一番好きだなって思う今。
理想か現実かで雑誌の意義を問い直すのと共に、社長常子の試練、花山と常子の関係の深化、そして姉妹(特に美子)の社会人としての成長まで描かれることになるようで、すごく面白い。1つの命題は多くの問題を含んでいることがよくわかるし、なんだか普遍的な問題なんだよね #とと姉ちゃん
お茶を飲みながら宗吉夫婦と話す常子。それがすぐに妙案に繋がったりしなくても、話せる相手がいるって有難いこと。話を聞いてくれる宗吉たちも自分たちの案件で迷いを抱えている。花山だって天才だけど完全な人間には程遠い。みんな悩みながら迷いながらぶつかり合い助け合っている #とと姉ちゃん
それにしても、沈思黙考する常子がまたまたすっごくいいです。彼女がどういう結論を出しどういう行動をするか、すっごく楽しみになる。考えこむことのすばらしさ。数多くの朝ドラヒロインの中にまた新たな個性が!と思う。私は常子大好きだよー #とと姉ちゃん
かかのお説教よかったなあ。美子が常子に自業自得だときつく当たるのは結局常子に甘えてるからだよね。金策の話は美子の前でされてるわけだし。「花山さん呼び戻すべき、金策や説得方法はとと姉ちゃん考えて」では回らないことは美子にだってわかってるはず #とと姉ちゃん
親もまた不完全な人間なのだと知る者が大人なんだとしたら、「父がわりの姉」と「父のように慕う師匠」の不完全さを補うために働くことが美子の大人試験なんだね。今週は何気に美子週だわ #とと姉ちゃん
文句を言うだけなら誰だってできるんだよね、美子はまだ現実にコミットしてない。でもこういう問題が持ち上がったことでひと皮むけるんだろうなあ。娘たちそれぞれの個性と共に、長女マインド・妹マインドなどもよーくわかってるんだよね、かか。#とと姉ちゃん
姉だったり妹だったり一人っ子だったり、口下手だったり甘えん坊だったりお調子者だったり、人はまずそういう個人の性格でもって社会に出るんだよね。で、社会で仕事したり育児したりすることで自分の性格の凹凸に初めて気づいたりもする。#とと姉ちゃん
常子が出した結論も、結論に至るまでの過程も、それをきっちり先方に伝えたり、社員に対して説明し誠意を尽くすやり方、言葉や表情も、成長したなあと同時に、「これぞ常子だなあ!」と思う。つらいシーンの連続だったのに感動。常子の決断はいつも胸を熱くさせるものがある。#とと姉ちゃん
女社長、財務状況逼迫の会社と足元を見ていた社長。またもイヤな奴の登場である。#とと姉ちゃん には男尊女卑傾向や長いものに巻かれる人間も出て来るけど、隈井や五反田、東堂夫、水田のようにそうじゃないない人間もいる。谷のような絶妙な造形も。戦後の貧富の状況と同じ、人間にもレイヤーがある
「潰れかけた会社に花山を連れ戻すのは迷惑」は社長として大人として至極まっとうな判断だけど、それは花山を「外」の人間としてみなすこと。花山の心があなたの暮らしの「内」にあれば、他の社員たちと同じように最後まで投げ出さないでくれるはず。とはいえ(続 #とと姉ちゃん
承前)とはいえ、常子には(常識的判断の他に)「見捨てられた」思いも大きいと思う。花山に惚れ込み、心が通じ合っていたと思えばこそ、愛想をつかされた衝撃・自分への失望も大きいのでは。思いが深ければ必ずしも深追いできるってわけじゃないんだ、大人は。そこで美子が動く! #とと姉ちゃん
いったん花山を突っぱねたのは常子の感情的態度だよね。あんな出て行かれ方、やっぱり心の傷にはなる。でも谷と美子に促され、すぐに翻意して潔くまっすぐに謝罪し「これから」を語った常子。…に対して、どこまでも受け身でエラそうな花山の子どもっぽさが際立ったw #とと姉ちゃん
花山だって十分大人げなかったし、結局花山の作りたい雑誌は常子としか作れない。なのに悪かったねの一言もなし!態度でかい! でも彼らの「内」では、それも花山の性格として認められてるんだろうな。君子のぼんやりや、かつての森田屋のうるささと同じように、それが花山の個。#とと姉ちゃん
ここ数回の常子は、料理学校に、水田と岡に、妹たちに、谷に、そして花山にと、頭を下げ通しだったな。学校は向こうが約束破ったのもあって浅い下げ方だったけど。どんなに謝っても常子は卑屈じゃないし擦り減らないように見える。孤独だけど強いよなあ。強くなる過程を見てきたなあ。#とと姉ちゃん
谷さんは迷惑かけられてるわけじゃないんだよね。苦になってない。そういうお人よしな性格もあるけど、人は誰かの情熱を意気に感じれば、損得なしに主体的に動くもので。世の中のいろんな大きな物事が、そんなふうに多くの人の手助けや関わりがあって形になってるよね。#とと姉ちゃん
木皿泉『二度寝で番茶』より。「多分、人のために何かやることを時間やお金に換算しちゃうと、"損じゃん"ってなる。自分の時間が無駄になって、自分がなくなっちゃうような気分になる。でも、人のために何かしてこそ、アイデンティティというものができていくような気がするんですが。」
承前・木皿泉)「確かに、笑いたくもないのにニコニコしながら人にサービスしてお金もらって、それでへとへとになった体と心を癒すのにお金を使って…そんなこと繰り返してたら、タダで何かやるのはバカらしくなると思う。人のためにタダで何かしてあげることって、今は異常なのかもしれない」。
承前・木皿泉 「人のために何かやることも、されることも負担なんだと思ってるんだね。一見タダに見えてもタダってあり得ないと思ってて、必ず何かと引き換えだと思ってるんでしょう。ケチむごい世の中ですね。」
よっちゃんすごく良かったよね! 衝動に突き動かされて思いを口走るタイプの美子が、思いを常子にではなく谷に、そして花山にぶつけた。自分にできることを考えること。困ったときは人に相談したり手助けを求めること。感謝すること、謝ること。全部、大切なことだよね。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 理想と希望に溢れて雑誌作りを始めた常子が、現実にぶち当たって悩んで間違えて悩んで失敗して決断して断絶して、それでもやっぱり最後に理想は捨てずに現実も受け入れながらもう一度皆と手を取って歩き出すまでの流れがすごく等身大でよかった。不完全なところが好き。
最近は写真もあまり出ないととだけど、常子の中には常にととがいるのではないだろうか?RT だから強い。そりゃあ常子のすることはとととは違う。それは常子と、ととが違う人だからであって、常子は常に常子らしい。それはととが娘たちに望んでいた生き方なんだと思う。#とと姉ちゃん
常子は女子会には頼らないタイプだ。一人で考えて一人で決める。檀さんがあっさりとナレーションしているから気づきにくいけど、ひょっとしたら常子は心の中でととと話しているのではないだろうか。そして星野青年とも話しているのかもしれない。そういう人は強い。#とと姉ちゃん
いろんな嘘が出てきて全部ばれた最後に「嘘はいけませんよ」と花山の妻がたしなめるのが、すっごく心憎いな! 描きようによっては不安だったり危ういポジションになりそうなところ、三枝子はとても安定した存在なんだよね。良妻賢母だからじゃなく、みんなに嘘がなければ。 #とと姉ちゃん
料理の手順が伝わらないのは過程をきちんと示せていないから、というのが花山と常子の断絶や森田屋夫妻の新しいお店、鞠子の言葉を深読みしすぎてた水田にもかかってきてるんだなあ。みんなきちんと伝えあえてホットケーキのように丸くおさまってよかったですね #とと姉ちゃん
記事の成功も恋の成就も半ばわかってたことで今日は後日譚に近かったけど、米がなくうどんすいとんばかりの日々に家庭で食べるホットケーキは本当にうれしかっただろうなと感じ、キッチン森田屋誕生も胸が熱く、最後に流れた主題歌のメロディにこのフェーズの終わりを感じてしんみり #とと姉ちゃん
試作品を作ったりレシピもキッチンも提供。損得勘定したら損だけど、宗吉は迷惑をかけられてるとは思ってなかったはず。照代が言ったように気分転換にもなっていただろうし、こうして関わることで、結果的に自分たちの仕事の道しるべの発見にもつながった。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん もう単純に、綾さんやみんなとわいわいお料理する姿や、茜ちゃんが美味しそうにホットケーキを頬張る姿が、暮らしの中の幸せの象徴みたいで良かった。キッチン森田屋の響きも可愛いし、鞠ちゃん水田くんもいい感じだし、普通の人々から明るさが広まっていくようで、じんわりした。
対立するかのように見える二つの考えに、キッチン森田屋という別の新しい選択肢を提示するという、このドラマのテーマまでそろそろたどり着きそうと感慨深く思った。名前としてもかわいいね、キッチン森田屋。 #とと姉ちゃん
仕出し屋そのものを、そのままの形で守り受け継ぐことではなく、「お客さんに美味しいものを届ける」という理念を守っていく。「あなたの暮らし」も紆余曲折あっても結局「人々の普通の暮らしを守る」という理念を譲らなかったように。大切なのは理念。胸熱やわ。 #とと姉ちゃん
へー、来週は鞠子が主人公なんだ! 平塚らいてうに会うのは鞠子なんだね。スピンオフ的と見せかけて本編としっかりつながる感じだったらいいな。たのしみー #とと姉ちゃん
今日は8月6日、それで思い出したんだけど、#とと姉ちゃん で原爆投下について「次は東京に落ちるという噂が」「これで戦争が終わるという噂もありました」というナレーションを一部の人が非常に憤慨していてちょっと驚いた。当時、東京の人がそういう噂話をするのはごく自然だと思うので。
「苦しんだ人が大勢いるのに原爆投下で戦争が終わったかのような語調は失礼」という批判だけど、原爆投下で戦争が終わったとは言ってないんだよね。当時はそういう噂もあった、と言っている。それでも「そんなことを(よりによって朝ドラで)言うべきではない」と仰るのだろう(続 #とと姉ちゃん
東京大空襲で被災した人々を見た常子たちが「私たちも深川に住んでいたら死んでいたかも」のようなことを言うのも批判されていた。なんという自己中心的な人たちだ、深川の知人友人を心配しないのか、と。
私は、食糧がない、自由な発言も許されないのが何年も続き、ひっきりなしに空襲警報が鳴っておちおち眠れないのが何か月も続き、今夜は自分の家が、自分が空襲で焼かれるかもしれない時代に、とにかくまずは自分たち家族の命を考えるのはとても自然で、自分もそうなってしまうだろうと思いました
それでも「そういった好ましくない言動を公共の電波で流すべきではない」という意見があるんだと思う。「そういう描写は嫌いだ」は個人の感想だけど、「誤っている」「そうするべきではない」と断じる語調が多いのが気になったのだった。こういう反応がメディアの自主規制につながるような。
戦争の犠牲になった人々に対して後世ができるのは、「先の戦争を忘れない、伝えていく」ことであり、「もう二度と戦争を起こさない」ことに繋げていくことだと思う。そのためには多角的な研究や創作が行われるべき。もちろん、創作について何を摂取するかどういう感想を持つかは個人の自由。
戦争という非常時に人はどうなってしまうのか? 戦争はなぜ起きたのか? 戦争はどのような経緯をたどり、どのように終わったのか?繰り返すけど、ドラマは「当時そういう噂があった」と言っただけで、「原爆が戦争を終わらせた」と(欧米人の感覚のように)肯定したわけではないけれども、
「二度の原爆はポツダム宣言受諾に影響したのか?」「原爆がなければ戦争はもっと長引いていたのか?」「そうであれば何が起きただろうか?」「なぜ原爆が落ちるまで・・・南洋の島々が玉砕し沖縄で地上戦が行われ本土の多くが空襲されるまで、戦争を終わらせることができなかったのか?」等々…
多面的に知識を増やし、いろいろ考えるのはすごく大切なことだと思う。それは被爆者を踏みにじるのではなく、むしろ戦争について深く考え、同じことを繰り返さないための行為だと思う。「戦争は良くない。やってはいけない」それは真理。でも戦争紛争テロが起こり続けているのも現実だから、
戦争をしないため、今ある紛争を止めるために何をすべきか、何ができるのか、よくよく考え実践し続けなきゃいけないと思う。私は、そのために、知識を増やすのは本当に大事なことだと思ってる。様々な視点での研究や創作が続けられるのを願うし摂取しなければと思う、とと姉の戦争描写はその1つだった
当時の東京人が、二度の原爆を知って(情報統制はあったにせよ)どれほど怖かったか。「これで戦争が終わるかも」と噂したとして、当時空襲を免れた人が、空襲に遭った人たちを見て「自分じゃなくてよかった」と反射的に思ってしまったとして、後世の私たちの誰が責められるだろうか?
その姿を、「創作作品で描くのは不適切だ」というのはなあ…。視聴者のそういった反応は、作り手側やメディア側の自主規制、思考停止につながりかねないと思う。森達也『放送禁止歌』で書かれたことだけど。URL
皐月の十二
●5月某日: あー。昨日はちょっと飲みすぎたかもしんない。ちょーっと、頭が痛いので、ゴロゴロ。ゆうべの映画がきっかけで『海街diary』の原作マンガの再読を始める。おもしろい・・・。サクと夫は福岡タワーに行った。おにぎりを持って行くついでに、夫が私にもおにぎりを作って行ってくれた。ありがたやー。昼前になんかすごい元気出てきて、家事雑事。
サクは元気に帰宅したが、タワーの近くのロボスクエアでロボット(ドクターペッパーとかがいて、触れる)をめちゃめちゃ怖がっていたらしい。
夫「サク、すげーびびってた」
サク「びびるって、なんだ?」
夫「こわがるってことだよ」
サク「うん、びびってた」
(笑)。そんな彼の最近の一番のお気に入りは「トムとジェリー」のアニメ。友だちの家でDVDを見て楽しかったらしく、ゲオで借りてきたのを家で見て、爆笑し、マネしてやってる。夜ごはんは、アジの塩焼き、味噌汁、大根おろし、小松菜、トマト。鉄腕ダッシュ、ダッシュ海岸+ダッシュ島(水路・三和土づくり)の2本立ててでおもしろい。そのあとはもちろん「真田丸」。
●5月某日: サク弁、ごはん、鶏ミンチの肉団子、ベーコン入り卵焼き、胸肉と玉ねぎカレー炒め、小松菜、チーズ。工事の関係による2週間の「自由登園期間」が終わり、今日からは正式な保育期間が再開。サク、「きょうから、RもKもみんなくる!」と張り切って登園。途中で仲良しの友だちと会い、はしゃいで一緒に歩いていたが、ふとしたことで(でもその子には大きなことだったんだよね)友だちの機嫌が悪くなって、園に着くまで戻らなかった(^^; うんうん、こういうのもいいなあって思う。なんというか。
元アイドルの女性が刺された事件で、こちらの記事の内容を思い出しました。”アメリカで私の子どもが年長クラスだったときに、こんな授業風景がありました。相手に「ハグしよう」って言われたときに、……続く URL
続き ”相手に「ハグしよう」って言われたときに、「自分がハグしたくなかったらしなくていいよ」と先生が言うんです。「今はハグしたくない」という人の「NO」の意志をリスペクトするべきだし、言われた方も「NO」と言われたからって傷つく必要はない、と教えるんですね。”
続き ”日本では子どもに「人に優しくしなさい」「親切にしなさい」と教えるけれど、「NO」と言うことを教えない。基本的には人の言うことは受け入れなさいという教育です。そこでその人の権利は潰されてしまっている。その意識は改善点があると” URL
人との関係では自分の好意が受け入れられないことがあること、でも、自分の好意が受け入れられないことは自分の尊厳の否定ではないことを子どもの頃から学ばないといけない。
RT 公園で子どもを遊ばせたりするとき、我が子のおもちゃを取る子とか、貸してほしがる子がいたら、親はほとんど「貸してあげなさいよ。○○ちゃん、どうぞ」ってやっちゃうんだよね。それこそ、1歳くらいのころからだから刷り込みだよね。逆に我が子が取ろうとしたら「だめよ」と言うんだけど。→
→その後、幼稚園(や、幼稚園教諭の経験がある人のところ)で遊ばせるようになると、自分が使っていたおもちゃを他の子に取られそうだったり、言葉で「かして」と言われても、先生たちは、貸すのをイヤがる子の「イヤ」という気持ちを尊重した対応をする。そうだよね!と思ってすごくうれしかった
子どもA「かして」子どもB「やだ」先生「そっか。Bちゃん今は貸したくないんだね。Aくん、Bちゃんね、今これ使ってるからダメだって。どうしよう。あっちのはどう?」子どもA「イヤだ、それがいい」先生「Aちゃんもこれがいいのね。Bちゃんどうする?」貸してあげるのを強要しない
いつでも何でも貸してあげるのが良い、仲間に入れてあげる・仲良くするのが良いと盲目的に教えないってすごくいいなと思ってる。それは利己的でOKってことじゃない。イヤなことはイヤって言えるのも大事だし、言われる経験も大事。そんなときどんなふうにコミュニケートするか、諦めて切り替えるか、
年齢が上がっていけば、あの手この手で自分たちで交渉したりする。「これ貸して。こっち貸してやるけん。こっちすごく楽しいよ」とか「ちょっと待って。これ終わったら貸すけん」とか。貸してあげたら喜ぶ経験。貸してもらってうれしい経験。今は絶対に貸したくない経験。いろんな経験が想像力を育てる
もちろん、そんなスムースに成長しないので、常にケンカとか悔しいとかあるし、この子なら言うこと聞いてくれる、この子は強い…みたいな感覚も徐々に出てくる。だから子どもに任せきりにせず大人がよく見て随時寄り添ってくれるのも大事。その辺が信頼できると幼稚園保育園って満足感高まるんだよね。
反対に、習い事的なものは、どうしてもお客様サービスというか、「みんな仲良く」「みんなで一緒に」「がんばろう」「貸してあげよう」「相手が泣いたら謝らせて解決」みたいな画一的な対応になりがちなところもあると思うので、そーゆーとこは幼児期にはむしろ避けたいなーと思ったり
結局、自分の気持ちを尊重されてこなかった子に、他人を尊重しなさいって言ってもかなり難しいんだと思う。尊重されるもされないも、子どもの頃にかなり沁みつくことなんだろうと思う・・・
子どもって(って、私の見える範囲だけど)トムとジェリー、おさるのジョージが大好き。あんなふうに、心のままに動きたい、やりたい放題したいんだろうなーって思う。もちろん現実ではジョージは無理だけど。だから泥遊び水遊び、走る上る飛び降りるって大事なんだろうなーと
降園後、サクの友だちが遊びに来たんだけど
さっき、息子5才が友だちと遊びながら「○○っていうはなしの しゅじんこうがね、・・・」と説明してたんだけど、主人公って概念と言葉、どうやって分かったのだ。
さっき、息子5才が友だちと遊びながら「○○っていうはなしの しゅじんこうがね、・・・」と説明してたんだけど、主人公って概念と言葉、どうやって分かったのだ。
さて、今、フジパンの商品についている点数シールを集めているサク。食パンは普段から本仕込みを買うこと多いんだけど、あとは対象商品がネオバターロール系しかなくてけっこう大変です。すると実家の母が3点、郵便で送ってくれた。サク、自分あての手紙が届き、しかも点数シールが入ってるのを見て歓喜。大急ぎで台紙に貼って、「はぁ・・・6てんになった・・・」とひとしきりうっとり&見せびらかしたあと、「あ、サクちゃんへ、って、てがみもはいってたよね」と取り上げたそばから、母が確かに全部ひらがなで書いてたとはいえ、すらすらと高速で音読したので驚いたw 夜ごはんは、焼きちゃんぽん、ひじき煮、みぶ菜&きゅうり。
皐月の十一
●5月某日: サク弁、たけのこごはん、豚と玉ねぎの味噌炒め、卵焼き、焼きビーフン、さつまあげ糸こん、にんじん。たけのこごはんは、産直バザール的なところで買った炊き込みご飯のもとで作ったもので、おにぎりにして「ママじゃな」の取材にも持って行った。
今日は春日公園で撮影する。サクを送って行って、洗濯を干したりしてバタバタ電車に乗り込みちひろちゃんと合流。駅からはモデルのみどりさんの車に乗せてもらってGO! みどりさんは、実は約1年前に取材をするつもりで事前アンケートももらい、日時まで決めていて、朝、出発したころにお電話があってキャンセルになったのだった。というのは、彼女はそのとき臨月で、取材の日の朝になんと陣痛が始まったのだ! でも、会えない一年間が愛を育てたというか(facebookやメッセージ等でやりとりはしていました)、初対面だけどお会いできたうれしさもひとしおで、楽しい取材になりました。
mamajanaiwatashi.hatenablog.com
予報どおり、ほんっとうにいい天気! 気温もぐんぐん上がる中、広い芝生で、木漏れ日の中で、そして木登りまでして(笑)撮影。敷物を敷いて、ピクニックのように持ち寄ったごはんを食べて、14時ごろにお別れした。
夜ごはんは、サクが前日から希望を出していたのでスーパーで握りを買ってたんだけど、さらに夫が焼き鳥と刺し盛りも買ってきて、そこにナスの揚げ浸しや野菜サラダ、完全なる居酒屋メシでした。ナスの揚げ浸しを作ると夏がきたなーって感じる。帰宅後も19時くらいまでめちゃめちゃ元気だったサクが、夜ごはんを食べると急速にテンションダウンして、布団に誘うと一瞬で眠りに落ちた。月曜日は大雨で、そのあとは毎日暑かった今週、金曜日にもなると子どもも疲れてるよね。
●5月某日: 7時に目覚ましかけてたんだけど、それより早く目が覚める。年ねー。8時45分からランニング。とみに気温が上がってきた昨今なので(28度とか29度って…冷静に考えたらまだ5月なんですけど…)、これからはどんどん走る時間を早めねば…。実は昨日から内腿ともも裏が筋肉痛で今朝もまだ残っている。3日前にちょっと珍しい筋トレをしたのがてきめんに効いたようだ。5回くらいしかしてないのに!
で、走り始めはかなり足が硬く、そのせいで全身のリズムが悪い感じだったけど、30分くらい走っているとだいぶほぐれた。8.5キロ。地図で行ったことのない神社を探して今日の目的地として目指したんだけど、その周辺、なんだかレトロな感じだった。隣の小学校で運動会をやっていた。
サクは、おととい本屋で見つけた「スカイツリーのすべて」とかいう子ども向け図鑑絵本を欲しい欲しいといいい、夫に買ってもらうことに成功。そんなに欲しかったのか。そして我が家でさっそく行われる、「スカイツリー クイズラリー presented by サク」。リビング(にしている部屋)のホットカーペットをついにしまい、ゴザを出した。(←夫が) 夏だ!
夜ごはん、1口豚テキ、みぶ菜とラディッシュ、にんにくチップのサラダ、あさりと野菜・きのこの蒸し焼き・揚げナス和え、もやしのナムル。サクが寝たあと夫と飲み直しながら「トットてれび」の録画をさっそく見て、地上波初放送の「海街ダイアリー」の録画を追っかけ再生して、11時半ごろに眠さの限界がきて、途中で停止して寝る。
『真田丸』 第30話 「黄昏」
あんなにうろたえて爪を噛んでいた家康が、ふてぶてしく鼻毛をむしるようになっていた。なんかわからんがお灸を据えたい気分だ・・・伊賀越えのVTRをこれへ・・・ #真田丸
徳川家もだし、刑部とか稲とかいろいろ描写不足でここまで来ちゃったなあと思う部分もあり、各大名家の政治的な動きなどももっと見たかったけど、いろんなところをはしょっても、秀吉(およびその周辺)だったんだろうなあ。脚本演出にも演技にも、そんな熱というか執念みたいなものを感じた #真田丸
信繁なりに信義を貫こうとしてたんだね。信尹でも景勝でもなく真田の駒になるのでもない、己の生き方をこころみていた。忘れられたとわかったとき、全てが灰燼に帰したような心地がしただろう。今まで何のために、と。けれど出会いのリフレインでひっくり返る。全てが報われたような心地に。 #真田丸
「利発な若者が大好きだ、一目で気に入った」 意気盛んな頃には言語化されず、老いて意識が混濁したから言われた言葉。秀吉の寵愛は言動の端々から感じていただろうけど、今はっきりと確信を持てたことは、大きな喜びになると共に、信繁の心に楔として打ち込まれたかもしれないね… #真田丸
信繁もまた、最初から秀吉に魅了されていただろう。怖いけどすごく魅力的な秀吉。さだめられたからだけじゃなく、自負心も強い信繁が「俺が仕えるに足る人物」と思い、気に入られてるのもわかる、いわば相思相愛だから懸命に働けたんだろうし、人間、懸命な年月は自己肯定したいものだよね。#真田丸
大河での秀吉の晩年は老醜を描かれることが多いけど、老いの悲しみや残酷さだけでなく、周囲の切なる思いや、老いてなお華やかな席が似合う姿も描き、そして老いたからこそ表出した言葉が、近しい相手の年月を肯定し、救いになる描写。なんか泣いてしまった。#真田丸
今日の放送を見たら、そら信繁は豊臣につくよなあ、という気分になってしまった。豊臣への忠義というより、いろいろあって真田から離れて、豊臣で長年がんばってきた自分を肯定するためには、豊臣方だよなあ。ここからさらなる展開あるのだろうけど。 #真田丸
信幸に告げたのも、信繁なりの義なんだろうね。どうせお見通しなんだし、兄には兄の立場や生き方があるのもわかるし、兄と真田家への思いだってもちろんあるから。でも、それとこれとは話が別。左衛門佐信繁が歩む道は己で決める。信繁の表情で信幸もそれをきっとわかってる #真田丸
魑魅魍魎の伏魔殿さながらに思えた大坂城が今は黄昏れている。最初は誰も彼もが不気味で信用ならざるように見えたけど、今はみんなが人間くさく見える。形見分けで信繁を慰める治部と片桐。ブラックな職場だとしても人間が働いている。でも外から見れば、弱いとみれば潰しにかかるだけの場所 #真田丸
今回、信幸がいったん沼田に帰るのがうまいよなあ、と。あっさり豊臣を離れ徳川につこうという信幸が怜悧な合理主義者のようにも見えてしまいそうなところ、「沼田」「検地」「矢沢の叔父上」で、彼が守るべき領地領民が浮かび上がるんだよね。宮仕えの信繁とは違う立場。#真田丸
茶々が花咲爺をねだったのは、秀頼への親バカ愛もあるけど、秀吉の老いを見たくなくて介護に携わっていないから彼の現状を把握できていなかったんだろうなあと思う。親をいつまでも元気だと思っている・思いたい、娘のような姿に見えた。側室だけど。 #真田丸
信幸による評、「堂々として頼もしい」信繁は迷い苦しんでいて、「もう立ち直った様子」のきりはキリスト教徒の部屋の中まで入っちゃって信仰に救いを求めようとしてる。みんなずいぶん距離ができちゃったよね・・・ #真田丸
密偵の使命を帯びている自覚のある女と、女の密偵じみた仕事を想像している男が、夫婦として周知され仮にもそのように振舞い、子まで為して、情が絡んでくる。時代劇ならではの面白さだよね。もうちょっとその辺、じっくりねっとり見たかったものだがw #真田丸
喜劇作家として登場し一世を風靡してきた三谷さんが、特に舞台では何年も前からビターでシリアスな作劇をして評判になっているのを何度も見聞きしてきた。だから50代になって取り組む2度目の大河では、青春群像だった「新選組!」以上に「切ない」だけでなくシリアスな展開を腕によりをかけて書くんだろうと想像はしていたけど、本当にその通りになっている。
信繁が秀吉の馬廻り衆を命じられたとき、よくある大河の主人公特権とは違うけど、史実の重要人物とうまく絡められるように、三谷さんさすが考えたなーって思って見てた。それが、秀吉の介護をする役目にまでつながると想像できた視聴者はものすごく少なかったんではなかろーか?
信繁にとって秀吉はとても大きな存在なのだけど、とにかく三谷さんがこの秀吉を描きたかったんだろうなと思った。おそろしくて、人間くさくて、老いていく秀吉と、彼を巡る周囲の人物を。言い含められたのに泣き伏す加藤清正も、表情を動かさず(けれど視聴者には万感の思いが伝わる)三成もとてもよかった。
そして信繁。信繁は英雄・真田幸村じゃなくて、本当に普通の人だなあと思う。家族の愛情を受けて育ち、比較的出来が良くて、だからいろんな人に気に入られて、でも時にちょっと思い上がって策に走ったり幼なじみを雑に扱いすぎちゃったりする、進むべき道をさだめられていないがゆえに迷い悩む、普通の人。堺さんうまいなあ。もちろんコヒさんだ! コヒさんがうまいことはとっくに知られてただろうけど、今作の秀吉で、偉大な俳優として認識されるに至ったんじゃないかな。
放送を見たときは、「もうこれで信繁が豊臣につくの確定やん。ばっちり説明できちゃうやん」と思ったけど、やっぱりちょっと違うな。秀吉の出会いとのリフレインで源次郎はこれまでの勤めが報われたような思いがしたと思う、でも「これまで」のために「これから」を決めちゃうのはやっぱりなんか違うな。「これまで」を踏まえて、そのうえで「これから」を見据えるものだよな、うまくいえないけど。だからこれからの展開を楽しみにしています。
ついに秀吉情報を伝えてきた弟に感謝しつつも、弟の表情から、信繁には言葉にしない気持ちがあるのだと悟っている表情をしていた信幸。悟っていながらも、徳川の舅のところに情報をもっていき、真田のこれからを委ねようとする。徳川が動けば、そのときには釘をさすよう命じられた上杉が背後にいる・・・・。熱いな!
稲とおこうが二人とも腹ぼて(あんまり良い言葉じゃないと思うけど、敢えて使いたくなる場面だった)で手紙の受け渡しをしているシーンが、笑えるとこなんだけど妙にえげつなかった。同じ男の子どもが腹に入っている。時代や立場を考えれば別にインモラルなことではない。ないんだけど、自分だったら、稲でもおこうでもやっぱりイヤだと思う。初めて子どもができて、だんだんお腹が大きくなる不思議と喜びを感じる日々に、目の前にまったく同じ状況の女がいるって、旦那様も奥方様/侍女 も誰を責めるところでもないけど、なんかイヤだと思う。そのイヤらしさを意図的に書いてるんだと思う。
で、信幸が子どもを抱き上げたり愛情をあらわすシーンより先に、祖父母が愛でる(しかも祖父昌幸は、入れ込んでいた女が忍びだと気づかずにいたみずからの“衰え”にしょぼくれている状態)シーンを入れてくる。昨今の大河がやたらアピールしては失敗を繰り返していた(と私は思っている)「夫婦愛」みたいなのの思いきり逆張りできますね。さあ来週、徳川!