『真田丸』 第28話 「受難」
私、「真田丸」見て初めて泣いたんじゃないかなっていう第28話です。なんといっても新納慎也さんの演技がすばらしかった。優しげで、繊細で、ちょっとおバカで、これほどまでに愛すべき秀次像、そして彼が滅びていくさまの哀切は、脚本もだけど新納さんの演技によるところもかなり大きいのでは。あと、寧さまの悲しみの表現もすごくよかった。新納さんがブログに鈴木京香とのオフショットをアップしてたんだけど、すっごく綺麗で若いのね。寧さんは演じてるんだなあと思う。若くて美しい茶々との対比もあるし。
サブタイトルは「受難」で、ここでキリスト教のモチーフが出てきたのにも驚かされました。謀反人=支配者への反逆者として処刑「されたことになった」秀次ですし、本質的な意味では支配者によって滅ぼされたともいえるでしょう。引っ立てられていく妻子たちは、殉教者たちの列のようにも見えました。
秀吉が秀次を滅ぼしたのではなく、秀次が自ら出奔し死に至ったのを制度の中で正当化するための切腹申しつけ→妻子の処刑 というのは、初めて見た者にとっては大変斬新だけど、妙な説得力を感じました。実際、秀吉の年齢と拾の年齢を考えれば、豊臣政権にとって秀次の存在は大きく、彼がいなくなって得をするのは、豊臣政権よりもその終焉を願う有象無象の衆としか思えません。
いや、ドラマでは徳川や真田が「待っている」姿を描くいっぽうで、秀次の縁戚関係をまったく描かず(妻が30人もいればすごい数の縁戚がいて、そこには数多くの政治的関係があるはずよね)に済ませたから、このような感覚になるんでしょうけど、そういう「導き方」がつくづくうまいドラマであります。
本当はちょっとね、もうちょっと政権構造とか社会システムとかに触れた展開を望んでいるんだけど、まあ大河ドラマって昔から、朝ドラに負けず劣らずホームドラマですもんね・・・
しかし秀吉と秀次の心がとことんすれ違ったあげく、ポジション的に弱い秀次が心を病んでついに自死するという流れはあまりにも胸にくるものがありました。
拾を支援するために必要と思っている茶々。一度は「ありのままの貴方で」と秀次自身を肯定する言葉をかけたが、「秀次には荷が重いのだろう」と慮った寧。優しい兄を慕っていた秀保、秀俊らの弟たち。今でも孫七郎と呼んで彼の気の優しさを理解し好もしく思っていた福島正則(ほんのちょっとの彼の出番が、今回すごく大きかった)。自分なりに力を尽くした信繁。そして「かわいい甥っ子」の言葉には真情もあっただろう秀吉。
秀次の周りには現時点で彼を滅ぼしたい者は誰もいなかった、むしろみんなが彼を大事に思っていた。それでも、彼を誰も救えなかったっていうのがね・・・。
信繁はしきりに当事者同士を会わせて忌憚なく話させようとしてたけど、それが叶ったとして事態は変わっただろうか? 信繁と信幸がそれでうまくいったのは真田だからだろう。秀次は既に「もう二度と秀吉に会いたくない」レベルまでいってた。どうしてそこまでいっちゃったかというと、2人共が政権の中枢にいるから。彼らが権力という衣を着ているからだ。今さら対面して秀吉が何を言っても心には響かなかっただろうし、秀吉は秀次の心を動かせることを言える人間ではないだろう。
ただ、「1ヶ月の謹慎」 1ヶ月では短いだろうけども、そうやって職位と権力から離れて療養することで多少なりとも良い方向に向かったかもしれないとは思う。そう考えるとやっぱり、間に合わなかったのが悔やまれるし、でもそりゃ間に合わないよな秀次にとっては、とも思う。
「秀次、なぜ死んだ」という怒りにまかせて妻子を殺し、そののち泣いている秀吉という人間のメンタルが、こうして回を積み重ねてきているので大変説得力があった。あと、「重版出来」でも思ったけど、小日向さん、加齢による猫背(というか腰が曲がる)の演技が超うまいよね。
今回、非常に印象的だったのは秀次と信幸が語り合う場面で、ああこのために、先週のお兄ちゃんブチギレもあったんだなと。豊臣と真田の対比の構図は先週時点で見えていたけど、個人的にはやっぱりちょっと作為的だったかなーと思っている。
ただ、そんな作為をどうしてもやらなきゃいけなかったのは、もちろん、それが今後につながるからなんだろう。どうつながるんだろうと考えているけどまだよくわかんない。
先週あれほどブチ切れてたお兄ちゃんは、今週やはり自分から信繁に謝った。信繁にしたら、「さすが兄上、時間をおいたら本当に冷静になられた」って感じなんだろうけど、視聴者は秀次との会話を見ているわけで。
信幸は秀次に救われたのかもしれない。秀次に向かって「自分も同じように大変なんだ」と言いながら、やはり秀次の圧倒的な荷の重さを感じただろうし、それでも自分に対してはどこまでも穏やかで優しい秀次に打たれただろうし、自分は信繁には振り回されておらずただ嫉妬していただけなんだと気づいただろう。秀次のことを誰も救えなかった、でも秀次は死ぬ前に似た苦しみにある信幸を救った。
キリストの受難には「身代わり」という意味合いもあると思うんだけど、秀次の死に身代わり要素があるなら信幸かな、いや信幸は死ぬほど苦しんでいたってわけじゃないけど、今週になっても思いつめて官位返上を申し出たりはしてたわけでね。
で、信幸は秀次を救えなかった。信幸にとって「救いたいのに救えなかった」「間に合わなかった」っていうのは、今後また、大きなやつが控えてるんだよね。今回を踏まえた描写になるのか、注目であります。
信幸の「つらいのはあなた(秀次)だけじゃない」は、先週のおこうのセリフのリフレインでもある。やっぱり夫婦なんですねー。おこうさんもつらいんだ。つらいけど覚悟を決めていてかっこいいんだ。それに比べれば稲ちゃんは子どもだけど、実際まだまだ若いんだし(だよね?w)やっぱり私には稲が気の毒にも見えるなー。いまだに、嫁いできたときの寒がりな子どもなんだよね。歩み寄っても心を開かない嫁に信幸が苦慮するのもわかるけど、それで「病弱かどうか今ひとつわかんない前の嫁」を抱きに行ったのは信幸だからなー。
豊臣と真田の対比で言えば、「どうしてもやる気がおきないから、表向きは俺がやってることにしておまえやってな」と意に染まない仕事からいともやすやすと逃げ出す昌幸な、このテケトーさが必要なんですな、でも引き受けてくれる息子がいるからできることだけどさ。あと吉野太夫に脂下がってるの薫様に隠してるけどな。薫さまの出自がここで俎上にあがってくるとは楽しみ。昌幸は知ってんのかな? 家庭内で嘘がある、ってのは今後に響きそうではあるよね。
なるほど、ここで呂宋助左衛門なのか、おたかはこうなるのか、と。鬱陶しいきりちゃんは秀次にとっては聖母のような存在だったのだね。で、信繁ときりちゃんって結局最後の最後までめおと関係にはならないような気もしてきた昨今です。
卯月の二十 / 皐月の一
●4月某日: 連休中だというのに夫も子どもも朝が早い。夫なぞ6時過ぎに起きてランニングに行っていた。午前中から料理して、友だちの家で持ち寄りランチ。うちからは、唐揚げ、チャーハン、たけのこごはんのおにぎり、野菜ピクルス、赤ワイン。もちろん夫も(夫が?)もりもりがんばったメニューである。
友だち(夫)は得意の燻製料理! 燻製をやる旨、前夜に連絡を受けてガッツポーズをした私たち夫婦であるw 友だち(妻)は、豆サラダに、パンそしてシフォンケーキも焼いてくれた! 超うま!!
子どもたち、よく遊ぶ。庭に降りてブランコにも乗ったり。サク兄ちゃんはなかなか気に入られた様子。うちにまだない「よつばと!」の12巻を読ませてもらったあげくおうちのダンボー人形ももらって彼自身ご満悦であった。
赤白ワイン飲んでいい感じでほろ酔いで帰宅、しばし休憩して夜は夜でもりもり食べる。イカとみぶ菜のパスタ、ぶりのカマ焼き、野菜ピクルス、キャベツ。『ブラタモリ』熊本の回の録画を見る。水の国、熊本。今は水前寺の池が干上がったり、温泉が枯れたりしているとこともあると聞く。番組には熊本の地を愛する人たちがたくさん出てた。桑子アナの卒業回でもあった。『トットてれび』始まる。満島ひかりー!
●5月某日: GW前半最終日、ノープランの今日だったがあまりに天気が良いのでどこか行こうかという話になり、思いつきで鴻巣山にのぼることに。決まった瞬間、迷いなく弁当を作り始める夫がえらい、えらすぎる・・・。平尾霊園を通って山道に入っていく。登るといっても100mちょっとの山で、ちょこちょこ立ち止まって何か観察したり寄り道したりしながらも1時間弱で山頂とその先の展望台まで着いた。鴻巣山はマテバシイの森と呼ばれているらしい。ものすごい枯葉のじゅうたん。階段や木道が随所にあってアクセントになっている。
最高気温26度とかいう、暑くなった日なので、はじめは「どんだけあるくとー?」って感じで歩みの遅かったサクだが、山らしい景色になってくると暑さも減じるしテンション上がったらしく親の先を行く勢い。途中、ちょうど良い感じにしなだれた枝を見つけてぶら下がるとベルトコンベヤーのように横に流れていったのが笑いのピーク。
お弁当といっても、おにぎり握って、卵焼き作って、ウインナー焼いて、野菜ピクルスの残りとミニトマトといちごを詰めただけだけど、よく歩いた後に食べるとめちゃくちゃ美味しいですよね。食後はシャボン玉して遊ぶ。
帰宅後、私と夫は小一時間寝たけど5歳児は夜まで元気に遊びまくり。夕食は、いわし煮、味噌汁、野菜ピクルス、トマト。『真田丸』家康の上洛。今夜も超おもしろかった!!
卯月の十九
●4月某日: 今日も雨。今日は近所のママさんに一緒に乗せてもらった。朝から大きい病院で以前の病気の定期検診。今回、次回とパスすれば、今後は市などの集団検診でもいいだろう、と言われた。
オートフォーメーションで会計を済ませ、幼稚園近くのクラスのママの家にて、来月の保護者会総会の打ち合わせ。今年度の役員の初めての大きな仕事ということになる。といっても私は役員ではないのだが、(役員外から選出する)議長を頼まれたので出席。まぁ例年しゃんしゃんで終わる会なので気楽に引き受けた。一昨日も書いたがこういう場での雑談は楽しいだけじゃなく何かとママ業にお役立つ。それにしても、彼女(私たちのクラスメートで今年度の会長さん)の家は、おうち自体が立派で調度品などのセンスもことごとく良いというだけじゃなく、いつ来ても綺麗にしてあって心をこめたおもてなしができて、すごいなあと思う。ここにお邪魔しただけで帰る時にはいい気持ちになってる、いつも。
夜ごはん、干しヒラメ、豚テキ(玉ねぎ&大人はかいわれたっぷり)、野菜の焼きビーフン。午後休をとった夫が当たり前のような顔で作ってくれた。ビールのち、赤ワインボトル半分&白ワイン1本を2人で。連休前の解放感!
●4月某日: 県美に印象派展を見に行ったついでに須崎公園でお弁当でも、という案を立てていたが、サクに却下される。サクには昨年末、モネ展に付き合わせた経験があり、それを振り返って「えをみてもあんまりおもしろくないもん、むずかしいし」とのことでした…。まーね、子どもにも、絵画に興味の無い夫にも、強いてとは頼めない企画であるw
昼、ラーメン屋へ。最近、「新・チューボーですよ!」の皆川猿時の回の録画を見たこともあり、担々麺を頼んだ。美味しかったんだけど・・・やっぱり豚骨ラーメン屋の担々麺なんだよね。中華料理のやつが食べたい。八仙閣の担々麺、今度狙うぞ。本屋でたっぷり物色して、1冊だけ買って、ちょっといいスーパーやら100均やらぷらぷらしながら帰る。よく歩いた。暑くて、最後にはセブンイレブンでアイスコーヒーを買った。
夜ごはんは、サバ、かぼちゃ煮、味噌汁、きゅうり。休みが続くのでことさら意図的に休肝日を作らなければならない。
卯月の十八
●4月某日: サク弁、オムライス(玉ねぎ、ニンジン、ピーマン、魚肉ソーセージ)、ナスのグリル、きんぴらごぼう、キュウリのおかか和え、りんご。今週は連日のお弁当なのでちょっと趣向を変えてオムライスにしてみた。弁当箱の蓋を利用して包む。帰ってきて弁当箱を出すサク、「きょうのすごかったー! すっごいおっきいたまごやきかとおもって、ひとくちたべてみたら、おむらいすやった!」と興奮ぎみに感想を述べていた。子どもの素直な反応が、こういうときはすごくうれしくて楽しいんですよね。
さて、サクを幼稚園に送って行ったあと、今日はそのまま一室にとどまって、お母さん人形劇段の役員引継ぎだった。一応、昨年度の副&書記として出席。こういう場では雑談も多いんだけどそこから得る情報というのは園生活や育児にとってかなりお役立ちなものです。時々、窓からチラッチラッと園庭ものぞく。サクは何人かと一緒に、年長さんしか使えない大型スコップで一心に山を作ってるようだった。
幼稚園から帰宅後、珍しく昼寝をしたサク、寝起きは超悪いが、30分ほどすると超元気になってきて、夜ごはんのときなどしゃべりまくっていた。「いつもは疲れてるんだな・・・」と夫、しみじみ。夜ごはんは、小鯵の南蛮漬け、麻婆ナス(まいたけと玉ねぎでかさまし…)、水菜と薄揚げの豆乳煮。
●4月某日: 1日中、雨の予報。朝は小雨だったのでレインコート&子どもかごレインカバーで自転車登園。クラスのペーパードライバー仲間のママが車で来ていて、駐車場手前の路肩に停車して子どもを降ろしていた。「もうすごいドキドキばくばく。駐車できないからここで降ろしてる・・・」わかる、わかるよー! 気をつけて帰ってね、と別れる。
午後2時、迎えの時間には何故か雨がやんでいて、明日の遠足はいったいどうなるのか、お母さんたちの間で話題沸騰w 幼稚園がわはやはり当初の予定日に行きたいものなので、明日も雨の予報になっているが、こんな調子だったら明日の朝まで様子を見て判断されるかもしれない・・・でも親としては朝に連絡が回ってくるんじゃ遅い! 雨天延期になったら明日は午前保育(お弁当なし)だし・・・。それに明日の予想最高気温は15度、海遊びには絶対向いてない! 果たして夕方、「明日は延期です」とメールが回ってきた。メールの着信音を聞いた瞬間「きっと中止の知らせだ!」とガッツポーズ。昨今、家族や友人とはLINEでの連絡が多くてメールはあまり来ませんからねw
夜ごはんは、皿うどん(パリパリ麺)、かぼちゃ煮、きゅうりの酢の物。
卯月の十七 / スーパー歌舞伎 「ワンピース」 @博多座
●4月某日: サク弁、ごはん、鶏と玉ねぎ煮、きんぴらごぼう、じゃがいも&ピーマンのカレー粉炒め、卵焼き、りんご。きんぴらごぼうもじゃがいもも夫が作ってくれたおかずである。はっきり言ってとっても美味しそうなお弁当である。幼児らしいかわいさとかは(盛り付け含めて)ないけどね!
さて今日はサクを送っていったん帰ったら、バタバタ準備して博多座へ! 昨年10月に新橋演舞場から始まったスーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」を、明日の千秋楽を前に、ついに、ついに見に行く! 到着してすぐにお弁当をゲット(鯛散らし弁当1,200円。超おいしかった)。
1幕後の幕間でそれをいただいて、2幕後の幕間に備える。出演者たちが熊本・大分地震の募金箱を持って回るのだ。もちろん亀ちゃんのところに一目散に並ばせていただきました。「すごい列になるからダッシュで行ったほうがいいよ!」と先週行った姉からアドバイスもらってたので(姉も一目散に並んだらしい)、本当に迷いなく行ったところ、25番目くらいだったと思う。最終的には亀ちゃん一人に200人は募金したんじゃないかしら。
あれだけ体力使って、まだ三幕90分残ってるのに、わずかな休憩時間じゅうずっと、客席で義援金募ってる。キャストみんな
「貢いだ」「ルフィーに全部貢いじゃったー!」「きゃーっ!」って、握手した手をさすりながら女子高生たちが歩いてく
20分の休憩時間、5分前に「まもなく始まりますので着席してください」のブザーが鳴ったあとも、まだ募金活動は続いてて、その中には亀ちゃんもいて、本当に、幕があく2分くらいにやっとこさ皆さんお帰りに。それも、ルフィーっぽくピョコッ、タタタタッ、て感じで走ってハケてく亀ちゃんで、超かわいくて超胸が熱くなるのだった。他にも、竹三郎さん、石橋直也さんの募金箱に入れさせていただきました。
終演。放心のままにグッズを買いあさりそうになるも何とか思いとどまる…… URL
この募金は、千秋楽のカーテンコールの場で福岡市長高島さんに目録が手渡されるところ、ローカルニュース等でも報道されていました。
twiter:724937285481955329:detail
肝心の舞台の感想は、こちらに・・・・
終わって、天神まで歩いて、カフェに入ってコーヒー飲みながら舞台の感想をザザザと手帳に書き留める。「すごかった」「すんごかった」って衝撃と感動が強すぎてどんどん忘れていくので・・・。で、急いで電車に乗って、自転車に乗って、延長保育をお願いしてた幼稚園にサクを迎えに行く。
そういえば歌舞伎を見に行った帰り、息子5才を迎えに行くとネックレスに目を留めた(普段つけないから)。「前にお父さん(夫)にもらったんだよ」と教えると、「へぇー、おれもおおきくなったら、だれかにあげようかな」と言うので「お、いいね」と答えると、「おんなができたら」と付け加えた…
夜ごはん、豚バラしょうが焼き(まいたけ、玉ねぎ)、水菜とチクワのサラダ、卵豆腐。サクが寝たあとビール飲みながら夫と今日の舞台の話など。彼はワンピース好きでコミックス全巻持っているのである(ワンピースが彼の蔵書の9割以上を占めると思うw)。
関連エントリ:
『真田丸』 第27話 「不信」
今日の #真田丸、落首事件のエピソードが効いてるなあと思った。秀吉はタガが外れれば一族皆殺しを平気でやるし、秀次はそれを見てた。落首事件で命を賭した諫言が容れられなかった三成はもう何も言えない。頼みの綱、寧の言葉すら秀吉を動かせない。来るべくして悲劇は訪れる。
能の極意を「後ろから己を見る」的に言ってたけど、結局宇喜多の「殿下のためにー!」宣言もあり、秀次は秀吉の姿のみを意識して舞っていたんだろうな。沼田裁定のときといい今回の叙位といい、秀吉がいなかったり源次郎を守ろうとするなどのときはとても理性的で良い判断をするのにね #真田丸
前回きりが秀次に「自分の話ばかり」と言ったけど、秀次にはそれが癒しだったんだな。いつも秀吉の目に怯えてるから。能の「己を後ろから見る」は前回のおばば様の「己のさだめを知れ」にも似ている。誰かの目を気にするより己を見つめる。「己のための戦をする」精神が大事というか。 #真田丸
しかし「人を気にしない、己を見つめる」って本当に難しいんだよねえ。信繁は兄を思って叙官を拒み、信幸は弟の言動に激怒する。でも自分で言ってたように「時間をおけば」自己解決しそうな器の大きさが信幸にはあるかも? てか対面であれだけぶちまけられる信幸OKだよ。来週が楽しみ。#真田丸
てか、嫁2人が手をつないで泣いてる様子を見ると、蚊帳の外の苦しみ味わってるの君だけじゃないよ、って感じになるね。実質的に側女として信幸に扱われていてもおこうは今もつらいんだよね。日陰の身だから。稲は妻として扱われていないと感じてるんだよね。まぁ稲も頑ななんだけども。#真田丸
おこうの「あなたよりもっとつらい者がいる」という言い方にはやっぱり引っかかるんだよなあ。自分と相手どっちがつらいかって本来判断できないししちゃいけない気が。この「人と比べた意識」は後に引きずるものなのか、それとも単に「それでも励ました、励まされた」ってことでいいのか #真田丸
何にしても、稲が嫁いできたの19話だから、ここの膠着関係めちゃくちゃ長引いてるよなって思うけど、もしかして関が原までこんな感じでいくんだろうか…稲ちゃんこのまま京住まいになって離れ離れになるのかしらん? #真田丸
おこうはどうしたて正室の稲を意識せざるを得ないし、(このまま大名の妻として京住まいになったとして)遠距離になった状態でもしおこうに子ができれば稲もおこうを意識せざるを得ない。今日も手を握ってたけど、この2人も「相手の目を意識せざるを得ない」関係として描かれるんだろーか? #真田丸
父と子。兄と弟。妻と妻。叔父と甥。相手を意識せざるを得ない関係が数多く描かれる中で「己を見つめることが大事」と変奏的に繰り返される。でも「己のための戦」をした氏政や利休は滅んだよなー。戦国サバイバル難しい。主人公は最終的に戦死だからサバイブが勝ちってわけじゃないのかも #真田丸
のちの歴史を前提に見ていると、秀秋の裏切りと共に、寧が豊臣から離れていく萌芽も感じた。家族の皆に芋を振る舞えるようなことが寧にとっては何より大事だったろうに、それが否定され失われていくんだよね。弔いすらされない秀保が哀れというのもあるけど、寧自身が傷ついてる感じがした #真田丸
立て烏帽子姿の秀次、新納さんって大和和紀の「あさきゆめみし」から抜け出たような貴公子だな。秀次の運命はもちろんわかっているわけだけど、こういうふうに描くのかーと三谷さんにはやはり瞠目させられる。能が出てきたのも面白かった。豪華な衣装! そして下手くそな源次郎w 堺さんおつかれさまです(笑)。
秀次が秀吉を過剰に恐れているようだけど、落首事件を思い起こせばやはり怖いのもわかるんだよね。そして秀吉のほうも秀次を気遣いかわいがっているようで、やはり疑心暗鬼があるんだと思う。ここは先週のやつし比べからの連続でもある。皆が政権に媚びへつらっているのを悟りながらどうすることもできず先週はへらへらしてたけど、甥っ子が自分のために上手に舞うのを見ると甥っ子だけに正直な怒りをあらわにしてしまう(ここ、酔い方といいキレ方といい、小日向さんさすが巧かった~!)。
秀次に絡めて小早川秀秋まで仕込んでるのもさすがの手練れ。秀保の遺体が運ばれていく映像のインパクトがすごかった。棺ですらないという。ああいう形のカゴって罪人を乗せて運ぶやつだよね…。
あちらこちらで滞留し、あるいは噴出する不信。正直、信幸の“不信で激おこ”は脈絡が乏しかったように思ってる。お兄ちゃんが蚊帳の外だったり信繁に劣等感あったりは序盤で触れられていたけど、ちょっと連続性が途絶えていたというか、そのフェーズはもう卒業したんじゃなかったの?というか。
お兄ちゃんは徳川の養女格の稲を娶り、沼田城のあるじになり、大名として遇されているわけで、堂々たる嫡男ぶりじゃないですか。秀吉の近くにいるとはいえ源次郎とはある意味ずいぶん差がついているわけでねぇ。その沼田の運営が叔父上のダダでうまくいってなかったり稲が相変わらずだったりが描かれてたけど、それでおこうの胸に飛び込んでいってちゃ世話無いよ、と。
でもあそこで本人に向かって怒り爆発できるのが真田家と豊臣家の違いだし、「怒っとったのうー、ま、大丈夫だ」というパパの脱力っぷりに笑わされた。それよりなにより伏見の普請なんかやってらんねー、という(笑)。あのシーンの草刈さん超よかったな。TLで、信幸のキレ方が薫ママにそっくり」っていうのを見て確かに!と思ったわ。
でも悩んでもキレても自力で解決しそうなのが信幸のこれまでの実績で、鬱屈を抱えながらもせっせと城の土仕事みたいなのしてたシークエンスを思い出すんだよね。いや、この流れで稲・おこうともちゃんと対峙するのかな。してほしいんだけど。稲ちゃんの孤立ぶりはさすがに長すぎてかわいそうな気が。浜松からついてきた侍女的な存在もないし。
おこうと稲のシークエンスには感動的というより「これ長引きそうだなー」ってちょっとゾクッとした。「知らないでしょうけどあなたよりつらい思いをしている者がいる」てやっぱり穏やかじゃない発言よ。稲のつらさをおこうには測れない。おこうのつらさを稲は測れないように。この2人の関係と寧~茶々の関係って相似・対比になるのかな。
ま、なんだかんだいって嘘のつけない信幸は、己を生きるんだろうなーという感じはする。んで、最近は切ない顔が多かったきりちゃんが、久しぶりに信繁と再会してウザさ全開だったのが超よかったですよね、「初恋の女」認識はともあれ(なぜきりちゃんが源次郎を好きになったかは描かれていない)止めてくれと言わんばかりの振り返りながらの退場、きりちゃんの真骨頂だw きりも信繁といてこそ自分らしくいられるんだろうなあ。
翻って、きりといるとものすごいチベスナ顔の信繁の「己」ってなんだろう?と考えたり。信幸は「抜け目ない」と評したけど、いろいろ気を回して立ちまわっても信繁は大して役に立ってないどころか事態を悪くしているような・・・? でもそうしながらもいろんな人間に好かれてはいるんだよね。だから、いろんなものを見てしまう。それが信繁の己であり業なのかな。ううーん。
共感や自律心はとても大事だけど、そこに傾きすぎると日本人の性質的に、同調から逃れ得ず萎縮したり逸脱者への排斥を強めたりにもつながる。#真田丸 で「己のさだめを生きる」、#とと姉ちゃん で「それぞれの暮らしの尊重」とどちらも自分本位を打ち出してるのは今を生きる作家の感覚なんだろうな
『とと姉ちゃん』 第14週 「常子、出版社を起こす」 ツイートと追記:共感しない、されないヒロイン
闇市のセットやエキストラ、すごかったですね。過去作をいろいろ思い返しても、やっぱり朝ドラは予算の使いどころをはっきり決めてるんでしょうね。分散ではなく集中な感じで。#とと姉ちゃん
新世界は文芸誌。しかしこれまで描かれてきたとおり、文字の力や人々の“知りたい欲”を徐々に感じ、雑誌作りへの意欲が上がっても、常子は文学に深い興味があるわけではない。彼女が情熱を持って取り組むのは…そうして作る雑誌は・・・という話に、徐々になっていきそうですね。#とと姉ちゃん
戦時中から引き続き鞠子が心配になる描写。ここへきて五反田が小説書き溜めてた設定まで! 世の中、並みならぬ才能や情熱で成功するのはごく一握り。そうじゃない大多数の人々も食べるために仕事が要るし、平凡なりに美点や適性もあるはずだよね。現に常子は鞠子に何度も助けられてる #とと姉ちゃん
鞠子は神経細めで体力もないけど、玉置兄弟・三宅の事例に見る通り、怒りのガソリン注入したら爆発力高いよね。戦時中も弱ってたのに鉄郎登場で減らず口が復活。逆境に弱いけどとことん追いつめられたら力を発揮しそう。…って鞠子本当に(常子以上に!)普通の人設定。だから気になる #とと姉ちゃん
RT 高畑さん、ごちでスタパに出たとき、ピーターパン公演が今までで最も体力を酷使する仕事だったと言ってた。自信につながる大きな仕事だったろうね。タフなヒロインなのは間違いないよね。朝ドラ終わったら、どっちが(いろんな意味で)きつかったか、ぜひ聞いてみたい。#とと姉ちゃん
「女たちが生き生きしてる。やりたいことやれるチャンス」と鉄郎に明るい(無責任な)セリフを言わせながら映る闇市に、逞しい女だけでなく暗い目で働く女も映り込むのが印象的。そして綾の窮状。男はカストリ雑誌、女は口紅を求める姿といい、希望も絶望も欲望も混沌とした描写がいい #とと姉ちゃん
やさぐれ鞠子がちょっとツボに入ってきた。もともと神経細め、バイタリティ少なめタイプな上に、大学出てなまじ世の中を俯瞰で捉えきれちゃう面倒さw そんな鞠子も常子に必要な相棒ってのが #とと姉ちゃん のいいところ。君子も鉄郎も皆フラットな存在、その時々でお互いさまなのが体現されてる
綾さんの人生はもし星野と結婚してたらなifかもしれないな。 #とと姉ちゃん
綾は自分から会いに来たし、再会の瞬間いたずらっぽいくらいの良い笑顔だったから、まだ気力があるんだよね。でもそのうち絶望にのみこまれてくかもしれない。間借り先さえ失いかねない状態…。そうよね、食べ物はもちろん、おむつも要るよね、洗っても永遠に使えるものじゃないしね。#とと姉ちゃん
「人はパンのみにて生きるにあらず。こんなときこそ文学だ!」て真理だけど、パン無しでは生きていけないのも事実。口紅とは程遠い生活の人や、物質では自尊心を充たせない人もいる。戦後会社を興した大橋さんには「こぼれ落ちた人」への視点があったのかなと思う。掬い上げ一緒に働く #とと姉ちゃん
好もしく思う人の求婚を断るほどに家族第一、一貫して「内向き」の常子だけど、自分の暮らしを大切にしただけではなく、「暮らしを大切にしようという雑誌を作る」という、ものすごく「外向き」な事業を興した人だ。内から外へ。内があっての外。そこが鮮やかにつながった感動! #とと姉ちゃん
歯磨き作りや鳥巣商事での経験、森田屋や青柳を見送ったこと、五反田との約束、ままごと供出、戦時中の暮らし、三宅、お竜、鉄郎、そして綾。すべてが今日の決断の背後にあり、ととの写真が「自分で考えて動くのはすばらしいことですよ」と背中を押してくれる。他の家族も同じだろう #とと姉ちゃん
青鞜がここで綾から出てきた! 正直、常子は青鞜を直接的には忘れてたと思う(笑)。借りて読んだから手元にもないし。でも苦労を重ねている綾が青鞜をずっと大事にしてきた事実。文学そのものよりも、「言葉が人をどれだけ力づけるか」という実存的なものに感動するのが常子だなと #とと姉ちゃん
常子の「自分本位」は人と自分を比べないところにもある。共感すら常子には遠い感情のような。富江の花嫁姿やまつの涙、滝子の決断、今日の綾。安易に羨まない、同情しない。ただ見つめ自分の糧にするしかない。高畑充希の深遠な表情がすばらしい URL
「共感」が至上の価値のように思われてる現代日本で、こんな共感型でない、いい意味で自分本位なヒロインの「見つめる」姿、そしてそれを糧に考えて行動する姿って、本当に大きなメッセージだな。綾はつらい境遇にあるが彼女の姿が常子の背を押した。人が生きる姿にはそんな力がある #とと姉ちゃん
息子の件もあり三宅さんも気の毒なんだ。そんな優しい共感や同情が、彼の横暴を許してもいた。共感するから動けない、そんなことってあるよね。常子の行動原理にそれはない。かわいそうな人のために、ではなく「自分はこうしたい」、そして「大金持ちになれるかも」w あくまで自分の問題。
ととの代わりになって家族を支えたいという、一見、自己犠牲的なヒロインが、その利他的な生き方を貫くために揺るぎない自己を確立していって、自分(と自分のすべてである家族)を大事にしながら広い世界に打って出るって、すごい話だな。#とと姉ちゃん。大橋鎭子さんすごい人だな。
そんなパワーに人は巻き込まれていくんだと思う。今日の常子のプレゼンは魅力的だった。力があった。社長が思わず「失敗したら戻って来い」と言ったのも、生き生きと語る常子の姿とそのビジョンに魅了されたんだと思う。史実のぐっさん(違)が好意的だったというのも頷けるような。#とと姉ちゃん
もちろん、何か行動すれば人に迷惑かけることもある。失敗したり嫌われたりもある。迷惑や失敗を最小限にと心がけながら汲々と生きるか、「失敗しても何とかなる!迷惑かけた分をいつか取り返す!どんとこい!」と思ってどんどん行動するか。どんな生き方をするかは自分次第。
そして、本当に人に優しくできる人、大らかに受け止められる人って、行動派の人に多いような。それは、行動することによって、たくさん失敗したり人に助けられたりしてきた経験値からじゃないだろうか。感謝や、行動することの有意義や、失敗なんて些細なことさ、ってのをよく知ってるから。
とにかく口下手だし、共感を集めやすいヒロインじゃないし、常子って本当に難しい役だと思う。私も、高畑充希が豊かなキャリアと感性でニュアンスあふれる演技してるから、常子を理解できている(ような気がする)かも。#とと姉ちゃん 見て、高畑さんと仕事をしたいという作り手はますます増えそう。
「女はもともと太陽だった」という「言葉」が綾さんに元気を与え拠り所になっているんだ。「すすめ一億火の玉だ」と人々を狂わせたのも言葉なら、「原始女は太陽であった」と勇気を与えるのも言葉。 #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 今日の回好きだなぁ。一見山師的行動だけど、見て知って考え悩む常子を丁寧にずっと描いていたからこそ、リスクも分かっていての敢えての行動なんだと分かる。もちろん社長への口頭の発言でも分かるのだけど、そこはおじさんに似て?軽いとこがまた好き(笑)
#とと姉ちゃん 走り出すと決意するまでの常子の静かさ、そして大胆な行動。常子って魅力的な人だな。明日から苦難の連続だとしても(笑)、わくわくする!
>RT パズル。ああ、これはすばらしい読みだなあ! 常子は「家を建てる」を目標にしてきた。自分たちの暮らしが大事にできる家。でもこれからできあがるのはきっと、多くの人の「あなたの暮らし」を大事にできるような、編集部なんだね。それが常子が建てる家なんだ。#とと姉ちゃん
正直、常子に雑誌作れる気がしなくてホント面白い。文学好きでもない。成績や記憶力もイマイチ。特別センスがいいわけでも、カリスマがあるわけでもない。そこで花山を始め、いろんな人の力が必要なんだね。一人じゃ解決しない #とと姉ちゃん ワールド。編集者、社長としての常子の描き方が面白い!
#とと姉ちゃん 名前が会社名なんて……と、歯磨きの頃から成長したかと見せかけて、恥ずかしがったの一瞬だった(笑) さすが常子。
#とと姉ちゃん 風来坊なおじさんに負けず劣らず山師体質の常子、そんな娘に負けず劣らず調子の良い母。スピンオフは、君子と竹蔵の出会いから三姉妹生まれるまでの純愛と見せかけてドタバタストーリー希望だな。あるいは「今、竹蔵が生きていたら」
#とと姉ちゃん 昨日の回で綾に会って「女の人の役に立つ本を作りたい!」とぶちあげたのに、蓋を開けたら外国人女性を参考にしたスタイル画オンリーという、吟味した様子のあまりない内容で嬉々として作ってるのは、花山参画までの溜めでもあるんだろうけど、常子らしいっちゃらしいんだよな。
五反田が長年書きためていた小説をやっと世に出すときの挿絵。花山はそれを断って、常子と雑誌を作るんだな。いや、そこまでにはこれからいろいろ経緯があるんだろうけど。五反田さん切ないな。花山のすっかりくたびれたおっさんぶりも切なかったけど。#とと姉ちゃん
スタアの装いを見た甲東の面々が「わからない」と言うの、よかった。暮らしの手帖って(まだ暮らしの手帖じゃないけど)ずっと昔からあって、いわば「大切なものを変わらず守り続けている」存在だけど、その始まりは、誰もやったことがない新しいものだったんだね。 #とと姉ちゃん
三姉妹の大金持ち妄想パート2。妹たちは以前とほぼ同じ、常子金歯になったw お金に苦労してきたからなあ。それ以外は以前と同じく「空っぽ」な妄想で、常子が本当に欲しいものはお金じゃない、お金は「大事な自分たちの暮らし」を守るための手段でしかないんだなと納得なんだけど→ #とと姉ちゃん
→かかの妄想がここで闖入! しかも何ぞ、あれ(笑)。子育ても終わり、君子の人生、新たな局面に入っていくのかなあ。なんか妙に不吉だったけどw 昨日の力説といい、ずっとおっとり気丈にしてたようで、君子も戦時中は本当にしんどくて、今すごい解放感を感じつつあるんだなあ #とと姉ちゃん
鉄郎はまあ今後も通常運転だろうからな。妄想もいちいち映す必要ないんだよね(笑)。それにしても向井さんが随所で良い演技するようになって、うれしいやら淋しいやら…何様な視聴者の勝手な親心だわー。 #とと姉ちゃん
妄想シーンに代表されるように、三姉妹(+母)を清く正しく美しく…に描かないのはほんといい。それやったら暮らしの手帖って聖人が作った宗教チックな思想になっちゃう気がする。聖人じゃない欲も得もある普通の人にも、その事業にも、私たちは敬意を抱くことができるよね?(続 #とと姉ちゃん
(承前)聖人が清く正しく作ったものを有難く押し戴くって、勇ましく美しい煽り文句で突き進んだ先の戦争と同様の状況になりかねない。もちろんお金儲けだけで人の心を掴むことはできない。その辺り、花山に絡めて描かれる萌芽は既にあり、モチーフに対して理解と敬意ある作劇だと思う #とと姉ちゃん
私は暮らしの手帖にもこの脚本家の仕事にも詳しくないいけど、だいぶ前にkanadoramaさんが暮らしの手帖関連本に寄せた西田さんの文章を読んで「この人にならついていける」とツイートされてたのが心に残ってて、#とと姉ちゃん 見てるとその気持ちが何となくわかるんだよな。
筆力がまだ足りないのかなとか、編集や演出が汲み取れてないのかなと思うとこはあるけど、西田さんは暮らしの手帖の思想(それは聖人の思想じゃなく普通の人の思想)にすごく共鳴して惚れこんで、これこそ今の時代に自分が書く朝ドラだと、魂込めて書いてるのが伝わってくるんだよね
創作作品の感想って、個人の価値観や好き嫌いだけじゃなく、価値観や好き嫌いのさらに底にある、道徳観とか「その人が思う正しさ」が表れると思う。それは、時代や家庭や環境などによって無意識のうちに刷り込まれている部分も多々あって、そういった内面化を含むのが個人の価値観や好き嫌いなんだよね
たとえば「多様性はすばらしい」とか「職業選択の自由、辞める権利」とか「どんな人の人生も保障され尊重されるべきだ」とかいう文言をダイレクトに聞けば、殆どの人は是と言う。それがポリティカルコレクトネスと知っている。でもそんな社会の実現が難しいのは、それを阻む内面化が私たちにあるから
母親がこんなに頼りないのは悪だ、実家の家族より伴侶との結婚のほうが幸せで選ぶべきだ、(ちゃんと退職願を出し理由も説明し雇用主が了解しても)世話になった会社に恩返し(?)しないうちに辞めるのは非道だ、金儲けのための起業は美しくない(からモデルはそんな人じゃなかったはず)etc・・・
目の前の友人や知人がそういう人だったり、そういう人生を選ぶのはたぶん許せるんだよね。でも一般論としては眉をひそめる、不快にすら思う。ある程度の道徳性が担保されてきた「朝ドラ」だからこそ、「一般的にはこうあるべきなんだ論」の内面化が感想として次々出て来る。とっても根深いなーと思う。
あさ来たが人気を集めたのは、もちろん脚本・俳優はじめ作り手のすばらしい仕事があったからだけど、視聴者が無意識のうちに内面化している「あるべき論」の中で作られていたからというのも大きいと思う。それが「朝ドラだから不快感を与えないように」ってこと。それも1つのポリシーだけど
その「あるべき論」に疑義を呈すことができるのも創作の役割の1つ。根深く内面化されている「あるべき論」・社会規範・「これでがんばってきてるんだからこれでいいんだよね」っていう気持ち…そこから踏み出して違うものを示す。その過程が気持ちいい物語になるはずはないから批判が出るのも当たり前
家族にしても、ジェンダーにしても、お金や仕事へのスタンスにしても、私たちは結局、いま内面化しているものを拠りどころに生きている。それが揺さぶられると足元がぐらつくような不安を覚え、それが忌避感、不快感につながる。とと姉ちゃんへの感想を見ていてもそれをすごく感じる。
いろいろ指摘されているように、とと姉ちゃんには物語としての弱さや不備もあるけど、「小さな物語」「普通の人々」「弱くても偏っててもみんなフラットな存在」「言葉を大事に」等の指向が明確にあって、現代人の内面化を超えていく意思を持っている。それは多分暮らしの手帖の原点に通じるもの
そしてそんな指向を、作り手は「いま大事なのはそれなんだ、そっちに変わっていったほうが結局楽で、みんな幸せになれるんだ」と思ってるんだろう。とと姉が青臭いほど理想主義だなと思うのはそこ。でも青臭いままでの挑戦、とてもいい。西田さんにはまた10年か15年後にも朝ドラを書いてほしいな
で、私はゲゲゲから朝ドラ見てきて(脱落もある)、朝ドラには巧さとか完成度、気持ちよさよりも、長い物語の根っこにあるもので好き嫌いを判断してるなーと思う。その根っこには、普遍性(人間の強さ弱さろくでもなさすばらしさ)を前提に、現代への批評性つまり未来志向があってほしいな…
と思ってて、その点、私も西田さんのこと言えないくらい青臭いんだろうw
さっき1つのポリシーと書いたけど、私はそういう「内面化されたあるべき論」に沿って、その範囲内にとどまる物語を朝ドラという国民的な枠でやるのには批判的だなと前作で自覚した。見てるときは気持ちいいけど、気持ちよくさせることで、問題を先送りにするどころかエスカレートさせるような…
人々が内面化している「あるべき論」が問題を含んでいたとしても、それを打破したほうがより良い社会になるとしても、現状の「あるべき論」に沿って創作したほうが・仕事したほうが、売れやすいし、支持を集めやすいよね。戦時中の新聞や雑誌、作家や画家たちもみんなそうだったように。
それに迎合した反省をもった人が(花山のように?)戦後のメディアや作家たちにもいただろう、でも経済発展という次の潮流に乗って売りだした人も大勢いただろう、そこには貢献もあり反省もある。では今は?今の潮流は? 今私たちが本当は手放すべき「あるべき論」は?ってのを書いてる物語、好きだ。
自己責任を厳しく貫くべき。人に迷惑をかけてはいけない、かけた人は袋叩きにする。母親は母親らしく、女性は女性らしく。弱い人貧しい人は相応に大人しく、へりくだりなさい。強いものには何となく巻かれる。難しいことは考えない。白か黒かの二項対立。私も苦しいんだからみんなガマンすべき。etc
今の潮流、日本人が内面化している「あるべき論」ってこういうのかなと思う。いかにも日本人的でもあり、日本人の特性に乗っかってまたグローバルな潮流とも相まってここ10?20年ほどでものすごく加速したともいえるかな。この流れを変えるのは本当に容易じゃないと思う。明後日、選挙だけど。
それでも「物語にできること」を考えてやっちゃう作家や仕事人たちもいて、というかそういうこと考えてなくても、そういう物語になっちゃう、そういう物語が頭から出てきちゃう作家もいて、それが彼らの業でもあるのかなと思う。クドカンや三谷さんや…。村上春樹もそういうことによく言及している
クドカンや三谷さんや村上春樹が支持を集めるのは、飛びぬけた巧さでもあるけど、やはりそういう「良き物語」が根っこにあるからだと思うし、西田さんがタイバニ?とか何か(良く知らない)でファンがたくさんいるのも基本同じなんじゃないのかなと、とと姉ちゃん見てて思ってる。大成してほしい作家
とと姉には定期的?に「行間論争」が起きるけど、それも「内面化された規範」への意識の有無の話かなーと思ったりする(無いから劣っているという話ではない)。内面化されたものに沿って作られたお話は、行間を読まずというか、すーっと入ってきて疑問なく楽しみやすい。自己の安定を脅かさない。
Twitterで朝ドラ感想を呟くタグが広まったのはゲゲゲの女房だと思うんだけど、あれが2008年?8年前か。なんか段々「これは叩いて良し」「これは褒めるべし」って二極化してきた気がするなぁ。
失敗すること、未熟なことがこれだけ叩かれる(ドラマの主人公が成長してゆくことを描こうと思えば、至って当然の描写に思えるけどなー)ってことは、仕事はナレでとんとん進み、新事業の話も優秀な人材も向こうから寄ってきてくるあさ来たはそりゃ人気出るよな〜。世のニーズに合ってたんだろうな。
この流れで行くと、製作者サイドに相当な気概がない限り美男美女がイチャイチャするキャラ萌え重視の、ストーリーは当たり障りのないものが主流になるんだろうな〜と思ってる。まぁ、大多数がそれを歓迎するならそうなるのも必定なのかな。ドラマはアーティストじゃなくて組織が制作している以上は。
#とと姉ちゃん に出てくる人たちは、こうあるべきやこうしたらいいのになどから少しズレた部分があって、途中それがモニョった時もあったんですけど、今はそれが身近に感じて愛おしい。気が利かなかったりズレた言動をしたり、こういう人いるいる、こういうことあるあるに、頑張れーってなります。
前作はそういうことがあっても即座にフォローしたりツッコミを入れる人がいて、それでバランスをとっていたと思うんですけど、現実問題、そんな都合良い人が周りに何人もいるなんてなかなかない訳で。途中からは雲の上の天人たちのラブの物語になっちゃったなぁ…と。それはそれで好きなんですけど。
でも、女性教育が必要だと思って人生をかけることになった経緯と、女性のやらかい力がなんだったのかは私にはついに最後まで分からなくて、そこは本当に今でも残念に思っています。私が女性のやらかい力を感じたのは、新次郎さんや亀助さん、正吉さんあたりの男性陣だったので……(笑)
あさ来たの「やらかい力」は第1回冒頭でぶちあげて主題かと思わせといて、最終的には完全にお題目状態だったもんなー。放送終了後の作家インタビューでも一度も触れてるの見たことない。
谷編集長。常子の退職プレゼンを意気に感じて「失敗したら戻ってこい」と言うも、仕事回さなきゃいけない現実に立ち返り新人を雇って、常子が来たら申し訳なさげにし、その相談じゃないとわかるとホッとする。女性のことはてんでわからない。とっても普通の、良い人。花山との対比だね #とと姉ちゃん
とっても普通で性格の良い、文学ひと筋できた男たちが、徴兵され戦争を経験して、文字の有難みをあらためて感じ、今また文芸雑誌を再興しようとしている。「新世界」も成功するといいな。#とと姉ちゃん
スタアの装いの類似誌たち。本物も贋物もごった煮になってる闇市。いや、本物はすべて失われたのかもしれない。常子たちだって粗悪な紙に外国人女性の服装をそのまま写しとって載せていた。失敗したご時世で何も持たないことを強みに、何が本物なのか、追い求める日々が始まるのかな #とと姉ちゃん
戦後には新しい希望もあるけど、それだけじゃない。カーネーションでは孤児たちや奈津、安岡家(周防家もだね)を通じて。ごちそうさんではかっちゃん戦死や米兵との対峙で、戦後にも戦争を振り返る優れた描写があった。#とと姉ちゃん では綾に続き花山の過去がその役割を担うし物語の肝にもなるね。
1年一緒に暮らして、鉄郎のほうも今まで以上に姪たちに情が移ってたんだろうね。でも新しいビジネスを追いかけたい欲が勝る。1回も成功したことないのに(笑)。鉄郎の「業」なんだろうなー。その姿を見て「もう一度」と奮起した常子にも同じ血が流れてるんでしょうなー #とと姉ちゃん
「男がいると安心」は自然界の現実だよね。力の強い者が先に食物にありつき敵を追い払える。でも小橋家は男がいないのがデフォルト、綾やお竜の家もそうだし、早乙女や多田も広義ではそう。そんな人たちでも安心して暮らせる平和な世の中を志向して作られるのが暮らしの手帖なんだろう #とと姉ちゃん
とと姉が、詰めの甘さ描写の足りなさのような点で批判されることはわからなくないのだけれど、常子の言動が批判されてたりするのみると、なんかちょっと怖いなと思う
チーフ演出、大原拓がプロポーズ週以来の登板! 戦時色深くなってから、深川も目黒もとにかく人がいないゴーストタウン的な様相を呈していて、非常に朝ドラ的(=予算が厳しい)でもあったんだけど、ここに予算を使うと決めていたんですねー。確かに戦時中より戦後を作りこむのが相応しいドラマだ。闇市も綾の家周辺もすごい。戦時中の虚無から戦後のカオスへ。劇的な変換が目に新しくて面白い。
五反田たちと再会する常子、綾の家に会いに行く常子、甲東出版を辞める常子、スタアの装い作りで浮かれる常子、そして花山を紹介される常子。高畑充希の演技がすばらしい。
そして脚本。ツイートもしたけど、「自分本位」「共感型でない」「普通の人々」「小さな物語」「言葉を大事に」っていう明確な志向、暮らしの手帖の思想を今やろうと思った作り手いいなと思う。全然違うっていう声もTLでは散見するけど、草創期に、同時代の人間として読んでいた読者はTLにはまぁほとんどいないだろう。読者には読んでいた時代や個人の環境に応じて「自分にとっての暮らしの手帖」があるんだと思う。それは人それぞれなんだと、あなたのも誰のも否定しないし比べないよね、っていう脚本。今大事なのはそういうことだよね、と。
>>うそ! ついらい生理痛が?
鎮痛剤、飲みすぎかも…がまんできない痛みを自然の力で緩和しよう
卯月の十六
●4月某日: サク弁、ごはん、豚肉炒め、なす味噌、のり巻き卵焼き、スパサラ。お弁当には残り物を入れるのが鉄則です! 今日、人が読めば愚にもつかないことを相当連ツイしたんだけど、自分の中でモヤモヤと醸成されてた考えを言葉にして吐きだすのってホントすっきりするなと思った。でも言葉にするってホント疲れることでもある。放送大学の講義もビデオ視聴したし、頭使ったー。別に何の必要もない頭の使い方であるが(笑)。
降園後、友だちの家に遊びに行ったサクを迎えに行って、帰りにその近くの100均で買いこむ。そして夫が会食なので夜ごはんは超手抜きしちゃえーという週末。カップヌードルBIGをサクと分け合う。でも、小松菜のお浸しとか切り干し大根とかは作っちゃうところが私も年をとったなーというところ。野菜が食べたいの・・・。子どもにも食べさせたいの・・・。
●4月某日: 午前中、ランニング。家からほど近い川沿いの道を走っていると、前から大きい自転車(夫)と小さい自転車(サク)が。上手に乗りこなしながら近づいてくる顔も私を認めてニコニコしている。不意の遭遇、いつでもかわいい。走り始めて15分もしないうちに雨がポツポツと落ちてきたけど、なんとか粘って7.5キロ。
帰ってシャワー浴びて、夫が作ったニラたっぷりちゃんぽんで昼食をとりながら『重版出来!』2話の録画を見る、まごうことなき小確幸の時間。午後は買い物がてら、夫の車で別府の『福慶』へ中華まんを買いに行く。久しぶりだ。うちからだとちょっと遠いので、なかなかしょっちゅうは行けない。蒋さんは今日も元気。ひとりでやってる店なので、「地震の翌日、お店にいるの怖くなかった?」と聞いてみると、「え?全然」と軽ーい返事。強し。夜ごはんは、きびなごの唐揚げ、ししゃも、あさりの酒蒸し、トマト、きゅうり、スパサラ、そして中華まんも。子どもはソーセージまんと小籠包、大人はピリ辛春雨まんと豚&高菜まん。ビールに合うわー!
●4月某日: のんびり日曜日。のんびりとは言っても家事雑事のたまったのを片づけたり。いや私なんてヒマ人なほうです。夫とサクはちょっと遠い公園まで、とってもがんばって自転車こいで行ったとのこと。夜ごはんは焼き鮭、味噌汁、きんぴらごぼう、きゅうりとわかめの酢の物。
『重版出来!』 第9話
卯月の十五 / スイッチインタビュー 唐沢寿明×中村頼永
●4月某日: 午前保育だけど午後に懇談会があるので、迎えに行くときに母と子両方の昼ごはんを持って行く。近所のパン屋で買って行った。クラスのママが、生後1ヶ月になったばかりの赤ちゃんを連れて来てて、抱っこさせてもらう。ああ、小さいわー(癒)。昼ごはんを食べた後はママたちで熊本の地震の話になった(子どもたちはとっとと外に遊びに行く)。こんなふうに小さい赤ちゃんを抱えた人もたくさん避難しているだろう…。
懇談会、前半は、全園児のママが集まるのだが、冒頭にはやはり先生も地震について触れていた。園生活での注意点等のお話は、3年目ともなるとさすがに聞き流す感じになる。その後、クラスに分かれて、4月からの担任の先生を囲んでお話。小さな園で全員がかかわりあうので、親もこの先生がどんなタイプの先生かは知っているし、先生のほうも既にクラスの子(母親も含めて、だろう)たちの顔やタイプは何となく知っている。「でもクラスとして受け持つと、やっぱり知らないことも沢山あって、毎日とても刺激的ですっごく楽しいんです」と、クラスの様子を生き生きと話してくれる、この方もこの園で20年以上勤務している先生である。
夜ごはんはカレーライス、キュウリとトマトと鶏ハムのサラダ、こんにゃくの炒り煮。
●4月某日: 午前保育で11時半に迎えに行かなきゃいけない、わずかな保育時間・・・しかも激しい雨風・・・と憂鬱になっていたら、近所のママ(というか、お休みだったパパ)がサクともう一人、この辺の子を車で送迎してくれた。なんと有難い…。でも当たり前だけど来年はこういう日でも歩いて登校するんだよね。うち、けっこう遠いんだよな・・・。
昼ごはんは、サンドイッチと、じゃがいも・玉ねぎ・鶏ハムのスープ。ちょっと足りなくて小さい鮭おにぎりを作って2人して食べる。本来今日は博多座でワンピース歌舞伎のチケットを取っていて姉を誘っていたんだけど、サクを預ける算段がつかず(例年なら今日はとっくに午後保育のはずだったもんー泣)、母にチケットを譲った。なにげに母も姉も歌舞伎初体験。(スーパー歌舞伎じゃなくて)普通の歌舞伎のほうが見たかったかも・・・なんて見る前は言ってたけど、実際は明るくて楽しくてエネルギッシュなワンピースの舞台を2人とも大いに楽しんだようでよかった。
夜ごはんは、豚肉となす・たまねぎの味噌炒め、スパサラ、トマト。夫は急きょ、役員さんのお供で飲み会に。
去年の12月に放送されたスイッチインタビュー、唐沢寿明×中村頼永の録画をやっと見た。予想以上に面白かった! 何しろ唐沢さんといえば、素と視聴者向けサービスとが半々の傍若無人ぶりを発揮するトークばかり見てきたので妙な不安があったんだけど、初対面の中村氏を相手にさすがに大人な姿で。
中村頼永さんはブルース・リーが開発したジークンドーという武道の継承者。唐沢寿明と同じ52才。「一緒にトレーニングをするとコミュニケーションがとれる」という中村は唐沢にジークンドーの初歩の手ほどきを。そこでの唐沢が、おどけたりすることなくとても真摯で。もちろん筋もいい!
下積み時代からキャリアが長く、数々の大作で主演し、もちろんその矜持もあるし、今の役者では珍しくなったほど傍若無人に振る舞う(それもわざとなんだろうけど)印象もあったけど、人から習うこと・人に敬意を払うことができる人なんだと思った。
唐沢「下積み時代はエキストラやったり(着ぐるみやスーツの)中に入ったり。裏方に近い仕事ばかりだった。スタッフが、主演級の役者が何をすると嫌がるか、腹を立てるか、よくわかってる。だから今、自分はできないよね、そういうこと」
役における衣装やヘアスタイルなどは、スタッフの提案にまかせて、一切、口を出さない。というのは、『僕らの時代』でも言ってた。あのときの僕らの時代、及川光博と谷原章介と一緒で、すごく面白かったんよねー。 URL #とと姉ちゃん
1988に斉藤由貴の相手役に抜擢された初めての大役、『とっておきの青春』、同年の『純ちゃんの応援歌』での山口智子の弟役のVTRが出た。「売れない頃からNHKにはほんとよく使ってもらいましたね。僕の体の半分はNHKでできてます」こういうとこはちゃんとおどける(笑)
中村頼永さんが持っている、ブルース・リー直筆のスクリプトを見て。「ほんっと、賢い人なんですよね。アチャーとかいって脳筋(※という言葉は使わなかったけど…)に思われてることが多いけど、本当はすごいインテリなんです」 唐沢もブルース・リーに憧れてアクションスターを志したらしい
一番びっくりして感心したのは、20代からずーっと英会話の勉強をコツコツ続けてきてた、という話。ナレーションで紹介されただけで本人の言葉で深く掘り下げられなかったのが残念だけど、不毛地帯や杉原千畝で披露した英語も、台本のセリフを付け焼刃に…ってだけじゃないんだね!
若いころから特撮の斬られ役やスーツアクターで激しいアクションをしていたので、「怪我をしない体の使い方」を体得した、みたいな話も面白かった。「今こうして(対談で)座っていても、腰骨に負担をかけない座り方を、と(自然に気を遣っている)」
武道家・中村頼永さんの話ももちろん面白かった。ブルース・リーの前には永井豪の大ファンで、その流れで卒業後はホントにアニメーターになったそうだ。並行して佐山聡に師事して修斗という格闘技を習い、やがてそれを広めるためにアメリカ渡米。渡米資金を貯めるため2,3年バイト漬けの日々。
渡米して格闘技「修斗」を教えていると、噂を聞きつけたダン・イノサントが「個人レッスンをしてくれ」と申し出てきた。イノサントは何と、ブルース・リーと共にジークンドーを開発した、ブルース・リーのファンの間では伝説的な人物。
ダン・イノサントについて中村「何でも知ってるはずなのに、あたかも何も知らないように人から習うことができる人。エンプティ・カップ(空のコップね)なんですよ」それはブルース・リーにも通じるみたい。ブルース・リーってワシントン大で哲学を専攻していたんだってー
ともに50代になってて、長いキャリアがある人たちらしい、自分を大きく見せたり相手にへつらったりというところがなく、かといってもちろん過剰な謙譲もない、初対面同士でもすごく自然体な対談で、良かった。スイッチインタビュー、ほんと貴重な番組なのでぜひぜひ長く続いてほしい。
奥さんとの話もしてたよ。唐沢「ごはんは作ってもらう分、皿は全部洗う。洗濯も気づけばする。」(何もしないという中村さんに)「洗濯ぐらいしましょうよー(笑)。昔の洗濯機と違うもん。入れてピッピッて押したら最後までやってくれる」
で、同級生の2人、「昔の手回し式の脱水機は…」なんて“昭和あるある話”にもなったけど、中村が「子どもの頃50m走のとき、それ用の足袋履いてませんでした?」と聞くと「知らないよ。どこですか?三重? あー、僕は東京だから知らない」って言下に否定、めっちゃ唐沢さんらしさ出てたw
ともかく、すごくプロ意識が高い人なんだなとあらためて。まぁ当たり前ですけどw 職人的、というのかな。演じるのが好きで好きで…とか目立ちたい、って感じじゃないような。プロに徹する感じ。#とと姉ちゃん への登場がさらに待ち遠しくなったよ! 充希ちゃんとどういう掛け合いになるんだろ。